小説「虹のような黒」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長い感想も書いていますのでどうぞ。

連城三紀彦の長編「虹のような黒」は、長らく単行本として世に出ることのなかった「幻の作品」として知られています。2002年から2003年にかけて「週刊大衆」で連載されていましたが、実に16年の歳月を経て、2019年8月に幻戯書房からようやく単行本として日の目を見ました。この出版までの長い道のりは、作品が単なる一般的なミステリーの枠には収まらない、特別な内容を秘めていることを強く示唆しています。ファンにとっては、この「最後の未刊長篇」の登場は、連城作品への期待を一層高める出来事でした。

本作は「官能ミステリー」というジャンルで括られており、連城三紀彦がこれまで描いてきた、人間の愛欲に翻弄される姿が物語の核をなしています。単なる犯罪の謎解きに留まらず、性的な欲望、愛憎、背徳といった普遍的なテーマが深く織り込まれているのが特徴です。連城三紀彦らしい緻密な心理描写とミステリー要素が密接に絡み合い、読者に深い洞察を促す作品に仕上がっています。

この作品は、その深遠なテーマと、長期間の未刊行という経緯から、読者の間で大きな関心を集めてきました。特に、連城三紀彦のファンにとっては、彼の創作活動における重要な一端を担う作品として、その内容が非常に注目されていました。単行本化されることで、より多くの読者がこの「幻の作品」に触れる機会を得たことは、文学界にとっても喜ばしいことと言えるでしょう。

「虹のような黒」は、連城三紀彦の真骨頂とも言える人間描写と、予測不能なミステリーが融合した一冊です。読者は、登場人物たちが織りなす複雑な人間関係と、次々と明らかになる衝撃の事実に引き込まれ、最後のページまで目が離せなくなるはずです。

小説「虹のような黒」のあらすじ

物語は、大学院生の麻木紀子を中心に展開していきます。彼女は聖英大学英文学科教授である矢萩浩三と不倫関係にあり、現在の恋人である出版社の社員、沢井彰一に別れ話を切り出す喫茶店のシーンから始まります。紀子は矢萩教授との結婚を望んでおり、沢井との関係を清算しようとしていたのです。この不倫関係が、物語の「官能ミステリー」としての側面を最初から際立たせ、登場人物たちの行動や心理に深く影響を与えていきます。

別れ話の最中、沢井は紀子に一枚の「奇妙な絵」を見せます。それは、紀子と矢萩の情事を描いたかのように見えるもので、彼らの不倫関係が何者かに知られていることを示唆する不穏なものでした。さらに、この絵は矢萩教授自身や、彼のゼミ生たちの元にも何枚も送りつけられていたという事実が判明し、単なる個人的な暴露に留まらない、広範囲にわたる悪意ある行為であることが示唆されます。この謎の絵は、今後の事件の重要な鍵を握ることになります。

紀子は喫茶店の窓から、矢萩の「奇妙な行動」を目撃します。その行動が事件にどう繋がるのかは、読者の興味を引く重要な伏線として機能します。その二日後、衝撃的な事件が発生します。矢萩の研究室でレイプ事件が起こるのです。この事件の最も不可解な点は、犯人が「密室状態の研究室にどこからともなく現れ、そして消えた」ことと描写されている点でした。

麻木紀子、沢井彰一、矢萩浩三、そして矢萩の妻である矢萩絢子、さらに矢萩のゼミ生である海津量太、安田優也、犬飼有美、光瀬紗枝といった面々が事件を取り巻く人間関係を形成します。この複雑な人間関係は、単なる不倫劇を超え、嫉妬、欲望、裏切りといった人間の「業」が複雑に絡み合う構図を示唆します。誰が絵を送ったのか、誰がレイプ事件の犯人なのか、という問いは、それぞれの人物の隠された感情や動機を暴き出すプロセスへと繋がっていきます。

小説「虹のような黒」の長文感想(ネタバレあり)

