新奇談クラブ感想ネタバレ|語りの型は強い、女の描き方は古い

結論:毎晩一話の「語り芸」としては快調。だが、実話という看板は最後まで軽い

野村胡堂「新奇談クラブ」は、一話を一息で読ませる速度と、末尾で話の見え方を変える手際に優れた連作だ。銭形平次の作者が、昭和初期の雑誌「朝日」で見せた別の顔でもある。

ただし、条件にしている「本当に切れば血の出るような真実性」は、読者の側で割り引かないと成立しない。しかも、魔性の女と貞淑な女という二分法が、どの話でも同じ角度で使われる。傑作の連作ではなく、よくできた寄席の演目集として読むのが正しい。

最小限のあらすじ

巨万の富を持つ吉井明子嬢が会長を務める「奇談クラブ」では、会員が一晩に一つずつ、証拠や文献のある怪奇な実話を披露し、最後に互選投票で順位を決める。

各話はそれぞれ別の語り手が担当する。第一夜は旗本に嫁いだ娘と八百歳の妖女、第四夜は同じ女が二か所に同時に現れる殺人、第八夜は大名に女を奪われた藩士と蛇使いの娘を扱う。

青空文庫では第一夜から第八夜が公開済みで、第九夜以降と番外は作業中として登録されている(私が確認した時点)。この記事で具体的に取り上げるのは第一夜・第四夜・第八夜だ。

※ここから結末に触れます。

新奇談クラブの面白さは何か:語り手が変わる構成と結末の見せ方

「実話です」と言い張る枠物語が、話の怪しさをかえって増幅する

第一夜の冒頭で、幹事の今八郎は、話に「確かな証拠又は文献」が要ると宣言する。続いて語り手の江柄三平が、「事実か事実でないか、本当の事は私にも解りません」と言い出す。実話を要求する枠の中で、語り手が早々に腰砕けになるのが可笑しい。

この矛盾は欠陥というより仕掛けだと思う。聞き手が半信半疑のまま身を乗り出す、寄席の「落とし噺」の呼吸がここにある。第一夜の締めでも江柄は、「証拠をいくらでも用意して居ります」と言いつつ、「美し過ぎる女を見たらお互に用心することです」と軽く切り上げる。重い話を軽口で閉じる落差が、語りの芸になっている。

第四夜「恋の不在証明」:トリックが成立しないことを自分で認めてしまう潔さ

望月晃は、恋人の香川礼子が同じ時刻に二か所にいたと語る。屋上庭園の夜、八階の事務所、渋谷のアパート。共同経営者の丸茂三郎が殺された夜、礼子は「完全な不在証明」を持つ一方で、現場に戻った女の目撃証言と指紋も揃ってしまう。

最後に礼子自身が口にする答えは、「分身術よ」だ。自己催眠で精神と身体を分離させる、というこの種明かしを、ミステリとして受け取れば、フェアではない。伏線で追いつける解ではないからだ。ところが胡堂は、望月に「これは探偵小説ではありません」と先回りして言わせている。謎解きの勝負を最初から降り、怪談と恋愛の苦味で読ませる方向に舵を切っているのだ。

その切り方が良いのは、礼子が去る場面だ。エレベーターが途中で止まり、閉じ込められた望月の頭上から、礼子の歌声が降りてくる。「左様なら、檻の熊さん」と言い残して階段を下りていく。復讐を遂げた女の勝利と、利用された男の無力が、舞台装置の高低差だけで示される。この一場面のために第四夜はある。

第八夜「蛇使いの娘」:最後の一段落で価値観の天秤がひっくり返る

許嫁のお雪を殿様に奪われた南条左馬之助は、浪人の堤軍次に連れられた両国で、蛇使いの錦太夫(お金)と出会う。やがてお金も殿様に奪われ、涼み船で吊るされた絶体絶命の場面に、数百の蛇が水を渡って押し寄せる。

ここまでは痛快な活劇だが、語り手の旗野広太は、末尾で蛇の騒動の種を明かすだけでは終わらない。「蛇が、二人の男女を助けたのが奇談という意味ではありません」と言い、武家の娘のお雪が貞操よりも主君の意志を重く見たのに対し、蛇使いの娘が命を賭けて貞操を守ったことが不思議なのだ、と評価を移す。蛇を放ったのが堤軍次と金之丞だったという種明かしは、その後に置かれる。活劇として読んでいた話が、身分と貞操をめぐる皮肉に変わる構成だ。

第一夜「初夜を盗む」:悪魔祓いの二重唱という、いちばん強い場面

花嫁が一夜で入れ替わる発端は、怪談の掴みとして上出来だ。だが本当に強いのは、後半、新妻のお夏が切支丹屋敷の老宣教師アルフオンゾの窓辺で、祈りの歌を二重唱で歌う場面だ。窓の内と外で手を取り合い、涙が落ちる端から氷になる。その歌声を、梅仙女の淫楽の席にいる三十郎が聞く。同じ祈りの声が、聖と俗の二つの場所に同時に響く編集は、小説というより映画的だ。

