
小説「象と耳鳴り」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。恩田陸さんの作品の中でも、独特の雰囲気を持つ短編集として知られていますよね。主人公は『六番目の小夜子』に登場した関根秋や、『図書室の海』の関根夏のお父さん、関根多佳雄さんです。退職された判事さんで、日常のふとした出来事や過去の事件の断片から、驚くような真実の可能性を探り出すのが得意な方なんです。
この短編集には、本当に色々なタイプの謎が登場します。国宝の茶碗にまつわる記憶の謎から、渋谷の雑踏で起きた奇妙な出来事、給水塔にまつわる都市伝説、そして表題作にもなっている、象を見ると耳鳴りがするという老婦人の告白と、それに隠された過去の事件。どの話も、多佳雄さんの鋭い観察眼と推理によって、思いがけない側面が見えてくるのが面白いところです。ただ、彼が真実(かもしれないもの)にたどり着いても、それを証明したり、事件を解決したりするわけではないんですね。だから、少しもやも唖とした感じが残る話もあるのですが、それがまた独特の味わいになっていると感じます。
この記事では、そんな「象と耳鳴り」の各短編の物語の筋を追いながら、後半ではネタバレも気にせずに、じっくりと感じたことや考えたことを書いていこうと思います。特に、関根多佳雄という人物の魅力や、解決されない謎がもたらす不思議な読後感について、深く掘り下げてみたいと考えています。恩田陸さんのファンの方はもちろん、ちょっと変わったミステリーを読んでみたい方にも、この作品の魅力が伝われば嬉しいです。
小説「象と耳鳴り」のあらすじ
「象と耳鳴り」は、恩田陸さんによるミステリータッチの短編集です。主人公は、元判事の関根多佳雄。彼は現役を退いた後も、持ち前の好奇心と観察眼で、日常に潜む様々な謎や過去の事件の断片に興味を惹かれ、独自の推理を展開していきます。彼の子供たち、長男で検察官の春、長女で弁護士の夏も、父の影響を色濃く受けており、いくつかの物語に登場します。他の恩田作品の登場人物の父親という設定も、ファンにとっては興味深い点ではないでしょうか。
収録されているのは、「曜変天目の夜」「新・D坂の殺人事件」「給水塔」「象と耳鳴り」「海にゐるのは人魚ではない」「ニューメキシコの月」「誰かに聞いた話」「廃園」「待合室の冒険」「机上の論理」「往復書簡」「魔術師」という12の物語です。それぞれの話は独立していますが、関根多佳雄という共通の視点人物を通して、日常に潜む不思議や不気味さ、人間の心の奥底にあるものが描かれます。例えば、「曜変天目の夜」では、美術館で国宝の茶碗を見ている際に、亡くなった友人の言葉の謎を思い出します。「新・D坂の殺人事件」では、渋谷の雑踏で起きた奇妙な死について考察します。
表題作「象と耳鳴り」では、喫茶店で出会った老婦人が語る「象を見ると耳鳴りがする」という奇妙な体験と、少女時代に英国で遭遇した象による殺人事件の真相に迫ります。また、「給水塔」では散歩仲間の時枝と共に給水塔にまつわる都市伝説の謎解きを楽しんだり、「海にゐるのは人魚ではない」では、息子の春と通りすがりの子供たちの言葉から一家心中の真相を推測したりと、多佳雄の推理は様々な場面で展開されます。
しかし、多佳雄はあくまで元判事であり、探偵ではありません。そのため、彼が真相らしきものにたどり着いたとしても、それが証明されたり、事件が公に解決されたりすることはほとんどありません。謎が謎のまま残されたり、不穏な可能性が示唆されたまま終わる話も多く、それがこの短編集の独特な雰囲気と読後感を生み出しています。ミステリーとしての驚きだけでなく、日常の裏に隠された世界の別の顔を垣間見るような、少しぞくっとする魅力を持った作品集と言えるでしょう。
小説「象と耳鳴り」の長文感想(ネタバレあり)
恩田陸さんの「象と耳鳴り」、これは本当に何度も読み返してしまう、私にとって特別な一冊です。初めて読んだのはいつだったか、電車のなかだったことを妙に鮮明に覚えています。「あたくし、象を見ると耳鳴りがするんです」という、あの奇妙で印象的な老婦人の告白。その一文に心を掴まれ、いつか手元に置きたいと思い続け、ようやく購入した記憶があります。
