結論:決闘を描かずに決闘を成立させた、確信犯の構成。ただし賛否は割れて当然
決闘の場面は、一行も書かれていない。コナン・ドイル「最後の事件」は、ホームズと宿敵モリアーティが滝壺に消える瞬間を、語り手ワトソンの不在によって丸ごと省いた短編だ。
前半の逃避行は、ホームズ物の中でも屈指の緊張感がある。一方で、題名どおりの「最後」を飾るには決着の描写があまりに伝聞的で、シリーズ全体の中の通過点として読むと真価が落ちる。ホームズ譚を数編読んだ人には強く勧めるが、この一編だけを単独で読むと肩透かしを食う人も多いはずだ。
最小限のあらすじ
一八九一年四月、顔色の悪いホームズがワトソンの診察室を訪れ、犯罪界の頭脳モリアーティ教授に命を狙われていると告げる。教授一味の一斉検挙まであと数日。ホームズはワトソンを連れて大陸へ逃れ、追ってくる教授を撒きながらスイスへ入る。最後に二人が辿り着いたのが、ライヘンバッハの滝だった。
※ここから結末に触れます。
ホームズとモリアーティ教授の決闘が描かれない理由と、構成の妙
ワトソンを呼び戻す偽の手紙が、語りの空白をつくる
この短編の最大の発明は、ワトソンを現場から外す仕掛けだ。病気の英国婦人を診てほしいという宿の手紙は偽物で、ワトソンが麓の宿で嘘に気づいて戻ったとき、残っているのはホームズの登山杖だけになっている。ここで「そのあと何が起こったか? そのあとの出来事は誰なら教えてくれるのか?」と語り手が自問する。語り手の視点を縛ることで、読者の想像に最も大きな場面を預ける。ワトソン一人称の制約を、欠点ではなく武器にした使い方だ。
足跡の推理が、ワトソンに「ホームズの手法」を踏ませる
ワトソンは泥の地面に残った足跡を調べる。人の足跡は二列、坂道の奥へ向かうものだけで、戻る跡はない。ホームズの手法を思い出して実際にやってみる、という書き方がよい。友を失った男が、友から学んだ観察で友の最期を確認するという皮肉は、感傷の言葉を並べるより痛い。
前半の逃避行が、「追う側と追われる側の読み合い」として面白い
ヴィクトリア駅の変装、カンタベリでの途中下車、通り過ぎる臨時列車。モリアーティは、ホームズが自分ならそうするという行動をそのまま読んで臨時列車を仕立てるが、ホームズはさらにその裏をかく。ホームズ自身が「ほら、我らが友の知能にも限界がある」と笑う場面は、頭脳戦の気持ちよさがある。教授の完璧さを、ホームズの一手が超える形で描いているのも上手い。
冒頭の「弁明」と、ホームズの遺言めいた手紙が語りを固める
書き出しでワトソンは、モリアーティ教授の兄弟にあたる名誉大佐の手記が事実を歪めているため、「真相」を明かす責務があると述べる。つまりこの物語は、悲しみの吐露である前に、亡き友の名誉を守るための証言として始まる。だから終盤の手紙も、感情を爆発させず、書類は分類棚Mの青い封筒にあるとパタソン警部へ伝えてくれ、と実務の指示から入る。最期の瞬間まで事務的なホームズの人物像が、冒頭の証言の口調と噛み合い、語りに一本の筋が通る。
ホームズ物の推理の型を知りたいなら、同じ作者の「まだらのひも」のような典型的な事件ものと読み比べると、この短編が推理より「追跡と心理戦」に振った作品だとよく分かる。
モリアーティが唐突すぎる? 忖度なしの欠点と違和感
最大の敵が、ここで初めて名前を出される
ホームズ自身が「モリアーティ教授のことは?」と訊き、ワトソンが「初めてだ」と答える。つまり読者も、ここまでの事件で教授の気配を一度も感じていない。ドイルは、教授を「犯罪界の那翁」「巣の中心にいる蜘蛛」と台詞で説明するが、描写で積み上げた脅威ではないため、最大の宿敵という設定が頭の中で先に立ってしまう。創作する側から見れば、説明で強さを済ませているぶん、その怖さの実感は薄い。
たとえば「ボヘミアの醜聞」のアイリーン・アドラーは、短い登場でもホームズを出し抜く場面があり、強さが行動で見えた。モリアーティには、その種の実演がない。
ホームズが偽の手紙を見抜けたなら、なぜ止めないのか
ホームズは残した手紙で、マイリンゲンからの言伝がでっち上げだと「お見通し」だったと書く。それならワトソンを行かせず、二人で下山すれば済んだ話だ。教授との一騎打ちを望んだ、あるいはワトソンを巻き込みたくなかったという理由づけは読み取れるが、手紙の中でも十分な説明にはなっていない。ホームズらしくない、物語の都合による判断に見える。
決着が「推測」で閉じられるため、後の復活の余地が見えすぎる
最後の数段落は、専門家の調査により二人は組み合ったまま落ちたと見られる、という報告で閉じる。遺体は見つかっていない。当時の読者が納得しなかったのも想像できる構造で、実際にドイルはのちにホームズを復活させている。書き手として言えば、死を扱うなら遺体か決定的な物証がほしい。この余白が深みなのか甘さなのかは、読む人が復活を知っているかどうかで評価が変わる。
終盤の駆け足が、前半の密度と釣り合わない
前半は一日ごとの移動や読み合いが細かく書き込まれるのに、ライヘンバッハの滝に着いてからは展開が一気に早い。滝の描写自体は力強い。ところが肝心の「二人が出会う瞬間」を語り手が見ていないため、描写の重心が前半に寄りすぎている。後半をもう少し長くするか、前半を削るかで、均整は取れたはずだ。
この本を一番楽しめるのはどんな人か
- ホームズ物を数編読み、シリーズの流れや「宿敵」という要素に興味がある人
- 「描かない」ことで読者に想像させる語りの技術を、創作の参考にしたい人
- 追跡や変装、読み合いのスリルを、短い分量で味わいたい人
逆に、謎解きの快感を一編の中で求める人には向かない。まず「赤毛連盟」のような一話完結の事件を読んでから、この「最後の事件」に進むほうが、教授の登場の唐突さも含めて、構成の意図が分かりやすくなる。青空文庫には大久保ゆう訳があり、無料で読める。



