小説「雪煙チェイス」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。東野圭吾氏による、いわゆる「スキー場シリーズ」の第三弾にあたる作品です。雪山を舞台にしたサスペンス…と聞けば、手に汗握る展開を期待されるかもしれませんが、さて、この作品はどうでしょうか。

物語は、平凡な大学生が殺人事件の容疑者に仕立て上げられるところから始まります。アリバイを証明できるのは、スキー場で出会った正体不明の美女ただ一人。古風な言い方をすれば「女神」を探す旅、現代的に言えば、かなり無謀な賭けに出るわけです。彼を追う刑事たちの、どこか間の抜けた追跡劇も絡み合い、物語は里沢温泉スキー場という閉鎖空間で展開していきます。

この記事では、そんな「雪煙チェイス」の物語の顛末と、やや辛口ではありますが、私の率直な受け止め方を詳しく述べていきます。少々長くなりますが、この作品の本質に迫るためには必要な紙幅とお考えください。まあ、最後までお付き合いください。興が乗れば、この作品の違った一面が見えてくるかもしれませんよ。

小説「雪煙チェイス」のあらすじ

東京都三鷹市で、福丸陣吉という老人が殺害される事件が発生します。遺体の第一発見者は、かつて福丸家で犬の散歩のアルバイトをしていた大学生、脇坂竜実でした。彼は偶然にも、事件現場で不用意な行動を重ねてしまい、指紋のついた合鍵や、被害者の部屋にあったものと同じリードを持ち去るなど、警察に疑われる材料を自ら提供してしまいます。結果、竜実は強盗殺人事件の有力な容疑者として浮上するのです。身に覚えのない容疑をかけられた竜実は、自身の潔白を証明するため、ある行動に出ます。

竜実には、事件当日、遠く離れた新月高原スキー場にいたというアリバイがありました。しかし、それを証明できるのは、その日出会った見ず知らずの美人スノーボーダーだけ。彼女が口にした「ホームグラウンドは里沢温泉スキー場」という言葉だけを頼りに、竜実は大学の友人・波川省吾と共に、広大なスキー場の中からたった一人の女性を探し出すという、途方もない追跡を開始します。まあ、若さゆえの無鉄砲さ、とでも言いましょうか。

一方、警視庁捜査一課よりも先に脇坂竜実を逮捕せよ、という上からの指示を受けた所轄の刑事・小杉敦彦も、部下の白井と共に里沢温泉スキー場へ向かいます。彼らは身分を隠し、竜実の行方を追いますが、その捜査にはどこか切迫感が欠けているように見えます。本庁への対抗意識なのか、それとも事件そのものへの疑問なのか、小杉の胸中は複雑なようです。

その頃、里沢温泉スキー場では、大規模なゲレンデ・ウェディングの準備が進められていました。竜実の「女神」探し、小杉たちの竜実追跡、そしてスキー場の日常とイベントが交錯する中、物語はクライマックスへと向かっていきます。果たして竜実は「女神」を見つけ出し、アリバイを証明できるのか。そして、福丸老人殺害事件の真犯人は誰なのか。雪煙舞うゲレンデで、それぞれの追跡劇が繰り広げられるのです。

小説「雪煙チェイス」の長文感想(ネタバレあり)

さて、「雪煙チェイス」について、もう少し踏み込んだ話をしましょうか。裏表紙には「どんでん返し連続の痛快ノンストップ・サスペンス」と謳われていますが、果たしてその実態はどうでしょうか。私見を交えながら、ネタバレありで語らせていただきます。

