結論:美文の密度は漱石随一、ただし藤尾は物語の中で裁かれるより先に、作者に裁かれている
夏目漱石「虞美人草」は、読む価値が後半の十八章と十九章に偏った、扱いの難しい長編だ。文章の華やかさと、藤尾という人物の造形には、他の漱石作品にない力がある。一方で、結末は作者の説教で閉じられ、小説が自分で出した問いを自分で潰してしまう。「こころ」や「それから」の入口に立つ読者には、最初の一冊としては勧めない。漱石を何冊か読んで、その文体の振れ幅を確かめたい人向けの、癖の強い一作である。
最小限のあらすじ
京都で叡山に登る二人の友人、哲学者肌の甲野欽吾と、外交官試験に一度落ちた快活な宗近一から物語は始まる。東京の甲野家では、欽吾の妹で気位の高い藤尾が、亡き父の形見である金時計を握り、詩人肌の小野に心を寄せている。その小野には、京都の恩師の娘・小夜子との古い縁が残っている。藤尾が誰を選び、家と財産が誰の手に渡るのかが、物語の軸になる。
虞美人草の魅力と読みどころ:藤尾という「我の女」の描き方と文体の分析
藤尾は悪役か、それとも主人公か:「我の女」の造形
この小説の本当の主役は、題名の花そのものである藤尾だ。二十四歳の藤尾は、英語の本でクレオパトラを読み、小野に「こうすると引き立ちますよ」と言って、金の鎖を彼の胸に掛けてみせる。男を愛するのではなく、自分が愛される資格を確かめるために男を使う。作者はその構造を、地の文でほとんど解説してしまう。藤尾の愛は、愛せられるべき自分への自信から起こる。そのため相手には、自分を弄ぶ権利を一切認めない、という具合だ。
この「我」の描写が、とにかく鋭い。博覧会の夜に小野が別の女といるところを見た藤尾は、「驚くうちは楽がある! 女は仕合せなものだ!」という嘲りを耳の底に鳴らしたまま、机に肱をついて考え込む。手紙を書きかけて引き裂き、頭を下げて来るのを待つと決める。ここの怒りは、相手を責めるのでなく、相手を「水準以下に取り扱う」復讐として組み立てられている。読んでいて、プライドの高い人間が実際にやりそうな、いじましい手順だ。
漢語と対句で押し切る文体:地の文が人物より先に動く
冒頭の京都の山道から、対句と漢語がぎっしり詰まっている。叡山は「どうする気かと云わぬばかり」に聳え、地の文は「春はものの句になりやすき京の町を」と、ほとんど韻文のように進む。後年の漱石の、口語に近い平明な語りとは、まるで別人の文体だ。朝日新聞の連載という、毎日一回分ずつ読ませる場所で、読者の耳に残る言葉を並べにいった跡が見える。
その文体の頂点が、十九章の藤尾の部屋の描写だと私は思う。北枕の布団、片輪車の友禅、潰れた金時計、そして抱一の落款がある銀屏の虞美人草。描写は「描いた。」「描いた。」と短く畳みかけ、花が銀の中から生え、銀の中に落ちると言い切る。死んだ人の部屋を、美しさだけで埋め尽くす。ここは遺体の描写として、日本の近代小説でも指折りの一場面だと思う。
甲野と宗近の問答:愛嬌の定義と、遊びのある会話
哲学者と快活な男の掛け合いは、肩の力が抜けていて面白い。山道で寝転ぶ甲野が、愛嬌とは「自分より強いものを斃す柔かい武器だよ」と言うと、宗近はすぐ、それなら無愛想は弱い者を扱き使う武器だろうと返す。論理としては無茶だが、二人の気性の差が、会話の速さだけで分かる。暗くなりがちな後半で、この二人の軽さが救いになっている。
もう一つ、小野と甲野が門前で出会う場面が上手い。細い杖と磨いた靴の動きだけで、小野の気の弱さを描く。地の文は「魂を描く事を知らぬ小説家は杖と靴とを描く」と皮肉まで添える。人物の内面を、持ち物の動きに預ける手つきは、創作を志す人の勉強になる。
※ここから結末に触れます。
結末の意味:宗近が時計を叩き壊す場面は何を示すのか
結末の直前、雨の日の甲野家の書斎に、宗近が小野と小夜子を連れて乗り込む。そこへ藤尾が約束の新橋から怒って戻り、小野を問い詰める。宗近は小夜子を「小野さんの妻君」と紹介し、五年前からの約束だと告げる。藤尾は「嘘です」と否定し、やがて笑い声をあげて、小野に渡すはずだった金時計を宗近へ投げる。宗近はそれを大理石の暖炉の角で叩き割り、「これも第一義の活動の一部分だ」と言う。藤尾は人形のように倒れる。
この時計の破壊は、見せ場としては強い。時計は、藤尾の虚栄、父の形見、宗近との古い約束という三つを束ねていたからだ。壊れた時計が、翌日の藤尾の枕元に、鎖だけ無事な形で置かれているのも、痛い対比になっている。ただ、その壊し方の理屈が「僕の精神は君らに分るだろう」という自己説明で済まされるのは、説明的に過ぎる。叩き割る動作だけで十分に伝わる場面を、宗近自身の口が解説してしまう。
虞美人草の欠点・違和感:藤尾の死は必然か、結末の説教は小説を壊していないか
藤尾の死は必然か:罰として殺された印象が残る
