小説「少将滋幹の母」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。
この物語は、文豪・谷崎潤一郎がその晩年に描いた、壮大な「母恋い」の物語です。舞台は平安時代。権力と美貌が渦巻く貴族社会で、一人の若く美しい母と、その母を奪われた息子の、四十数年にもわたる思慕の念が描かれています。
谷崎文学特有の、美に対する異常なまでの執着、人間の心の奥底に潜む情念、そして母性への根源的な憧れといったテーマが、歴史物語という壮大な器の中に、見事に溶け込んでいます。ただの親子愛の物語ではなく、読む者の心を深く揺さぶる、濃密な人間ドラマがここにあります。
本記事では、まず物語の概要をお伝えし、その後に核心部分に触れながら、この作品がいかにして私たちの心を捉えて離さないのか、その魅力をじっくりと紐解いていきたいと思います。谷崎潤一郎が到達した、円熟の境地ともいえるこの傑作の世界に、一緒に浸ってみませんか。
小説「少将滋幹の母」のあらすじ
物語の中心にいるのは、八十歳近い老齢の大納言、藤原国経です。彼には、年の離れた若く美しい妻、北の方がいました。彼女は『伊勢物語』の主人公・在原業平の孫娘にあたり、その美しさは比類なきものと噂されています。国経はこの若妻を深く深く愛し、片時もそばから離そうとはしませんでした。
しかし、その平穏は長くは続きません。国経の甥であり、若く権勢を誇る左大臣・藤原時平が、叔父の妻である北の方の美貌に目をつけます。時平は、その圧倒的な権力を背景に、ある宴の席で国経に迫り、半ば強引に北の方を奪い取ってしまうのです。あまりにも突然の出来事に、国経はなすすべもありませんでした。
この時、国経と北の方の間には、まだ五歳ほどの幼い息子がいました。後の左近衛少将、藤原滋幹です。彼は、この日を境に、愛する母と引き離され、会うことのかなわぬ日々を送ることになります。母の面影は、幼い滋幹の心に深く、そして鮮烈に刻み込まれました。
母との突然の別離。それは、滋幹の生涯を決定づける出来事となります。彼の心には、ただひたすらに母を恋い慕う強い想いが燃え上がり、その炎は数十年の時を経ても消えることはありませんでした。物語は、この滋幹の尽きることのない母への思慕の念を縦糸に、平安貴族社会の人間模様を横糸にして、壮麗に織りなされていきます。
小説「少将滋幹の母」の長文感想(ネタバレあり)
この物語の根底に流れているのは、一人の男の生涯を支配した、母への強烈な思慕の念です。しかし、これを単に感傷的な母恋いの物語として片付けてしまうことはできません。なぜなら、谷崎潤一郎は、滋幹という主人公を通して、人間の心の最も深い場所にある渇望や執着、そして「美」というものの魔性的な力を、凄みをもって描き出しているからです。
物語の中心にいるはずの「母」、北の方は、不思議なほどその内面が語られません。ただひたすらに「絶世の美女」であったことだけが強調されます。彼女が何を考え、どう感じていたのか。その空白こそが、彼女を取り巻く男たちの欲望や妄執を映し出す鏡となり、物語に底知れない深みを与えているように感じられます。彼女は、谷崎が追い求め続けた「永遠の女性」の、一つの究極的な姿なのかもしれません。
まず、最初に悲劇に見舞われるのは、老いた夫の国経です。彼は若く美しい妻を溺愛しますが、その愛は純粋な愛情というよりも、老いゆえの不安に根差した執着に近いものでした。すべてを失うことへの恐怖が、彼を北の方へと執着させたのです。その脆さが、彼の人生を破滅へと導く隙となってしまいました。
宴の席で、甥の時平に妻を差し出すよう迫られる場面は、国経の絶望と無力さが痛いほど伝わってきます。権力という絶対的な力の前に、個人の愛情がいかにもろく、儚いものであるかを見せつけられるのです。この一件は、彼の誇りを打ち砕き、生涯癒えることのない傷を残しました。
一方、北の方を奪った藤原時平は、単なる冷酷な略奪者としてだけでは描かれていません。若く、野心に満ち、自らの欲望に忠実な彼の姿には、ある種の抗いがたい魅力すら感じられます。彼は、平安貴族社会という権力構造を体現した存在であり、美しいものを手に入れるという純粋な欲求に従って行動したに過ぎないのかもしれません。
そして、ここで一つの疑問が浮かび上がります。北の方は、本当にただなすすべなく奪われただけの、哀れな被害者だったのでしょうか。谷崎の筆致は、もしかしたら彼女もまた、老いた夫に倦み、若く権勢のある時平に心のどこかで惹かれていたのではないか、という可能性を匂わせます。男たちを冷静に観察し、品定めするような彼女の視線。そこに、この悲劇の、より複雑な一面が隠されているように思えてなりません。
北の方を失った国経の後半生は、まさに凄絶の一言に尽きます。彼は深い悔恨と絶望から、仏道の修行である「不浄観」にのめり込んでいきます。これは、墓場で朽ちていく死体を観察し、肉体の不浄さを心に刻むことで、この世への執着を断ち切ろうとする荒行です。美しい妻の面影を、腐乱した死体に重ね合わせることで忘れようとしたのです。
