小説「恐怖王」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。江戸川乱歩が生み出した数々の物語の中でも、ひときわ異彩を放つ作品、それが『恐怖王』ではないでしょうか。発表当時から賛否両論あり、作者自身も複雑な思いを抱いていたとされるこの物語は、読む者を奇妙な興奮と戸惑いの渦へと巻き込みます。

この物語は、猟奇的な事件を発端としながらも、その展開は予測不可能な方向へと突き進んでいきます。探偵役が登場するものの、事件は二転三転し、読者はまるで迷宮に迷い込んだかのような感覚に陥るかもしれません。怪人、美女、不可解な出来事が次々と現れ、常識的な推理は通用しないかのようです。

ここでは、そんな『恐怖王』の物語の筋を追いながら、その結末にも触れていきます。一体、恐怖王とは何者なのか。事件の真相はどこにあるのか。物語の核心に迫る部分も記述しますので、未読の方はご注意ください。読み終えた後、あなたはこの物語をどう感じるでしょうか。

そして、この物語を読み解く上での個人的な解釈や、心に残った点などを、少し長くなりますが詳しく語っていきたいと思います。なぜこの作品が一部の読者を強く惹きつけるのか、その魅力の根源を探っていければと考えています。奇妙で、破綻しているようで、それでいて忘れがたい印象を残す『恐怖王』の世界へ、ご案内しましょう。

小説「恐怖王」のあらすじ

物語は、世にも奇怪な事件から幕を開けます。深夜の葬儀自動車に乗るのは、見るからに異様な二人組。一人はゴリラのようないかつい風貌の男、もう一人は芸術家風の出で立ちをした長髪の男。彼らこそ、後に世間を震撼させる「恐怖王」とその手下でした。彼らはなんと、亡くなったばかりの富豪・布引庄兵衛の娘、照子の遺体を墓から盗み出すという冒涜的な行為に及びます。

恐怖王の悪行はそれだけに留まりません。盗んだ照子の遺体を使って、あたかも生きているかのように装い、遺族である布引氏を電話で脅迫します。さらに、照子の婚約者であった鳥井純一を惨殺し、二人の亡骸を並べて見世物にするという、常軌を逸した猟奇的な演出を行うのです。自らを「恐怖王」と名乗り、社会に対して大胆不敵な挑戦状を叩きつけます。

この不可解な事件の捜査に乗り出すのが、本作の探 peintre(探偵役)を務める作家、大江蘭堂です。ある日、蘭堂の恋人である花園京子のもとに、奇妙なものが送り付けられます。それは五つの黒い米粒。蘭堂が拡大鏡で調べると、米粒の一つ一つに「恐怖王」という文字がびっしりと刻まれていることが判明します。これは明らかに、蘭堂に対する恐怖王からの宣戦布告でした。

恐怖王はその後も、飛行機雲で空に自らの名を描くなど、派手なパフォーマンスで世間の注目を集めます。蘭堂は恐怖王の影を追う中で、例のゴリラ男と遭遇。追跡劇の末、ゴリラ男は驚異的な跳躍力でとある屋敷の塀を飛び越え、姿を消してしまいます。その屋敷で蘭堂が出会ったのが、美貌の未亡人、喜多川夏子でした。彼女は蘭堂の愛読者だと語り、彼に好意的な態度を示します。

蘭堂は夏子の魅力に惹かれつつも、恋人・京子の存在との間で心が揺れ動きます。一方、ゴリラ男は再び姿を現し、夏子を襲撃した後、またもや不可解な方法で姿をくらまします。蘭堂がゴリラ男が逃げ込んだと思われる部屋を調べても、隠れる場所も秘密の通路も見当たりません。まるで人間消失のような謎が提示されます。

しかし、この密室の謎は、物語が進んでも明確には解き明かされません。その後、蘭堂の恋人・京子が密室内で殺害されるという悲劇が起こります。この事件では、ゴリラ男が金庫の中に隠れていたことが示唆されますが、多くの疑問が残ります。物語は、恐怖王の正体、ゴリラ男の目的、そして数々の不可解な事件の真相を巡り、ますます混迷を深めていくのです。