この短編集の何がそれほど私を惹きつけるのか。トリックの鮮やかさに打ちのめされるわけでも、感動して涙するわけでもありません。もちろん、ミステリーとして「なるほど!」と膝を打つ瞬間はたくさんあります。でも、それだけではないんですよね。考えてみると、この作品集に共通しているのは、関根多佳雄という人物を通して行われる「暴く」という行為にあるのかもしれません。それは、単に隠された謎を解き明かすというミステリーの定石とは少し違う、もっと日常に根差した、静かな「暴き」です。
関根多佳雄、この元判事の老紳士が実に魅力的です。厳格そうな肩書きとは裏腹に、非常に飄々としていて、好奇心が旺盛。そして、物事の矛盾や不可解さを、そのまま受け入れてしまうような、ある種のタフさと心の広さを持っています。彼は、悪意や嫌悪感を持つことなく、まるで日常の風景に貼られた綺麗な壁紙を、指先でそっとぺりりと剥がしてしまう。そして、その下に現れた、少し歪んでいたり、薄汚れていたりする世界の別の側面を、「ほう、面白い」とどこか楽しんでしまうようなところがある。そのスタンスが、私はとても心地よく感じるのです。最近、特に「なぜ自分は恩田陸作品が好きなのか」を考えることがあるのですが、この「壁紙を剥がす感覚」と、それを面白がる多佳雄の視点に、強く共感している部分があるのかもしれません。
収録されている12の短編は、どれも個性的で味わい深いですが、特に心に残っているものをいくつか挙げさせてください。
まずは『曜変天目の夜』。国宝の曜変天目茶碗、その存在を私はこの話で初めて知りました。宇宙を閉じ込めたような、あの深く吸い込まれるような青。その神秘的な美しさが、物語全体のしっとりとした雰囲気にぴったり合っています。亡くなった友人が最期に残した「今日は、曜変天目の夜だ」という言葉の謎。その真相は茶碗そのものとは直接関係ないのですが、友人の驚異的な記憶力と、彼の死の背景にあるものが、茶碗の持つ幽玄なイメージと重なり合って、忘れられない印象を残します。落語の『頭山』が絡んでくるのも、恩田さんらしい上手さですよね。記憶というものの不思議さ、そしてそれが人の生と死にどう関わるのかを考えさせられます。
『新・D坂の殺人事件』は、江戸川乱歩へのオマージュを感じさせるタイトルですが、描かれているのは非常に現代的なテーマです。渋谷のスクランブル交差点のような、雑多な群衆。その中で起きた、誰にもはっきりと認識されない「死」。多佳雄が推理するのは、誰かが意図的に殺したというよりも、無数の人々の無関心や、あるいは微かな悪意が集積した結果としての「死」の可能性です。老人が目撃したという「堕天使」の正体も含め、都市に生きる私たち自身の姿を映し出しているようで、少しぞっとします。この話は、事件に巻き込まれた(かもしれない)男性の視点で語られる部分があり、そこから見える関根多佳雄の飄々とした老人の姿もまた面白いです。
『給水塔』も好きな話です。多佳雄の散歩仲間である時枝(彼は他の恩田作品にも登場する名脇役ですね)との、ちょっとした推理ゲーム。古びた給水塔にまつわる「人を食う」という不気味な噂。壊れたはずのないブロック塀、警察の立て看板といった小道具が効果的に使われていて、提示された仮説が鮮やかにひっくり返される展開は見事です。都市伝説的なモチーフはワクワクしますし、多佳雄と時枝の軽妙なやり取りも楽しい。日常の風景の中に潜む異界への入り口、そんな雰囲気が漂っています。
そして、表題作『象と耳鳴り』。喫茶店で偶然隣り合わせた老婦人の、あの奇妙な告白から始まる物語。「象を見ると耳鳴りがする」という、あまりにも個人的で、しかし聞く者の耳に残るフレーズ。彼女が語る、少女時代にイギリスで目撃したという、象が起こしたとされる奇怪な殺人事件。その話自体も十分にミステリアスですが、多佳雄はその語りの裏に隠された、もっと個人的で悲しい真実の可能性を読み解いていきます。老婦人の長年のトラウマの正体が明らかになるかに思えるのですが、話はそれだけでは終わりません。最後に、なぜ喫茶店の店主(老婦人の幼馴染だという)が、わざわざ象の置物を彼女の目につく場所に置いているのか? という、新たな、そして少し不気味な謎がぽんと提示される。この、すっきり解決したかと思わせておいて、さらに深い闇を覗かせるような終わり方が、たまらなく好きです。人間の心の不可解さを象徴しているかのようです。
