聖アレキセイ寺院の惨劇 感想ネタバレ|鐘の怪は解けても動機が雑

結論:推理合戦は一級品、真相と動機は力業。『黒死館』の前菜として読むなら悪くない

一つの死体に、三つの解釈が積み重なる。小栗虫太郎「聖アレキセイ寺院の惨劇」の面白さは、この一点に尽きる。法水麟太郎、支倉検事、熊城捜査局長が、それぞれ別の筋書きで同じ現場を読み替えていく中盤は、本格ミステリの推理合戦として今読んでも楽しい。

ただし、最後に出てくる真相は「読者が推理できる謎解き」ではなく、法水の語りを黙って聞くしかない大がかりな仕掛けの披露だ。動機の説明も粗い。推理の過程を味わう人には勧められるが、犯人の心理や納得感を求める人には肩透かしになる。

最小限のあらすじ

東京郊外の聖アレキセイ寺院で、一月二十一日の払暁、鳴るはずのない時刻に鐘が鳴る。駆けつけた法水麟太郎と支倉検事が鐘楼で見つけたのは、堂守ラザレフの死体だった。雪の上には三人の足跡しかなく、凶器は離れた場所に落ちていた。法水は、容疑者の亡命ロシア人たちと、堂内に住む姉妹の証言から、足跡なき殺人と、機械の構造に逆らって鳴った鐘の謎に挑む。

※ここから結末に触れます。

鐘楼殺人トリックの仕掛けは?「逆に鳴る鐘」と三つの推理が面白い理由

熊城説・支倉説・法水説の三段構えが、物語を飽きさせない

この作品の設計でいちばん巧いのは、真相を一気に出さず、誤った推理を二つ続けて通過させることだ。熊城は、小柄で腕力のある一寸法師ルキーンを犯人と見て、振綱と架空線を伝った脱出経路まで組み立てる。支倉は、死体の不自然な姿勢から自殺説を立て、ルキーンが後から凶器を抜き取ったと読む。法水はその両方を、蝋燭の燃え方と死の直前の呼吸という生理学的な根拠で順に崩す。

どちらの誤説にも、もっともらしい証拠が付いている。読者は「それなら説明がつく」と一度は思わされ、次の反論で裏返される。短い枚数でこの往復を三回やってのける構成は、手際がいい。

お化け結びの鍵と、蝋燭の鉄芯の推理は小さな見せ場

法水が扉の前で実演する、糸で鍵を操る方法の説明は具体的で、文章だけでも手順が追える。さらに、鉄芯のある手燭は、いったん消して時間を置いて灯し直すと蝋の溶け方が違ってくる、という指摘で熊城の説を崩す。大きな機械トリックの陰に、こうした日用品の観察による小さな論理が埋め込まれているので、解決編が単調にならない。

機械仕掛けのはずの鐘が「逆に」鳴る、という謎の設定が強い

小鐘が先に鳴り、続いて大鐘が鳴る機械装置のはずなのに、姉妹は「最初に大鐘が鳴った」と証言する。熊城の部下が「手で押したくらいでは大鐘は動かない」と先に潰しておくので、鐘の怪は単なる怪談ではなく、解かねばならない物理的な問いとして立ち上がる。冒頭に出てきた鐘が、最後まで事件の中心から外れないのも構成として筋が通っている。

真犯人ジナイーダの動機は納得できる?忖度なしの欠点・違和感

解決編は「読者が解く謎」ではなく「聞かされる講義」になっている

真相の中核は、鉄管から垂れる水滴が氷柱になって感光膜を伸ばし、動力線に触れた瞬間の電流が大鐘の氷結を溶かす、という装置だ。さらに、置洋燈の気流で回る円筒が糸を巻き、鐘の磁力が短剣を吸い付けて弾き飛ばす、という二段目まで続く。ここで使われる感光膜、アルミニウム粉、膠剤は、事前に読者へ見せられていない。法水自身が「想像に従って申し上げましょう」と言うとおり、検証できるのは彼の語りの中だけだ。

謎解きとして公平とは言いがたい。創作者の目で見ると、装置の部品は伏線として一つずつ事前に置いておいてほしかった。電線や鉄管、アンテナの説明は途中に出るが、感光膜と氷柱の仕掛けは解決編で初めて明かされる。驚きは大きいが、「やられた」ではなく「そう言われれば仕方ない」という感想に近くなる。

童貞女の「天主の花嫁」という動機は、説明が一方的で浅い

動機の説明は、法水が語る心理分析がほとんどすべてだ。戒律を守るために養父を殺した、という筋書きに、告白書の「軟骨と云うものは妙な手応えがするものですわね。」という一節を添えて、苦行と性的な感覚を結びつけた解釈を披露する。しかし、ジナイーダが作中で見せるのは、冷たい嘲りと、鐘の怪を語る厳かな口調くらいで、内面が行動に結びつく場面がない。

動機が語りだけで示され、場面で示されない以上、読者は法水の診断を信じるしかない。しかも、その診断は現代の目で見ると決めつけが強く、修道女という属性に「異常」を背負わせる乱暴な作りに見える。犯行の精密さと動機の粗雑さの落差を、作者が「二重人格的な対比」と作中で言い訳してしまうのも、苦しい。

法水の裁き方は、探偵の越権を美談にしている

結末で法水は、毒薬を装った催眠剤をジナイーダのポケットに忍ばせ、刑務所ではなく精神病院に送る道を選ぶ。「真相が僕一人だけの秘密だとすれば、当然僕に裁く権利がある」という理屈だ。名探偵が私的に刑を決めるのは、当時の探偵小説では珍しくない演出だが、ここでは前段の動機説明が弱いので、その決断に説得力が乗らない。

さらに、事件の途中で法水が鐘楼の跫音を「余計な神経」で複雑にしてしまったと語る点も気になる。ジナイーダの嘘だったと分かるのは嬉しいが、彼女の証言をどこまで疑うのかという基準が、作中で一貫していない。

この本を一番楽しめるのはどんな人か

向いているのは、トリックの規模や、探偵が複数の説を倒していく論理の往復を楽しめる人だ。『黒死館殺人事件』は長すぎて手が出ない、という人が、同じ法水麟太郎の推理の勢いを短く味わうには適している。『黒死館』の衒学と犯人の落差についてはこちらの感想に書いたが、あちらに比べれば本作のほうが話の進みは速い。法水の初登場の筒提灯トリックを扱った「後光殺人事件」と読み比べるのも一案だ。

逆に、犯人の人物像や動機の説得力を求める読者、公平な手がかりで自力で真相に迫りたい読者には、不満が残る。青空文庫で無料で読めるので、まず三つの推理が出揃う中盤までを読み、そこで面白さを感じたら最後まで付き合う、という読み方でいい。