結論:七話のうち、本当に残るのは二話だけ。残りは発想のメモ書きに近い
海野十三の「蠅」は、七つの掌編を「天井の蠅」という一本の糸で束ねた連作だ。通して読むと、第三話「動かぬ蠅」と第六話「雨の日の蠅」だけが、短さの中で読者の認識を裏返す仕掛けとして完成している。第一・二・四・五・七話は、思いつきの面白さを書き留めた段階で止まっており、辛口に言えば「ネタ出しの段階の原稿」だ。
全部読んでも青空文庫で約2万字、1時間かからない。ただし、満足度は話ごとに極端に違う。誰にでも勧められる連作ではなく、海野十三の発想の振れ幅を見たい人向けの、癖の強い一品である。
最小限のあらすじ
冬の白い部屋で、天井に七匹の蠅が止まっているのを見た語り手が、「蠅が何かを咄して聴かせる」というので原稿用紙に向かう。そこから、巨大な蠅の卵が孵る話、蠅が病原菌を運ぶ犯罪の話、蠅に化けた偽物の話など、蠅にまつわる七つの短い話が順に語られる。話ごとに人物も舞台もまったく別で、つながりは「蠅」だけである。
※ここから結末に触れます。
海野十三「蠅」の見どころ:第三話の偽の蠅と第六話の結末の仕掛けを解剖する
第三話「動かぬ蠅」の偽の蠅はなぜ効くのか
目賀野千吉は、天井に止まったまま動かない蠅に気づく。これを手がかりに、彼は夫婦の営みを撮った怪映画の出どころにたどり着く。蠅は黒紗で作った偽物で、小さな孔を隠して撮影機を覗かせる「楯」だった。作中の説明は「蠅は? 蠅は単に小さい孔を隠す楯にすぎなかった。」と、驚くほど素っ気ない。
この話が優れているのは、種明かしの前に、読者にも「動かない蠅」を何度も見せている点だ。天井の蠅を「ホーム・スウィート・ホーム」の明るい飾りとして描き、後で同じ蠅が監視装置に裏返る。見慣れたものを疑わない人間の盲点を、素材を変えずに反転させている。アイデア一本で押し切る掌編として、きれいに仕上がっている。
第六話「雨の日の蠅」の結末は何を意味するのか
密林の小屋で妻を待つ男が、雨の後に急に増えた蠅から、窓の下に妻の死体が埋まっていると推理する。そこへ制服の監視人が現れ、彼は「窓から蠅が入ってくると、それから筋を考えるように次から次へと、先を考えてゆく」精神病患者だったと明かされる。探偵小説家だった男が、蠅一匹から殺人の筋書きを作り、最後は自分が犯人だという結論に落ち着く。
推理の連鎖を読者に追わせておいて、最後にその推理自体を「症状」として回収する構成は、連作の中でいちばん知的だ。創作する側から見ると、探偵小説というジャンルそのものを皮肉っている。蠅という小道具が、真実の手がかりではなく妄想の引き金に変わる点で、第三話と対になっている。
天井の蠅が七匹、話も七つ。この枠物語の意味は
冒頭の語り手は、天井に「みんなで七匹」の蠅を数え、そこから七つの話が始まる。数が一致しているのは偶然ではないと読むのが自然で、枠の形はよくできている。第二話・第五話が「蠅を疑う者」の話で、第三話が「蠅に騙される者」の話、第六話が「蠅から妄想を紡ぐ者」の話というふうに、蠅をめぐる人間の視線を変えて並べている点も、連作らしい工夫だ。
海野十三「蠅」の欠点・違和感:第二話の自白落ちと、閉じられない枠物語
第二話は推理が良いのに、結末が急ぎ足すぎないか
病気が出た場所の「幾何学的中心」に犯人が住んでいる、という帆村探偵の推理は面白い。ところが肝心の犯人逮捕は、「それから間もなく」の一行で片づき、犯人はチンドン屋の寅太郎、動機は「極左の一人」の「ねじけた」心という説明で終わる。推理が鮮やかな分、犯人像の薄さが際立つ。蠅を太鼓の孔から放つ仕掛けは絵になるのに、その場面は自白の報告としてしか語られない。ここは最も惜しい箇所である。
第四話・第七話は、アイデアを出して終わっていないか
第四話は、人造宇宙線で男性の語り手が妊娠するという荒唐無稽な話だ。蠅の壜に出る双頭の子蠅を前振りに置いているが、「どうして宇宙線で妊娠するのか」を押し通す説得力はなく、最後は「それとも……」と投げ出される。第七話は、生長液と縮小液で巨大化・縮小化を繰り返した末に、蠅の子に食われるドタバタだ。勢いはあるが、どちらも話が「状態の変化」を並べているだけで、人物の選択による展開がない。奇想はあるが、物語としては起伏が乏しい。
枠物語が最後まで閉じない構成は、仕掛けの放棄では
冒頭で「蠅が何かを咄して聴かせる」と宣言し、語り手が原稿用紙を前にする枠を作った割に、最終話の後に語り手は戻ってこない。第七話は「記憶の中にハッキリ凍りついて残っていた」で唐突に終わる。連作として、最初に開けた枠を最後に閉じるのは基本の作法であり、七匹の蠅に冒頭で数を与えた意図を、結末で回収していない点は構成上の甘さだ。
第一話・第五話の「結末の飛ばし方」
第一話では巨大な蠅が出現し、街を騒がせるが、その後は「十五万ヴォルトの送電線に触れて死ぬまで、さんざんに暴れまわった」と一文で片づけてしまう。第五話も、ロボット蠅の登場後は、殺人音波で全員が昏倒して終わる。見せ場に当たる部分を要約で済ませるので、読者は怪物の怖さをほとんど体験できない。話の面白い部分を描く前に筆を置く癖が、全体の印象を軽くしている。
この本を一番楽しめるのはどんな人か
おすすめできるのは、次のような人だ。
- 日常の小道具が一瞬で裏返る、短い仕掛け小説が好きな人
- 戦前の探偵小説・科学小説の雑誌連載(「ぷろふいる」1934年2月号〜9月号)の、荒っぽい自由さを味わいたい人
- 海野十三の「奇想で押し切る」書き方の幅広さを、手早く確かめたい人
逆に、一話ごとの完成度や、人物の心理描写の深さを求める人には向かない。時間がなければ第三話と第六話だけを読めば十分で、そのうえで残りを拾い読みするのがちょうどよい。同じ作家の発想先行型の作品としては、地球盗難や十八時の音楽浴の感想も書いているので、読み比べてみてほしい。


