小説「赤い部屋」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。江戸川乱歩の初期の傑作短編として名高いこの作品は、一度読んだら忘れられない強烈な印象を残します。独特な雰囲気を持つ閉鎖空間「赤い部屋」で語られる、ある男の驚くべき告白。それは単なる猟奇的な話にとどまらず、読者の倫理観や現実認識を揺さぶる仕掛けが施されています。
この記事では、まず物語の骨子となる「赤い部屋」の展開を、結末のどんでん返しまで含めて詳しく解説します。物語の核心に触れる部分ですので、未読の方はご注意ください。どのような経緯で主人公Tは告白を始め、どんな内容だったのか、そして最後に待ち受ける衝撃の事実とは何かを明らかにしていきます。
そして、物語の紹介に続いて、私自身がこの「赤い部屋」を読んで何を感じ、考えたのかを、ネタバレを気にせずにたっぷりと語らせていただきます。作品の持つ雰囲気、語りの巧みさ、そして物議を醸す結末について、様々な角度から考察を深めていきます。なぜこの作品がこれほどまでに人々を引きつけるのか、その魅力の根源に迫りたいと思います。
この記事を通して、江戸川乱歩「赤い部屋」の世界に触れ、その奥深さを感じていただければ幸いです。すでに読まれた方も、これから読もうと考えている方も、新たな発見や共感、あるいは異なる視点を見つけるきっかけになるかもしれません。それでは、しばし「赤い部屋」の怪しくも魅惑的な世界にお付き合いください。
小説「赤い部屋」のあらすじ
物語の舞台は、緋色のビロードのカーテンで窓も扉も覆われ、外界から完全に遮断された異様な雰囲気の「赤い部屋」。そこは、日常の退屈から逃れるために集まった7人の男たちが、互いに奇怪な体験談や悪趣味な計画を披露しあう秘密のクラブでした。太いロウソクの揺らめく光だけが、部屋の中を不気味に照らしています。
ある夜、その会に新入会員としてTと名乗る男が現れます。彼は、これまでの人生でありとあらゆる快楽や刺激を味わい尽くし、もはや自殺以外に心を動かされるものがない、と語り始めます。そして、自らが過去3年間に犯してきたという、「完全犯罪」の数々を спокойный に告白し始めるのです。会員たちは、彼の спокойный な語り口とは裏腹な、その告白内容に次第に引き込まれていきます。
Tの語る犯罪は、「プロバビリティの犯罪」と呼ばれるものでした。それは、直接手を下すのではなく、状況を巧みに操作し、事故や偶然を装って人を死に至らしめるという手口です。例えば、交通事故の被害者をわざと腕の悪い医者に運ばせるよう仕向けたり、線路を渡る老婆に声をかけて動揺させ、電車に轢かれるように仕向けたり。盲人の知人を冗談めかして誘導し、工事現場の穴に転落させたり、泳ぎの苦手な友人を危険な岩場での飛び込みに誘い、事故死させたり。
これらの行為は、Tに言わせれば「悪意のない殺人」であり、彼自身はあくまで状況を利用しただけで、法的に裁かれることはありません。むしろ、友人の事故死の際には、警察から同情されることさえありました。彼はこの「遊び」に魅了され、100人を目標に殺人を続けてきたと語ります。そして、先日起こした列車の脱線事故によって、ついに犠牲者の数は99人に達した、と。
告白が終わり、部屋に重苦しい沈黙が流れる中、階下のレストランから給仕の女性が飲み物を持って現れます。会員たちに飲み物を配る彼女に向かって、Tは突然ポケットからピストルを取り出し、「そうら、うつよ」と叫んで引き金を引きます。しかし、銃声は響かず、女性は無傷。Tは「おもちゃだよ」と笑います。Tと顔見知りらしいその女性は、「くやしいから、あたしも、うってあげるわ」と言い、Tからピストルを受け取ると、彼に向けて発砲します。
今度は鋭い銃声が響き渡り、Tは胸から血を流してその場に倒れ伏します。おもちゃと思われたピストルには実弾が込められていたのです。会員たちは唖然とします。Tは、自らを100人目の犠牲者として、巧妙に事故死を演出したのだ、と。しかし、これで終わりではありませんでした。しばらくすると、死んだはずのTが「ク、ク、ク……」と笑い出し、隣にいた給仕の女性もつられて笑い始めます。Tは、ピストルに込められていたのは実弾ではなく、赤いインクの入った弾丸だったこと、そして、これまで語ってきた身の上話も、99人の殺人も、すべてがこの瞬間のために用意された作り話だったことを明かすのです。女性が部屋の電灯をつけると、それまで怪しく見えていた緋色の幕も銀の燭台も、ただのみすぼらしい小道具に見え、部屋の幻想的な雰囲気は消え失せてしまうのでした。