しかし、その修行は彼を救済するどころか、より深い狂気へと追いやります。愛が憎しみや執着へと変質し、ついには心を病んで死んでいく国経の姿は、人間の情念の恐ろしさをまざまざと見せつけます。そして、幼い滋幹は、夜な夜な墓場へ向かう父の、その常軌を逸した姿を目撃してしまうのです。これは彼の心に、どれほど深い傷を残したことでしょう。
父の狂気と、母の不在。この二つの大きな喪失を抱えた滋幹の心に、母の記憶は特別なものとして宿ります。彼が覚えている母の姿は、ごくわずか。時平の屋敷で会った時、涙を浮かべた美しい母が、その顔を自分の頬にすりつけてくれた、あの冷たい涙の感触。その断片的で強烈な記憶だけが、彼のすべてでした。
このたった一つの記憶をよすがに、滋幹の四十数年にもわたる母への思慕が始まります。彼の心の中で、母の姿は時とともに失われるどころか、ますます美化され、神聖なものへと昇華されていきました。会えない時間が、彼の恋心を純化させていったのです。それはもはや、現実の母親を求める想いではなく、失われた楽園、永遠の母性そのものへの渇望だったのかもしれません。
彼の心には、もう一つの複雑な感情がありました。母が時平との間にもうけた息子、異父弟の藤原敦忠に対するものです。敦忠は母によく似た美貌の貴公子であり、滋幹が奪われた母との暮らしを享受している存在です。彼に対して、滋幹が羨望や嫉妬、劣等感の入り混じった感情を抱いたであろうことは、想像に難くありません。
この物語では、「時間」もまた重要な役割を果たしています。四十数年という長い歳月は、人々の運命を大きく変えました。あれほど権勢を誇った時平も、その子である敦忠も、次々とこの世を去っていきます。栄華を極めた一族も、時の流れの中では衰退していくのです。
ここに、運命の不思議さを感じずにはいられません。滋幹と母を隔てていた時平と敦忠という、二人の男性がいなくなることによって、初めて母子の再会への道が開かれるのです。彼らの死は、まるで滋幹の長年の悲願を成就させるための、運命的な地ならしであったかのようです。世の無常さと、それを超えて燃え続ける滋幹の一途な想いの対比が、物語に深みを与えています。
そして、物語はついにクライマックスを迎えます。母が京の郊外に隠れ住んでいることを突き止めた滋幹は、ついに母を訪ねる決心をします。四十数年の時を経て、二人が再会を果たす場面の美しさは、息をのむほどです。舞台は、月明かりに照らされた、満開の桜の木の下。日本の美意識のすべてを凝縮したかのような、夢幻的で静謐な情景です。
この場面で、滋幹は何を思ったのでしょうか。壮年になった息子と、老境に入った母。彼の胸には、生涯をかけた想い、期待、そして現実の母を目の当たりにする不安が交錯していたはずです。理想化され、神格化された母のイメージと、目の前にいる老いた母。その再会は、単純な喜びだけではなかったでしょう。失われた時間の重み、取り戻すことのできない過去への哀切。言葉にならない万感の想いが、その場を支配していたに違いありません。
谷崎潤一郎は、この再会の結末を、安易な幸福物語にはしませんでした。感動的な再会の瞬間に物語の幕を下ろすことで、かえって深い余韻を残します。喜びと悲しみが溶け合った、静かで深遠な感動。それこそが、この物語の到達点であり、谷崎文学の真骨頂といえるでしょう。
この作品を読むと、谷崎潤一郎という作家の持つ、類まれな手腕に改めて驚かされます。『今昔物語集』などの古典から題材を得ながら、そこに彼自身のテーマである母性への憧れや、人間の深層心理への鋭い洞察を注ぎ込み、まったく新しい物語として再生させています。古典の格調高い世界観と、近代的な心理描写が見事に融合しているのです。
『少将滋幹の母』は、一人の男の執念の物語であると同時に、彼を翻弄した「母」という存在の、抗いがたい力を描いた物語でもあります。そしてそれは、時代を超えて私たちの心を揺さぶる、愛と喪失、記憶という普遍的なテーマを内包しています。美しくも残酷で、そしてどこまでも深い情念の世界。一度足を踏み入れたら、決して忘れられない体験が、この一冊には詰まっているのです。
まとめ
谷崎潤一郎の『少将滋幹の母』は、平安時代を舞台に、母を奪われた息子の四十数年にもわたる思慕の念を描いた、壮大な物語です。ですが、その本質は単なる親子愛の物語にとどまりません。人間の心の奥底に渦巻く、強い執着と渇望を見事に描き出しています。
物語の中心には、絶世の美女と謳われる母「北の方」がいますが、彼女の内面は多く語られません。その謎めいた存在が、夫である国経の狂気じみた執着や、息子である滋幹の神格化された恋心、そして彼女を奪った時平の権力欲を、強烈に浮かび上がらせるのです。
圧巻は、四十数年の時を経て、滋幹が母との再会を果たす場面でしょう。月下の桜という、この上なく美しい舞台設定の中で描かれる再会は、喜びと同時に、失われた時間への深い哀しみを伴うものであり、読む者の心に忘れがたい余韻を残します。
この作品は、谷崎文学の集大成ともいえる傑作です。歴史物語の形を借りながら、人間の根源的な情念を描ききった重厚な世界に、ぜひ触れてみてください。きっと、その文学的な深さと美しさに心を奪われるはずです。