ファウスト感想ネタバレ|第二部で迷子になる人へ

結論:第一部は文句なしの悲劇、第二部は読み手を選ぶ巨大な迷路。全部読む義務はない

ゲーテ「ファウスト」は、世界文学の頂点と呼ばれる看板に、半分だけ偽りがない作品だ。第一部の、悪魔との賭けと一人の娘の破滅は、今読んでも胸に刺さる完成度がある。一方の第二部は、神話・政治・錬金術・宮廷風刺を詰め込んだ巨大な迷路で、注釈なしには意味が追えない場面が多すぎる。

劇薬ではなく、むしろ段階を踏めば誰でも入れる作品だ。ただし「完読して初めて理解した顔ができる」という種類の本ではない。読む順番と、立ち止まってよい場所を知っておくだけで、評価は大きく変わる。この記事は、青空文庫にある森鴎外訳の冒頭・賭けの場面・第一部の結末・第二部の終幕を読み、そこから引いて書く。

最小限のあらすじ

神と悪魔メフィストフェレスが、学者ファウストをめぐって賭けをする。ファウストは哲学も法学も医学も神学も究めたのに、何も知れていないと絶望している老学者だ。悪魔は「この世で仕えるから、あの世で仕えてもらう」と持ちかけ、ファウストは「ある刹那に、まあ待てと言ったら負け」という条件で契約を結ぶ。第一部は若い娘マルガレエテ(グレートヒェン)との恋と破滅、第二部は皇帝の宮廷、古代世界、そして晩年の大事業へと広がる。

※ここから結末に触れます。

ファウストの賭けの意味とメフィストフェレスの狙い:独自の深掘り

「まあ待て、お前は実に美しい」という賭けの設計が見事

この作品の発明は、悪魔との契約の条件を「魂を売る代わりの快楽」ではなく、「満足したら負け」にしたことだ。ファウストは契約の場面でこう言う。「己がある「刹那」に「まあ、待て、お前は実に美しいから」と云ったら、君は己を縛り上げてくれても好い」。普通の契約物語なら、悪魔の勝ち筋は「主人公を堕落させること」になる。ここでは悪魔が勝つために、主人公を満足させなければならない。つまり悪魔は主人公を甘やかし続けるしかない。

この逆転のおかげで、物語は「堕落するか、しないか」という退屈な二択から抜け出す。快楽を与えても足りず、苦痛を与えても足りず、最後まで終わらない渇きそのものが主題になる。ファウストが契約の場で語る「活動して暫くも休まずにいてこそ男児だ」という生き方は、近代人の自己像をそのまま戯画化している。

書斎の独白が、学者の絶望を一気に読者のものにする

第一部の本編は、夜の書斎の独白から始まる。「己は哲学も法学も医学も、あらずもがなの神学も、熱心に勉強して、底の底まで研究した。そうしてここにこうしている」。何でも修めたのに、何も分かっていない。この一節は、知識を積んできた人ほど痛く刺さる。続けて月に向かって、書物と器械に囲まれた部屋を「これが世界と云われようか」と罵る。

ここで作者は、悪魔を出す前に、主人公が悪魔を呼ばざるを得ない理由を、十分に読者へ渡している。魔法の符に感激し、地の精を呼び出して、「お前には似ておらん」と突き放されて倒れる流れも、人間の高望みと限界を短い場面で見せる設計になっている。契約の場に着く頃には、読者はファウストの飢えを自分のもののように感じている。

「劇場にての前戯」は、作者が先に予防線を張っている

本編の前には、座長、詩人、道化方の三人が、観客をどう喜ばせるかを言い争う場面が置かれている。座長は「なんでも出来事の多いが好いのですよ」と、数で押す芝居を勧める。詩人は、芸術は後の世まで残る真なるものだと反発する。道化方は、今の人を笑わせるのが先だと茶化す。

これは、後に続く作品そのものの自己弁護でもある。出来事を山ほど並べて、見物がそれぞれ何かを見つける、という座長の方針を、作者はあえて引き受けて書いたように見える。第二部の雑多さを、作者自身が最初から予告していたとも読める。この前置きを読んでおくと、後半の過剰さに対する心構えができる。

天上の序言が先に答えを見せているのに、なぜ面白いのか

神はメフィストフェレスに、ファウストが生きている間は好きにしてよい、と許す。その理由が「人は務めている間は、迷うに極まったものだからな」だ。つまり読者は冒頭の時点で、ファウストが最終的に救われる方向だと察してしまう。普通ならこれで緊張が死ぬ。

それでも読ませるのは、勝敗ではなく「どうやって、何を代価に」勝つのかが主題になっているからだ。結末の予告を逆手に取って、読者の関心を結果から過程へ移す。創作の側から見ると、これは非常に大胆な手で、真似をするのは難しい。

グレートヒェンの最期が、第一部を悲劇にしている

第一部の核心は牢獄の場面だ。母と赤ん坊を死なせたマルガレエテは、錯乱の中で、ファウストが助けに来たのに、すぐには彼を認識できない。「あなたのお口のつめたいこと。それに黙っていらっしゃるのね」と言い、彼の手に血が付いているようだと怯える。ここで彼女は恋人の冷たさを、はっきり見抜いている。

逃げようとするファウストに対し、彼女は自分の墓を建てる場所まで頼んでから、神の裁きに身を任せる。最後の台詞が「ハインリヒさん。わたくしあなたがこわくてよ」だ。愛した相手を、助けに来たその瞬間に恐れる。この一行で、ファウストの「探求」がどれだけの犠牲の上に立っているかが、説教なしに突きつけられる。天上から響く「救だ」という声が、彼女だけの救いなのか、ファウストをも含む救いなのかが宙に浮くところまで含めて、第一部は設計が美しい。