小説「赤い部屋」の長文感想(ネタバレあり)
江戸川乱歩の「赤い部屋」、この作品を読むたびに、私はその巧みな語りと、読者を翻弄する構成に感嘆せずにはいられません。冒頭、「異常な興奮を求めて集まった、七人のしかつめらしい男が……」という一文から、すでに物語の世界にぐっと引き込まれます。この書き出しだけで、これから何か尋常ならざる出来事が起こることを予感させ、期待感を煽ります。閉鎖された「赤い部屋」という舞台設定も秀逸です。緋色の幕、揺らめく蝋燭の灯り。視覚的なイメージが強く、読者を現実から切り離し、物語への没入を促します。
この非日常的な空間で始まるT氏の告白は、実に спокойный でありながら、その内容は衝撃的です。「人生に飽いた」「あらゆる刺激に満足できなくなった」という彼の言葉は、どこか現代社会に生きる私たちの倦怠感や虚無感と重なる部分があるかもしれません。しかし、彼が見出した「退屈しのぎ」は、常軌を逸した「殺人」という遊びでした。この異常な発想が、読者に強烈な違和感と、同時にある種の倒錯的な好奇心を抱かせます。
T氏が語る「プロバビリティの犯罪」の手口は、非常に巧妙で、悪魔的とも言える知性を感じさせます。直接手を下さず、偶然を装う。悪意がないことを装い、時には同情さえ誘う。M医院の話、老婆の話、盲人の話、友人の話、そして列車事故。具体的なエピソードが続くことで、彼の告白はリアリティを帯びていきます。読者は、その手口のえげつなさに眉をひそめながらも、T氏の語りに引き込まれ、彼の心理や動機を探ろうとします。なぜ彼はこれほどまでに人の死を弄ぶことができるのか。
彼の語りの中で繰り返される「悪意はない」「ただの遊びだ」という言葉は、非常に不気味です。殺意がないからこそ、罪悪感もなく、法からも逃れられる。この論理は、倫理や道徳を根底から揺さぶります。私たちは通常、動機や意図をもって行為を評価しますが、T氏の犯罪には明確な「殺意」が見えにくい。ただ、「退屈」という感情を満たすための手段として、人の命が軽々しく扱われる。この空恐ろしさが、「赤い部屋」の読後感に重くのしかかります。
物語は、T氏の告白が終わったところで、さらなる展開を見せます。給仕女の登場、そしてピストルを使った劇的な場面。おもちゃのピストルかと思いきや、実弾が発射され、T氏は倒れる。ここで多くの読者は、「T氏は自らを100人目の犠牲者にしたのだ」と考えるでしょう。彼の退屈しのぎの終着点として、ある意味、納得のいく結末のようにも思えます。この段階での衝撃と、ある種の感慨。乱歩の仕掛けは、まずここで読者を一度揺さぶります。
しかし、物語はそこで終わりません。死んだはずのT氏が笑い出し、すべてが作り話だったと明かされる。「ク、ク、ク……」という笑い声は、それまでの緊張感を一気に弛緩させると同時に、読者を混乱の淵に突き落とします。あのリアルな告白も、プロバビリティの犯罪も、99人の犠牲者も、すべてが嘘だったというのです。この二重のどんでん返しこそ、「赤い部屋」が多くの読者に強烈な印象を与える最大の要因でしょう。
この結末について、しばしば「興醒めだ」「蛇足ではないか」という意見も聞かれます。せっかくの緊張感やリアリティが、最後の種明かしで台無しになってしまう、と。参考にした文章でも、「僕だったら、本当にT氏が銃殺されて終わらせる」という意見が述べられていました。確かに、あの衝撃的な告白がすべて嘘だったというのは、肩透かしを食らったような感覚になるかもしれません。物語の重みが、一気に軽くなってしまったように感じるのも無理はありません。
しかし、私はこの「すべて作り話」という結末にこそ、乱歩の意図と作品の深みがあるのではないかと考えています。一つは、参考情報の考察にもあったように、「赤い部屋」という空間自体の虚構性と響き合っているという点です。緋色の幕や燭台で作られた非日常的な雰囲気も、電灯がつけばただのみすぼらしい小道具になる。それと同じように、T氏の真に迫った語りも、種明かしによってただの「作り話」という虚構であったことが暴露される。現実と虚構、真実と嘘の境界線が、意図的に曖昧にされているのです。
さらに、この結末は、「語り」そのものの力を浮き彫りにしているとも言えます。私たちは、T氏の巧みな語りによって、完全に彼の作り話の世界に引き込まれていました。彼の言葉を信じ、彼の動機を探り、彼の犯罪に戦慄し、彼の結末に驚愕した。しかし、それらはすべて「言葉」によって構築された虚構だったのです。この作品は、物語がいかに人の心を動かし、現実認識を揺さぶる力を持っているかを示しているのではないでしょうか。