小説「恐怖王」の長文感想(ネタバレあり)

江戸川乱歩の作品群の中で、『恐怖王』ほど評価が分かれ、そして一部の読者から熱狂的に愛される作品も珍しいかもしれません。私自身、この物語には特別な思い入れがあります。荒唐無稽、支離滅裂、投げやりな結末。そういった批判があることは承知の上で、それでもなお、この作品には抗いがたい魅力が詰まっていると感じるのです。

まず、冒頭の「遺体の営利誘拐」という発想には度肝を抜かれます。死者を冒涜し、それを金儲けの道具にするという、倫理観を根底から揺さぶるようなアイデアは、乱歩ならではの悪夢的な想像力の賜物でしょう。この掴みだけで、読者は一気に物語の世界に引きずり込まれます。恐怖王とゴリラ男という、異形にして不気味なコンビの登場も、期待感を煽ります。

しかし、物語が進むにつれて、その期待は良い意味でも悪い意味でも裏切られていきます。当初は社会を恐怖に陥れる大犯罪者のように描かれた恐怖王の行動は、次第にスケール感を失い、個人的な愛憎劇へと矮小化されていくように見えます。探偵役であるはずの大江蘭堂も、事件の核心に迫るというよりは、恐怖王やゴリラ男に翻弄され、美女・夏子に惑わされ、右往左往するばかりです。

特に、ゴリラ男の扱いは特筆すべき点でしょう。最初は恐怖王の手下として登場した彼ですが、物語が進むうちに、超人的な身体能力を持つ怪物のような存在へと変貌していきます。屋敷の塀を軽々と飛び越え、密室から忽然と姿を消し(そのトリックは明かされないまま!)、終盤では驚くべき行動を見せます。このリアリティラインの低さ、ご都合主義とも言える展開は、通常の探偵小説の枠組みからは大きく逸脱しています。

喜多川夏子という人物も、物語に複雑な影を落としています。蘭堂に接近し、彼を誘惑するかのような素振りを見せる一方で、どこか謎めいた雰囲気を漂わせています。彼女が恐怖王ではないか、という疑念は読者の多くが抱くところでしょう。しかし、彼女の動機や行動には不可解な点が多く、単純な悪女として片付けることもできません。

物語中盤で提示される密室の謎が、結局最後まで解明されないという点も、『恐怖王』を語る上で欠かせない要素です。これは、作者である乱歩が当初の構想を維持できなくなった結果なのかもしれません。しかし、この「解決の放棄」とも取れる展開が、かえって作品に悪夢のような、不条理な感覚を与えているとも言えます。論理的な整合性を求める読者にとっては不満が残るでしょうが、この割り切れない感覚こそが魅力だと感じる人もいるのです。

さらに、米粒にびっしりと文字を書く、飛行機雲で空に名前を記すといった、恐怖王の奇抜な自己顕示欲の発露も、物語に独特の彩りを加えています。これらはもはや現実的な犯罪計画とは言い難く、まるで悪ふざけか、壮大な見世物のようです。この過剰な演出、けれん味たっぷりの展開が、乱歩作品の持つ通俗的な面白さ、エンターテイメント性を際立たせています。

そして、物語は衝撃的かつ投げやりとも言える結末を迎えます。捕まったゴリラ男が毒殺されかけ(後に脱走)、蘭堂が夏子の家を訪れると、そこで夏子がゴリラ男に殺害される現場に遭遇します。ゴリラ男は、夏子こそが恐怖王であったことを示唆する言葉を残し、姿を消します。テーブルの上には恐怖王の変装道具が残されており、一応の解決を見たかに思えます。

しかし、物語はここで終わりません。作者自身が登場人物の口を借りるかのように、「夏子が真の恐怖王だったのか?」「彼女は替え玉で、本物の恐怖王は別にいるのではないか?」という疑問を呈示します。ゴリラ男の毒殺未遂も逃亡のための偽装だった可能性、空に文字を描いた飛行機の操縦者の謎など、未解決の伏線がいくつも残されたまま、物語は唐突に幕を閉じるのです。