天上の序言と終幕の呼応:通読する価値がここにある

第二部の終わり近く、老いたファウストは、完成しつつある干拓の大事業を前にして「己は「刹那」に向って、「止まれ、お前はいかにも美しいから」と呼びたい」と語る。契約の言葉と、少しだけ違う。「まあ、待て」と呼びかけたのではなく、「呼びたい」と仮定の形で述べているのだ。鴎外の訳でも、この微妙なずれは保たれている。

そしてその直後に倒れる。メフィストフェレスは勝ったつもりで「時計は止まった」と言い、さらに「過ぎ去ったのと、何もないのとは、全く同じだ」と虚無を賛美する。冒頭の賭けが、最後の最後で、勝ち負けの判定が揺れる形で回収される。ここまで読んで初めて分かる呼応であり、第一部で止めてしまうと得られない面白さでもある。

ファウスト第二部が難解でつまらないと感じる理由:忖度なしの欠点・違和感

ワルプルギスの夜の風刺が、注釈なしには意味不明

第一部にも弱い部分はある。ワルプルギスの夜の場面で、「記者ヘンニングス」「年報ムサゲット」「くろづる」「北国の芸術家」「信仰箇条ある哲学者」「理想主義者」「実相主義者」といった人物が次々に出てきて、短い台詞を言い捨てる。これは当時のドイツの文人や思想家への内輪の風刺で、同時代の読者でもなければ笑えない。筋とも関係がなく、直前までグレートヒェンの運命が進行していた流れが、ここで完全に止まる。

作者にとっては楽しかったのだろうが、読み手に対しては「分かる人だけ分かればよい」という態度に見える。注釈つきの版でなければ、飛ばして読むのが賢明だ。

第二部は、主人公が見えなくなる

第二部の最大の問題は、主人公の内面がほとんど描かれなくなることだ。第一部では、書斎で月に語りかけ、魔法の符を見て感じ入り、地の精に拒絶されて倒れるファウストの苦悩が生々しかった。第二部の彼は、皇帝の宮廷、そして領主としての大事業と、舞台が移るたびに立場を変える。しかも終幕の少し前、皇帝は大司祭に押されて海岸の領地を寺院に寄付せよと迫られるなど、政治の駆け引きが場面の中心になり、ファウスト本人は画面の脇に退く。しかし、なぜ彼がそれを望むのか、何が満たされず何が満たされたのかが、本人の言葉でほとんど語られない。

賭けの物語としては致命的だ。「満足したら負け」という契約が、主人公の欲望の動きを読む軸であるはずなのに、その軸が見えない場面が長く続く。この点で第二部は、物語というより、寓意と見世物の連続になっている。

干拓事業の「善」は、あまりに都合よく裁かれる

終幕でファウストが理想に掲げるのは、数百万の民が自由に暮らせる新開地だ。「日々これを贏ち得て、始てこれを享有する権利を生ずる」という言葉は力強い。ところが、同じ場面の直前では、菩提樹の丘の老夫婦の地所が欲しいという理由で、鐘の音さえ耐えられない、と不満を述べている。しかも老夫婦自身が「牲にせられて血を流した人達があったとかで、夜苦しがって泣く声がいたしまして」と語る。

つまり彼の大事業は、すでに暴力と犠牲の上に立っている。それなのに最終的な救済の場面では、その点がほとんど問題にされず、「断えず努力しているものは、われ等が救うことが出来る」という天使の言葉で片付けられる。第一部のグレートヒェンへの責任との間にも、整理されない落差がある。書き手として見ると、ここは作者が「救済で終えたい」という意図を先に決め、人物の行いの重さに目をつぶったように見える。

メフィストフェレスの敗北が、あっけなく喜劇に変わる

悪魔が負ける場面も、納得しにくい。ファウストの霊を取りに来たメフィストフェレスは、天使たちの放つ薔薇の花を受けて、色気を出し、「己は妙な気がするぞ。体中が、ヒオップのように、火ぶくれだらけになって」と呻く。その隙に霊を持ち去られ、「大為事が無駄になってしまった」と嘆く。

ここは喜劇として読めば機知がある。だが、長い物語を支えてきた悪魔の知性が、色気で崩れて終わるのは、あまりに軽い。賭けの審判が、法廷の論理ではなく、天使の側の「愛」という説明で一気に片付いてしまうため、冒頭の契約の緻密さと釣り合っていない。

この本を一番楽しめるのはどんな人か

まず、悪魔との契約物語の原型を読みたい人。第一部だけでも、契約の条件、誘惑、破滅、救済という型が全部ある。次に、戯曲を読み慣れている人。台詞の掛け合いと詩の調子を楽しめる人なら、第二部の壮大な混沌も味わえる。

逆に、起承転結の分かりやすい長編を求める人には向かない。特に第二部は、寓意と神話の知識を前提にした場面が多く、通読すると途中で心が折れやすい。現実的な読み方は、次のようなものだ。

  • まず「劇場にての前戯」と「天上の序言」から第一部の牢獄の場までを読む
  • ワルプルギスの夜の風刺の連続は、気にせず流し読みにしてよい
  • 第二部は、第五幕(干拓と死、救済)を先に読み、気になれば前に戻る

森鴎外訳は文語まじりで古風だが、青空文庫で無料で読めて、リズムの強さがある。現代語の訳と読み比べると、別の作品のように感じられるはずだ。第一部だけで十分に元が取れる。第二部は、自分の好みに合わせて、必要な分だけ拾えばよい。