乱歩「心理試験」感想ネタバレ|屏風の罠は反則か辛口評価

結論:「犯人が賢いほど負ける」という逆転の発想は一級品。ただし決着の一手は読者に勝負させてくれない

江戸川乱歩の「心理試験」は、犯人の側から完全犯罪を描き、その防御策そのものを敗因にしてしまう倒叙型の短編だ。着想の鮮やかさは、乱歩の初期作の中でもかなり上位に入る。

一方で、勝負を決める屏風の罠は、読者が事前に推理できる形では置かれていない。頭脳戦の爽快さを期待すると、最後の数頁で少し肩すかしを食らう。逆転の理屈を味わう作品であって、謎を解く作品ではない。

最小限のあらすじ

苦学生の蕗屋清一郎は、同級生の斎藤勇から、金貸しの老婆が植木鉢の底に大金を隠していると聞き、半年がかりで殺人と窃盗の計画を練り上げる。実行は成功し、疑いは金を横取りした斎藤に向かう。だが担当の笠森判事は「心理試験」を使う素人心理学者だった。蕗屋は試験への対策を万全にして臨む。

※ここから結末に触れます。

「心理試験」の結末で明智はなぜ蕗屋を落とせたのか:独自の深掘り

反応時間が「早すぎた」という逆転の論理

この作品の核心は、第五章で明智が示す指摘にある。蕗屋は聯想診断で、犯罪に関わる八つの単語にだけ、他の無意味な言葉より短い時間で答えていた。「植木鉢」に「松」と答えるのに〇・六秒。一番連想しやすいはずの「緑」に「青」と答える〇・七秒よりも速い。

遅れることは警戒しても、速すぎることは警戒しなかった。準備が行き届いていたことが、そのまま不自然さになる。「無罪の人ほど迷う」という常識の裏をかく発想で、対策を練る人間ほど痕跡を残すという皮肉が、短い数字ひとつで読者に伝わる。ここは何度読んでも気持ちがいい。

防御が完璧な犯人を描いたから、敗北が映える

前半の蕗屋は、とにかく隙がない。変装をしない。犯行は昼間にする。盗んだ金の半分を警察に届ける。「犯罪の方法は、発覚の虞れのない範囲に於ては、出来る限り単純に且つあからさまにすべきだ」という彼の哲学が、行動のすべてを貫いている。

第四章では、生理的な測定と言葉による試験の両方への対策まで、彼は先回りして考え抜く。ここまで周到に積んでおくから、「無邪気であろうとした」点を衝かれたときの落差が大きい。犯人を愚かに描かず、賢さの方向そのものを敗因にしたのが、この作品の設計の巧さだ。

屏風の「二日前」が仕掛ける、記憶の錯覚

決着の罠は、事件の二日前に屏風を見たかという質問だ。屏風は事件前日に持ち込まれたもので、二日前には存在しない。蕗屋は犯行当日に見た屏風の記憶を、二日前の記憶と混同して「傷はなかった」「小野の小町も覚えている」と答えてしまう。

この錯覚の説明は納得がいく。明智も自分で、日常ざらにある錯覚だと言っている。心理試験の機械ではなく、お茶を飲みながらの雑談で人を追い詰めるという筋立ては、機器の列挙に続く場面として対比が効いている。明智が最後に述べる「拵え事というものは、どっかに破綻があるものですよ」という一言が、作品の主題をそのまま言い当てている。

明智が罠で犯人を追い詰める型は、同じ乱歩の屋根裏の散歩者にも通じる。併せて読むと、明智の手口の違いが見えてくる。

乱歩「心理試験」の欠点・矛盾:真犯人の自白が弱い理由

罠が成立するのは、蕗屋が「無邪気」だったときだけ

明智の罠は、蕗屋が「ありのまま」に答える癖を持つことが前提だ。もし蕗屋が「二日前は屏風に注意していなかったので覚えていない」と答えたら、罠は不発に終わる。明智自身も、蕗屋が無邪気に答えると信じて疑わなかったと言っている。つまり明智は、読者に見えない蕗屋の性格への賭けに勝っただけで、逃げ道のない詰みを作ったわけではない。

前半で蕗屋は「手抜かりのない男」として描かれているため、ここで最も警戒心の強い場面に限って、自分の流儀を曲げなかったことになる。流儀を貫く性格の描写は確かにあるが、それが決定的な局面で作動してしまうという展開は、作者に都合のよい運びに見える。

読者が推理できる材料が足りない

屏風の傷は第二章の殺害場面で出てくる。しかし、屏風が事件前日に持ち込まれたという事実は、判事が口にするまで読者に知らされない。しかも、三日と四日という日付は、明智が罠を仕掛ける場面で初めて並べられる。

探偵小説として見ると、読者に対して公平な手がかりが置かれていない。さらに、反応時間の指摘も、記録の表は第五章で初めて出てくる。読者は蕗屋の失敗を事前に推理できず、明智の説明を聞くだけになる。前半に倒叙で犯人の準備を詳しく見せたぶん、「後半は読者も明智と一緒に解く」という期待が裏切られる。

説明が長く、心理試験の機器の列挙は読みづらい

第四章では、呼吸、脈拍、発汗など機器の名前が連続して並ぶ。作者自身が括弧で、煩瑣な叙述を詫びている。必要な説明であることは確かだが、読者に対して詫びるくらいなら、蕗屋が練習で慣れを狙う思考に絞って書く手もあったはずだ。ここで物語の速度が落ち、せっかくの倒叙の緊張が一度緩む。

また笠森判事は、有能な素人心理学者として紹介されながら、実際には明智の引き立て役になる。「判事は少しいやな顔をして」「益々苦い顔をした」といった反応だけで、人物としての厚みはほとんど出ない。

最後に、斎藤が金を盗んだ件が、事件の解決後に何も触れられない点も気になる。無実の友人を巻き込んで利用した蕗屋の罪が、屏風の一点の失言だけで終わってしまう。事件全体の収まりとしては、結末が少し急ぎすぎだ。

この本を一番楽しめるのはどんな人か

犯人側の視点で進む倒叙推理が好きな人には、とてもよく合う。また、乱歩の「明智小五郎もの」の初期の姿を知りたい人にも向く。本文は青空文庫で読めて、約二万四千字なので、一時間ほどで終わる。

逆に、読者自身が手がかりから犯人を当てたい人には向かない。同じ乱歩の初期作で、暗号の仕掛けを楽しみたいなら二銭銅貨のほうが、頭脳戦の手応えがある。「心理試験」は、勝負の結果より、完璧な計画がどこで崩れるかを楽しむ作品だ。