『海にゐるのは人魚ではない』も忘れられません。中原中也の詩「サーカス」の一節、「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という擬音と共に引用される「海にゐるのは人魚じゃないんだよ。あれは、土左衛門さ」というフレーズ。これが、物語全体に物悲しく、どこか残酷な響きを与えています。息子の春と共に、偶然通りかかった海辺の町。そこで聞いた子供たちの無邪気な会話から、多佳雄と春が最近起きた一家心中の真相について推理を巡らせる。彼らがたどり着く可能性は、非常に生々しく、救いのないものです。詩の持つ繊細で幻想的なイメージと、推理される現実の残酷さとの対比が鮮やかで、胸に迫ります。そして、この話もまた、彼らが真相を確かめる前に終わってしまう。知人の家で開かれる「謎を抱えた招待客が集まる」という会合に向かう途中の出来事であり、その会合で何が語られるのかも気になるところです。
『ニューメキシコの月』は、小道具の使い方が特に秀逸だと感じました。骨折で入院中の多佳雄を見舞いに来た、検察庁時代の後輩(あるいは友人か)である貝谷。彼が持ってきたのは、9人を殺害した死刑囚・室伏から送られてきた一枚のポストカード。アンセル・アダムスが撮影した、ニューメキシコの月の写真です。なぜ、善良な医師だったはずの室伏は大量殺人を犯したのか? なぜ、このポストカードを貝谷に送ってきたのか? 多佳雄はベッドの上で、写真のイメージを手がかりに、室伏の動機についてある仮説を語ります。その仮説は、人間の心の内に潜む美しさへの渇望と、それが歪んだ時に現れる醜さ、そして愚かさといったものを描き出していて、非常に考えさせられます。一枚の写真から、ここまで深い人間の心理に迫れるものかと感嘆しました。
『誰かに聞いた話』は、日常会話の中に潜む曖昧さや不確かさをテーマにしたような小品です。「永泉寺の銀杏の木の根元に、銀行強盗が盗んだ金が埋められている」という噂。多佳雄は確かに誰かから聞いたはずなのに、それが誰だったか思い出せない。妻の桃代との他愛ない会話を通して、その情報源を探っていくうちに、噂話というもののいい加減さ、無責任さが浮かび上がってきます。そして、最後に桃代が呟く一言。これは、よく考えると非常に怖い言葉ですよね。日常のすぐ隣にあるかもしれない悪意や危険を、ふと感じさせます。多佳雄が奥さんの桃代さんには頭が上がらない様子が描かれているのも、微笑ましいです。
『廃園』は、この短編集の中で最も美しいと感じる一篇かもしれません。亡くなった従姉妹・結子の家を訪れた多佳雄。かつては見事な薔薇が咲き誇っていた庭は、今は荒れ果てています。その寂れた庭で、結子の娘・結花と対面し、彼女が幼い頃に庭で目撃したという「何か」について語り合う。そこで明らかになるのは、かつてこの庭で繰り広げられたであろう、女たちの愛憎劇の残り香です。薔薇の美しさと、それが枯れていく様、そして人間の情念の激しさと儚さが、幻想的な筆致で描かれていて、まるで一篇の詩を読んでいるかのようです。多佳雄と結子の過去にも何かあったことを匂わせる描写もあり、もっと深く彼らの物語を知りたくなります。
『待合室の冒険』は、他の話とは少し毛色が違い、作中で謎とその結末が比較的はっきりと描かれるのが特徴です。人身事故で電車が止まってしまった駅の待合室。息子の春が、同じ待合室にいる一人の男の不審な行動に気づき、父である多佳雄に「人が駅に来るのは何のためだと思う?」と問いかける。単なる時間潰しの会話かと思いきや、それは鋭い観察と推理に基づいた、ある犯罪計画の看破へと繋がっていきます。父・多佳雄譲りの推理力を持つ春の活躍が光ります。結末が曖昧な話が多い中で、このようにすっきりと解決が示されるのも、それはそれでカタルシスがありますね。最後の父子の会話も、洒脱で素敵です。
『机上の論理』も、関根家の子供たちの活躍が描かれる話。弁護士の姉・夏と検事の弟・春が、従兄弟の隆一と飲みながら、一枚の写真からその部屋の住人の人物像を当てるという推理ゲームに興じます。事件らしい事件は起こらないのですが、わずかな手がかりから次々と推理を繰り広げる二人の様子が生き生きと描かれています。華やかで直感的な夏と、慎重に見えて大胆な春。それぞれの個性が推理スタイルにも表れていて面白い。父親である多佳雄の「血」は、確実に子供たちに受け継がれているのだなと感じさせられます。
