小説「十五年間」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。太宰治という作家の、ある時期における赤裸々な自己内省が凝縮された一編と言えるでしょう。彼の代表作とは少し毛色が異なりますが、その分、作家自身の生の声に近いものを感じ取れるかもしれません。

この作品は、太宰が自身の東京での15年間を振り返る、いわば私的な記録のようなものです。具体的には、先に発表された「東京八景」という作品を補足する形で書かれています。そこには、当時の文壇や社会に対する彼の考え、そして何よりも彼自身に対する痛烈な自己分析が記されています。

彼の芸術に対する考え方、特に当時の「サロン芸術」と呼ばれるものへの強い反発は、読んでいて非常に印象的です。彼は、見せかけの知識や上品さを嫌い、もっと本質的な、ある意味では「醜さ」をも肯定するような芸術観を持っていたようです。そして、その批判の矛先は、最終的に自分自身へと向けられていきます。

この記事では、そんな「十五年間」の物語の筋を追いながら、核心部分にも触れていきます。さらに、私なりに感じたこと、考えたことを、ネタバレも気にせずに詳しくお話ししたいと思います。太宰治のファンはもちろん、彼の人間性や文学の背景に興味がある方にも、ぜひ読んでいただければ嬉しいです。

小説「十五年間」のあらすじ

この物語は、作者自身を投影したと思われる「私」が、故郷を離れて東京で過ごした15年間の日々を回想するところから始まります。「東京八景」という作品では語り尽くせなかった部分を補う、という形で筆が進められていきます。

東京に出てきた「私」は、まず当時の流行であった「サロン芸術」を真っ向から否定します。ヨーロッパ風を気取った自称知識人たちが集い、もっともらしい議論を交わすサロン。しかし「私」の目には、それは単なる「知識の淫売店」にしか映りませんでした。見せかけの教養や上品さをひけらかす場を、彼は唾棄すべきものだと考えていたのです。

では、「私」が尊敬する人物とはどのような人間なのでしょうか。それは、「自分がダメな人間だ」と正直に認めることができる人だと語られます。そして、「真の芸術家は醜いものだ」とまで断言します。洗練された上品なサロンなどは、人間の堕落の象徴でしかない、というのが彼の考えでした。

こうした批判精神を持つ「私」ですが、では誰を最も糾弾すべきかと自問します。その答えは、驚くべきことに「私自身」でした。なぜなら、「私」は妙に格好をつけ、気取っている部分があるからです。気が弱く、だらしない性格であるにもかかわらず、虚栄心が人一倍強い。おだてられると、後先考えずに行動してしまう危うさも持っている、と自己分析します。

東京での生活の中で、「私」は何度も住居を変えています。その理由は、なんと「破壊するためだった」と語られます。これは物理的な破壊というよりは、既存の価値観や自分自身の中にある何かを壊したいという衝動の表れだったのかもしれません。特に、昭和17年から昭和20年にかけての戦時中は、多くの人々にとってそうであったように、「私」にとっても最悪の時期だったと振り返ります。

ある時、「私」は尊敬する先輩作家に「自分はもうすぐ死ぬだろう」といった内容の手紙を送ります。しかしその後、偶然にも道でその先輩作家とばったり出会ってしまうという、少し気まずいような、それでいて太宰らしいエピソードも挿入されます。その後、「津軽」という作品を執筆するために故郷の津軽へ帰郷した「私」は、そこで津軽の人々や風土に根付く「拙さ」、不器用さを強く感じます。そして、それはまさに「私」自身の性質そのものでもあると気づくのです。自分は都会人になりきれない、根は百姓なのだと。「百姓の魂」で、たとえ時代遅れで誰に嫌われようとも、日本の文学から廃れつつある短編小説を書き続けてやろう、と決意を新たにします。結局、東京で15年間過ごしても、自分は最後まで垢抜けず、野暮ったく、田舎臭いままだった、と結んでいます。最後に、当時創作中だった「パンドラの匣」の一節が引用され、物語は幕を閉じます。

小説「十五年間」の長文感想(ネタバレあり)

最初にこの「十五年間」を読んだときの正直な気持ちは、「ふーん、なるほど」といった、少し掴みどころのないものでした。激しい感情の起伏や劇的な展開があるわけではなく、太宰治という作家が、淡々と、しかし容赦なく自分自身と向き合い、その思考の軌跡を書き連ねている。そんな印象を受けたのです。

彼の自己分析は、読んでいて実に興味深いものでした。当時の文学サロンや知識人気取りの人々を「知識の淫売店」とまで切り捨てておきながら、最も糾弾すべきは自分自身だ、と言い切る。この屈折した、しかしある意味で正直な姿勢は、太宰文学の根幹をなすものかもしれません。「妙に気取っている」「気が弱くだらしないくせに虚栄心が強い」。ここまで自分を客観視(あるいは主観的に断罪)できるものでしょうか。

それは単なる自己卑下やポーズなのでしょうか。それとも、彼の言う「真の芸術家は醜い」という信念の実践なのでしょうか。上品ぶったサロン文化への反発は、裏返せば、彼自身の内なる「醜さ」や「弱さ」への強い意識と、それを隠そうとする「気取り」への自己嫌悪から来ているように思えます。彼は、体裁の良い仮面を剥ぎ取り、裸の自分をさらけ出すことに、ある種の執念を燃やしていたのかもしれません。

この自己暴露の姿勢は、他の作品、特に「人間失格」などにも通じるものがありますが、「十五年間」ではより直接的に、随筆のような形で語られているのが特徴です。読んでいると、まるで太宰自身が目の前で、ぶっきらぼうに、しかし真剣に自身の内面を語っているような錯覚に陥ります。

