結論:話芸の枠は一級品。ただし三話も読むと、仕掛けの型が先に見えてくる
野村胡堂の「奇談クラブ〔戦後版〕」は、全17話がひとつの枠、つまり「会員が壇に立って、不思議な話を一席ぶつ」という場に収まった連作だ。語りの設計と、話の途中で足元を抜くどんでん返しの切れ味は、戦後すぐの読み物としてかなり上等である。
一方で、私が読んだ三話(「第四の場合」「鍵」「第四次元の恋」)は、どれも「語り手の話は途中で覆される、または語り手自身が疑われる」という同じ骨組みで動いていた。続けて読むと驚きが目減りするので、一気読みより一話ずつ味わう本だ。
なお、青空文庫には17話分の図書カードがあるが、この記事で内容に踏み込むのは、実際に全文を読んだ上の三話だけである。残りの話については、作品の出来を語らない。
最小限のあらすじ
実業家の吉井明子夫人が会長を務める「奇談クラブ」では、真珠色の光と古い楽器の音、香の匂いに包まれた会議室で、会員が順に奇談を語る。話は毎回、語り手が壇に立つところから始まり、聞き手が驚いたところで終わる。この連作は、その一席ずつの話を集めたものだ。
読んだ三話の出発点は、崖の展望台から落ちた画家と歌手の死の真相、密閉された寝室で刺された愛人の謎、毎晩続く夢の世界で恋をする新聞記者の話である。
※ここから結末に触れます。
「奇談クラブ」の語りの仕掛けを解剖する:どんでん返しと話芸の妙
「第四の場合」の三段返しは、なぜ効くのか
喜田川志津子と千束守の死について、三人が順に別の解釈を語る。最初の倉繁大一郎は、日記と手紙から心中だと語る。次の磯上伴作は、手紙や日記の切り刻み方こそ不自然で、欄干には新しい鋸目があったとして、夫による他殺だと覆す。最後に環玉枝が、志津子は夫の細工を見て自分で姿を消し、いまも北海道で暮らしていると語る。
うまいのは、死因の分類を最初に提示している点だ。語り手は「第一は病死及び自然死、第二は過失死、第三は自殺、そして最後に第四として他殺」と並べる。読者は話が進むたびに、番号がひとつずつ繰り上がるのを待つことになる。表題の「第四の場合」が他殺を指すのに、真相は「第一の場合」へ着地する。この裏返しが気持ちいい。
決め手が指輪なのも手堅い。志津子が夫の机に置いてきた結婚指輪の話を出されると、磯上は「嘘だ、嘘だ」と叫んで腰を落とす。彼がこの話の登場人物の当事者であることは、地の文で明言されず、この反応だけで読者に伝わる。説明を省いて、態度で語らせる処理だ。
「鍵」の密室と「第三の鍵」の読みどころ
喪が明けて間もない作曲家の寝室で、愛人の夢子がペーパーナイフで刺されて死んでいる。扉の鍵は二つで、一つは持ち主の手元、もう一つは寝台の脇にあった。これが前半の謎である。
そこへ死んだ妻の双生児の妹と名乗る寿美子が現れ、卓二を翻弄する。卓二が彼女を閉じ込めたところで、寿美子は「あなたは、二重結婚をする積りですか」と切り返し、自分が埋葬から生還した由紀子本人だと明かす。書斎の扉を開けて見せ、「これが三番目の鍵よ、小杉さん」と言い放つ場面が、この話の山だ。
謎解きと復讐の宣告を同じ一場面でやるので、読者は種明かしと溜飲が下がる快感を一度に受け取る。直後に階下から「葬送行進曲」が響く幕切れも決まっている。ショパンのソナタ変ロ短調の第三楽章という指定は、虚弱で内気だったはずの由紀子がピアニストだったという設定を、最後の一音で回収している。
「第四次元の恋」の夢と現実の二重構造は何を描いたか
語り手の桃川燕之助は、「夢は第四次元の未知の世界と我々の生活している第三次元の世界との交渉ではあるまいか」と大風呂敷を広げる。主人公の京極三太郎は、現実では同僚の矢留瀬苗子と神聖な恋をし、夢では色のない世界で心を読み合える錦小路苗子と、ためらいのない恋をする。
面白いのは、夢のほうの恋愛を「心が筒抜けなので偽善も手管もない世界」として書いた点だ。現実の苗子が横里鯨之進に流れていくほど、夢の苗子との恋は純度を増す。二つの世界が反比例して動く構造は、この話の核であり、作者が一番楽しんで書いているところだと思う。
舞台装置が「語られた話」の距離を作る
