六白金星の感想ネタバレ|将棋の下駄に笑えない理由を辛口で

結論:楢雄という人物の発明は傑作級。ただし後半は「事件の羅列」で、物語が痩せる

織田作之助「六白金星」は、頭が悪く、近眼で、蠅を獲るのだけが巧い少年を主人公にして、「頑固」という性質だけで人生を押し切らせた小説だ。楢雄の奇行は笑えるのに、そのたびに母の寿枝が少しずつ老いていく。この笑いと痛みの同居は、独特の手触りで、読む価値は十分ある。一方で、約2万字の後半は出来事を並べる速度が上がりすぎ、前半で張った謎や人物の線が回収されないまま終わる。劇薬というより、癖の強い珍品として薦める作品だ。

最小限のあらすじ

楢雄は、父の圭介が週末にしか帰らない家で育った。兄の修一は級長で、父に似た太い眉毛をもち、楢雄は眉毛が薄くて勉強ができない。兄から「妾の子」だと教えられ、自分の生年の星である六白金星の運勢を書いた「運勢早見書」を心の支えにして、家出、自殺未遂、落第、同棲と、極端な道を選び続ける。母と兄の世間体、金、縁談を振り切って、楢雄はどこまで自分を貫けるのか、というのが骨組みだ。

※ここから結末に触れます。

楢雄の頑固はなぜ「運勢早見書」で固まるのか:独自の深掘り・魅力

「六白金星」という題の仕掛けと、星占いが果たす役割

題名の六白金星は、楢雄が父に松の枝で血が出るまで打たれた夜に、「運勢早見書」で確かめる自分の星だ。書かれているのは「親兄弟との縁薄く」「一端かうと思ひ込んだことはどこまでもやり通し、大器晩成するものなり」といった、誰にでも当てはまる文句である。ところが楢雄には、一字一句が思い当たる。ここが上手い。占いが当たるから信じるのではなく、「父に嫌われる理由が自分の側ではなく星にある」と思える逃げ道として機能している。以後、楢雄は雪江との別れ話の場面でも、この本のくだりを突きつけて「俺は一旦かうと思ひ込んだら、どこまでもやり通す男やぞ」と言い切る。性格が運命で、運命が言い訳になるという循環が、題名一つに圧縮されている。

笑いと痛みを同じ文で出す、楢雄の奇行の書き方

この小説の強みは、狂気じみた行動を、解説なしに淡々と並べる文章の温度だ。夜中に畳がない、津波が来たと叫んで階下の両親の寝室へ駆け込む場面や、ビヤホールで教師の「ドラ猫」に耳を引っ張られ「教師の分際で」と言い返せば面白いのにと思いつつ言えない場面は、読者をまず笑わせる。その直後に、同じ視点が母の寿枝へ移り、帰りの電車で白足袋を踏まれて本妻の顔を思い出す。視点がするりと動くことで、笑いの裏にある家の事情が、説明抜きで見えてくる。三人称でありながら、楢雄・修一・寿枝の内側へ自由に入り込む語りは、短い字数で家族全体を描くための工夫で、技術として見事だ。

修一の眉毛が語る、兄弟の格差と「似ている」ことの残酷さ

冒頭から繰り返されるのが、眉毛の話だ。兄の修一は頭が大きく、眉毛が毛虫のように太く、口を歪めてものを言う。つまり父親そっくりで、そのせいで気に入られている。楢雄は眉毛が薄く、顔がのっぺりしていて、そのせいで嫌われていると思い込む。父に似ているかどうかという、本人にはどうにもならない身体の差が、愛情の差にそのまま重なる。後半、兄が縁談で苦しむ場面では、楢雄は、太い眉毛こそ今の兄の顔になくてはならないものだと思う。冒頭で羨んだ兄の特徴が、終盤では世渡りの道具として冷たく眺められる。この反転は、さりげないが、書き手として感心した細工だ。