前半の妖艶な描写が過剰なぶんだけ、この祈りの静けさがよく効く。江柄三十郎が「韋駄天の如く」鈴ヶ森へ駆けつけ、槍が引かれてお夏が息絶える結末まで、感情の波形はよく設計されている。

新奇談クラブの欠点と違和感:女性の描き方・語りの視点・都合のよさ

魔性か貞女かという二択が、どの話でも同じ型で出てくる

第一夜は妖女の梅仙女と貞淑なお夏、第八夜は貞操を捨てたお雪と守り抜いたお金、第四夜は男を道具にする礼子。女が魔性か貞女かで評価される構図が、語り手が変わっても揺らがない。礼子には母の復讐という動機が与えられ、造形はまだ深いが、最後の「心から貴方を愛するようになってしまった」は、復讐者の変心として唐突だ。感情の反転を一行で済ませるので、礼子が望月に残す未練より、作者の都合が先に見える。

当時の読み物としては通用した型だが、いま読むと、女性が男の運命を左右する「現象」としてしか動かない点が単調に感じられる。第八夜の「お雪殿は美しいには美しいが、ザラの武家の娘だ」という堤軍次の評は、物語の中でも作者の側でも訂正されないまま、語り手の結論に回収されていく。

語り手が知り得ない場面を語ってしまう

第一夜は、江柄家の先祖が書き遺した記録を発見した語り手が、それをもとに話すという設定だ。ところが物語の中には、お夏が切支丹屋敷で老宣教師と交わした会話や、書院の窓から三十郎を覗く「残忍極まる眼」の描写がある。三十郎本人にも見えていないものまで書き込まれているのだ。

講談調として読めば許せる。しかし、条件である「証拠又は文献のある実話」という看板を自分から掲げている以上、視点の越権は小さな傷では済まない。実話のふりをするなら、語り手が知り得ない場面は、語り手の推測として一言添えるべきだった。

ご都合主義の糊付けが目立つ箇所がある

第一夜のお夏の処刑場面では、目隠しが「何うした機みか」解け、そのおかげで三十郎と目が合う。作者自身が「あるまじき事ではあるが」と書いてしまうほど、偶然の力を借りている。小日向から鈴ヶ森まで約四里を、ほぼ一刻で駆けた、という記述も、感動を押し通すための誇張にしか読めない。

老宣教師が、お夏の祈りを教えた直後の夜に死んでいるのも、物語にとって都合がよすぎる。感動の場面を成立させる犠牲として使われているだけで、アルフオンゾという人物の三十年が、ほとんど描かれないままだ。

十三日目の投票に向かうはずの枠が、ほぼ働いていない

設定では、会員が一晩に一話ずつ語り、十三日目に互選で順位を決める。ところが各話の末尾は、語り手が礼をして次の語り手に席を譲る程度で、聞き手の反応はほとんど書かれない。競技の緊張や、会員同士の駆け引きは、読者がいちばん期待する部分なのに、設定の飾りにとどまっている。枠物語としては、「千一夜物語」のようにも読めるはずだったのに、惜しい。

なお、同じ作者の続編にあたる連作は、こちらの記事で扱った。奇談クラブ〔戦後版〕感想ネタバレ|どんでん返しの話芸と型の弱点と読み比べると、戦前の本作がまだ怪談寄りで、女性像の古さが目立つ点がわかる。

この本を一番楽しめるのはどんな人か

一話が短いので、「一晩に一話、寝る前に読む」という使い方が合う。謎解きの公平さを求めるミステリ読者よりも、怪談や講談の話術、語りの落差を楽しめる人に向く。

  • 最初の一話を試すなら第一夜「初夜を盗む」。後半の祈りの二重唱だけでも読む価値がある
  • 謎の驚きを味わいたいなら第四夜「恋の不在証明」。ただし解決は探偵小説的ではないと覚悟して読む
  • 語りの構成を楽しみたいなら第八夜「蛇使いの娘」。最後の一段落で、話の評価軸が移る
  • 女性像の古さに耐えられない人、実話としての整合性を求める人には合わない

読み方のコツは、三話を続けて読まないことだ。第一夜と第八夜は、どちらも「身分や立場の違う男女が、権力と欲望に引き裂かれる」話で、続けて読むと型が透けて見える。間に第四夜のような現代(作品の発表当時)の都会を舞台にした話を挟むと、語り手ごとに文体と速度が変わるのがわかり、連作の面白さが保たれる。

全体としては、強い一話と弱い一話の差がはっきりある連作だ。気に入った語り口があれば、胡堂の別の連作へ広げると、話術の幅も見えてくる。