小説「豆の上で眠る」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。この物語は、ある日突然いなくなった姉と、残された妹、そして二年後に帰ってきた「姉」を巡る、家族の記憶と真実についての物語なんです。読み進めるうちに、ページをめくる手が止まらなくなりました。
湊かなえさんの作品といえば、人間の心の奥底にある、ちょっと暗くてヒリヒリするような部分を巧みに描かれるのが特徴ですよね。「豆の上で眠る」も、その例に漏れません。姉妹の繊細な関係性、家族それぞれが抱える秘密や想いが、少しずつ明らかになっていく過程は、息をのむような展開の連続でした。
この記事では、まず物語の骨子となる部分を追いかけ、その後、物語の核心に迫る部分や、私が読んで感じたことなどを詳しくお話ししたいと思います。未読の方は、ネタバレを含む箇所にご注意いただきながら、読み進めていただけると嬉しいです。それでは、「豆の上で眠る」の世界へご案内しますね。
小説「豆の上で眠る」の物語の概要
物語の中心となるのは、大学生の結衣子です。彼女が小学一年生の夏、二歳年上の姉・万佑子が忽然と姿を消します。神社の裏山にある秘密基地で一緒に遊んでいたはずなのに、少し目を離した隙にいなくなってしまったのです。スーパーに残された帽子、不審な白い車、変質者の噂…懸命な捜索もむなしく、万佑子の行方は杳として知れませんでした。
二年という月日が流れたある日、警察から連絡が入ります。神社の鳥居の下で、万佑子らしき女の子が保護されたというのです。家族は喜び勇んで駆けつけますが、そこにいたのは、衰弱し、失踪中の記憶を失ったと話す少女でした。顔立ちは万佑子の面影を残してはいるものの、結衣子はどこか拭いきれない違和感を覚えます。成長したから、だけでは説明できない何かを感じ取ってしまうのです。
家族は万佑子の帰還を喜び、以前と変わらず接しようと努めます。しかし、結衣子の心のわだかまりは消えません。帰ってきた万佑子は、以前は大好きだった猫にアレルギー反応を示したり、結衣子が投げかける昔の思い出に関する質問に、どこかぎこちなく答えたりします。結衣子は「この人は本当にお姉ちゃんなのだろうか?」という疑念を、大学生になった現在まで、ずっと胸の内に秘めて生きてきたのです。
夏休みに実家へ帰省した結衣子は、ある出来事をきっかけに、再び過去の事件と向き合うことになります。母方の祖母が残した当時のノートや、父親の不審な行動、そして、目の前にいる「姉」の友人との出会い…。散りばめられたピースが少しずつ繋がり始め、結衣子は姉の失踪と帰還に隠された、衝撃的な真実に近づいていくことになります。家族の誰もが目を背けてきた、その真実とは一体何なのでしょうか。
小説「豆の上で眠る」の長文感想(ネタバレあり)
さて、ここからは物語の核心に触れながら、私が「豆の上で眠る」を読んで感じたことを、詳しくお話ししていきたいと思います。まだ結末を知りたくないという方は、ご注意くださいね。
大学生になった結衣子の違和感
物語は、大学生になった結衣子が夏休みに帰省するところから始まります。駅のカフェで、姉の万佑子が友人と一緒にいるのを見かけます。その友人、遥の目元には、かつて万佑子にあったはずの「豆のさや」のような形の傷跡がありました。この瞬間、結衣子が長年抱き続けてきた違和感が、再び強く頭をもたげます。「どうして、お姉ちゃんにあったはずの傷が、友達にあるの?」と。声をかけようとした矢先、二人はテイクアウトして去ってしまい、追いかけようとした結衣子は貧血で倒れてしまいます。付き添いを拒否して先に行ってしまったという万佑子の行動も、結衣子の疑念を深めるのでした。
