結論:褒め言葉の顔をした残酷な観察記録。ただし答えは出してくれない
チェーホフの「可愛い女」は、愛されるために自分の意見を捨て続ける女を、笑うでも持ち上げるでもなく淡々と見せる短編だ。読み終えて「いい話だった」と言い切れる人は少ないはずで、その座りの悪さこそがこの作品の値打ちだと私は思う。
ただし作者は最後まで裁定を下さない。主人公を美徳の人として読むか、空洞の人として読むかを読者に丸投げするため、物語の起伏や答えを求める人には肩透かしになる。短くて読みやすいが、軽い小品ではなく、後からじわじわ効く劇薬だ。
最小限のあらすじ
退職八等官の娘オーレンカは、誰かを好きにならずにはいられない女だ。遊園『ティヴォリ』の経営者クーキンと結婚し、彼が急死すると材木置場の管理人プストヴァーロフと再婚し、さらにその後は獣医スミールニンと暮らす。愛する相手が変わるたびに、彼女の口からは相手の受け売りの意見が出てくる。やがて一人きりになった彼女に、最後の愛の対象が現れる。
※ここから結末に触れます。
「可愛い女」の意味と、オーレンカに意見がない理由を読み解く
相手が変わるたびに「意見」ごと入れ替わる構造
この作品の設計は、実に単純で鋭い。クーキンの妻になったオーレンカは、芝居こそ世の中で一番大切なものだと語り、見物は無学だと軽蔑する。ところがプストヴァーロフの妻になると、「わたくしどもヴァーシチカと二人には芝居見物の暇なんぞありませんのよ」と答える。芝居を持ち上げた口が、数年後には芝居を要らないものにしている。しかも本人は、前の意見を捨てた自覚がない。
獣医と暮らす段になれば、家畜の検疫の話を滔々とやり、獣医の同僚の前で恥をかかせて叱られる。彼女は偽っているのではなく、本当にそう思い込んでいる。だから嘘つきの話として読めず、怖さが一段上がる。
「何の意見もない」は、おそろしいと本文が言う
決定的なのは、獣医が連隊と去った後の長い空白の描写だ。語り手は、意見が一つもないことを「この何一つ意見がないというのは、なんという怖ろしいことだろう!」と書く。壜や雨や荷馬車の百姓を見ても、それが何のためにあるのか言えない、という例えが巧い。愛の喪失を涙で描かず、世界が意味を失う感覚として描くところに、書き手としての腕を感じた。
この空白の場面と、冒頭で「彼女はしょっちゅう誰かしら好きで堪らない人があって、それがないではいられない女だった」と紹介される一文が、きれいに対をなす。後者が性格の説明、前者がその帰結だ。
サーシャの場面で、読者の評価が割れる仕掛け
終盤、獣医が妻と十歳の息子サーシャを連れて戻る。オーレンカは少年の復習を聞き、「島とは陸地の一部にして……」と繰り返し、これを永年の沈黙を破って確信をもって口にした最初の意見だと語り手は言う。一見すると救いだ。だが、その意見は教科書の定義であり、彼女自身の考えではない。ここまで一貫して借り物だった彼女の言葉が、借り物のまま「意見」に昇格する場面なのだ。
そして最後は、母性にも似た愛情を少年に注ぐオーレンカの隣の部屋で、サーシャが寝言に「乱暴するない!」と叫ぶところで終わる。彼女の愛は本物なのに、相手の少年はそれを遠ざけたがっている。登校の道で「おばさんは家へお帰りよ」と言われる場面が、その伏線になっている。
四度目の愛だけが、夫でも恋人でもない相手に向く
見落としやすいが、愛の対象の並びには仕掛けがある。最初の三人は、いずれも仕事を持った大人の男で、彼女はその仕事の言葉(芝居、材木、家畜)をそっくり引き受けてきた。ところが最後の対象は、勉強嫌いの少年だ。仕事の言葉の代わりに差し出されるのは、学校の復習という、最も出来合いの言葉である。つまり彼女の「借りる」癖は、相手が変わっても形を変えて続いている。三度の反復で型を覚えさせ、四度目でわずかにずらす。短い作品でこれをやり切る配分の良さは、書き手として素直に感心した。
もう一つ、サーシャへの愛は、これまでと違って見返りを期待していない。夫たちには「私たち」と言って同化していたのに、少年には世話を焼くだけで、少年の言葉を自分の言葉にする場面はない。ここを成長と読むか、行き場を変えた依存と読むかが、冒頭で触れた賛美か皮肉かの分かれ目になる。
忖度なしで言う、「可愛い女」の物足りない点と読みにくさ
主人公に内面の「ゆらぎ」がなく、人物としては平板
三度の愛と喪失を、物語は同じ温度で繰り返す。夫の死の報せに号泣し、しばらく喪に服し、次の相手に恋する。その反復は構造としては狙いだが、小説を書く側の目で見ると、オーレンカはほとんど迷わない。迷いや葛藤がないため、読者が感情移入する足場が乏しい。寓話的な純度は高いが、人物としての厚みは犠牲になっている。
語り手の立場が曖昧で、賛美か皮肉かが決まらない
町の人々は彼女を「可愛い女」と呼び、語り手もその呼び名を何度も繰り返す。そこに皮肉があるのか、素朴な好意があるのか、最後まで確定しない。この曖昧さが深みだと褒める読みもあるだろうが、私は半分は不親切だと感じる。読者の解釈が割れすぎて、結局「読者次第」で片づいてしまうからだ。
終わり方が、不安のまま閉じる
結末は、サーシャが連れ去られるかもしれない不安が、一夜の電報と木戸の音として描かれ、杞憂のまま眠りに戻る。事件は起きていない。だからこそ、読後に「この後どうなるのか」が宙に残る。余韻を取るか未完成と取るかで評価が割れる。同じ神西清訳の岩波文庫に収められた「犬を連れた奥さん」も終わらない物語だが、あちらは二人の関係が主題だった分、宙吊りに必然性があった。こちらは主人公が一人で完結しているぶん、投げ出された感じが強い。
初読で拾えるものが多く、再読の旨みは薄い
仕掛けが単純で明快なため、一度読めば構造は見えてしまう。再読して新しい発見が増えるタイプの作品ではなく、読み手の年齢や経験で「オーレンカの見え方」が変わることに価値がある作品だ。若い頃は愚かに見え、誰かに合わせて生きた経験を重ねてから読むと他人事でなくなる、という変化は期待できる。ただ、それは作品の細部の密度というより、読み手側の変化に頼った面白さであり、作り込みの勝負としては少し弱い。
この本を一番楽しめるのはどんな人か
一人の人物を、起伏のないまま観察する短編が好きな人に向く。オーレンカを「自分を持たない女」と裁くか、「愛することだけを才能とした人」と読むかで感想が変わるので、読後に誰かと語りたくなる作品だ。
- 文庫で短時間に、人物の一生を俯瞰したい人
- 他人の意見を借りて生きる感覚に、心当たりがある人
- 結末に明確な答えを求めず、解釈を考えるのが好きな人
逆に、事件や逆転を期待する人、主人公に共感できないと読めない人には薄味に感じるだろう。底本は岩波文庫の「可愛い女・犬を連れた奥さん 他一篇」で、青空文庫には神西清訳が入っている。1時間かからず読めるので、まず読んで、サーシャの寝言の一行で自分がどう感じるかを確かめてほしい。




