まず、主人公である脇坂竜実の行動原理には、首を傾げざるを得ません。殺人事件の容疑者と目されている状況で、なぜあそこまで不用意な行動を繰り返すのか。合鍵を持ち出したり、リードを持ち去ったり。警察に疑ってくださいと言わんばかりの行動は、サスペンスの導入としては機能しているのかもしれませんが、リアリティという観点からは、少々稚拙に映ります。読者としては「おいおい、大丈夫か?」と、ハラハラするよりも先に呆れてしまうかもしれませんね。彼の軽率さが、物語を動かす原動力になっているのは確かですが、共感や没入を妨げる要因にもなっているように感じます。まるで、作者の都合の良い駒のように動かされている印象すら受けます。まあ、彼がもう少し思慮深ければ、この物語自体が成立しなかったかもしれませんが。

そして、彼のアリバイを証明する鍵となる「女神」探し。広大なスキー場の中から、わずかな手がかりだけで特定の人物を探し出すというのは、現実的に考えれば無謀そのもの。しかし、物語はご都合主義的な展開を重ね、竜実は徐々に核心へと近づいていきます。この過程は、確かに読者の興味を引きつける要素ではありますが、同時に予定調和的な印象も拭えません。特に、お馴染みのキャラクターである根津昇平や瀬利千晶といったスキー場の面々が絡んでくるあたりは、シリーズファンにとっては嬉しい展開かもしれませんが、物語の必然性という点では疑問符がつきます。彼らが登場することで、竜実の「女神」探しは、ある種の安心感の中で進んでいく。本来であれば絶望的な状況のはずが、どこか牧歌的な雰囲気すら漂っているのです。これは意図的な演出なのでしょうか。それとも、サスペンスとしての緊張感を削いでしまっているのでしょうか。

その「女神」の正体ですが、これも物語の大きな謎として提示されています。候補となる女性は何人かいますが、最終的に明かされるのは、ゲレンデ・ウェディングを控えた成宮葉月でした。しかし、この「どんでん返し」が、物語全体のカタルシスに繋がっているかというと、微妙なところです。葉月が「女神」であったこと自体が、事件の解決や竜実の運命に直接的な影響を与えるわけではないからです。むしろ、彼女が妊娠していたという事実の方が、物語の結末、すなわち根津と千晶が代役で結婚式を挙げるという展開に繋がる重要な要素となっています。つまり、「女神」の正体探しは、根津と千晶の関係を進展させるための、やや迂遠な仕掛けだったのではないか、と勘繰りたくなりますね。読者のミスリードを誘うための布石としては機能していますが、サスペンスの核となる謎としては、少々肩透かしを食らった感があります。

一方、竜実を追う刑事・小杉敦彦の視点。彼は所轄の刑事として、本庁との対立や上司からの圧力といった組織のしがらみの中で捜査を進めます。この部分は、警察小説としての側面を担っており、一定の読み応えはあります。特に、小杉が自身の正義感と組織の論理との間で葛藤し、最終的に真犯人を突き止める決断をする場面は、物語の数少ない見せ場と言えるでしょう。しかし、彼が追うべき竜実に対する執着は、どこか希薄に感じられます。「本庁より先に捕らえる」という動機付けは、いささか弱いと言わざるを得ません。もっと切実な理由があれば、追跡劇にもっと緊迫感が生まれたのではないでしょうか。福丸老人殺害事件そのものの捜査も、物語の本筋とは言い難い扱いで、伏線らしい伏線もほとんど見当たりません。真犯人の特定も、やや唐突な印象を受けます。小杉の活躍を描くための、後付けの設定のように感じられなくもありません。

そして、シリーズのファンにとって最も重要なのは、やはり根津昇平と瀬利千晶の関係でしょう。前作『疾風ロンド』から続く、二人の微妙な距離感にやきもきしていた読者も少なくないはずです。本作では、ひょんなことから二人がゲレンデ・ウェディングの代役を務めることになり、それをきっかけに関係が大きく進展します。この結末は、シリーズを通して二人を見守ってきた読者にとっては、最大の「ご褒美」と言えるかもしれません。ある意味、竜実の逃避行や殺人事件の真相よりも、こちらの展開の方が印象に残る読者もいるのではないでしょうか。サスペンスとしては物足りなさを感じても、キャラクター小説として見れば、一定の満足感は得られる。それが本作の立ち位置なのかもしれません。まるで、複雑なスパイスを期待していたのに、出てきたのは優しい甘さのデザートだった、そんな感覚でしょうか。

