地球盗難 感想ネタバレ|発想は大胆、回収は駆け足

結論:題名の一発ネタに全振りした冒険活劇。発想は買うが、回収は駆け足で雑だ

地球を盗む。その手口を、作者は物語のほぼ最後まで伏せ続ける。海野十三の「地球盗難」は、この一点の発想に作品の価値のほとんどを預けた長編だ。手口が明かされた瞬間の「なるほど」は確かに気持ちいい。

ただし、そこへ至るまでの道のりは、巨大甲虫、魔の森、二人の博士、ロケットと、風呂敷を広げるだけ広げた寄り道が続く。しかも畳み方は駆け足で、解けない謎も多く残る。「アイデア一本勝負の戦前SFを楽しめる人」には当たり、「謎の整合性を求める人」には肩透かしの一冊だ。

最小限のあらすじ

夏休みで矢追村に帰った中学生の河村武夫は、幼馴染のお美代と甲虫採りに出かけ、石亀ほどもある巨大な甲虫に出会う。甲虫を追った武夫は姿を消し、村人が「魔の森」と恐れる櫟林の奥で行方不明になる。村に避暑に来ていた理学士の大隅青二は、武夫を探して森に入り、近くの辻川博士の邸宅と、地球全体に及ぶ異常現象の謎に巻き込まれていく。

初出は雑誌「ラヂオ科学」の1936(昭和11)年。青空文庫版で全体は約8万7千字、「ネス湖の怪物」から「大団円」まで十数の短い章でできている。

※ここから結末に触れます。

「地球盗難」の意味と隕石の正体:独自の深掘り・魅力

地球盗難とは何か、答えが出るのは終盤の二章だけ

題名と同じ章「地球盗難」が来るのは、物語もほぼ終わりの部分だ。天文台で大隅理学士は、ウラゴーゴル星と無線電話がつながったことを知り、台長の河内老博士たちを前に「大胆なる説」を語る。ウラゴーゴル星が地球に近づいたのではなく、引き寄せたのだと。

「イヤ生物の力でどうすることも出来ないと思うのは、古い考え方です。それは決して不可能ではありません。」この台詞が、作品の背骨だ。惑星の運動は人間にはどうにもならないという常識を、一言で裏返す。そして次の節「隕石の秘密」で、宇宙を飛ぶ佐々砲弾が電話越しに、隕石は「ウラゴーゴル星から故意に地球へ向って撃ちだした錨のようなもの」だと説明する。

隕石は錨、捕鯨のモリという比喩の上手さ

この説明がうまいのは、比喩が具体的で絵になることだ。佐々は、捕鯨船が鯨の背中に綱つきのモリを打ち込むのと「全く同じこと」だと言う。星と星のあいだの引力操作という抽象的な話を、読者が一度は見たことのある捕鯨の絵に置き換えている。難しい理屈を「綱はないが同じ働きをするものがある」で済ませる思い切りも、少年少女向けの語り口としては正解だと思う。

しかもこの隕石は、後出しの設定ではない。中盤で、大宗寺の庭に落ちた径五十センチの隕石を辻川博士が掘り出して持ち帰ったことが、大隅の台詞で触れられている。さらに大隅は、ギブソンの原書に書かれた「隕石にバクテリアが付いて星から星へ生物が運ばれる」という仮説まで武夫に語る。このとき語り手は、二人が「大切な推理を落とした」と明言する。手がかりを先に置くフェアさは評価したい。

ネス湖の怪物から始まる、「遠近の錯覚」という導入

冒頭の「ネス湖の怪物」の章も、ただの雑談ではない。武夫はお美代に、霧に映った自分の影が巨人に見える話や、手をかざすと遠くの洋館が隠れる話をして、近いものほど大きく見える理屈を説明する。冒頭の数ページで、この作品が「見かけの大小」を扱うことを予告している。これは書き手としての私の読みだが、遠い星が実は近くに引き寄せられていた、という結末と響き合う導入だ。

その直後に石亀ほどの甲虫が出てくる。通常の約十倍の大きさがあるという怪物甲虫と、後に出る巨人病の武夫は、どちらも異常成長という同じ現象の現れ方だ。怪異が一本の原因につながる設計は、あとから振り返るとよく整っている。

章ごとの引きで読ませる連載の呼吸

各章の終わりは、「そも何の光ぞ! 落雷か、爆発か、それとも悪魔の焚火であろうか?」のように、疑問で切るか、危機で切るかのどちらかが多い。「怪しき閃光」では魔の森に青い火柱が立ち、次の章では暗闇から自分の名を呼ぶ声がする。短い章を矢継ぎ早に積む構成は、雑誌連載のリズムとして素直に効いている。

