結論:舞台と小道具は一級、推理の公平さは三流。ただし短いので試す価値はある
小栗虫太郎「失楽園殺人事件」は、屍蝋の安置室、八本指の暗号、飛去来器と花火の弾殻と、見せ場の道具立てだけなら『黒死館殺人事件』に引けを取らない。ところが肝心の謎解きは、読者が検証できない材料を最後に出して押し切る。本格ミステリとして公平かと問われれば、答えは否だ。それでも青空文庫の表示で約1万5千字、1時間かからずに法水麟太郎の「小栗節」を味わえる点は大きい。黒死館の30万字に尻込みした人の入口としては悪くないが、論理の快感を求める人には劇薬になる。
最小限のあらすじ
湯の町Kの沖、鵯島にある療養所の構内に「失楽園」と呼ばれる秘密の研究所があり、院長の兼常博士と助手の河竹医学士が同じ朝に死んだ。院長は外傷なしの急死、河竹は密室で背中に短剣という状態だった。休暇中の法水麟太郎が副院長に呼ばれて島へ渡る。部屋には屍蝋にされた三体と、謎の暗号を書いた骨牌が残されており、島に来ていた遺族たちも事件に絡んでくる。
屍蝋室と「コスター聖書」はなぜ読者を引きつけるのか:独自の深掘り
冒頭の「嘆きの橋」と屍蝋室の描写が、短編でも小栗の濃さを出している
書き出しは、半ば朽ちた木橋が沖の島へ蜿蜒と架かる風景で、土地の人がそれを「嘆きの橋」と呼ぶという説明から始まる。わずか数行で、渡る者はみな憂愁を背負っている、という舞台の色が決まる。屍蝋室に入ると、獄卒の衣裳を着せられた二体が左右に立ち、中央に腹の膨れた女が蹲っている。作中で法水が見る「六道図絵」のような光景は、探偵小説の現場というより絵解きに近い。短編で数行の描写に画面を一つ作る力は、同じ作家の『後光殺人事件』(後光殺人事件の感想)と並べて読むとよく分かる。
「コスター初版聖書」の宝探しが、殺人事件に二つ目の駆動力を与えている
骨牌に書かれた「コスター初版聖書秘蔵場所」の一行が、本作の面白さの半分を支えている。殺人の謎だけでなく、時価一千万円の稀覯本をめぐる欲が、姉の鹿子を、卒倒するほど執着させている。謎が二本走るので、中盤が単調にならない。
そして最後に出てくる「聖書」の正体が、本作でいちばん鮮やかな部分だ。双子のうち片方が圧し潰されて胎児のミイラになったものを、博士はコスターに喩えていた。グーテンベルクの陰で忘れられた者、という比喩が、屍蝋の女の悲劇と一本に結ばれる。法水が結びに言う「兼常博士と河竹医学士の生命を絶ったものは、実に、この一つの比喩にすぎなかったのですよ」は、やや大げさでも、短編のオチとして強い。
飛去来器と鳩時計、二段構えのトリックは発想が突き抜けている
院長殺しは、膜嚢に有毒ガスを詰め、花火の弾殻と飛去来器で飛ばす。復路の弧線の途中で煙硝の反動を使い、もう一度飛ばして杏丸の部屋へ戻す、という理屈まで付いている。河竹の死は、鳩時計が開く力で瓦斯栓が動き、真空の口から短剣が発射される仕掛けだ。現実味はともかく、図で説明されれば筋は追える。「飛去来器が戻ってくる」という、誰でも知る性質を足がかりに、杏丸という偽の容疑者まで作る手際は見事で、怪しい物証を拾ってから二段目の訂正に入る構成も、短い枚数にきれいに収まっている。
※ここから結末に触れます。
「色盲だった」は反則か、動機は成立するか:忖度なしの欠点・違和感
鹿子の赤緑色盲という鍵は、解決編まで読者に渡されていない
法水は、鹿子の「膜嚢が浮き沈みした」という目撃談を、彼女が軽い赤緑色盲だったことで説明する。膜嚢の褐色が灰色に見えて消え、動いたように錯覚したというのだ。理屈は面白い。しかし鹿子が色盲だという情報は、法水の口から初めて出てくる。鹿子本人が「それを、よくマア御存知で」と驚くほどで、読者が自力で辿れる手がかりは本文のどこにも置かれていない。法水は二時間ほど部屋を空けて、その間に何を調べたかも読者に見せない。これでは推理ではなく、探偵の持ち札の披露だ。
河竹の動機と「自殺」の組み立てが、仕掛けの精密さに釣り合っていない
河竹の動機は、コスター聖書を奪うため。そのうえ、自分の運命の悲惨さを誰かに背負わせたくて、自殺を他殺に見せかけた、と説明される。院長殺しに緻密な計算を重ねた人物が、最後は鳩時計に短剣を仕込んで他人に罪を着せるだけの理由として、「捻れた性根」の一言では弱い。河竹の人物像は作中でほぼ描かれていないため、動機は解決編で後から貼られた設定にしか見えない。ここが、トリックの細かさと比べたときの最大の落差だ。
暗号解読の恣意性と、回収されない冒頭の一行
「モルランド足」の暗号は、八本指から三を引く→「モンド」を除く→「ラ」を横倒しにしたら「ル」の裏表になる、と進む。どの段階でもほかの解き方があり得るので、読者は納得より「そう言うならそうなのだろう」という気持ちで読み終える。「3-2=1とはいえない」という冒頭の台詞も、読んだ範囲では明確に回収された形跡が見当たらず、やや思わせぶりに終わっている。
付け加えると、療養所の患者の遺体を「六道図絵」の素材として描く部分は、今の目で読むと痛々しく、時代の偏見が見える。作品の背景としては割り切って読むのがよい。
この本を一番楽しめるのはどんな人か
- 『黒死館殺人事件』(黒死館殺人事件の感想)を30万字読む体力はないが、法水麟太郎の衒学と派手な解決を短時間で味わいたい人
- 犯人当ての公平さより、奇想の大仕掛けと偽の容疑者づくりの手際を楽しめる人
- 死蝋や暗号、稀覯本といった、悪趣味と学識を混ぜた道具立てが好きな人
反対に、読者に手がかりが全部開示され、論理だけで犯人に辿り着けることを探偵小説に求める人には向かない。色盲の後出しと、動機の薄さで、そこは確実に引っかかる。小栗虫太郎の入口としては、同じ法水ものの短編『聖アレキセイ寺院の惨劇』(聖アレキセイ寺院の惨劇の感想)と読み比べると、この作家の長所と短所が見えやすい。