この冒頭のシーンは、読者にも「何かがおかしい」と感じさせる、非常に巧みな導入だと思いました。結衣子が抱える長年の疑念が、決して彼女の思い込みだけではないかもしれない、ということを強く示唆していますよね。
姉の失踪と、残された家族の苦悩
物語は、結衣子の回想を通して、万佑子が失踪した当時の状況へと遡ります。小学一年生の結衣子と三年生の万佑子が作った秘密基地。先に帰ると言った万佑子を引き留めなかったことへの罪悪感が、幼い結衣子を苛みます。警察の捜査、身代金目的ではない誘拐、少ない手がかり…家族は憔悴しきっていきます。
特に母親の行動は、読んでいて胸が締め付けられるようでした。万佑子は変質者に誘拐されたのだと信じ込み、スーパーでの張り込みを続け、周囲から奇異の目で見られてもやめません。そして、その執念は、娘である結衣子にまで向けられます。猫の『ブランカ』を飼い始め、わざと隠しては「ブランカを探してきて」と結衣子に言い、怪しいと睨んだ家を探らせるのです。母親の異常なまでの行動は、万佑子を失った悲しみと絶望が生んだものなのでしょうが、結果的に結衣子を深く傷つけ、孤立させていきます。近所の大人から「犯人探しの片棒を担がされている」と指摘され、母親に問い詰めてもあっさりと認められ、むしろ積極的に協力させられるようになる場面は、読んでいて本当に辛かったです。結衣子は、姉を失った悲しみに加え、母親からの精神的な圧力、そしてクラスメイトからのいじめという、二重三重の苦しみを背負うことになってしまうのです。
帰ってきた「姉」と深まる謎
二年後、万佑子とされる少女が保護されます。しかし、結衣子の目には、その少女がどうしても万佑子本人とは思えません。記憶喪失を主張する少女。猫アレルギーの発覚。結衣子が仕掛ける「本物の万佑子しか知らないはずの質問」に対する、最初は答えられなくても翌日には正解が返ってくるという不自然さ。これらの出来事は、結衣子の疑念を確信へと近づけていきます。
ここで登場するのが、DNA鑑定です。母方の祖父が提案し、意外にも当の万佑子本人が受け入れると言い出します。結果は「両親の子である可能性が極めて高い」。これで一件落着かと思いきや、結衣子と祖母だけは納得できません。祖母のノートには「戻ってきたあの子は、顔も、体型も、声も、子どもの頃の春花(結衣子の母親)そのものではないか」と記されています。DNA鑑定は親子関係を証明しただけであり、「失踪前の万佑子」と「帰ってきた万佑子」が同一人物である証明にはならない。この点に気づいているのは、結衣子だけなのです。
明かされる衝撃の真実
物語は現在に戻り、結衣子はついに核心へと迫ります。父親の携帯に残された万佑子からのメール。「結衣子、私のこと何か言ってた? 遥と一緒にいるところ、見られたかも。」父親も何かを知っている。そして、万佑子の失踪から三年八か月後に自首してきた岸田弘恵という女性の存在。彼女は「母親になってみたかった」と供述し、父親の中学・高校の同級生であったこと、再会した際に父親に忘れられていたことから歪んだ執着を抱き、万佑子を誘拐したと話します。そして、万佑子が母親(結衣子の母親)に似てきたことに気持ちが落ち着き、記憶喪失を装うよう指示して解放し、罪悪感からではなく、変質者に誘拐されたと思われる万佑子が可哀想だと思い自首した、と。
一見、これで全ての辻褄が合うように思えます。しかし、結衣子の違和感は消えません。結衣子は、父親の携帯から万佑子へ「結衣子が手首を切った」と嘘のメールを送ります。案の定、万佑子は遥と一緒に駆けつけます。そこで結衣子は、遥に向かって言い放つのです。「万佑子ちゃんなんでしょ」と。