この結末は、探偵小説の作法としては異例中の異例でしょう。謎を提示しておきながら、明確な解決を与えず、解釈を読者に丸投げするかのような終わり方です。作者自身が「苦しまぎれに、こじつけのみすぼらしい結末」と語っているように、構成上の破綻であることは否めません。しかし、この放り出されたような感覚、もやもやとした読後感こそが、『恐怖王』を忘れがたい作品にしている最大の要因ではないでしょうか。

完成度や整合性を求めるならば、『恐怖王』は決して優れた作品とは言えないかもしれません。しかし、乱歩の奔放な想像力、奇妙なキャラクター、予測不可能な展開、そして解決されない謎が渾然一体となったこの物語は、読む者の理性を麻痺させ、悪夢的な魅力で酔わせる力を持っています。ジェットコースターのように目まぐるしく展開し、最後は放り出されるような感覚は、他では味わえない独特の読書体験です。

探偵役の大江蘭堂の人間味あふれる(あるいは、少々頼りない)キャラクターも、この作品の魅力の一つです。完全無欠の超人探偵ではなく、悩み、惑わされ、危険な状況に陥りながらも、なんとか事件に立ち向かおうとする姿には、共感を覚えます。彼が恐怖王に翻弄され、結局事件を完全には解決できなかったとしても、その奮闘ぶりは読者の記憶に残ります。

乱歩がこの作品を執筆していた時期は、複数の連載を抱え、極めて多忙だったと言われています。その疲弊が、作品の構成の歪みや展開の破綻に繋がった可能性はあります。しかし、その一方で、多忙さゆえのハイテンションな状態が、かえって常識の枠を超えた奇想や、破天荒なエネルギーを生み出したとも考えられないでしょうか。

完成された芸術品ではなく、荒削りながらも強烈なエネルギーを放つ異形のオブジェ。それが『恐怖王』という作品に対する私の印象です。論理や整合性を求める方にはお勧めできませんが、江戸川乱歩という作家の持つ、底知れない魅力と狂気の一端に触れたい方にとっては、必読の奇書と言えるでしょう。未解決の謎について、自分なりの解釈を巡らせるのも、また一興かもしれません。

この物語が、なぜこれほどまでに私の心を捉えるのか。それはおそらく、完璧ではないからこその愛おしさ、論理を超えた部分に訴えかけてくる何かがあるからだと思います。綺麗にまとまった物語よりも、多少いびつであっても、強烈な個性とエネルギーを持つ物語に惹かれるのです。『恐怖王』は、まさにそのような作品なのです。

まとめ

この記事では、江戸川乱歩の異色作『恐怖王』について、その物語の筋を追いながら、結末の核心部分にも触れ、さらに個人的な読み解きを詳しく述べてきました。遺体を盗むという衝撃的な導入から始まり、ゴリラ男や謎の美女が登場し、探偵役は翻弄され、密室の謎は放置されるという、まさに予測不可能な展開を見せる物語です。

その魅力は、荒削りながらも奔放な想像力、奇抜なアイデア、そしてジェットコースターのような目まぐるしい展開にあると言えるでしょう。リアリティを度外視したかのようなゴリラ男の活躍や、恐怖王の派手な自己顕示は、読む者を飽きさせません。探偵役・大江蘭堂の人間臭さも、物語に親しみやすさを加えています。

一方で、物語構成の破綻や、伏線の未回収、そして読者に解釈を委ねるかのような結末は、本作が賛否両論を呼ぶ大きな要因です。作者自身もその出来には満足していなかったようですが、この「投げ出し感」こそが、かえって忘れがたい強烈な印象を残し、一部の読者を熱狂させる要因ともなっています。

『恐怖王』は、整然とした探偵小説を期待する読者には向かないかもしれません。しかし、江戸川乱歩という作家の持つ、常識にとらわれない奔放な魅力や、悪夢的な世界観に触れたい方にとっては、唯一無二の読書体験をもたらしてくれるはずです。未解決の謎に思いを馳せながら、この奇妙で魅力的な物語の世界に浸ってみてはいかがでしょうか。