後光殺人事件 感想ネタバレ|法水初登場の筒提灯トリックは反則か

結論:トリックの数は豪勢、だが真相は「法水の長台詞」で聞かされる。黒死館の前に読むには手ごろな毒見

小栗虫太郎の「後光殺人事件」は、合掌したまま頭頂を貫かれた住職という絵は強烈で、仕掛けも一つや二つではない。ただ、そのほとんどが探偵の独演で一気に明かされるので、読者が推理に参加する余地は薄い。派手な絵と大がかりな機械仕掛けが好きな人には楽しい短編で、フェアな謎解きを求める人には不満が残る。

法水麟太郎が初登場する作品と紹介されている。長編の黒死館殺人事件ほど衒学に溺れてはいないので、小栗虫太郎の味見には向く。

最小限のあらすじ

七月十六日の朝、小石川の劫楽寺で、住職の鴻巣胎龍が荒れた薬師堂の奥の玄白堂で死んでいるのが見つかる。屍体は伎芸天女の像に向かって数珠をかけて合掌したまま端座し、頭頂に鏨の形の刺し傷があるだけで、争った跡も苦悶の表情もない。前捜査局長で刑事弁護士の法水麟太郎は、検事の支倉、捜査局長の熊城に呼ばれて寺の関係者を一人ずつ訊問していく。

後光殺人事件の仕掛けを分解する|筒提灯・蓄音機・夢判断

合掌したままの屍体は何を意味するのか

冒頭の屍体描写が、この作品でいちばん良い。傷口に羽蟻が二匹巻き込まれ、血が「桜実を載せた氷菓」のように盛り上がって固まっているという細部は、読者の頭に絵を残す。熊城が「どうだい、この屍体は、実に素晴らしい彫刻じゃないか」と言う場面は、探偵小説の屍体を美術品として見せる、小栗の趣味がそのまま出た一行だ。

この屍体の、抵抗も苦痛の跡もないという異常さに、法水は「絶望と法悦」という顔つきから入る。物証ではなく表情から仮説を立てていく運びは、読者を引っ張る力がある。

「赤と赤、火と火!」が回収される筒提灯の凶器

※ここから結末に触れます。

真相では、凶器は薬師堂に吊るされていた真紅の筒提灯だ。犯人の厨川朔郎は、読経の最中の胎龍の頭に提灯をかぶせて縮め、鉄芯を頭頂に押し込んだ。経机に開かれていた「五障百六十心等三重赤色妄執火」の一節で、提灯の赤を「火刑」の幻覚に結びつけるという仕掛けだ。中盤で法水が月光像の光背の煤を見て漏らした「赤と赤、火と火!」が、ここでつながる。

刺傷の位置が提灯の鉄芯と頭蓋の円芯に合うという寸法の符合など、凶器が目撃証言の中にずっと置かれていた点は手際がいい。読み返すと、久八が「赤い筒提灯が両脇に吊してありまして」と何気なく語る場面が、実は最大のヒントだったと分かる。

蓄音機と蜘蛛糸の不在証明は、小道具の設計として見事

朔郎の部屋にある土蜘蛛の押絵の蜘蛛糸が、蓄音機の針で弾かれて、柱時計に似た「半」の音を出す。これが八時三十二分の不在証明になる、という種明かしは、部屋の飾りが全部伏線になっていた点が気持ちよい。長針と短針に貼った剃刀の刃で糸を切り、蓄音機の回転が始まるという段取りも、機械仕掛けの絵として面白い。

犯人が、自分の口からではなく、台所の孫娘に時計の音を「証言」させる点も、不在証明の作り方として凝っている。創作者として真似したいのは、この「他人に言わせる」手つきだ。自分から主張した不在証明は疑われるが、偶然聞こえた音は疑われにくい。法水が破れたのは、蓄音機の弾条を巻き直し忘れるという、機械の側の小さな綻びだった。

押絵の左眼の雲母が剥がれ落ちる場面も、閾の軋みで体重を割り出す推理として面白い。熊城のような十八貫超の人間か、二人分の重さでなければ戸が滑らかに開かない、という発想は、屍体を運び入れた可能性まで一度に示してみせる。

二度の「後光」が、事件の入口として効いている

題名にもなっている後光は、月光が節穴から落ちる時刻を使った発光塗料の仕掛けと、薬師如来の背後で焚く線香花火の二種類がある。前者は慈昶を驚かせて胎龍を信仰の迷いへ誘う導入になり、後者は殺害の直前に胎龍の精神を追い詰める。同じ「光」を、導入と仕上げに別の道具で使い分ける構成は、題名と仕掛けが一致していて整っている。

忖度なしの欠点・違和感|小栗虫太郎の動機の唐突さと推理の不公平

動機が最後の一段落で出てくるのは遅すぎる

朔郎の動機は、終盤の一段落の告白で初めて出てくる。「僕は父の復讐をしたのです。」から、父と胎龍が同門で、官展の当選を争って落選した父が発狂した、という話が一気に語られる。それまで朔郎と胎龍の因縁を匂わせる記述がほぼないので、犯人当てとしても、復讐劇としても、体重が乗らない。

胎龍の描写は、三か月の間に何度も追い込まれる気の毒な老僧だ。その追い込む側の朔郎の感情が見えないまま、最後に、眼で眼に酬いるためだったと説明されても、読者は置き去りになる。後光、夢、筒提灯と手の込んだ殺し方に比べて、動機の設計が軽すぎる。

夢判断で「機構」を語る推理は、反証できない

法水は、胎龍が残した夢の記録から、面皰の夢は性的欲求の抑圧、木の錠前は彫像愛好症、と断定する。そこから、犯人が三か月かけて胎龍の精神を「去勢」したという大きな筋立てに持っていく。物語の中ではそれで通るが、読者が自分で検証できる材料ではない。

しかも、その精神分析の成果が、最後の一撃で「瞬時に脳組織が崩壊」するという、探偵本人も「至極分明を欠く」と認める状態に頼っている。事件の核が、最もあいまいな箇所に置かれている。

解決は法水の独演で、読者の推理の出番がない

後半は、朔郎を前にした法水の説明が延々と続く。後光の二種類の仕掛け、蛭の入った蓮の花、堰を切って足跡を消す方法と、情報が次々に出てくるが、朔郎の相槌は「機械人形の様に頷いた」程度で、対決の緊張がない。熊城と支倉は聞き役で、探偵と犯人の知恵比べが成立していない。

読み手が時刻や寸法を自分で検算して楽しむには、手がかりの出し方が足りない。数字は出てくるが、探偵が結論を言ってから初めて意味を持つ置かれ方をしている。

目撃者が都合よく順番に現れる

十時に柳江が薬師堂の胎龍の後ろ姿を見て、十時半に久八が提灯の灯った堂を見る。この順番は、犯人が偽装を完成させるために必要だが、犯人が確実にそう動かせる保証がない。久八の犬の鎖を解いて誘い出す手も、あくまで偶然の成功に頼っている。計画の緻密さを売りにする作品なのに、そこだけ運任せなのが気になる。

この本を一番楽しめるのはどんな人か

屍体を「見せ物」として楽しめる人、機械仕掛けや小道具のトリックが好きな人には向く。短編なので、青空文庫で気軽に読める。

逆に、動機や心理の積み上げで犯人に納得したい人、手がかりを自分で組み合わせて推理したい人には不向きだ。小栗虫太郎の濃い衒学を試したいなら、まずこの短編で相性を見てから、黒死館殺人事件の長さに挑むのが安全な順番だと思う。