連城三紀彦の「虹のような黒」を読み終えて、まず感じたのは、やはり連城三紀彦という作家が、人間の愛憎というものをこれほどまでに深く、そしてえぐり出すように描けるのかという圧倒的な驚きでした。いわゆる「官能ミステリー」と称される本作ですが、単に性的な描写に終始するのではなく、その根底に流れる人間の「業」と呼ぶべき情念が、物語全体を支配しています。レイプ事件、不倫、そして謎の猥褻画といった要素は、決してセンセーショナルさを狙ったものではなく、愛欲に翻弄される人間の心の闇を緻密に描き出すための、不可欠な装置として機能しています。登場人物たちは、それぞれの愛や欲望に突き動かされ、結果として事件を複雑化させ、互いを疑い、傷つけ合う状況を生み出していくのです。連城三紀彦が、人間の心の奥底に潜む狂気にも似た感情を深く抉り出すことに長けていることを改めて痛感させられました。

本作が「連城作品としては非常に珍しいフーダニットに主眼を置いたミステリー」であるという点も、大きな見どころです。彼の作品は、どちらかというと犯人の「なぜ」という動機や、その背後にある心理的な葛藤に焦点を当てることが多い印象ですが、「虹のような黒」では、古典的な「密室」の要素が前面に押し出されています。犯人が密室状態の研究室にどこからともなく現れ、そして消えたという不可解な描写は、読者に犯人探しへの強い興味を抱かせます。しかし、連城三紀彦が単なるトリックの披露に終わるはずはありません。この密室トリックもまた、登場人物たちの心理状態や認識の歪みを利用したものである可能性が高く、物理的な不可能さだけでなく、目撃者の心理的な混乱や、事件の異常性を際立たせています。

物語は、様々な事実が小出しにされ、事件の様相が二転三転していく展開を見せます。これはまさに連城作品の醍醐味であり、読者の予測を裏切り続ける多層的な構造が、最後まで飽きさせません。登場人物たちの印象は目まぐるしく変化し、誰が真の被害者で、誰が真の加害者なのか、その境界線が曖昧になっていきます。真相が「二転三転」する展開は、読者の固定観念や先入観を揺さぶり、真実が一つではない、あるいは真実の捉え方が多様であることを示唆しています。これは、連城三紀彦が描く人間の認知の曖昧さや、表面的な事実の裏に隠された複雑な心理が浮き彫りになる瞬間でもあります。読者は、自らの認識がいかに容易に操作され得るかを、この物語を通して体験することになるでしょう。

特に印象深いのは、物語の冒頭から登場する「奇妙な絵」、特に「猥褻画」が単なる小道具ではなく、「重要なアイテム」として機能している点です。著者自らが手掛けたという72点もの挿画が本文と連動し、「著者ならではの企みに満ちた『仕掛け』」となっているのは、連城三紀彦の作品の中でも特筆すべき試みと言えるでしょう。この絵は、視覚的な情報操作や、心理的なミスリード、あるいは隠された真実を暗示する役割を担っています。絵が「重要なアイテム」であり、かつ「仕掛け」であることは、単なる物理的なトリックではなく、絵の持つ象徴性や、それを見た登場人物たちの解釈、あるいは絵が引き起こす心理的反応が、事件の進展に不可欠であることを示唆しています。読者もまた、絵の解釈を通じてミスリードされる可能性を秘めており、作者が読者に対して仕掛けた「ゲーム」の存在を強く感じさせます。

連城三紀彦の作品全体に共通する「人間は愚かな生物なのだとの諦念」という人間観は、「虹のような黒」においても深く反映されています。登場人物たちは、自身の欲望や感情に突き動かされ、時に愚かな選択をすることで、事件をさらに複雑にし、自らを苦境に陥れていきます。彼らは、自身の内面に潜む「歪み」によって、自ら破滅的な状況を引き起こし、あるいは他者を巻き込んでいくのです。これは、犯罪が単なる悪意からではなく、人間が持つ避けがたい本質的な「愚かさ」から生じるという、より深いテーマを示唆していると言えるでしょう。

物語の終盤に訪れる「畳みかけるような真相の反転」は、連城三紀彦の真骨頂です。それまでの読者の推測や、登場人物たちの証言が次々と覆され、全く異なる真実が提示される様は圧巻です。この反転は、単なるトリックの披露に終わるだけでなく、人間の心理の奥深さ、あるいは欺瞞、そして真実の多面性を浮き彫りにします。読者は、物語を通して構築してきた「現実」や「真実」の認識を根本から揺さぶられることになります。これは、連城が読者に仕掛ける心理的なトリックであり、人間の知覚や判断の曖昧さを問いかけるものです。

