小説『翼をください』のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。

原田マハさんの作品は、いつも歴史の隙間に光を当て、私たちが見過ごしてきた真実や感情を鮮やかに描き出してくれますよね。特にこの『翼をください』は、彼女が史実をベースにフィクションを紡ぎ出すという、その後の傑作群へと繋がる独自のスタイルを確立した記念すべき一作なんです。美術をテーマにした作品が多い中で、本作が航空機に焦点を当てているのは、飛行機愛好家の友人の提案がきっかけだったというから驚きですね。そんな意外な誕生秘話もまた、この物語の魅力を一層深めているように感じます。

物語は、現代の新聞記者である青山翔子が、社内の資料室で一枚の古い写真を見つけるところから始まります。それは1939年に世界一周飛行を成し遂げた日本の国産飛行機「ニッポン号」に関するもの。しかし、その写真には、信じがたい真実が隠されていることが示唆されるのです。翔子はこの謎を解明すべく、当時ニッポン号のプロジェクトにカメラマンとして参加していた伝説の男、山田順平を追って、遠くアメリカのカンザス州アチソンへと旅立ちます。

山田の証言が、歴史の闇に葬られた真実を明らかにする鍵となるという構成は、単なる歴史物語にとどまりません。歴史がどのように語り継がれ、あるいは隠蔽され、個人の探求によっていかに真実が掘り起こされるのか、という歴史の「語り方」そのものへの問いかけが込められています。公式な記録だけでは捉えきれない、人々の記憶や感情に根差した歴史の側面が浮き彫りにされることで、私たちは歴史の多層性と、真実が持つ普遍的な意味について深く考えさせられるでしょう。

小説『翼をください』のあらすじ

暁星新聞の記者である青山翔子は、物語の現代パートにおいて、過去の真実を追う探求者として登場します。彼女の旅は、社内の資料室で1939年に世界初の世界一周を成し遂げた「ニッポン号」の古い写真を発見したことから始まりました。この一枚の写真が、彼女の記者としての好奇心を強く刺激し、歴史の深奥に隠された物語を解き明かす旅の出発点となります。

翔子は当初、上司に「記者を辞めなさい」とまで言われるほど、無難な質問しかできず、面白い記事を引き出せない記者でした。しかし、この写真との出会いが彼女の記者としての執念と探求心に火をつけ、彼女を突き動かす原動力となるのです。これは、読者が物語に感情移入しやすくするだけでなく、歴史の真実が「偶然の発見」や「個人の執念」によって掘り起こされる可能性を象徴しています。

翔子は、写真の謎を解くため、ニッポン号の世界一周飛行にカメラマンとして同行したとされる山田順平を追って、アメリカのカンザス州アチソンを訪れます。山田は現在、老人ホームで暮らしており、翔子から渡された古い写真を見て、重い口を開き、秘められた真実を語り始めます。山田の視点を通して、物語は1930年代のニッポン号の壮大な飛行と、そこに隠された驚くべき事実へと時を遡るのです。

物語の主要な舞台は1930年代、第二次世界大戦前夜の緊迫した世界情勢です。この時代は、各国が自国の権益を守るために牽制し合い、表面的な平和の裏で侵略計画が秘密裏に進められていた時期として描かれています。このような国際情勢下において、日本は三菱重工業製の「九六式陸上攻撃機」を長距離飛行用に改造した国産飛行機「ニッポン号」を開発します。これは当時の日本の高い航空技術力を示すものでした。

毎日新聞社は創立記念事業として、国際親善と日本の航空技術力の誇示を目的として、国産機「ニッポン号」による世界一周飛行を計画します。これは、当時としては前人未到の壮大な挑戦でした。ニッポン号は、機長を含む7名の乗組員で構成され、彼らは日本の期待を背負い、空へと飛び立ちます。彼らの飛行は、悪天候、高高度での酸欠と寒さ、そびえる山脈、そして立ち寄った国からの嫌がらせなど、数々の困難に直面します。

小説『翼をください』の長文感想(ネタバレあり)

原田マハさんの『翼をください』を読み終えて、まず心に残ったのは、その圧倒的な構成力と、歴史の隙間を埋める大胆なフィクションの融合が織りなす感動でした。物語は、現代を生きる新聞記者の青山翔子が過去の謎を追うジャーナリスティックな視点と、1930年代の世界一周飛行に挑む「ニッポン号」の壮大な冒険、そして伝説の女性飛行士エイミー・イーグルウィングの純粋な理想が交錯することで、重層的な深みと普遍的なメッセージを獲得しています。単なる歴史物語にとどまらず、私たちに「真実とは何か」「平和とは何か」を問いかける、深く心に響く作品と言えるでしょう。

