結論:前半の「地獄の描写」は今でも殴ってくる。後半は理屈が先に立つが、読む価値は揺るがない
冒頭の一行が「おい地獄さ行ぐんだで!」である。この小説はそこから最後まで、地獄という言葉を比喩ではなく作業工程として書き続ける。博光丸という船の中で、人間が蟹の缶詰の原料のように消費されていく様子の解像度は、発表から100年近く経った今も落ちていない。
ただし、評価が高いのは前半から中盤までだ。ストライキが具体的な計画になる後半は、登場人物が思想を語る装置に寄っていく。書き手として見ると、苦痛の描写は圧倒的で、組織論の部分は説明に傾く。読み物としての劇薬度は高く、気軽な休日の読書には向かない。それでも、日本語で書かれた「労働の現場小説」の基準点として、一度は通る価値がある。
最小限のあらすじ
函館港から、カムチャツカ沖で蟹を獲り缶詰にする工場船・博光丸が出港する。乗り込むのは、貧農の出や炭鉱帰りの漁夫、十四、五歳の雑夫、東京から連れてこられた学生上りたちだ。彼らを仕切るのは、暴力と「お国のため」という論法で働かせる浅川監督である。過労、病気、死が重なる中で、船の男たちは「殺されるくらいなら」と団結の可能性に気づいていく。
※ここから結末に触れます。
独自の深掘り:蟹工船に主人公がいない構造と、「糞壺」が効く理由
「主人公がいない小説」は欠陥ではなく設計である
『蟹工船』には、物語を引っ張る一人の主人公がいない。学生上り、吃りの漁夫、芝浦から来た男、「威張んな」の漁夫、炭鉱帰りの男と、それぞれが短く前面に出ては引っ込む。初読では誰が中心なのか分からず戸惑うが、これは設計だと私は読む。一人の視点に感情移入させてしまうと、「あの人は気の毒だ」で読者が安心してしまう。この小説は、誰もが交換可能な一人として扱われる状況を、書き方そのもので再現している。
第三章で、行方不明だった雑夫の宮口が便所に閉じ込められて死ぬ。その死体が出されてきた翌朝にはもう、病人までが甲板に引きずり出され、物語は彼のために立ち止まらない。悲劇を悲劇として味わう間を与えない速度が、そのまま被害者の扱いの軽さになっている。
糞壺という名前の部屋、そして臭いと虱の具体性
漁夫たちの寝床は「糞壺」と呼ばれる。ここでの描写は、読者の五感を直接使う。第四章の、褌を解くと黒い粒がこぼれ落ちる場面や、シャツをストーブにかざすと虱が縫い目から這い出してくる場面は、悲惨さを説明する代わりに物体として置いている。読んでいて体が痒くなる。
この具体性が、後半の思想の部分を支えている。仮に冒頭の数章がなければ、後半の団結の呼びかけは空疎なスローガンで終わっただろう。苦痛を身体の感覚として先に積み上げてあるから、学生上りの「殺されたくないものは来れ!」が単なる煽りで終わらない。
浅川監督の「国家のため」は、悪役の個性ではなく論理である
浅川は、漁夫たちの前でこの事業を「国際上の一大問題」と呼び、日本人とロシア人の「一騎打ち」だと位置づける。後半でも「いやしくも仕事が国家的である以上、戦争と同じなんだ」と怒鳴る。これを監督個人の性格として読むと浅い。作中ではこの論理が、重役のもうけを正当化し、船の老朽化を無視し、病人を死ぬまで使うことを「英雄的」な苦労にすり替える。漁夫のうちの大部分は、そう言われると「日本人はやはり偉いんだ」という気にされる、と書かれている。
秩父丸のSOSを無視する第二章の場面は、この論理が最も露骨に出る箇所だ。船長が救助に向かおうとするのを、浅川は肩をつかんで止め、傭船しているのは会社だと言い放つ。そこで見えるのは、船長という肩書が会社の代表の前では無力だという構図であり、同時に読者への仕掛けでもある。誰が人間の命を値踏みしているのかが、監督の一言で個人から制度へと一段上に移る。
ロシア人と通訳役の男の片言の場面が、思想の入口として機能している
遭難して戻ってきた川崎船の漁夫が持ち帰る、ロシア人との交流の場面も見逃せない。「貴方方、プロレタリア。――分る?」と、片言の日本語で身振りを交えて説明される。聞いた漁夫たちは、それが「恐ろしい」赤化というものなのかと思いつつ、それが「当り前」のことのように感じる。思想を一人の知識人の口から語らせず、言葉の通じにくい場面で身振りと一緒に出す工夫は、押しつけがましさをうまく薄めている。ここは、この小説の中でも構成が巧みな箇所だ。
敵が「悪人」から「仕組み」へ移っていく、怒りの向け先の設計
この小説の怒りの矛先は、読み進めるうちにずれていく。最初は暴力を振るう浅川個人が憎らしい。ところが秩父丸のSOSを無視する場面を過ぎると、浅川は会社の代理人にすぎず、その上に重役がいて、さらに国策という看板がある、という階段が見えてくる。さらに終盤、ストライキを潰しに来るのが、国民を守るはずの駆逐艦の水兵であることで、敵は人間から仕組みそのものに広がる。
