小説「十字路」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。江戸川乱歩といえば、独特の怪奇趣味や幻想的な雰囲気、あるいは明智小五郎シリーズに代表される名探偵の活躍を思い浮かべる方が多いかもしれません。しかし、今回取り上げる「十字路」は、そうしたイメージとは少し異なる趣を持つ作品です。
1955年に発表されたこの物語は、乱歩のキャリアの中でも後期の作品にあたります。ある偶然が重なり合い、登場人物たちの運命が交錯していく様を描いたサスペンス・ミステリーと言えるでしょう。不倫関係のもつれから起きた殺人事件と、まったく別の場所で起きた偶発的な死。これらが思わぬ形で結びつき、事態は予測不能な方向へと転がっていきます。
この記事では、そんな「十字路」の物語の核心部分、つまり結末に至るまでの展開を詳しくお話しします。そして、作品を読んだ上での個人的な見解や評価も、たっぷりと述べさせていただきました。物語の構成の妙や、一方で少し気になる点など、様々な角度からこの作品を読み解いていきたいと思います。
これから「十字路」を読もうと考えている方、あるいは既に読んだけれども他の人の意見も聞いてみたいという方にとって、この記事が何かしらの参考になれば幸いです。物語の細部や結末に触れていますので、その点をご留意の上、読み進めていただければと思います。
小説「十字路」のあらすじ
物語の中心となるのは、会社社長の伊勢省吾です。彼は秘書の沖晴美と深い関係にありましたが、妻の友子は新興宗教に傾倒していました。ある休日、省吾は晴美を連れて、ダム建設によって水底に沈む運命にある自身の所有する石切場へドライブに出かけます。そこで二人は、集落に最後まで残る一人の大男を目撃します。
そのドライブから三ヶ月ほど経ったある夜、妻の友子が旅行で家を空けたのをいいことに、省吾は晴美のアパートを訪れていました。晴美のもとには、二人の関係を知る友子からの呪詛めいた手紙が届いていました。そしてその夜、旅行に行ったはずの友子が突然現れ、刃物を手に晴美に襲いかかります。省吾は晴美を守ろうと、とっさに友子の首をタオルで絞め、殺害してしまいます。
動転した省吾は、友子の遺体をあの石切場の枯れ井戸に遺棄することを思いつきます。ダムの水位が上昇し、すべてが湖底に沈むまであとわずか。彼は晴美に、友子になりすまして熱海へ行き、自殺を偽装するよう指示します。そして、友子の遺体を車のトランクに隠し、深夜の石切場へと車を走らせます。
しかしその途中、ガード下の十字路でトラックと接触事故を起こしてしまいます。幸い、駆けつけた警察官にトランクの中身を見られることはありませんでしたが、この事故がさらなる偶然を引き寄せます。事故の少し前、バーで口論の末に兄・良介に突き飛ばされ頭を打った真下幸彦。ふらつきながら店を出た良介は、偶然十字路に停車していた省吾の車をタクシーと勘違いし、後部座席に乗り込んで意識を失ってしまいます。
事情聴取を終えた省吾は、後部座席に人がいることに気づかぬまま車を発進させます。しばらくして男がいることに気づき確認すると、男はすでに息絶えていました。良介は頭部打撲による脳出血で死亡していたのです。省吾は、この見知らぬ男の遺体も、友子の遺体と一緒に井戸に投げ込み、ダムの底に隠蔽することを決意します。石切場で二つの遺体を井戸に投棄した際、省吾は友子の靴が片方ないことに気づきますが、見つけられずにその場を去ります。