特に印象的だったのは、現代の語り手である青山翔子の成長の描写です。物語の冒頭で、彼女は上司に「記者を辞めなさい」とまで言われるほど、どこか受動的で、自身の仕事に情熱を見出せずにいる姿が描かれます。しかし、一枚の古い写真との出会いが、彼女の内に秘められた記者としての執念と探求心に火をつけます。この「発見」が、単なる好奇心に終わらず、彼女をアメリカの地まで駆り立て、歴史の深奥に挑む原動力となる過程は、読者自身の心にも共感を呼び起こします。私たちは、翔子の目を通して、失われた歴史のピースを一つずつ拾い集めていくような感覚を味わい、彼女の成長と発見の喜びを共有することができるのです。彼女の粘り強い取材は、歴史の真実が必ずしも公的な記録の中にだけあるわけではなく、個人の記憶や遺品の中にこそ息づいていることを教えてくれます。

そして、物語の核となる「ニッポン号」の世界一周飛行は、当時の日本の航空技術の粋を集めた偉業であり、同時に国際親善と国威発揚という二つの目的を背負っていました。軍用機を改造した機体で平和目的の飛行を行うという行為自体が、第二次世界大戦前夜という緊迫した時代において、日本が置かれていた複雑な立場を雄弁に物語っています。悪天候、高高度での過酷な環境、他国からの嫌がらせなど、数々の困難に直面しながらも、7名の乗組員たちが力を合わせ、前人未到の挑戦に挑む姿は、人間の飽くなき探求心と勇気を象徴しています。特に、飛行中にドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発するという皮肉な出来事が彼らの飛行に影を落とす描写は、個人の純粋な夢や努力がいかに大きな歴史の流れや政治的思惑によって翻弄されるかを示唆し、読者に深い感慨を与えます。空を駆ける彼らの姿と、地上で繰り広げられる戦争の対比は、平和の尊さと、人間が作り出す分断の愚かさを浮き彫りにします。

物語に鮮やかな色彩を与えるのは、架空の人物であるエイミー・イーグルウィングの存在です。アメリア・イアハートをモデルとした彼女は、単なる伝説の飛行士ではありません。「空から見れば、国境なんて無い。世界はひとつ」という彼女の信念は、この物語の最も重要なメッセージであり、分断された世界における希望の光そのものです。エイミーの飛行の夢が、アメリカ政府の軍事戦略に利用されそうになるという陰謀は、純粋な理想がいかに国家の利害によって歪められうるかという現実を突きつけます。彼女の「失踪」が、国家の思惑から逃れるための「身を隠す行為」であったという大胆なフィクションは、歴史の未解決の謎に新たな解釈を与え、個人の自由な意志が国家権力によっていかに抑圧され、そして抵抗しうるかというテーマを深く掘り下げています。

そして、本作の最も創造的な部分であり、読者を驚かせるのは、エイミーが奇跡的に日本の海軍によって回収され、密かにニッポン号の「8人目の乗組員」として加わるという展開でしょう。この大胆なフィクションは、史実の隙間を埋めるだけでなく、「国境を超えた協力」という物語の最も重要なテーマを具体化しています。当初、アメリカ人が同乗することに戸惑いを覚えていたニッポン号の乗組員たちが、エイミーの卓越した飛行技術と「空に国境はない」という純粋な信念に触れ、彼女を完全な仲間として受け入れていく過程は、感動的の一言に尽きます。彼らが共に困難を乗り越え、共通の情熱と人類愛によって結ばれていく姿は、第二次世界大戦を目前に控えた日米間の緊張が高まる時代において、理想的な国際関係のあり方を象徴的に描いているように感じられます。

エイミーがニッポン号の飛行中に起こる様々なピンチ、特に戦闘機からの銃撃のような危機において、その卓越した飛行技術と冷静な判断力でクルーに勇気を与え、危機を救う重要な役割を果たす場面は、手に汗握るスリルと同時に、彼女の存在の大きさを際立たせます。彼女が乗組員たちに「空の上では、男も女もない。アメリカ人も、ユダヤ人も、日本人もないのです。私たちは、等しく自由なのです」と語りかける言葉は、彼らの視野を広げ、真の「国際協力」が、技術や国籍を超えた人間性に基づいているというメッセージを深く刻み込みます。これは、国家間の対立が深まる時代において、個人の繋がりが持つ力がどれほど強大であるかを示唆し、分断された世界における希望の光となるのです。