「沢山転居したがそれは破壊するためだった」という一文も、深く考えさせられます。物理的な住居の破壊ではなく、おそらくは精神的な意味合いでの「破壊」。それは、過去の自分への決別かもしれませんし、あるいは、安定した生活や既存の価値観に対する反発、一種の自己破壊的な衝動だったのかもしれません。彼の不安定な精神状態や、常に何かからの逃走を望んでいたかのような生き様が垣間見えるようです。

戦時下の苦しい時代背景も、彼の精神に暗い影を落としていたことがうかがえます。「昭和17年~昭和20年は我々には最悪だった」という短い記述の中に、当時の息苦しさや絶望感が凝縮されているように感じます。そのような状況下で、先輩作家に「死ぬ」と書き送ってしまう心情も、理解できなくはありません。死への誘惑と、生への執着の間で揺れ動く、太宰の複雑な心境が透けて見えます。

故郷・津軽への帰郷は、彼にとって一つの転機となったようです。そこで感じた「拙さ、拙劣さ、不器用さ」。それは単なる田舎の風景や人々に対する感想ではなく、自分自身の本質、15年間東京にいても変わらなかった、あるいは再確認した自己の核心部分だったのでしょう。「私」は、その「拙さ」を否定するのではなく、むしろ「百姓の魂」として肯定的に捉え直そうとします。

そして、その「百姓の魂」をもって、「日本で廃れた短編小説を嫌われても書いてやろう」と決意する。これは、非常に太宰らしい反骨精神の表れではないでしょうか。流行や文壇の評価に流されることなく、自分の信じる道を、たとえそれが不器用で泥臭いものであっても貫き通そうとする意志。都会の洗練された(と彼が感じていた)文化とは対極にある、土着的なもの、本質的なものへの回帰とも言えるかもしれません。

結局、東京での15年間は、彼を「垢抜け」させることはありませんでした。「野暮ったく田舎臭かった」という自己評価は、ある種の諦念のようにも聞こえますが、同時に、変わらなかった自分自身への肯定、あるいは愛着のようなものも感じられます。都会に染まれなかったのではなく、染まらなかった。そこに、彼の矜持があったのかもしれません。

作品の最後に、当時執筆中だった「パンドラの匣」の一節が引用されている点も興味深いです。これは、単に原稿の量を増やすためだったのでしょうか? それも一つの可能性かもしれませんが、むしろ、「十五年間」で語られた自己分析や決意が、まさに「パンドラの匣」という新しい創作へと繋がっていくのだ、という意志表示のようにも受け取れます。過去の総括(十五年間)と、未来への展望(パンドラの匣)が、ここで結びついているのかもしれません。

情報源の感想にあった「自分を虐めたいドMなのかなあ」という見方も、一面では当たっているのかもしれません。彼の自己批判は、時に執拗で、自罰的な色合いを帯びています。しかし、それは単なる自己満足ではなく、「全部脱ぎ捨て生まれたときの姿に戻り、つまり0から再出発したい」という、切実な願いの裏返しだったのではないでしょうか。徹底的に自己を否定し、破壊し尽くした先に、新たな創造の可能性を見出そうとしていたのかもしれません。

「十五年間」というタイトルが示す歳月。それは、太宰にとってどのような時間だったのでしょうか。青春の終わり、あるいは作家としてのアイデンティティを確立しようともがいた期間。成功と挫折、希望と絶望が入り混じった、濃密な時間であったことは間違いありません。この作品は、その15年という時間を、感傷的になることなく、むしろ突き放したような筆致で振り返っています。

全体として、「十五年間」は、華々しい物語ではありません。しかし、太宰治という作家の、飾らない、生々しい内面が刻まれた、非常に貴重な作品だと感じます。彼の文学の根底にある自己認識、芸術観、そして故郷への複雑な思いを知る上で、避けては通れない一編と言えるでしょう。読む人によっては、そのあまりに赤裸々な自己暴露に戸惑いを覚えるかもしれません。しかし、彼の弱さや矛盾、そしてそれでもなお文学に懸けようとする切実な思いに触れるとき、私たちは深い共感を覚えずにはいられないのです。

まとめ

この記事では、太宰治の小説「十五年間」について、そのあらすじをネタバレを交えながら紹介し、私なりの長文感想を述べさせていただきました。この作品は、「東京八景」の補足として書かれ、太宰が東京で過ごした15年間を振り返りながら、自己分析と芸術観を率直に綴ったものです。

あらすじとしては、「私」が当時のサロン芸術を批判し、「真の芸術家は醜い」と断言するところから始まります。しかし、最も批判すべき対象は「気取っていて虚栄心が強い」自分自身であると結論付けます。度重なる転居は「破壊」のためであり、戦時下の苦悩や、故郷・津軽で再認識した自身の「拙さ」を経て、「百姓の魂」で短編小説を書き続ける決意を固めるまでが描かれています。

感想部分では、この作品が持つ独特の雰囲気、つまり淡々としていながらも容赦のない自己暴露について触れました。彼の言う「醜さ」や「拙さ」の肯定、そして「破壊」衝動の背景にあるもの、故郷への意識、短編小説へのこだわりなど、太宰文学の核心に迫る要素が散りばめられていると感じます。自己言及の多さについても、単なる穴埋めではなく、彼の文学的戦略や再出発への意志の表れではないかと考察しました。

「十五年間」は、派手さはないものの、太宰治の人間味や文学的信念が色濃く反映された、味わい深い作品です。この記事が、あなたが「十五年間」を手に取るきっかけとなったり、あるいは読後の理解を深める一助となったりすれば幸いです。太宰の複雑な内面に触れる、貴重な読書体験となることでしょう。