兄の失踪を心配した妹の芳江は、私立探偵の南重吉に捜索を依頼します。偶然にも南は、失踪した良介と瓜二つの容貌の持ち主でした。南は調査を進める中で、良介が失踪直前に省吾の車に乗り込んだこと、そして省吾の妻がその翌日に「自殺」したことを突き止め、二つの出来事の関連を疑います。そして、省吾から金銭をゆすり取ろうと画策し、彼に接触します。南は、石切場に残っていた友子の靴(実際は偽物)を証拠として省吾を脅迫しますが、逆上した省吾に殺害されてしまいます。しかし、省吾の犯行は、元刑事である花田警部にも見抜かれていました。花田警部は、省吾の自宅から良介の遺留品であるシガレットケースを発見し、さらに本物の友子の靴も別の場所で見つけていたのです。追い詰められた省吾は、南殺害も自供し、最後に晴美に電話で別れを告げた後、南から奪った拳銃で自らの命を絶ちます。電話越しに省吾の死を知った晴美もまた、アパートの屋上から身を投げるのでした。
小説「十字路」の長文感想(ネタバレあり)
江戸川乱歩の「十字路」を読み終えて、まず感じたのは「これは、私の知っている乱歩作品とは少し違うな」という、ある種の戸惑いでした。もちろん、殺人事件や死体遺棄といった要素は含まれていますが、乱歩特有のグロテスクさや猟奇的な雰囲気、あるいは迷宮的な怪奇性は希薄に感じられました。
物語は、会社社長の伊勢省吾が愛人・晴美を守るために妻・友子を殺害してしまう場面から始まります。この発端自体は、痴情のもつれという古典的ながらも普遍的な動機であり、読者を引き込む力があります。遺体をダムの底に沈む石切場の枯れ井戸に隠そうとする計画も、サスペンスとしては王道でしょう。
しかし、この物語が特異な様相を呈するのは、まさにタイトルにもなっている「十字路」での出来事からです。省吾が遺体を運ぶ途中で交通事故を起こし、その隙に、全く別の理由で瀕死の状態にあった画家・相馬良介が偶然その車に乗り込んで死亡してしまう。この展開は、まさに運命の悪戯としか言いようがなく、物語に大きな転換点をもたらします。
一つの車に、殺された妻の死体と、偶然乗り込んできて死んだ男の死体。この二つの死体を同時に隠蔽しなければならなくなった犯人の焦燥感と、そこから生まれるサスペンスは、この作品の大きな魅力の一つと言えるでしょう。ダムの水位が上昇し、すべてが隠蔽されるまでのタイムリミットも、緊張感を高める要素として効果的に機能しています。
特に、死体を井戸に投げ込む場面の描写は、犯人の心理的な圧迫感や行為の重さを伝えてきます。友子の靴が片方なくなっていることに気づくくだりは、後の展開への伏線として巧みに配置されています。こうした細部の積み重ねが、物語にリアリティを与えようとしているのを感じます。
後半は、失踪した良介の行方を追う私立探偵・南重吉の登場により、探偵小説としての側面が強まります。しかし、ここでもまた、大きな「偶然」が影を落とします。探偵の南が、被害者の良介と瓜二つであるという設定です。この設定が、南が関係者から情報を聞き出しやすくしたり、省吾を心理的に揺さぶったりする効果を持っていることは理解できます。
ですが、個人的にはこの設定にかなりの「ご都合主義」を感じてしまいました。二つの死体が偶然一つの車に集まるという偶然は、物語の核となる出来事として受け入れられますが、事件を解決するはずの探偵が被害者にそっくりというのは、少し安易ではないかと感じてしまうのです。まるで、物語を進めるための駒として配置されたような印象を受けてしまいました。
この点については、参考文献にもあるように、この作品が乱歩単独の作品ではなく、渡辺剣次氏との共作であることが影響しているのかもしれません。筋書きやトリックを渡辺氏が考え、乱歩が文章を担当したとされています。二つの事件が十字路で交差するという凝ったプロットは、もしかすると渡辺氏の発案によるものなのかもしれません。そして、探偵と被害者が似ているという設定も、そのプロットの一部だったのかもしれません。
