少女地獄の感想ネタバレ|三つの手紙が暴く嘘と復讐を辛口評価

結論:三編とも「語りの罠」は絶品。ただし後半ほど少女が作者の代弁者になる劇薬

夢野久作の「少女地獄」は、少女が壊れていく話を読ませる小説集ではない。少女の言葉を、読者がどこまで信じてよいのかを三度試す小説集だ。「何んでも無い」の語りの組み立ては一級品で、「殺人リレー」は短さのわりに後味が長く残る。

ただし三編目の「火星の女」は、復讐の理屈が強い分、少女が作者の主張を語るための装置に見える瞬間がある。読後感の悪さに耐えられる人にだけ勧める、はっきり好みの割れる劇薬だ。

最小限のあらすじ

青空文庫版の「少女地獄」は三編を収める。「何んでも無い」は、横浜の耳鼻科医・臼杵利平が、先輩の白鷹秀麿に宛てて、自殺した看護婦・姫草ユリ子の顛末を報告する手紙の形をとる。「殺人リレー」は、女車掌・友成トミ子が、女車掌になりたがる山下智恵子に宛てた六通の手紙で進む。「火星の女」は、県立高女の廃屋から出た黒焦の屍体をめぐる新聞記事と、校長・森栖礼造に宛てた長い手紙でできている。三編とも、中心にいる少女は最初から追い詰められている。

※ここから結末に触れます。

少女地獄の結末と語りの仕掛けを読み解く:なぜ三編とも「手紙」なのか

三編に共通するのは、全部が「書き残された文章」で組み立てられている点だ。語りの形式がそのまま、少女たちが追い詰められた状況の表現になっている。同じ夢野久作の「瓶詰地獄」も手紙の順序で読者を揺さぶる作品だったが、「少女地獄」では手紙の書き手そのものが信用できない。ここが一段怖い。

姫草ユリ子は本当に嘘つきだったのか:「何んでも無い」の結末の意味

書き出しの一行は「姫草ユリ子が自殺したのです。」だ。読者は、この一行で死を先に知らされた状態で、天才的な看護婦が嘘を重ねていく過程を読むことになる。結末から逆算して読ませるので、一つひとつの嘘が滑稽に見える前に不穏に見える。

面白いのは、嘘の中身より、嘘を回す「段取り」のほうだ。蕎麦屋の出前持ちに電話をかけさせ、白鷹助教授に化けさせ、文面は代書人に書かせて投函する。後日それが明かされると、彼女の嘘は出任せではなく、練習を重ねた舞台演出だったとわかる。嘘を吐く才能と、嘘を上演する才能を別々に描いたのは見事だ。

臼杵は最後に、彼女を「罪人ではない」と結論づける。原文では「彼女は罪人ではないのです。一個のスバラシイ創作家に過ぎないのです。」と言い切る。そのうえで「彼女を生かしたのは空想です。彼女を殺したのも空想です。」と畳む。自分たち夫婦が面目のために彼女を追い詰めた、という自己批判まで混ざっているので、単なる「かわいそうな嘘つき」の話では終わらない。

ただし、この結論を述べているのは、彼女を警察に突き出す算段までした本人である。罪悪感を「創作家だった」という褒め言葉で処理していないか、という疑いを、読者は最後まで手放せない。結論の美しさと、語り手の信用のなさが同時に成立しているところが、この作品の底意地の悪い魅力だ。

「殺人リレー」の題名と、トミ子の「汽車オーライ」が示すもの

三編のうちいちばん短く、いちばん設計が締まっている。親友の月川ツヤ子が、運転手の新高竜夫に殺された。トミ子はその仇を討つため、あえて新高と同棲する。復讐のはずが、同棲を続けるうちに「平凡なトミ子」へ戻りかけていく第三の手紙が、私は三編の中でいちばん怖いと思う。復讐を果たす動機が、日常の甘さに溶けていく過程を、数行で書き切っている。

決定的なのは踏切の場面だ。新高が自分を事故に見せかけて殺そうとしていると悟ったトミ子は、別の列車が来ているのに「オーライ」と叫ぶ。第五の手紙で、彼女はその理由を自分でも「どうしてもわからない」と書く。復讐でも自衛でもなく、憂鬱に引きずられて一緒に死んでもいい気持ちだったのだろう、という推測を添えるだけだ。

題名の「リレー」が効くのは、第六の手紙でトミ子自身が「ホントウを言うと夫殺しだったのです。」と認めるところだ。殺人が新高からトミ子へ、さらに腹の子へと受け渡されていく。第五の手紙の「アレみんなウソよ。新聞社と警察の作り事よ。」という一言で、世間の物語と彼女の告白のずれを見せた直後だから、この告白が効く。

そして最後に、第一の手紙と同じ忠告「女車掌なんかになってはいけません」に戻って終わる。同じ文を、冒頭と結末で意味の違う重さにしてみせる輪の閉じ方は、短編の技術として鮮やかだ。

火星の女の黒焦屍体と、校長への復讐の仕掛け

三編目は、新聞記事の連なりから始まる。県立高女の廃屋から黒焦の屍体が出る。校長は失踪し、女教諭は縊死し、書記は金を持って逃げる。記事が「噂は噂を生んで迷宮へ」進むにつれて、読者は事件の外から眺めさせられ、真相を知りたくなる。

