赤外線男 感想ネタバレ|真犯人は反則気味、でも序盤は傑作

結論:発端の謎は一級品、種明かしは後出し気味。それでも昭和初期の探偵小説として読む価値は十分ある

海野十三「赤外線男」は、前半だけなら傑作と呼んでいい。電車に飛び込んだ女の死体が、土葬の翌日に墓から消える。その直後に、肉眼では見えない男が現れる。この二つの謎を同時に走らせる出だしは、昭和8年(1933年)の「新青年」5月号に載った作品とは思えないほど速い。

ただし、謎が大きいぶん、解決には無理が出た。真犯人を支える仕掛けは読者が事前に推理できる範囲を超えていて、正体を暴く決め手は「便所」だ。謎解きの手応えを求める人には物足りず、発想の勢いと昭和の空気を楽しめる人には劇薬になる。

最小限のあらすじ

新宿駅のホームで若い婦人が電車に飛び込み、顔が潰れた遺体は「妹だ」と名乗る男に引き取られて土葬されるが、妹は生きて帰宅し、棺は空になっていた。同じ頃、Z大学付属研究所の理学士・深山楢彦は、赤外線テレヴィジョンで「人間の目に見えない男」を見たと発表する。やがて研究所が襲われ、警視庁の捜査課長が暗室で刺殺される。素人探偵・帆村荘六が、見えない敵に挑む。

※ここから結末に触れます。

「赤外線男」の正体は? 透明人間を科学の言葉で組み直した発想の深掘り

「赤外線でないと一向に姿の見えない男」という設定の強さ

透明人間の話を、赤外線という実在の光で言い換えたのがこの作品の発明だ。深山は赤外線テレヴィジョンに映った姿を、「赤外線でないと一向に姿の見えない男」と呼ぶ。見えない理由が魔法ではなく波長にあるので、刑事も検事も「足跡は残るはずだ」「靴の裏の泥は見えるはずだ」と、本気で理屈の議論を始める。第4章で課長と検事が見えない男の足跡をめぐって言い合う場面は、怪異を理屈で縛っていく面白さがよく出ている。

赤外線の説明に1章分近くを使い、色盲の話や満洲の橋梁警報器まで寄り道する書き方は、今読むと講義に近い。ただ、この講義があるから、後半の「見える人間がいたらどうなるか」という反転が効く。

語りの口調も、この設定に合っている。冒頭で語り手の「筆者」は、自分の前置きを「安薬の効能のような台辞」とまで言って、読者を焦らす。第1章は新宿駅のホームの描写を細かく積み、そこへ「ゴトリ。……ゴトリ。……」という轢音を落とす。長い説明のあとに短い擬音で切る緩急が、見えない男の登場前に、読者を落ち着かない気分にさせている。

探偵小説好きに刺さる「陰獣」への目配せと伏線の配置

第3章で、行方不明の黒河内子爵夫人・京子が、夫に江戸川乱歩「陰獣」の話を持ち出していたことが語られる。「見も知らない人に私生活を覗かれていた」とき、人はどれほど怖いか。夫人が夫に問うたのはそれだった。この一件は、後に赤外線で撮られた密会のフィルムとつながり、夫人が脅迫されていたことの裏づけになる。

フィルムの燃え屑が轢死婦人のバッグから出てくる序盤の小道具も、最後の試写でちゃんと回収される。冒頭の事件を終盤で畳む構成は、きちんと閉じている。

片目の色の食い違いと、暗室での殺人

白丘ダリアが助手として登場してすぐ、「右の眼で見たときと左の眼で見たときと、先生のお顔の色が違う」と言い出す。作中では眼病として片づけられるが、これが真相の布石だ。その後、彼女は硫酸の事故で片目を失い、包帯と黒眼鏡で表情も視線も隠す。読み返すと、犯人を隠す手つきがかなり丁寧だと分かる。

暗室での第一の殺人も、場面の作りは上手い。ネオンを消し、順番にスクリーンを覗き、そこへダリアがカーテンを開けて白光を入れる。全員の網膜が眩んだ数秒の間に課長が倒れる。「どこに誰がいるやら判らないじゃないか」という検事の悲鳴は、読者の不安もそのまま代弁している。

見えない男は最初からいない、という二重底の作り

解決編で、「赤外線男」は深山が作った観念だったと明かされる。深山は一度も見ていない男を「見た」と発表し、世間は紅茶が減った、ダンスホールで抱きつかれた、と勝手に怯え始める。研究室で自分を縛り、変圧器の上に乗って襲われた被害者を演じ、事務室の金庫から抜いた金の穴埋めにした。つまり第4章の長い証言は、被害者の顔をした犯人の自作自演だったことになる。

