結論:盗みの「心の動き」は一級品。ただし赦しの場面は、きれいに整いすぎている
有島武郎「一房の葡萄」は、約7千字で子どもの罪悪感を最後まで逃さず書き切った童話だ。盗む前の息苦しさと、見つかった瞬間の血の気の引き方は、大人の小説でもなかなか出せない精度がある。
一方で、先生とジムが作る「赦しの図」は美しすぎて、現実の手触りが薄い。読む価値は十分あるが、感動を素直に受け取る人と、きれいごとに見える人とで評価が割れる作品だ。
最小限のあらすじ
横浜の山の手にある西洋人ばかりの学校に通う「僕」は、海の景色を絵に描きたいのに、手持ちの絵具では藍と洋紅が出せない。同級生ジムの舶来の絵具が欲しくてたまらなくなり、ある昼休みに二色を盗む。
すぐに見つかって、受け持ちの若い女の先生の部屋へ連れて行かれる。先生は叱らず、窓の葡萄蔓から一房をもいで、泣く「僕」の膝に置いていく。
「一房の葡萄」の魅力:盗みの心理描写と、色で貫かれた構成の読みどころ
なぜ「僕」は盗んだのか:動機が絵の話から始まる巧さ
この作品の最初の強みは、動機の置き方だ。「僕」は最初から盗もうとはしていない。海の藍と帆前船の洋紅が思うように出ず、ジムの十二色の絵具箱を思い出すところから欲が始まる。ジムは「絵はずっと下手」なのに、その絵具を塗ると見ちがえるほど美しく見える、という嫉妬の描き方がいやらしくていい。道具のせいにする気持ちは、創作をする人なら身に覚えがあるはずだ。
盗む絵具が「藍と洋紅」の二色だけという点も効いている。冒頭で海の色として挙げた二色がそのまま盗品になるので、動機と行為が一本の線でつながる。
「胸が痛むほど」の描写:罪悪感を体の反応で見せる文章
心理描写は、感情の名前を並べず、体に出る反応で書かれている。盗む直前は「急に頭の中が氷のように冷たくなる」。見つかる直前は「頭の中に血が流れこんで来て顔が真赤になった」。冷たさから熱さへの振れが、そのまま盗みから発覚への流れになっている。
授業中は先生の話が「耳に這入りは這入ってもなんのことだかちっともわかりません」。盗みに成功しても楽にならない、という一番大事なところを、この一文で言い切っている。子どもの語りという制約の中で、これ以上は削れない。
「僕」の語りの二重構造:子どもの声と、大人になった回想の声
「今ではいつの頃だったか覚えてはいませんが秋だったのでしょう。葡萄の実が熟していたのですから」という一文は地味だが、重要だ。語り手が大人の位置から過去を思い出していることを、ここで静かに示している。だから結末の「それにしても僕の大好きなあのいい先生はどこに行かれたでしょう」が唐突にならない。先生は終盤に至って、記憶の中にしかいない人になる。
※ここから結末に触れます。
忖度なしの欠点:「一房の葡萄」の結末が都合よく見える理由
ジムはなぜ翌日すぐに許したのか:和解の根拠が書かれていない
最大の違和感はここだ。ジムは盗難の被害者で、昼休みの前後で絵具箱を調べるほど慎重な子だった。その彼が翌朝、「待ち切っていたように」飛んで来て、「僕」の手を握る。理由は先生の言葉の中にあるはずだが、先生が「僕」のいない場でジムに何を話したのかは、一行も描かれない。
先生の台詞は「ジムはもうあなたからあやまって貰わなくってもいいと言っています」と、結果だけを報告する。もっとも肝心の説得の過程が省かれているので、和解が物語の力ではなく、「そう決まっているから」起きたように見える。子どもの視点で書くなら、「僕」が知らないことは書けない、という縛りがある。それは分かるが、ジムが一瞬ためらう小さな場面があれば、結末の説得力はずっと上がった。
先生の理想化:叱らない大人が、あまりに完璧すぎる
先生は叱らない。問い詰めもしない。「あなたは自分のしたことをいやなことだったと思っていますか」と一度尋ねるだけで、あとは葡萄を置いて部屋を出る。その手つきは見事だが、終盤では先生の手が「大理石のような白い美しい手」と書かれる。この時点で先生は、人間というより聖像に近い。
書き手の目で見ると、ここに欠点がある。先生が迷う場面、失敗する場面、苛立つ場面が一つもないので、「僕」が救われる理由が先生の人柄に丸ごと預けられてしまう。ちなみに有島は、「生まれいずる悩み」のように、他人を見つめる側の危うさをきちんと書ける作家だ。それだけに、この童話の先生の無傷さは物足りない。
嘘と公開の吊し上げが、置き去りにされる
「僕」は問い詰められて「そんなもの、僕持ってやしない」と嘘をつく。そのあと複数の子どもに取り囲まれ、ポケットを探られ、泣いたまま二階に引きずり上げられる。ほぼ私刑だ。ところが先生は、嘘にも吊し上げにも一言も触れない。盗みの反省だけが扱われ、嘘をついたこと、大勢で追い詰めたことの側は、物語から消える。教訓を一本に絞るために、現実の揺れが削られた印象が残る。
もう一つ、肝心の海の絵がどうなったかも回収されない。動機の出発点だった「藍と洋紅」が、結末では葡萄の紫に置き換わって終わる。これを美しい転調と読むこともできるが、絵の話を最初に大きく立てた以上、もう一歩は欲しかった。
この本を一番楽しめるのはどんな人か
向いているのは、子どものころの「やってしまった」という感覚を、今も細かく覚えている人だ。盗みの前後の体の反応を読むだけで、元が取れる。短く、青空文庫で無料で読めるので、読むかどうか迷う段階なら、まず読んでよい。
逆に、赦しの物語に現実の生々しさを求める人には、先生とジムの振る舞いが理想的すぎて引っかかるだろう。その場合は、同じ有島でも「カインの末裔」のほうが、人間の救われなさをはっきり描いていて手応えがある。「一房の葡萄」は、有島の中でいちばん優しい入口として読むのがちょうどいい。







