結論:推理の中身は半分こじつけ。だが「推理を語る芝居」としては今も笑えて読める
黒岩涙香の「無惨」は、論理的に隙のない本格ミステリではない。髪の毛三本から犯人像を組み立てる大鞆の推理は、読者を納得させるというより、警部と一緒に「ほう」と言わせる話術として書かれている。その一方、老練な谷間田と書生気取りの大鞆の張り合いは、明治22年(1889年)の作とは思えないほど会話が生きている。推理の正確さを求める人には肩透かし、探偵小説の原型と掛け合いの面白さを味わいたい人には手ごろな一編だ。
最小限のあらすじ
明治22年7月5日の朝、築地の川に全身傷だらけの男の死骸が浮かぶ。身元も凶器もわからない。経験で動くベテラン刑事の谷間田と、洋書の理屈で動く新米の大鞆が、それぞれ別の筋から調べ始める。谷間田は握られていた髪の毛から「お紺」という女に目をつけ、大鞆は同じ髪の毛を顕微鏡や湯気にかけて別の犯人像を導く。二人の推理は、最後にお紺の告白でひとつに結ばれる。
大鞆の「髪の毛推理」はどこまで本物か:独自の深掘り
谷間田と大鞆の対立が、推理の型を二つ並べて見せる
この作品の骨組みは、勘と経験の谷間田、理屈と学問の大鞆という対比だ。大鞆は腹の中でこう息巻く。「彼奴が経験経験と経験で以て探偵すれば此方は理学的と論理的で探偵するワ」。二人が相手を持ち上げて情報を聞き出そうとして、互いに相手の「煽て」に気づく場面は、会話のテンポだけで人物の性格を立てていて巧い。上篇の終わりまで、どちらの推理が当たるのかを読者に伏せたままにしてあるのも効いている。
創作する側から見ると、この二人は役割がきれいに分けられている。谷間田は足で拾った人物(お紺)から入り、大鞆は物(髪の毛)から入る。同じ死骸に別々の入口を用意しておけば、探偵が二人いても話が散らからず、読者は「どちらの道が先に着くか」という競走の目で読める。のちの探偵小説が名探偵と凡庸な警察を並べて見せる型の、素朴な原形がここにある。
鱗と逆毛で「入毛をした支那人」に絞る、見せ場の組み立て
中篇の山場は、大鞆が警部に自分の髪を二本抜かせ、向きを逆にしてよじらせる実演だ。髪には根から梢へ向かう鱗があり、よじると二本が逆にずれ抜ける。そこから「三本のうち一本は逆毛、つまり入毛」「縮れは結び癖」「白髪を染めている」と進み、最後は「是が支那人で無ければ私しは辞職します」と言い切る。論の運びは一段ずつ警部に確認を取りながら進むので、読者は実演に付き合わされているうちに結論を呑まされる。推理そのものより、「証拠を目の前で試させる」という語りの仕掛けのほうが、この作品の新しさだと思う。
題名の「無惨」が結末で別の意味に化ける
序文は「日本探偵小説の嚆矢とは此無惨を云うなり」と大きく出る。冒頭の新聞記事風の死骸の描写はたしかに凄惨で、読者はこれを怪奇な殺人譚と思って入る。ところが下篇では、事件は兄弟と女をめぐる痴情のもつれで、しかも殺した支那人は事件の後に上海へ出帆して日本の警察の手が届かない。「無惨」な死骸の描写が約束した重さは、結末で肩すかしに変わる。これを落ちとして楽しめるかどうかで、評価は分かれる。
私は、題名が最後まで「死骸の姿」だけを指していたのだと受け取った。事件の因果や罪の重さではなく、冒頭の凄惨な絵面に付けた題名なので、結末の軽さとはもともと釣り合っていない。そこを欠点と見るか、見世物としての入口の巧さと見るかが、この作品を好きになれるかの分かれ目になる。
※ここから結末に触れます。
推理が「当たった」から面白いのか:忖度なしの欠点・違和感
大鞆の論理は検証されず、お紺の告白に丸ごと追い抜かれる
独楽が頭に当たった、梯子段から落ちた、という大鞆の長い再現は、お紺の証言では確かめられない。お紺は二階で金起が斬られた直後に逃げており、その後を見ていないからだ。頭の凹みと錐のような穴を独楽で説明した件も、最後まで裏が取られず、読者には当たったのか外れたのか判定できない。当たったのは「犯人は髪を染めた白髪の支那人で、遺恨が動機」というあたりだけで、それも大鞆自身が「奸夫」と読んで半分は外している。推理の勝ち負けをつけない書き方は意図的かもしれないが、探偵役を立てておいて検証を省くのは、創作する側から見れば大きな取りこぼしだ。
名前を決めたのは推理ではなく、行商の支那人の世間話
大鞆は髪の毛だけでは名前までは分からないと自分でも認め、「計略」として筆墨を売りに来る支那人から、子供が独楽で遊び、白髪を染める同国人がいると聞き出す。つまり犯人の特定は、物証の論理ではなく、聞き込みの運で決まっている。推理の華やかさに比べて、核心が人づての偶然に寄っているのは弱い。
谷間田が「偶れ中り」で片づけられる扱いの不公平
最後に大鞆は谷間田を「君の探偵は偶れ中りだ」と評し、谷間田は例の口調で「フ失敬な―フ小癪な―フ生意気な」と呟く。ところがお紺を捕えたのは谷間田で、お紺の証言が事件全体を解いたのも事実だ。大鞆が髪の毛を縮れ毛と見誤ったと言うなら、大鞆の「遺恨」「奸夫」の読みもまた半分外れている。それなのに荻沢警部だけが、大鞆に「東洋のレコックになる」と期待をかけて終わる。優劣のはっきりしない二人を、語り手が一方に肩入れして閉じるのは、読後に引っかかる。
死骸を築地の川まで運んだ手順が、最後まで説明されない
お紺の話では、殺しは陳施寧の二階で起き、お紺は金起を置いて逃げた。それなのに死骸が川端に捨てられた経緯、血の痕の少なさ、塀の血の説明は、下篇でひとつも回収されない。上篇で細かく積み上げた現場の描写が、結末で使われないままになっている。伏線として置いたものを拾わない構成の甘さは、「疑団又疑団」とあおった上篇の勢いと釣り合わない。
この本を一番楽しめるのはどんな人か
青空文庫で読め、本文は約2万7千字。ただし文体は明治の文語調で、会話もほぼ地の文の中に「(谷)」「(大)」と埋め込まれていて、最初の数ページは読みにくい。それを越えられる人に勧められる。
読み方のコツは二つある。ひとつは、会話の「(谷)」「(大)」を目で拾い、二人の言葉づかいの違い(谷間田の「フ失敬な」の口癖と、大鞆の理屈っぽい物言い)を先に頭に入れてしまうこと。もうひとつは、大鞆の髪の毛の実演を、事実の報告ではなく「警部を相手にした一席」として読むことだ。そう構えると、推理のこじつけが気にならず、語りの芸として素直に楽しめる。読み終えたあとに残る問いは、「大鞆の推理はどこまで当たっていたのか」を自分で数え直してみることだろう。
- 日本の探偵小説の出発点を、実物で確かめたい人
- 真相の意外性より、探偵役のしゃべりと掛け合いを楽しみたい人
- 後年の長編と比べて、涙香の持ち味の変化を見たい人
反対に、証拠が論理で積み上がる謎解きを期待する人には向かない。長編の迫力を求めるなら、同じ涙香の幽霊塔の感想のほうが入口として向いている。