ここから、堰を切ったように真実が語られ始めます。目の前にいる万佑子は、あっさりと自分が「本物の万佑子」ではないかもしれない、と認めます。そして、衝撃の事実が明かされるのです。
実は、今、結衣子の目の前にいる「万佑子」は、元々は「遥」という名前でした。そして、カフェで見かけた友人「遥」こそが、本当の「万佑子」だったのです。二人は、産院で取り違えられていたのでした。
さらに驚くべきことに、この取り違えは偶然ではなく、意図的に行われたものでした。実行犯は、自首してきた岸田弘恵。しかし、彼女の動機は供述とは全く異なりました。弘恵には、生まれつき心臓が弱く、さらに婚約者を事故で亡くし、両親も事故で亡くしている奈美子という姉がいました。奈美子は婚約者の子供を身ごもりますが、胎児の心音に異常があると診断され、生きる気力を失いかけます。そこで産婦人科で働いていた弘恵は、姉を絶望から救うため、同じ日に出産予定だった結衣子の母親の赤ちゃんと、奈美子の赤ちゃんを故意に入れ替えたのです。それが、今の「万佑子」(元・遥)と、今の「遥」(元・万佑子)でした。
複雑に絡み合う運命と、それぞれの「言い分」
罪悪感を抱えつつも、元気な赤ちゃん(今の万佑子)を見て喜ぶ奈美子の姿に、弘恵は自分の行いを正当化していました。しかし、数年後、血液検査で取り違えが発覚します。奈美子と亡き婚約者はO型なのに、育てている子供(今の万佑子)はA型だったのです。弘恵は自分がやったとは言わず、「取り違えがあったかもしれない」と奈美子に伝えます。
その後、奈美子は偶然、実の子である「万佑子」(今の遥)を見かけ、家に連れて帰ってしまいます。それを誘拐だと勘違いした弘恵が、奈美子と万佑子(今の遥)に真実を告げ、二年間、三人で暮らすことになったのです。
そして、今の「万佑子」(元・遥)は、小学三年生の時に奈美子から真実を打ち明けられ、本当の名前は「万佑子」だと告げられます。初めは奈美子の元にいたいと駄々をこねますが、その後、実の親の元に引き取られた本当の子供(今の遥)も一緒に暮らすことになり、奈美子の愛情がそちらに移っていくのを感じ取ります。それが決定打となり、彼女は記憶喪失を装って、結衣子のいる「本物の家族」の元へ帰ることを決意したのでした。結衣子に疑われていることにも気づいており、その都度、本物の万佑子(今の遥)と連絡を取り合い、自分が万佑子である証拠を提示し続けていたのです。DNA鑑定は、彼女にとって渡りに船だったわけです。
一方、本物の万佑子(今の遥)は、自分がこの家の子ではないと薄々感じていたといいます。奈美子に抱きしめられた時、「自分はここにいなければいけない」と感じ、結衣子の両親を「裏切った」という意識は薄いようでした。そして、今さら結衣子の「万佑子」に戻る気はない、結衣子と今の万佑子は本当の姉妹なのだから問題ない、とどこか突き放したように語るのでした。
父親もまた、この入れ替わりの事実を知りながら、黙っていたことが判明します。
「本物」とは何か? 結衣子の絶望
全ての真実を知った結衣子は、混乱し、激しい怒りと絶望に襲われます。自分が待ち望んでいた「お姉ちゃん」は、どこにもいなかった。帰ってきた姉は、自分を騙し続けていた偽物。そして、本物だと思っていた姉は、あっさりと自分たち家族を捨てていた。信じていた父親にも裏切られていた。さらに、失踪当時の目撃証言(白い車)は嘘だったこと、心の支えだった愛猫ブランカが、もらわれた先で一年後に事故死していたことまで知らされます。