「虹のような黒」は、連城三紀彦が「密室テーマを扱った数少ない作品の一つ」であるという点で、彼のキャリアの中でも異色な位置づけにあります。彼の作品は通常、心理的なトリックや人間関係の複雑さに重きを置くことが多い中で、古典的なフーダニットと密室というガジェットを本格的に取り入れている点は特筆すべきです。この「密室」という古典的なミステリー要素と、連城特有の「官能ミステリー」としての愛憎劇、そして「真相の反転」が融合している点は、連城三紀彦が新たな表現形式を模索した結果であり、彼の作家としての幅広さを示すものと言えるでしょう。これは、彼のミステリー観の進化を示す作品として高く評価できます。

また、連載時の自筆挿画が「仕掛け」の一部として機能している点も、他の作品には見られないユニークな試みであり、著者自身の作品に対する深いこだわりと遊び心が感じられます。この自筆挿画の完全収録は、単なる装飾ではなく、物語の謎解きやミスリード、あるいは登場人物の心理描写に深く関わる「仕掛け」として、読者に新たな読書体験を提供します。これは、連城三紀彦という作家の多才さと、物語の表現に対する飽くなき探求心を示すものと言えるでしょう。挿画が「仕掛け」として機能する点は、物語のテキスト層だけでなく、視覚的な層にも謎解きのヒントやミスリードが隠されていることを示唆します。これは、読者が物語を再読する際に、新たな発見を促すメタフィクショナルな要素であり、作品の芸術的価値を高めていると感じました。

「最後の未刊長篇」として16年の時を経て刊行されたことは、本作が連城三紀彦の創作活動における重要な空白を埋める作品であることを意味します。この作品を通じて、彼の晩年の創作意欲、ミステリーへの新たな挑戦、そして人間心理への深い洞察が、より明確に浮かび上がってきます。これは、連城三紀彦研究における重要な資料となり得るでしょう。「虹のような黒」は、彼のキャリアにおける重要なピースとして、連城三紀彦の作家像を完成させる上で不可欠な存在です。読み終えた後も、愛欲に翻弄された人間たちの葛藤や、二転三転する真相、そして最終的な反転が、読者に深い心理的な印象を残し、何とも言えない余韻が胸に広がる傑作でした。

まとめ

連城三紀彦の「虹のような黒」は、長らく「幻の作品」とされてきた長編であり、2019年に満を持して単行本化されたことで、多くの読者を魅了しました。本書は「官能ミステリー」というジャンルに分類され、人間の愛欲が引き起こす複雑な人間関係と、その深奥に潜む「業」を緻密に描いています。物語は、大学院生・麻木紀子と教授・矢萩浩三の不倫関係を軸に、謎の猥褻画の出現、そして密室でのレイプ事件へと展開していきます。

物語は二転三転する真相と、登場人物たちの心理の綾が巧みに描かれており、読者は最後の最後まで予測を許しません。連城三紀彦が「フーダニット」に重きを置いた珍しい作品でありながらも、単なる犯人探しに終わらず、その背後にある人間の心の闇を深く掘り下げています。特に、著者自身が手掛けた挿画が物語の「仕掛け」として機能している点は、本書のユニークな魅力であり、視覚的な情報もまた謎解きの重要な要素となっています。

「虹のような黒」は、連城三紀彦が追求し続けた人間の「愚かさ」と「欲望」という普遍的なテーマを、密室トリックと官能的な描写、そして意外な結末を通して見事に描ききっています。読み終えた後も、その余韻が深く心に残り、人間の感情の複雑さや真実の多面性について深く考えさせられるでしょう。

この作品は、連城三紀彦の作家としての新たな挑戦と、彼の人間心理への深い洞察が凝縮された一冊と言えます。彼のファンはもちろん、人間の心の闇を描いたミステリーを好む読者にも、ぜひ手にとっていただきたい傑作です。