将棋の下駄の結末は何を意味するのか

結末で、修一と将棋を指すために楢雄は千日前の将棋倶楽部へ現れ、「将棋以外の口を利くな」と言い、コンクリートの上で下駄を脱ぐ。その下駄は将棋の駒の形に削られ、「角」と「竜」と彫ってある。修一は、この男にはもう何を言っても無駄だと諦め、駒を並べはじめる。楢雄が選んだ「辛抱の実験」は、勝てなかった兄への復讐であり、母の金も、世間も、家族の情も要らないという宣言でもある。ただし書き手として指摘したいのは、この場面が勝敗を書かずに終わる点だ。勝ったかどうかを書けば、「大器晩成」が実現したのかという問いに答えが出てしまう。そこを白紙にして、一番笑える小道具で幕を引く。意図的な、巧みな逃げだと私は読んだ。

結末に納得できない人が多い理由:忖度なしの欠点・違和感

前半の謎が回収されない:双生児の霊媒と樺太は何だったのか

遺書に出てくる、霊媒に十円払って知った「双生児の片割れが樺太の炭坑にいる」という話は、強烈な伏線に見える。ところが、その後は二度と触れられない。精神科医の若森も、エディプス・コンプレックスと断じた直後に退場する。奇行の見本市としては楽しいが、創作者の目で見ると、出したものを使い切らない構成だ。結局どれも「楢雄が変な男である」ことの証拠としてしか機能せず、物語を前へ進める部品になっていない。

後半は出来事の早回し:圭介の死から同棲までの駆け足

父の死、修一の縁談の破談、楢雄の自活宣言、雪江との同棲、伝染病院から豊中の代診、試験管洗いと、後半は数行ごとに場面が替わる。圭介が壁を睨んで動かなくなる場面は、不気味で印象に残るのに、その直後に「蘆屋の病院で死んだ」と片付けられる。前半は一つの場面を丁寧に膨らませていたぶん、このペース落差で息が切れる。大阪の町を歩くように読める軽快さと引き換えに、人物の変化が出来事に追い越されてしまっている。たとえば、楢雄が砒素を飲んだ夜に、父が腕の中のわが子のにおいを思い出す場面は、この小説でいちばん静かで美しい。ああいう場面が後半にもう一つか二つあれば、結末の下駄はもっと重く響いたはずだ。

雪江の薄さと、寿枝への視点の偏り

雪江は、楢雄が一生を預けると決める相手なのに、人物としては「正直で、哀れで、頼まれると断れない」の三点でほぼ尽きる。寿枝に泣かれて「身を引きます」と約束する場面も、楢雄に怒鳴られて終わる。楢雄が自分を貫く話である以上、周りの人物が「貫かれる側」になるのは仕方ない。それでも、母に頭を下げられて涙ぐむだけで終わる雪江には、せめて一度、自分の言葉で楢雄に何かを言わせてほしかった。彼女の側の選択がほとんど書かれないので、同棲の決意が「楢雄の頑固の証明」にしか使われない。一方で、寿枝には私立探偵、田辺の叔母、速達の手紙と、何度も視点が移る。母の苦労を描く熱意は伝わるが、女性の側から見た楢雄のえげつなさ、たとえば香櫨園の海岸の女中への振る舞いを、自分は罪を犯すところだったと逃げ帰る形で済ませる扱いは、ご都合主義に見える。なお作中では、当時の語として病名や療養所の呼び方が出てくるが、現在の感覚では読みづらい箇所もある。

この本を一番楽しめるのはどんな人か

向いているのは、「夫婦善哉」のような大阪の庶民の軽やかさを、もう少し歪んだ形で味わいたい人だ。親に愛されなかった子が意地だけで立つ話に、苦い共感を覚える人にも合う。逆に、伏線がきれいに回収される構成や、成長して救われる筋を求める人には向かない。織田作の入口としては、まず軽快な大阪語の掛け合いが楽しい夫婦善哉の感想から入り、そのあとで本作を読むと、同じ作家の「頑固者」の描き方の幅が分かる。執念が不気味に転ぶ側面を見たいなら、織田作「競馬」の感想も続けて読むとよい。