ここが、この作品を評価するうえでいちばん引っかかる点だ。藤尾は、兄の欽吾に「御前のように楽の多いものは危ないよ」と言われ、「埃及の御代しろし召す人の最後ぞ、かくありてこそ」の一句を思い出す。つまり、死は藤尾の中で、クレオパトラの美学として予告されていた。この予告自体は、構成として悪くない。
だが実際の死は、小野の裏切りと、人前で暴かれた羞恥によって、半ば事故のように起こる。「虚栄の毒を仰いで斃れた」と語り手は総括するが、藤尾が自分で選んだ死ではなく、作者が退場させたように見える。彼女の「我」を、あれだけ丁寧に積み上げておきながら、それが破れた結果を、心理の描写でなく気絶で処理する。ここで読者は、藤尾の内側を一番知りたいのに、肝心なところで外へ追い出される。創作者として言えば、最も書くべき瞬間から、作者が逃げた箇所だ。
小野と小夜子の描き方:恋愛の三角形が最後まで立たない
藤尾の相手である小野は、最後まで魅力のある人物にならない。小野は、小夜子と藤尾の間を揺れる優柔不断な男として描かれ、藤尾が彼にそこまで入れ込む理由が、読者に伝わらない。語り手が「藤尾の恋は小野さんでなくてはならぬ」と言うのは、我の強い女は我のない男を選ぶ、という理屈の説明であって、小野の側に何があるかの描写ではない。
小夜子の側も同様だ。病気の父・孤堂先生を看取る小夜子は、いじらしく描かれるが、ほとんど受け身で、浅井が「小野は駄目です」と告げる場面でも、次の間で抽出しを引く手を止めるだけだ。三角関係の頂点であるはずの二人が、どちらも藤尾に比べて薄い。その結果、藤尾の敗北は、勝負の結果というより、小野が抽象的に「道義」へ戻ったことの結果に見えてしまう。
甲野の日記は結末として妥当か:「悲劇は喜劇より偉大である」の説教臭さ
最大の欠点は、最後の甲野の日記だと私は考える。葬式の夜、甲野は「悲劇は喜劇より偉大である」と書き、粟か米か、工か商か、あの女かこの女かといった問題をすべて喜劇と呼び、「生か死か」だけが悲劇だと論じる。悲劇が道義を呼び戻すから偉大だ、という筋だ。思想として読むなら、一貫している。
だが、物語としては、藤尾の死の意味を、作者が登場人物の日記に預けて一気に回収する形になっている。しかも甲野自身が、藤尾が追い詰められていく間、「隻手をだに下さぬ」と、手を出さなかった人だと自分で認めている。妹の悲劇を預想しながら黙っていた人間が、その悲劇を「偉大」と讃える。読者の側に、嫌な引っかかりが残る。作者がそれを意図的に残したのなら成功だが、日記の語り口は、自己批判よりも確信に満ちている。
ここで効いているのが、最後の一行だ。日記の抄録をロンドンの宗近に送ると、返事は「ここでは喜劇ばかり流行る」だった。この一行は、甲野の説教を軽く相対化する仕掛けとして、とてもいい。ただ、この一行が効くのは、説教があまりに長く、重いからでもある。皮肉に頼って、本体の弱さを補った構成に見える。
道徳の天秤が最初から傾いている:藤尾以外が「正しい側」に整列する
もう一点。藤尾の側に立つ人物が、最初から最後まで、母と小野しかいない。母は「謎の女」と呼ばれ、人生観と宇宙観を鉄瓶の音の前で作る、損得の人として描かれる。対する欽吾、宗近、糸子、小夜子は、それぞれ違う形で「良い人」に整列する。藤尾が負けるのは、勝負としてではなく、全員が同じ側に立っているからだ。
だから結末の「第一義」という言葉は、強く響く割に、勝者の側に立ちやすい標語に聞こえる。漱石は後の「それから」で、道義と情熱が正面から衝突する物語を、もっと狭い場所で書いた。同じ問題を、人物の配置が公平な形で扱ったのは、そちらだと感じる。「それから」の感想はこちらにまとめた。
この本を一番楽しめるのはどんな人か
向いているのは、次のような人だ。
- 漱石の初期の、装飾の多い文体をあえて味わいたい人
- 「三四郎」の美禰子や「それから」の代助の前に、気位の高い女性の原型を見たい人
- 人物の心理を地の文で解剖する書き方を、創作の参考にしたい人
反対に、物語の展開の速さや、人物の曖昧さの魅力を求める人には、中盤の語りの重さが負担になる。まず漱石の入口としては、同じ朝日新聞連載の「三四郎」のほうが、人物の迷いを自然に読める。「虞美人草」は、その後に戻ってくると、藤尾の造形の鋭さと、文体の無理が、どちらもよく見える。
読み方の勧めとしては、冒頭の京都の山道は、会話の掛け合いを楽しむ程度に流してよい。腰を据えて読むのは、藤尾と小野の場面、欽吾と母の対話、そして最後の二章だ。初出は1907年(明治40年)6月から10月の朝日新聞連載である。結末の日記に納得できるか、「ここでは喜劇ばかり流行る」の一行で笑えるか。そこが、この小説を評価できるかどうかの分かれ目になる。