ニッポン号が1939年に史上初の「世界一周飛行」を成功させるという偉業を成し遂げながらも、その功績が戦後、GHQの指導の下、日本の航空機の研究・設計・製造が全面的に禁止されたことで、歴史の闇に葬られてしまうという事実は、私たちに深い衝撃を与えます。歴史は勝者によって書き換えられ、敗者の功績が意図的に抹消されるという負の側面を浮き彫りにすることで、物語は青山翔子の探求を通して、意図的に隠された歴史の真実を掘り起こすことの重要性を訴えかけます。過去の出来事が現代に与える影響、そして歴史の記憶がいかに形成されるかという問いは、読者の心に長く響き続けるでしょう。

この作品は、単なる歴史フィクションに留まらず、歴史の真実を掘り起こすことの意義、そして人間の普遍的な夢と、それを阻む現実との葛藤を描き出しています。エイミーの「空から見れば、国境なんて無い。世界はひとつ」という言葉は、第二次世界大戦前夜という時代背景と、現代の国際紛争が続く現状に重ね合わせられ、普遍的な平和への切なる願いとして読者に強く訴えかけます。空という視点から国境の無意味さを問いかけ、人間が作り出した分断がいかに不毛であるかを訴える本作は、エイミーとニッポン号の乗組員たちの出会いを通して、国境や民族、性別を超えた友情と協力の可能性を提示し、分断された世界における希望の物語として、私たちに深い感動と示唆を与えてくれます。

原田マハさんは、この作品で、空を愛する人々の情熱と勇気を称えながらも、戦争の悲劇と平和の尊さを改めて問いかけています。物語の終盤、歴史の闇に葬られた偉業が、現代のジャーナリストによって光を当てられ、再び私たちの前に姿を現す展開は、失われた記憶を取り戻すことの重要性を強く訴えかけます。そして、その記憶の中に、平和への切なる願いと、国境を超えた人類の連帯という普遍的なメッセージが込められていることを、私たちは改めて認識するのです。この作品は、私たちの心に長く響き、空を見上げるたびに、そして世界情勢に目を向けるたびに、平和の尊さと、それを実現するための個人の役割について深く考えさせてくれる、そんな一冊となるでしょう。

まとめ

原田マハさんの『翼をください』は、1939年の「ニッポン号」世界一周飛行という史実を土台に、伝説の女性飛行士エイミー・イーグルウィングという架空の人物を巧みに織り交ぜた、歴史とフィクションが見事に融合した作品です。現代の新聞記者・青山翔子の探求を通して、歴史の闇に葬られた真実が明らかになる過程は、読者を強く惹きつけます。単なる冒険物語に終わらず、史実とフィクションの境界線を行き来しながら、読者に深い問いかけを投げかけるのが、この作品の大きな魅力と言えるでしょう。

エイミーが掲げる「空から見れば、国境なんて無い。世界はひとつ」というメッセージは、第二次世界大戦前夜という時代背景と、現代の国際情勢に重ね合わせられ、普遍的な平和への願いとして心に響きます。国境や性別、国籍を超えて協力し合うニッポン号の乗組員たちの姿は、分断された世界における希望の物語として、私たちに深い感動を与えてくれます。歴史の真実を掘り起こすことの意義と、人間の普遍的な夢、そしてそれを阻む現実との葛藤が、繊細かつ力強く描かれています。

この作品は、日本の航空技術の偉業を称えつつも、それが戦後の歴史的経緯によって忘れ去られたという事実にも光を当てています。歴史が勝者によって書き換えられ、功績が意図的に抹消されるという側面を浮き彫りにすることで、失われた記憶を取り戻すことの重要性を訴えかけます。過去の出来事が現代に与える影響、そして歴史の記憶がいかに形成されるかという問いは、読者の心に長く響き続けることでしょう。

『翼をください』は、空を愛する人々の情熱と勇気を称えながらも、戦争の悲劇と平和の尊さを改めて問いかけ、読者の心に深く刻まれるメッセージを残す、まさに珠玉の一冊です。ぜひ手に取って、この壮大な物語が織りなす感動を体験してみてください。