種明かしは、焼死した甘川歌枝が、校長・森栖礼造への復讐として自分の屍体を使った、というものだ。歌枝は背が高く、運動会のたびに担ぎ出されては捨てられた少女で、「火星の女」という呼び名も校長が付けた。彼女の手紙は「私は嬉しくて嬉しくて仕様がありません。こうして校長先生に復讐する事が出来るのですから……。」と始まる。自分の死を最大の武器にするという着想は強い。

終盤の屋根の場面も、この作品でしか読めない。三階の窓の外に、髪を逆さに垂らして笑う女の首が現れる。窓の外から「火星の女ですよ」と名乗られた校長は、眼を白くして引っくり返る。復讐の完成を、恐怖と滑稽の両方で描き切っているので、怪談としても読める。

最後の一文は「どうぞ火星の女の置土産、黒焦少女の屍体をお受け取り下さい。」「私の肉体は永久に貴方のものですから……ペッペッ……。」と続く。復讐を遂げる直前に、唾を吐く擬音で終わる。きれいに終わらせない、この下品さが夢野久作らしい。

少女地獄の欠点と読みにくさ:長すぎる火星の女、ご都合主義、救いのなさ

ここまで褒めたが、忖度なしで言えば、三編の出来には落差がある。

「何んでも無い」の診断は乱暴で、物語の説明としては弱い

臼杵は、ユリ子の虚言が月経前の数日に集中すると見て、生理的な憂鬱症から来る発作的な精神異常だと診断する。看護婦・山内の「月経来潮は正確で御座いました」という証言まで引いて、田宮特高課長に報告に行く。物語としては医者の語りに説得力を持たせる場面だが、現代の読者から見れば、少女の嘘を身体の周期に押し込める、あまりに乱暴な説明だ。

しかも臼杵は、この診断のあとで「創作家」という別の説明に乗り換える。診断と賛辞が矛盾したまま並ぶので、語り手の理屈の迷走が読者に見える。意図した皮肉なのだろうが、そこまで読み取れない人には、作者が整理しきれなかった箇所に見える。

曼陀羅院長という糸が、回収されないまま消える

冒頭に現れる黒ずくめの紳士は、ユリ子の遺書と遺骨を持って臼杵を脅しに来る。電話で警察を呼ばれると逃げ出し、日が暮れても何の音沙汰もない。臼杵は「どうして彼女の遺書を手に入れたか」も「どの程度の黒い活躍をしていたか」も推測できない、と書いて済ませる。

この人物が何者かは、結末まで読んでも説明されない。冒頭を最も強く引っ張った謎が回収されないのは、構成として弱い。曖昧さを狙った余韻だとしても、遺書の入手経路くらいは匂わせるべきだった。ユリ子の死の真相がぼやけるので、「空想が殺した」という結論が、読者の疑問に答えず強引にまとめたように見える。

「火星の女」前半の新聞記事の長さと、屋根の場面のご都合主義

三編目は全体の約三分の一を占めるのに、本題の手紙に入るまでが長い。新聞記事の連続は、文体の模写としては面白い。ただ、見出しごとに新しい事件が足される速度が遅く、中だるみする。真相を知りたくて読み進めているのに、足止めされる感覚が強い。

手紙の側にも引っかかりがある。歌枝は、後窓を切り抜いて帽子と花簪を奪い、温泉ホテルの三階の屋根に綱で降り、校長たちを写真に撮って、笑い声で気絶させる。死を覚悟した少女がやるにしては、動きが軽やかで段取りがよすぎる。それまで運動場で笑われた「ノッポ」の悲しさを丁寧に描いてきたのに、肝心の復讐の場面では、身体能力に物を言わせた冒険活劇になる。彼女の孤独の描写と、復讐の手際の鮮やかさが、うまく噛み合っていない。

もう一つ、歌枝は復讐の理由を「女性のための五・一五事件を起して」と、自分の個人的な被害から、男性全体への反逆へ広げる。思想として語る前に、校長がしたことの具体的な描写をもう少し読みたかった。読者に伝わるのは、校長の悪徳の巣が廃屋だったことと、歌枝が傷つけられたことまでで、傷の中身は想像に任されている。

この本を一番楽しめるのはどんな人か

  • 手紙や新聞記事だけで物語が進む、語りの形式そのものを味わいたい人
  • 「ドグラ・マグラ」の長さと難解さに身構えて、夢野久作を試してみたい人
  • 後味の悪さや救いのなさを、作品の個性として楽しめる人

読む順番は、まず短い「殺人リレー」から入るのが安全だ。手紙形式に慣れたあとで、全体の半分を占める「何んでも無い」へ進み、体力があれば「火星の女」に取り組むと、三編の落差もよくわかる。夢野久作の代表作を先に読んでおきたい人は、「ドグラ・マグラ」の感想で相性を確かめてから来ても遅くない。逆に、少女が報われる話を求める人や、読後に温かい気持ちになりたい人には、この三編は向かない。