全体として、「雪煙チェイス」は、東野圭吾作品としては、やや軽めのタッチで描かれたエンターテインメント作品と言えるでしょう。「痛快ノンストップ・サスペンス」という謳い文句から期待されるほどのスリルや、複雑に張り巡らされた伏線、そして読者の予想を根底から覆すような衝撃的な「どんでん返し」は、残念ながら見当たりません。物語の展開は比較的スムーズで、登場人物たちの行動も、良くも悪くも分かりやすい。深刻な殺人事件を扱っている割には、どこか飄々とした空気が流れており、重厚なミステリを期待すると、肩透かしを食らうかもしれません。

しかし、見方を変えれば、その「軽さ」こそが本作の持ち味なのかもしれません。難しいことを考えずに、雪山の雰囲気と、個性的なキャラクターたちの織りなすドタバタ劇を楽しむ。そんな読み方もできるでしょう。特に、スキーやスノーボードの描写は臨場感があり、ゲレンデの開放的な雰囲気はよく伝わってきます。前作のキャラクターが登場するサービス精神も、ファンにとっては嬉しい要素です。根津と千晶の関係の決着という点だけでも、読む価値を見出す人はいるでしょう。

ただ、辛口な評価を許していただけるなら、プロットの練り込み不足や、キャラクター造形の甘さ、サスペンスとしての緊張感の欠如は否めません。竜実の行動の不自然さ、追跡劇の緩慢さ、事件解決のあっさり感など、気になる点は多々あります。東野圭吾氏の他の傑作群と比較してしまうと、どうしても物足りなさを感じてしまうのです。まあ、多作な作家ですから、常に最高傑作を生み出し続けるというのは酷な話かもしれませんがね。読者としては、どうしても期待値が高くなってしまうものです。この作品がNHKでドラマ化されるとのことですが、映像化によって、この物語の持つある種の「緩さ」がどのように表現されるのか、少しばかり興味がなくもありません。あるいは、原作の物足りない部分を補完するような脚色が加えられるのでしょうか。

結論として、「雪煙チェイス」は、手放しで絶賛できる作品とは言い難いものの、スキー場シリーズのファンや、気軽に楽しめるエンターテインメント小説を求めている読者にとっては、選択肢の一つとなり得るでしょう。ただし、本格的なサスペンスや、深い人間ドラマを期待しているならば、他の作品を手に取ることをお勧めします。まあ、時間を潰すための読み物としては、悪くないのかもしれませんが。

まとめ

さて、長々と語ってきましたが、そろそろ締めくくりとしましょうか。東野圭吾氏の小説「雪煙チェイス」は、スキー場を舞台にしたサスペンスであり、シリーズ第三弾という位置づけです。殺人事件の容疑者となった大学生が、アリバイを証明してくれる謎の美女を探して雪山を奔走するというのが、物語の大筋です。

この記事では、そのあらすじを追いながら、ネタバレを含む形で私の感想を述べさせていただきました。主人公の行動の不可解さ、追跡劇の緊張感の欠如、そして「どんでん返し」とされる部分の効果についても、やや批判的に言及しました。物語の焦点がやや散漫であり、サスペンスとしての切れ味には欠ける、というのが正直なところです。まあ、期待値が高すぎたのかもしれません。

しかしながら、シリーズお馴染みのキャラクター、根津昇平と瀬利千晶の関係に進展が見られる点は、ファンにとっては大きな魅力でしょう。また、雪山の描写や、軽快なテンポで読み進められる点は評価できます。結局のところ、この作品をどう評価するかは、読者が何を求めるかによって大きく変わってくるのではないでしょうか。暇つぶしにはなる、といったところでしょうか。深く考えずに楽しむエンターテインメントとしては、及第点を与えても良いのかもしれませんね。