書き手として感心するのは、この移動を説明せず、出来事の順番だけでやっていることだ。読者は「浅川を倒せば済む話ではない」と、自分で気づかされる。もし浅川が最後に罰せられて終わる物語だったら、これは悪い監督の話として読まれて終わっていた。個人の悪を描いたつもりで制度の話に着地する、この三段階の拡大が、短い作品に思いのほか広い奥行きを与えている。
忖度なしの欠点・違和感:蟹工船の「読みにくさ」と、後半が説教に見える理由
学生上りと吃りの漁夫が、作者の代弁者になっている
後半、芝浦から来た男が、金持ちと労働者の関係を滔々と語る場面がある。「金持と俺達とは親と子なんだ」で終わる長い台詞だ。内容は筋が通っているが、船の糞壺の中でこの密度の理論を一気に語る人物が、すでにほかの場面の彼と少し違って見える。学生上りの「発案」の組織図が、図の形で本文に載っているのも同じ問題だ。小説の中に設計図を置いた時点で、読者は物語の外へ出される。
ここは好みの問題と片付けるべきではない。前半で身体の感覚だけで読者を引きずった作品が、後半では頭で理解することを求め始める。その切り替わりが滑らかでなく、中盤以降の読みの速度が落ちる。創作者の目で見ると、人物の口を借りて主張する箇所は、人物が理論に追いつかれてしまっていて危うい。
附記で一気に片付けてしまう結末の早足
本編は、ストライキが駆逐艦の水兵に潰され、九人の代表が連れ去られた後、「もう一度!」と立ち上がるところで終わる。その後に置かれた「附記」が問題だと思う。二度目のサボタージュが成功したこと、監督と雑夫長が会社に切り捨てられたこと、他の船でも同じことが起きていたことが、箇条書きに近い形で並べられる。結果が先に宣言されるので、物語の緊張がそこで途切れる。
「あ――あ、口惜しかった! 俺ア今まで、畜生、だまされていた!」と叫ぶ監督の最後は、皮肉としては効いている。ただ、本編で最も重い場面である着剣した水兵が乗り込んでくる場面のあとに、これだけの勝利を数行で置くのは、都合のよい帳尻合わせに見える。本編が「負けたが、もう一度」で終わっていれば、読後の重さは別のものになったはずだ。附記は作者の意図の説明としては機能するが、物語としてはおまけに近い。
個々の顔が薄く、方言と群像の混線で読みにくい
群像劇という選択の代償も大きい。発話が秋田、青森、岩手の方言で書かれているため、台詞が誰のものか判別しにくく、同じ調子の台詞が続くと人物の区別が曖昧になる。特に中盤は、漁夫たちの会話が「んだ」「ん、ん」といった反応で埋まる箇所が多く、読んでいて場面の誰が誰かを見失う。
雑夫への夜這いが始まる第四章の描写も、状況としては正確に残酷だが、被害者の子どもの内面がほとんど描かれない。出来事としての衝撃に頼りすぎていて、人物の側から書かれていない。群像を貫くなら、この部分こそ一人の顔を持たせるべきだったと思う。
苦痛の描写が単調に感じられる中盤の「繰り返し」
中盤は、殴られる、倒れる、また働かされるという型が何度も反復される。一つひとつは凄惨でも、強度が同じまま続くと、読者の感覚は慣れてしまう。最初の死で受けた衝撃が、二つ目、三つ目の死では薄れていく。これは作品の主題である「人間が消耗品になる」感覚をなぞっているとも言えるが、読み物としては山がなく、緩急の設計が足りない。たとえば一人の漁夫だけを数ページ追って、その人物の過去や家族に触れてから死なせるような場面が一つあれば、数の暴力と個の重さの対比が生まれ、他の死の意味も変わったはずだ。群像という方針を守りつつ、その手を一度だけ外す勇気が欲しかった。
この本を一番楽しめるのはどんな人か
『蟹工船』は、物語の「うまさ」よりも、現場の記録に近い圧力を求める人に向いている。働くことの息苦しさを、数字や制度の説明ではなく、虱や糞壺の臭いとして体験したい人には、前半だけでも読む価値がある。
逆に、感情移入できる主人公を追いたい人には合わない。人物は多く、名前の印象が残りにくい。物語の構成の妙を期待する人も、後半で肩透かしを受けるはずだ。青空文庫で全文が無料で読めるので、まず最初の三章までを試して、苦痛の描写に耐えられるか確かめるのがよい。
読む順番としては、最初から全体を理解しようとせず、前半は場面の感触を浴びるつもりで流れに乗り、後半の理論的な台詞は「作者が何を訴えたいか」を確かめる気持ちで読むと、構成の偏りが気にならなくなる。分量は長くないので、一気に読み切れる。読後は、人物の誰かを思い出すより、船内の空気と臭いが先に残る。それが、この作品が小説として成功している部分であり、同時に人物小説としては物足りない部分でもある。
弱い立場の人間が生き延びるための論理がどう歪むかに関心があるなら、同じ「追い詰められた者の理屈」を短い形で書いた羅生門の書評と読み比べると面白い。また、一人が助かろうとして全員の道を断つ構図は、蜘蛛の糸の書評の問いとも響き合う。『蟹工船』はその逆で、全員が手を離さないことを選ぶ話だ。