もしそうだとすれば、乱歩が本来得意とする、非論理的で怪奇的な味わいや、人間の心の闇を深くえぐるような描写が前面に出てこないのも納得がいきます。どちらかというと、論理的に組み立てられたプロットを、手堅い筆致で書き進めた、という印象が強いのです。その筆致自体は、さすが乱歩というべきか、テンポが良く読みやすいものでした。
物語の形式としては、「倒叙形式」に近いと言えるでしょう。読者は最初から犯人が誰であるかを知っており、犯人がいかにして証拠を隠滅し、追及から逃れようとするか、そして最終的にどのように追い詰められていくか、という過程にハラハラさせられます。省吾が花田警部に核心に迫る質問をされたり、良介に似た南の影に怯えたりする場面は、犯人の心理的な動揺が伝わってきて、サスペンスとしてよく描けていると感じました。
しかし、その結末は非常にあっけないものでした。南を殺害し、完全犯罪を目論んだ省吾でしたが、花田警部によってすべての真相は暴かれていました。良介のシガレットケースという物的証拠、そして本物の友子の靴の発見。追い詰められた省吾は、晴美に別れの電話をかけた後、自ら命を絶ちます。そして晴美もまた、後を追うように自死を選ぶ。この結末は、救いがなく、暗い読後感を残します。
もしかすると、この救いのなさこそが、乱歩らしさの表れなのかもしれません。しかし、そこに至るまでの過程に、もう少し乱歩的な「毒」や「歪み」があれば、より印象深い作品になったのではないか、とも感じてしまいます。例えば、友子が傾倒していた新興宗教の設定などは、もっと深掘りすれば乱歩的な怪しさを醸し出せたかもしれません。
「十字路」はよく練られたプロットを持つサスペンス作品であり、二つの事件が交錯する構成は独創的です。しかし、偶然性に頼る部分が大きいこと、そして乱歩作品に期待される特有の雰囲気が薄いことから、読者によっては物足りなさを感じるかもしれません。参考文献にあったように、「現代のテレビの2時間サスペンスドラマのよう」という評価も、ある意味で的を射ているように思います。映像化に向いている、というのも頷けます。
江戸川乱歩の膨大な作品群の中では、やや異色な位置づけにある作品と言えるでしょう。乱歩のコアなファンであればあるほど、その作風の違いに戸惑うかもしれません。しかし、純粋なサスペンス・ミステリーとして読めば、十分に楽しめるだけの魅力は持っている作品だと思います。特に、運命の皮肉ともいえる偶然が織りなす物語の展開は、一読の価値があるのではないでしょうか。
まとめ
江戸川乱歩の「十字路」は、不倫関係のもつれから生まれた殺人事件と、偶然発生したもう一つの死が、文字通り「十字路」で交錯し、思わぬ方向へと展開していくサスペンス・ミステリーです。ダムに沈む石切場という閉鎖的な空間を舞台に、犯人である伊勢省吾が二つの死体を隠蔽しようと奔走する姿は、緊迫感に満ちています。
物語の結末は、省吾が私立探偵・南を殺害するものの、結局は花田警部によって全ての犯行が暴かれ、自ら命を絶つという悲劇的なものです。愛人の晴美もまた後を追うという、救いのない終わり方は、読者に強い印象を残します。ネタバレになりますが、このやるせない結末も、作品の持つ一つの側面と言えるでしょう。
この作品は、乱歩単独ではなく渡辺剣次氏との共作であり、その影響か、乱歩特有の怪奇的な雰囲気は薄く、どちらかというとプロットの整合性を重視した構成になっています。二つの事件が偶然結びつくというアイデアは面白いものの、探偵が被害者と瓜二つであるといった設定には、ややご都合主義的な印象も否めません。
しかし、倒叙形式に近い形で犯人が追い詰められていく過程や、二つの死体を巡るサスペンスは読み応えがあります。乱歩の他の作品とは異なるテイストを持つため、コアなファンには少し物足りないかもしれませんが、一つの独立したミステリー作品として見れば、その巧みな物語構成と悲劇的な結末は、十分に評価できるものではないでしょうか。