この層が入ったおかげで、物語は「見えない怪物」と「見えない視力を持つ人間」の二段になる。証言そのものが嘘だったという構図は、読み返すと細部が楽しい。戸口の扉が閉まる音がしなかったことを刑事が指摘する場面など、嘘の綻びがさりげなく置かれている。一方で、深山が鍵を握る人物のまま途中で退場するので、この嘘の層は十分に使い切られていない。

犯人は反則寸前? 忖度なしで言う、欠点と違和感

「赤外線が見える右眼」は、推理で辿り着ける答えではない

最大の問題は、真相の核が「ダリアの片目が赤外線を見られるようになった」ことだ。作中の根拠は、結核で片肺を失うともう片肺が強くなる、という例えだけで、帆村の説明は論理ではなく雰囲気で押し切っている。色の食い違いの伏線はあっても、そこから赤外線視力まで読者が自力で届く道はない。

探偵小説は、読者が同じ手がかりから同じ答えに辿り着けるかどうかで評価が決まる。この作品は、手がかりを丁寧に置いているのに、最後の一歩だけが超常に近い。「見えないものを見る力」を持ち込んだ時点で、犯人当ての勝負は成立していないと、書き手の立場では思う。

決着が「便所の赤い灯」では、帆村の探偵力が見えない

帆村が最後に使う罠は、オレンジ・エードに利尿の薬を盛り、赤外線灯で「便所」と照らして、そこへ入るかどうかを見張ることだ。罠そのものは発想として面白い。しかし第6章で帆村が「あの部屋にいた連中は皆、闇黒の中に沈澱していた」と行き詰まったあと、第7〜8章でダリアの視力に目をつけた過程は、結末の回想でまとめて語られるだけで、場面として描かれない。推理の過程を読者に見せず、帆村が「気づいた」と言った時点で話が飛ぶ。

射撃場の罠も同じだ。赤外線の標的を撃たせる策は、本人が拒んで不発に終わる。この場面の説明文は読んでもうまく意味が取れない箇所があり、せっかくの仕掛けが分かりにくい。名探偵の決め手が、2つとも「相手が引っかかるかどうか」に頼っているので、帆村の頭のよさが伝わらない。

隅田梅子の「同じ持ち物」と、ダリアの造形の薄さ

序盤の引きは、轢死婦人と隅田梅子が同じ服、同じバッグ、同じコンパクトを持っていたことだった。隅田は、そのコンパクトを5年使っていて蓋の開け方が乱暴だとまで言う。この具体的な説明に対して、解決編の「身許が分からないよう、世間にざらにある月並の品を集めていた」では釣り合わない。5年使い込まれた形跡まで同じというのは、偶然では済まない。死体を持ち去った潮十吉の動機も、結末では短い告白で終わる。

ダリアの描写にも触れておく。作中では「狒々のような大女」と呼ばれ、体つきの描写が繰り返される。これは「男が女装しているとは思えない」と帆村が犯人候補から外す理由にも使われていて、道具立てとして働いてはいる。ただ、殺人の動機は「殺人淫楽者に堕ちた」という説明で済まされ、人物としての厚みはない。総監まで殺す理由は、もっと具体的に書いてほしかった。青空文庫には、時代背景による表現の注記が付いている。

中盤の連続殺人が、同じ型の繰り返しになっている

課長、総監、深山と桃枝と、殺人は3回続く。しかし課長と総監は、どちらも暗い部屋で見ている最中に鍼で延髄を刺され、現場にいた全員が「疑えない」で終わる。同じ型を2回見せられると、読者は2回目で仕組みを推測できてしまう。しかも総監の事件では、隠し撮りのフィルムが「人がドヤドヤと立って、肝心のところは真暗」で何も写らない。作者が事件を長持ちさせるために、都合のいい失敗を挟んだように見える。

この本を一番楽しめるのはどんな人か

向いているのは、トリックの厳密さより、発想の奇抜さと語りの速度を楽しめる人だ。江戸川乱歩の「陰獣」を読んで、覗く者と覗かれる者の不気味さが好きだった人には、乱歩へのあいさつ代わりの一節がある。

一方、犯人当てを正々堂々とやりたい人、人物の動機を重く描く小説が好きな人には勧めにくい。同じ作家の作品なら、発想の大胆さと回収の駆け足という点で、地球盗難や十八時の音楽浴と読み比べると、この作家の癖がよく分かる。最初の1章と、暗室の場面(第5章)だけでも、読んで損はない。全体は青空文庫で約4万字、1時間ほどで読み通せる長さなので、結末の賛否を自分で確かめるつもりで、最後までつきあうのがいちばん面白い読み方だと思う。