ガジェットも楽しい。佐々砲弾が閉じ込められるロケットには、前後左右と頭・尾を映す六つのテレビジョン受影幕があり、床が上がってきて乗り手を尖端に押しつける。大隅の護身杖が懐中電灯から怪力線洋杖へ化ける展開を含めて、当時のSFの「見せたい装置」が惜しげなく出てくる。

地球盗難の結末と謎の回収に不満:忖度なしの欠点・違和感

肝心の種明かしが、登場人物の電話での説明になっている

最大の不満は、題名の核心を電話の説明台詞に任せていることだ。佐々砲弾は宇宙を飛ぶロケットから、電池の残りを気にしつつ、「そんな六ヶ敷いことが俺に分るか」と笑いながら要点だけを話す。読者が一番知りたい仕組みが、「磁石みたいなもの」「ウラゴーゴルのけだものたちは、その力のことをシュピオルと呼んでいた」という程度の説明で終わる。

本人は何も見ていないのに、なぜ全部知っているのか。ウラゴーゴルの研究所が「五十年がかりで作った」特殊物質だという細部まで、佐々は語る。情報を持っている人物が都合よく電話に出る、という構造が露骨だ。しかも大隅は「僕の知りたいと思っていた答案ができた」と即座に納得してしまい、検証も反論も起こらない。

通信が切れる都合のよさと、語り手の言い訳

通信の切れ方も気になる。天文台での最初の交信では、辻川博士が現れた場面で「ゴーッという音響」とともにプツリと切れる。次の交信では、佐々の電池が下がったという理由で切れる。どちらも、続きを知りたいところで切れる。物語を引き延ばすための装置に見える。

さらに、語り手が大隅の行動を評して「もうすこし冷静だったら」「早く笑顔を作ることが出来たかも知れない」と、事後に口出しする箇所がある。隕石の推理を落とした二人についても、「是非もない」と片づける。物語が滞った理由を登場人物の不注意に押しつけているようで、書き手の側からすると、構成の遅れを語りで取り繕っている印象を受けた。

辻川博士と二人のシュワルツコッフ博士、放置された謎

人物の謎はほとんど回収されない。辻川博士はウラゴーゴルと深い関係がありながら、電話の最中には白幽霊に迫害されているらしい。この関係が何だったのかは、読んだ範囲では説明がない。二人のシュワルツコッフ博士のうち、偽の方が辻川博士ではないかという話も、大隅の「ひょっとすると」という推測で止まる。

武夫の父が殺された件も同じだ。大隅は偽の方のシュワルツコッフ博士が下手人だと「思う」と語るだけで、事件としての決着はない。それなのに最終章では、巨人病が治った武夫を前に、大隅が月を見上げて「みんな幸福になったねえ――」と呟く。父はそのまま死んでおり、辻川博士の行方も謎のままだ。気持ちの清算が追いついていないのに幸福と言い切る着地は、さすがに軽い。

地球が遠ざかる理由と、「戦争が休戦」の楽観

もう一つの穴は、終盤で急に、ウラゴーゴル星と地球の距離が「五日前からドンドン遠くなってゆく」と語られる点だ。なぜ引き寄せは止まったのか。この疑問は、作中で説明されない。武夫たちが元の大きさに戻ったことも、大隅が「ウラゴーゴル星が遠くへ離れていったから」と推測して終わる。盗難の仕組みは説明されるのに、返却された理由は不明なままだ。

また、大隅の講演を境に、「欧州におけるファッショ対コンミュニズムの戦争も一時休戦状態に入った」とあっさり書かれる。外敵の出現で人類が一致団結するという着想自体はSFの定番として悪くない。だが、ここでは数行で片づけられ、宇宙規模の事件が人間世界に及ぼす影響を描く場面としては、ほとんど機能していない。

この本を一番楽しめるのはどんな人か

向いているのは、次のような読者だ。

  • 戦前の少年向けSFの、発想先行の勢いを楽しめる人
  • 怪異が続き、章ごとに引っ張る冒険活劇を気軽に読みたい人
  • 「地球が盗まれた」という題名の仕掛けを、答え合わせの気持ちで読みたい人

逆に、謎がきちんと回収されるミステリ的な整合性や、人物の内面の深さを求める人には、おすすめしにくい。約8万7千字のうち、題名の意味が語られるのはほぼ最後の二章だ。そこまでは「何が起きているのか」を追う楽しみ方になる。

海野十三の別作品を読むなら、同じ作家の短めのSFとして十八時の音楽浴の書評も参考になる。発想の鋭さと終盤の甘さという、この作家の持ち味と弱点を比べながら読むと、「地球盗難」の位置づけが見えやすい。