太宰「津軽」感想ネタバレ|たけとの再会まで長い?辛口評価

結論:終盤の再会一場面だけで元は取れる。ただし、そこへ着くまでの道は寄り道だらけ

太宰治「津軽」は、故郷を旅する紀行の形で書かれた長編で、読みどころは最後に置かれた育ての親・たけとの再会に集中している。あの場面は、太宰の作品の中でも指折りの出来だと言っていい。一方で、そこに至る道中には、酒席の悪ふざけや事典の丸写しのような箇所があり、全部を同じ熱量で読もうとすると中だるみを感じる。

青空文庫の表示で約11万字。短編の太宰しか知らない人には、かなり長い。だから「どこを味わい、どこを流すか」を決めてから読むほうが、この作品は報われる。

最小限のあらすじ

五月中旬、語り手の「私」は、津軽の事を書いてみないかと編集者に勧められ、むらさき色に変色した作業服姿で東京を発つ。津軽に生まれ育ちながら、金木、五所川原、青森、弘前、浅虫、大鰐の六つの町しか知らなかった「私」が、三週間ほどかけて津軽半島を一周する。蟹田の友人N君と外ヶ浜を歩き、津軽平野と西海岸を回り、旅の最後に、幼いころ自分を育てた女中のたけに会いに小泊へ向かう。

※ここから結末に触れます。

たけとの再会シーンはなぜ泣ける?運動会に仕掛けた引き延ばしの技

「いいところは後廻し」という旅の設計

「津軽」は、行き先の順番そのものが構成になっている。「私」は、たけに会うことを旅の最初から願っていたのに、小泊を最後に回した理由を「いいところは後廻しといふ、自制をひそかにたのしむ趣味が私にある」と説明している。つまり読者は、五所川原でも木造でも深浦でも、「この旅の本当の目的地は別にある」と知ったまま歩かされる。

この仕掛けが効いているのは、道中の寄り道が、そのまま再会までの「溜め」として働くからだ。中盤の脱線を許せるかどうかは、この設計を信じられるかで決まる。

南京錠と腹痛の少女:再会を三度遅らせる手つき

小泊でたけの金物屋を見つけると、戸には小さい南京錠がかかっている。運動会に出ていると聞いて学校の裏へ行くと、百に近い掛小屋が並ぶ大賑わいで、「私」は掛小屋をのぞいて回っても見つからず、運動場を二度まわってあきらめかける。「縁が無いのだ。神様が逢ふなとおつしやつてゐるのだ。」と自分に言い聞かせてバスの時刻まで聞くのに、最後の未練で戻った店先の錠がはずれている。

出てきたのは、水兵服の十四、五の少女。顔を見て、「私」はたけの顔をはっきり思い出す。この少女が腹痛で薬を取りに帰っていたというのが絶妙で、「腹いたに感謝だ」とあるとおり、再会の鍵がご都合ではなく「ちょっとした不運」に預けられている。見つからない、あきらめる、偶然つながるという三段を、笑いを混ぜながら運ぶ手際は、構成の技術としてうまい。

たけの長台詞と「私は、たけの子だ」の意味

再会の瞬間、たけは「あらあ。」としか言わない。そのまま「私」を小屋に座らせ、モンペの膝に手を置いて黙って運動会を見る。沈黙を長く取っておいて、竜神様の桜の下で、たけは堰を切ったように話し出す。八重桜の小枝の花をむしっては捨てながら喋る描写で、感情の高ぶりを台詞の内容より先に手つきで見せている。

ここで「私」は、少女に「金木の津島です」と名乗って笑い返された時点で「私は、たけの子だ。女中の子だつて何だつてかまはない。」と言い切る。名家の末子が、自分の育ちを恥じる側から誇る側へ裏返る瞬間だ。人間失格の語り手が最後まで抜け出せなかった「恥」を、この作品の「私」は、たけという他人の前で一度だけ手放す。同じ作家の自己劇化でも、手放す方向に動く点で、読後の温度がまったく違う。

青森のT君との会話が、再会の伏線になっている

旅の最初、青森で迎えてくれるT君は、昔「私」の家で鶏舎の世話をしていた人だ。「私」は酔った勢いで「僕は、しかし君を、親友だと思つてゐるんだぜ。」と言ってしまい、すぐに「身悶えした」と自分で書く。T君は「私は金木のあなたの家に仕へた者です。さうして、あなたは御主人です。」と返し、距離を保つ。

この小さなすれ違いがあるから、終盤の「私」の変化が分かる。かつて仕えた人々を「友」と呼べずに身悶えしていた男が、最後にはたけを前に、使用人の子と呼ばれても構わないと言い切る。序盤の気障な自意識と終盤の開き直りが一本の線でつながっていて、旅全体が一人の男の「身分の手放し方」の記録として読める。この読み方ができると、脱線の多い中盤も、背骨のない散歩には見えなくなる。