『往復書簡』は、その形式自体が面白い一篇です。多佳雄と、姪の孝子が交わす手紙だけで物語が構成されています。最初は近況報告のような、のどかなやり取りなのですが、次第に孝子の住む町で起きている連続放火事件の話が中心になっていきます。手紙というメディアが持つ、タイムラグや、書き手の心理が反映されやすいという特性が、ミステリーの仕掛けとして巧みに利用されています。メールやSNSでは決して生まれないであろう、独特の情緒と緊張感がありますね。これも「待合室の冒険」と同様に、多佳雄の推理によって犯人が特定され、結末が示されるタイプの話です。
最後に収録されている書き下ろし『魔術師』。これは、ミステリーというよりも、ホラーやファンタジーの色彩が濃い異色作です。「自分で買った包丁で腹を刺して死んだ男」「突如として消えた大量の椅子」「赤い犬の目撃談」「誰が作ったかわからない石鹸のお地蔵さん」…次々と語られる奇妙な都市伝説。それらが、S市という特定の場所で頻発しているらしい。都市伝説を研究しているという人物や、多佳雄の元同僚である貝谷(彼は「都市がある規模を超えると独自の意志を持つ」という珍説を展開します)との会話を通して、多佳雄はこれらのバラバラに見えるピースを繋ぎ合わせようとします。しかし、謎が解明されるというよりは、さらに大きな、得体のしれない何かの存在を匂わせたところで物語は終わります。その不気味な余韻は、まさに恩田陸作品の真骨頂と言えるかもしれません。
こうして各短編を振り返ってみると、「象と耳鳴り」という作品集は、単なる「安楽椅子探偵もの」という枠には収まらない、多様な魅力を持っていることがわかります。主人公の関根多佳雄は、事件を解決して正義をもたらすヒーローではありません。彼はむしろ、日常に潜む謎や、人間の心の不可解さ、世界の奇妙さを、静かに観察し、味わう人物です。だからこそ、多くの物語は明確な解決を見ないまま、読者の心にざわめきや問いを残して終わります。消化不良だと感じる人もいるかもしれませんが、私はその「割り切れなさ」こそが、この作品集の深い魅力だと感じています。
世界は、私たちが普段認識しているよりも、ずっと複雑で、不可解で、時に美しく、時に残酷な側面を持っているのかもしれない。関根多佳雄は、その世界の「壁紙」をそっと剥がして、私たちにその下の景色を垣間見せてくれる案内人のようです。その景色は、必ずしも心地よいものばかりではありませんが、私たちの好奇心を強く刺激し、物事を多角的に見る面白さを教えてくれます。恩田陸さんの紡ぐ、少し湿り気を含んだような、それでいてどこか乾いた独特の文章も、その世界観を形作る上で欠かせない要素でしょう。
スピンオフ作品でありながら、独立した作品として非常に高い完成度を持つ「象と耳鳴り」。関根多佳雄という魅力的なキャラクターと、彼が遭遇する十二の謎めいた物語は、読むたびに新たな発見と、考える楽しみを与えてくれます。派手さはないかもしれませんが、じっくりと腰を据えて、言葉の裏にあるもの、語られない物語に思いを馳せたい時に、ぴったりの一冊だと思います。
まとめ
恩田陸さんの短編集「象と耳鳴り」について、物語の概要と、ネタバレを含む詳しい感想をお届けしました。主人公である元判事・関根多佳雄が、日常に潜むささやかな謎から過去の不可解な事件まで、持ち前の好奇心と推理力でその真相(かもしれないもの)に迫っていく様子が描かれています。収録された12の物語は、ミステリー、都市伝説、人間ドラマなど、多彩な要素を含んでおり、それぞれが独特の味わいを持っています。
この作品集の大きな特徴は、多くの謎が明確には解決されないまま終わる点にあります。多佳雄は真実に肉薄しますが、それを証明したり、公にしたりすることは稀です。そのため、読後にはもやもやとした感覚や、さらなる疑問が残ることも少なくありません。しかし、その割り切れなさや余韻こそが、「象と耳鳴り」の持つ独特の魅力であり、読者に深い思索を促す力となっているように感じます。日常の風景の裏側を覗き見るような、少しぞくっとする面白さがあります。
関根多佳雄という人物の、飄々としていながらも鋭い観察眼を持つキャラクターも、この作品の大きな魅力です。彼の視点を通して語られる物語は、私たちに世界の多面性や人間の心の不可解さを教えてくれます。もし、型にはまったミステリーとは一味違う、静かで知的な興奮と、読後に長く残る余韻を求めているなら、「象と耳鳴り」はぜひ手に取っていただきたい一冊です。恩田陸さんの他の作品との繋がりを探してみるのも楽しいかもしれませんね。