どの話も、冒頭に会場の描写を置く。真珠色の光、クラヴサンやヴィオラ・ダ・ガンバの音、沈香や白檀の香り。この贅沢な空気の中で「甚だしく現実的な、愛憎と執着にただれ切った人達の生活」が語られる、という落差が毎回の売りだ。
この枠のおかげで、殺人も心中も、読者は劇場の客席から眺める安全な距離で受け取れる。残酷な内容でも後味が湿りすぎないのは、この距離の功績である。
「奇談クラブ〔戦後版〕」の欠点・違和感:型の繰り返しと女性の扱いが気になる
トリックを支える当時の知識が、いまは通らない
「鍵」では、卓二が警視庁で鑑定させた寿美子の指紋が、現場の指紋と一致する。作中の註は「一卵性の双生児の場合は肉体的にも精神的にも酷似している」と説明するが、現在は、一卵性双生児でも指紋は一致しないと理解されている。
ただし、この指紋の件は結末で別の意味を持つ。寿美子の正体は由紀子本人なので、一致するのは当然なのだ。つまり双生児説は、読者と卓二を誤誘導する目くらましとして機能している。それ自体は巧いが、作中の註が真顔で双生児の指紋一致を事実のように書いているため、今の読者には、トリックの根拠が崩れて見える。
もう一つ気になるのは、婆やのお倉が、半年前に死んだ奥様と「その儘」の顔を見ても、性格の違いに最後まで疑念を持たない点だ。内気で陰気な人が突然、浪花節とボクシングを好む陽気な人になる。それでも違和感を抱かない設定は、読んでいる間はテンポでごまかせるが、振り返ると甘い。
長い前置きと、唐突に畳む結び
「第四次元の恋」は、本筋に入るまでの話し手の演説が長い。第四次元、夢の理論、邯鄲の夢、ダンテまで広げたあと、語り手自身が「前説が少し長くなり過ぎました」と認める。あとで認めるくらいなら削るべきだった。
反対に結末は急ぎ足だ。苗子が「あなたは私の行動に対して何の権利も持って居ないんですもの」と言い放った晩に、三太郎は西洋剃刀で彼女の頸動脈を切り、そのまま催眠薬で自殺する。ここまで繊細に積んだ二重の恋愛が、一場面の殺人で終わる。動機の飛躍があり、しかも最後の一文は、三太郎が「精神分裂症の初期の徴候を持った患者に過ぎなかったのでしょうか」と語り手がぼかす。夢の世界を本気で書いた話の最後に、その世界の価値を自分で薄めてしまっている。
女性が「魅力」で測られ、物語の中で処理される
三話に出てくる女性は、まず肉体の魅力で紹介される。志津子は「国宝阿修羅王の彫刻」に例えられ、夢子は死体になっても「芝居をしている」と言われ、苗子は小麦色の四肢と紅い唇で描かれる。性格や仕事は、その後からついてくる。
もちろん「鍵」の由紀子と「第四の場合」の志津子は、受け身では終わらない。自分で策を練り、夫に一矢を報いる。この点は評価する。しかし「第四次元の恋」の矢留瀬苗子は、軽薄な男になびいた末に殺される。夢の苗子が理想化されるぶん、現実の苗子は「罰を受ける女」に回収されてしまう。この扱いは、同じ連作の中での落差として目立つ。
語り手が全員、同じ声に聞こえる
倉繁大一郎、平賀源一郎、桃川燕之助は、風采も職業も別人として紹介されるのに、語りの文体は区別がつかない。「〜でしょう」「〜のです」「〜ではありませんか」と、問いかけで畳みかける同じ調子が続く。
連作として統一感がある、という言い方もできる。だが、語り手が毎回違う人物だというのが連作の売りなら、声の違いまで書き分けてほしかった。三話続けて読むと、どれも同じ人が話しているように感じる。
この本を一番楽しめるのはどんな人か
向いているのは、戦後すぐの探偵小説・怪奇小説の「語りもの」が好きな人。トリックの精度より、話の組み立てと決め台詞を楽しめる人にもよく合う。同じ作者の捕物帳は銭形平次捕物控の感想に書いたが、こちらは同じ大衆小説でも、一席の話芸に寄った別の味わいがある。
向かないのは、現代のミステリーのような厳密な謎解きや、書き分けられた多声の群像劇を期待する人だ。
読む順番は、「第四の場合」、「鍵」、「第四次元の恋」を勧める。最初に三段返しの構造を味わい、次に密室と宣告の見せ場、最後に夢と現実の二重の恋、という順だ。三話とも青空文庫で読める。ほかの話は、私は未読なので、この記事では評価しない。気に入ったら、作者ページの一覧から続きを試してほしい。