また、参考情報で指摘されていた「作者のエゴ」という視点も興味深いものです。「どうだ!びっくりしただろ!」と、T氏の口を通して作者である乱歩自身が読者に語りかけているのではないか、という解釈です。確かに、T氏が生き残り、種明かしをすることで、物語は作者のコントロール下にあることが強調されます。読者を驚かせたい、翻弄したいという、作家の遊戯精神のようなものが感じられるかもしれません。
しかし、私はそれを単なる「目立ちたがり」と片付けるのではなく、読者に対する挑戦状のようにも受け取っています。「あなたはこの嘘を見抜けましたか?」「物語という虚構に、どこまで没入していましたか?」と問いかけられているような感覚です。そして、この問いかけは、私たちが普段接している情報や物語に対しても向けられているのかもしれません。何が真実で、何が作られた話なのか。私たちは、語られる言葉を鵜呑みにしていないだろうか、と。
谷崎潤一郎の『途上』との関連性も指摘されています。『途上』もまた、プロバビリティの犯罪を扱った作品ですが、『途上』が犯人と探偵(あるいはそれに近い立場)との心理戦に重きを置いているのに対し、「赤い部屋」は、犯罪の告白そのものと、それを聞く(読む)側の心理、そして最後のどんでん返しによる効果に焦点を当てているように感じられます。影響は受けているかもしれませんが、乱歩はそれを独自のエンターテイメントとして昇華させていると言えるでしょう。
「赤い部屋」の魅力は、単なるトリックやどんでん返しだけではありません。人間の心の奥底に潜む暗い欲望、退屈という感情が引き起こす狂気、そして虚構と現実のあわい。そういった普遍的なテーマを、短い物語の中に凝縮し、読者に突きつけてきます。T氏の告白が嘘であったとしても、その告白内容が描き出す人間の心理や、犯罪の可能性自体が消え去るわけではありません。むしろ、嘘であったからこそ、私たちはより客観的に、その内容について考えさせられるのかもしれません。
最後に電気がつけられ、幻惑的な雰囲気が消え去った「赤い部屋」。それは、夢から覚めたような、あるいは祭りの後のような寂寥感を伴います。会員たち、そして読者は、T氏と給仕女によって仕組まれた壮大な「芝居」の観客でした。異常な興奮を求めて集まった会員たちは、T氏の話に興奮し、ピストル事件に興奮し、そして最後の種明かしによって、究極の「異常な興奮」を味わったのかもしれません。しかし、その興奮は、作り物の舞台装置と作り物の物語によってもたらされたものだったのです。この皮肉な結末が、作品に独特の後味を残します。
今、改めて「赤い部屋」を読むと、その構成の巧みさ、語りの力、そしてテーマの深さに驚かされます。発表から約100年が経過しようとしていますが、その魅力は色褪せることがありません。それは、この物語が人間の持つ普遍的な感情や心理の闇に触れているからでしょう。退屈、刺激への渇望、虚構への誘惑。これらは、時代を超えて私たちの中に存在し続けるものなのかもしれません。「赤い部屋」は、私たち自身の心の「赤い部屋」を覗き込むような、そんな体験を与えてくれる作品なのです。
まとめ
江戸川乱歩の「赤い部屋」は、読者を怪しく魅惑的な世界へと誘う短編小説です。物語は、退屈な日常から逃れるために集う秘密のクラブ「赤い部屋」を舞台に、新入会員Tによる衝撃的な殺人の告白から始まります。彼の語る「プロバビリティの犯罪」は巧妙かつ冷酷で、聞く者を震撼させます。
物語の核心となるのは、Tの告白の真偽と、終盤に待ち受ける二重のどんでん返しです。給仕女を巻き込んだピストルによる一連の出来事は、読者の予想を裏切り、Tの告白そのものが壮大な作り話であったことが明かされます。この結末は、一部では物語の緊張感を削ぐとも言われますが、作品のテーマ性を深める重要な要素だと考えられます。
「赤い部屋」の魅力は、単なるミステリーや猟奇的な物語に留まりません。独特な雰囲気を持つ舞台設定、読者を引き込む語りの力、虚構と現実の境界線を曖昧にする構成、そして人間の心の闇や退屈という感情への鋭い洞察が含まれています。すべてが作り話だったという結末は、物語という虚構の力を示すと同時に、読者自身に現実と虚構を見つめ直すよう問いかけているのかもしれません。
発表から長い年月を経てもなお、多くの読者を魅了し続ける「赤い部屋」。それは、江戸川乱歩の独創性と、人間の普遍的な心理を描く力が凝縮された、日本文学が誇る傑作の一つと言えるでしょう。未読の方はもちろん、再読される方にも、新たな発見と深い思索の機会を与えてくれるはずです。