津軽平野の百科事典パートは必要か?忖度なしの欠点・違和感

序編の宣言を、本編が自分で破っている

序編で「私」は、地勢や沿革などについて「専門家みたいな知つたかぶりの意見は避けたい」と書き、自分の専門科目は「愛」、人の心と心の触れ合いだと宣言する。ところが本編の「津軽平野」の章は、「津軽」「青森県沿革」「津軽氏」「津軽為信」「津軽平野」と、辞書の項目のような文章がずらりと並んで始まり、末尾に「以上、日本百科大辞典に拠る」と出典まで付く。

その後に続く、津軽の歴史が教科書でほとんど扱われないという話は、不満の吐き出し方に愛嬌があって悪くない。ただ、宣言と実際が逆である以上、書き手の設計図にぶれがあると言われても仕方がない。創作の視点から言えば、序編で自分に課した縛りを、本編の構成が守れていない。

酒席の脱線が長く、旅の目的が見えなくなる

今別の本覚寺の場面は、N君が貞伝和尚についてしつこく質問し続け、「私」たちが正座で延々と説明を聞かされる話だ。三厩の宿では、二尺の鯛を一尾のまま焼いてほしかったのに五切れにされて出てくる。「ことさらに、三等分の必要はないんですよ。」と注意したN君の言葉が裏目に出るくだりで、笑いとしては成立している。

問題は量と配置だ。本州北端の宿でN君が蛮声で歌い、お婆さんに寝かされる場面までは、同じ種類の「酒の失敗談」が続く。一つ一つは面白いのに、旅の核である「故郷を知り直す」「たけに会う」へ向かう推進力が、ここで何度も止まる。喜劇の質は高い。だが、同じ笑いを三度続けると、読者の側に「いつ本題に入るのか」という疑いが生まれる。

「私は虚飾を行はなかつた」という結びの据わりの悪さ

結びで語り手は、「私は虚飾を行はなかつた。読者をだましはしなかつた。」と宣言し、「元気で行かう。絶望するな。では、失敬。」と去る。気持ちのよい幕切れではある。だが序編では、中学受験の旅の描写を引いて、自作の描写は「かなしいお道化の虚構に満ちてはゐる」と自分で認めていた。紀行の形をした小説で、虚飾はなかったと言い切る箇所だけが、作品の中で最も大きな「演出」に見える。

もう一つ、同じ結びには「聖戦下の新津軽風土記」という言葉が出る。運動会の場面にも、大戦のさなかでも明るい宴会が催されているという趣旨の、時局に寄った感想が挟まれる。この作品が書かれた時代の空気として読む分には構わない。ただ、再会の場面の純度を、ほんの少し下げているのは確かだ。

名場面の直後に、語り手が気持ちを全部説明してしまう

再会の場面は、沈黙と手つきで感情を見せるのが成功している。ところが、その直後に語り手は「平和とは、こんな気持の事を言ふのであらうか。」と問い、「私はこの時、生れてはじめて心の平和を体験したと言つてもよい」と書く。さらに「私は、この時はじめて、私の育ちの本質をはつきり知らされた。」と、気づきの中身まで説明する。

座って運動会を眺めているだけの「私」の様子から、読者は平和をすでに受け取っている。そこへ言葉で念を押すのは、書き手の親切というより、感動を取りこぼすまいとする不安に見える。小説を書く側の目で見ると、ここは二、三文削るほうが、たけの沈黙がもっと残ったはずだ。

この本を一番楽しめるのはどんな人か

向いているのは、太宰の暗い自己劇化の作品に疲れていて、明るい太宰も読んでみたい人。それから、ロードムービーのように、寄り道の面白さを味わえる人だ。再会の場面で泣きたい人にも向く。ただし、その泣きどころは、道中の笑いと脱線の全部があって効いてくる面もあるので、結末だけ先に読むのはもったいない。

読む順番の案内としては、まず短い富嶽百景で、旅先の太宰がどんな語り手かを確かめておくとよい。そのうえで「津軽」では、序編と「巡礼」の章でT君との再会までを読み、「津軽平野」の冒頭の事典の引用は流して、五所川原の中畑さんの家から小泊へ進むのが、読みやすい。

なお、冒頭の序編には、中学入学のために青森へ出た少年の「久留米絣に、白つぽい縞の、短い袴」というおしゃれの描写があり、本編に入る前から語り手の自意識の強さと可笑しさが分かる。ここが肌に合えば、その後の長い道中も付き合える。逆にここで退屈なら、五所川原以降のたけの話から読み始めても、骨格は十分に伝わる。

反対に、物語の起伏を休みなく求める人、紀行文に旅の情報や案内を期待する人には、この作品は長すぎるし、意図も合わない。辛口に言えば、全体の完成度は高くない。それでも、最後の運動会の一場面のためだけに、手元に置く価値のある長編だ。