結衣子の世界は、まるで足元から崩れ落ちるようでした。積み上げてきたものが全て砂上の楼閣だったかのように、一瞬にして崩壊してしまったのです。(←比喩をここに入れました) 誰も信じられない。誰も許せない。彼女は家を飛び出し、交番へ向かいます。「岸田弘恵に訊きたいことがある」と訴えますが、その言葉は混乱し、もはや冷静さを失っています。
結衣子が最後に問いかけるのは、「本物とは何か?」という、答えの出ない問いでした。血の繋がりなのか、過ごした時間なのか、記憶なのか。この物語は、その問いに対する明確な答えを示しません。ただ、登場人物それぞれの身勝手さやエゴ、そして運命のいたずらによって翻弄され、傷つき、壊れていく家族の姿を、冷徹なまでに描き出しているのです。
読後感とタイトルの意味
読み終えた後、ずっしりと重いものが心に残りました。これぞ「イヤミス」の真骨頂、という感じでしょうか。誰一人として、完全な「善人」も「悪人」もいない。それぞれの立場での「正しさ」や「言い分」がある。しかし、それらが複雑に絡み合い、結果として誰も幸せにならない、むしろ深い傷を負うという結末を迎えます。特に、結衣子の最後の姿は、あまりにも痛々しく、救いがありません。彼女がこの後どうなってしまうのか、考えると胸が苦しくなります。
そして、タイトルの「豆の上で眠る」。これは、アンデルセン童話『エンドウ豆の上に寝たお姫さま』から取られていますよね。何枚もの布団やマットレスを重ねても、その下にある一粒のエンドウ豆の存在に気づき、眠れないのが「本物のお姫さま」である、というお話です。結衣子は、帰ってきた姉に対して感じた微かな違和感、まさに「豆粒」のようなそれに、ずっと気づき続けていました。周りの誰もが「気のせいだ」「もう忘れなさい」と言う中で、彼女だけがその違和感の正体を突き止めようとした。しかし、その結果、彼女が辿り着いたのは、おとぎ話のようなハッピーエンドではなく、残酷な真実だったわけです。このタイトルは、物語の核心と結衣子の心情を、見事に象徴していると思いました。
湊かなえさんの描く世界は、決して明るく楽しいものではありません。人間の心の弱さ、醜さ、身勝手さが容赦なく描かれます。それでも、私たちはその世界に引き込まれ、登場人物たちの行く末を見届けずにはいられない。それは、彼女の描く物語が、どこか私たちの現実世界の延長線上にあるような、他人事ではないリアリティを帯びているからなのかもしれません。この「豆の上で眠る」もまた、読後に様々なことを考えさせられる、深く、そして重い、忘れられない一冊となりました。
まとめ
湊かなえさんの小説「豆の上で眠る」は、姉の失踪と二年後の帰還、そして妹が抱き続ける違和感という謎を軸に、家族の秘密と崩壊を描いた、衝撃的な姉妹ミステリーでした。この記事では、物語の概要から核心部分のネタバレ、そして私が感じたことなどを詳しくお話しさせていただきました。
物語は、結衣子の視点を中心に、過去と現在を行き来しながら進みます。少しずつ明らかになる事実、登場人物たちの食い違う証言や記憶、そしてDNA鑑定という科学的な証拠さえもが、単純な解決を許しません。「本物とは何か?」という問いが、読者にも重くのしかかってきます。散りばめられた伏線が回収され、全ての真相が明らかになった時の衝撃は、言葉になりませんでした。
読後感は、正直に言って、決して爽やかなものではありません。人間のエゴや身勝手さ、そして運命の残酷さが、これでもかと描かれています。しかし、だからこそ強く心に残り、色々と考えさせられる作品でもあります。湊かなえさん特有の、人間の心の暗部を鋭く抉るような筆致が好きな方、一筋縄ではいかないミステリーを読みたい方には、ぜひ手に取ってみていただきたい一冊です。ただし、読後、しばらく引きずる可能性は覚悟しておいた方が良いかもしれませんね。