小説「ニワトリは一度だけ飛べる」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。

重松清さんの作品は、いつも私たちの心の柔らかい部分に触れてきますよね。「ニワトリは一度だけ飛べる」も、まさにそんな物語です。舞台は、ある日突然、理不尽な異動を命じられたサラリーマンの世界。

家族のために転勤を断ったことで、「イノベーションルーム」、通称「イノ部屋」という名の追い出し部屋に左遷されてしまった主人公、酒井裕介。そこは、会社のお荷物扱いされる社員が集められる場所でした。希望の見えない日々の中、彼の元に届く謎のメールが、物語を動かしていきます。

この記事では、「ニワトリは一度だけ飛べる」がどのような物語なのか、登場人物たちの心の動きや、物語の結末に触れながら、詳しくお話ししていきたいと思います。読み終えた後、きっとあなたも何かを感じ、考えさせられるはずですよ。

小説「ニワトリは一度だけ飛べる」のあらすじ

酒井裕介は、中堅の冷凍食品会社「三杉産業」に勤める平凡なサラリーマン。ある日、彼は家族との生活を優先し、会社からの転勤命令を断ります。しかし、その決断は彼を予期せぬ場所へと追いやることになりました。それは、「イノベーションルーム」、社内では「イノ部屋」と揶揄される部署への異動でした。

イノ部屋は、表向きは新規事業開発を目的としながらも、実態はリストラ対象者を集め、自主退職に追い込むための部署。そこに送られた者は、平均して数ヶ月で会社を去っていくという、いわくつきの場所でした。裕介は、家族を養うために、絶対に辞めないと心に誓いますが、不安は募るばかりです。

裕介と同じタイミングでイノ部屋に異動してきたのは、二人の同僚でした。一人は、裕介の同期であり、かつては出世街道をひた走っていた羽村史夫。彼は、一年前の経営陣の内紛で失脚した元社長派だったため、現経営陣から疎まれていました。もう一人は、大阪支社からやってきた中川政夫。彼はどこか影があり、掴みどころのない人物でした。

イノ部屋の室長である江崎三郎は、一日中文庫本を読んで過ごす、やる気のない中年男性。しかし、彼は裕介たちを左遷した張本人である経営統括営業本部長・鎌田の手先のような動きも見せ、イノ部屋の空気は常に張り詰めていました。特に、気の強い羽村は、江崎の態度に何かと反発します。

そんな重苦しい雰囲気の中で始まったイノ部屋での日々。ある日、裕介のパソコンに奇妙なメールが届きます。差出人は不明、タイトルは「ニワトリは一度だけ飛べる」。メールはその後も断続的に送られてきて、イノ部屋のメンバーを童話『オズの魔法使い』の登場人物になぞらえ、鎌田本部長とその腹心である小松原の企みをほのめかす内容でした。

メールの送り主は、果たして裕介たちの味方なのか、それとも鎌田たちが仕掛けた罠なのか。裕介は疑心暗鬼になりながらも、メールの内容に少しずつ引き込まれていきます。やがて、イノ部屋のメンバーは、鎌田たちが画策する会社の不祥事隠蔽計画を知ることになり、自分たちの未来と誇りをかけて、起死回生の一手を打つことを決意します。それはまさに、飛べないはずのニワトリが、一度だけ大空へ羽ばたくような、大胆な挑戦でした。

小説「ニワトリは一度だけ飛べる」の長文感想(ネタバレあり)

この物語を読んで、まず強く感じたのは、主人公・酒井裕介への深い共感でした。彼のように、会社の理不尽な決定によって、望まない部署へ異動させられる、いわゆる「追い出し部屋」の話は、現実の世界でも耳にすることがありますよね。自分の仕事へのプライドや、これまでのキャリアを否定されたような気持ち、そして何より、家族を抱える身としての経済的な不安。裕介が抱える苦悩は、多くの働く人にとって他人事ではないはずです。

特に、家族には心配をかけまいと、異動の事実を隠そうとする裕介の姿には、胸が締め付けられました。妻の麻美さんは、専業主婦でありながら、実家の親の介護も抱えている。育ち盛りの子供たちの教育費もかかる。そんな状況で、自分がリストラ対象部署に移されたなんて、とても言えない。その気持ちは痛いほど分かります。でも、やっぱり、どこかで正直に話すべきだったんじゃないかな、とも思ってしまうんですよね。後から知る方が、ショックは大きいですし、夫婦間の信頼にも関わってきますから。

物語の序盤で、裕介をイノ部屋に飛ばした張本人である鎌田本部長が、彼にこんな言葉をかける場面があります。「まあ、今度の部署は利益を追う仕事じゃないけど、逆に言えば目先の結果は問われないわけだから。(中略)どーんと会社に衝撃を与えるような改革案を探ってみて、うん」。もちろんこれは、何の期待もしていない、ただの嫌味です。しかし、物語の終盤、この言葉がブーメランのように鎌田自身に返ってくる展開には、思わず「やった!」と声を上げそうになりました。イノ部屋のメンバーが一丸となって起こした行動が、まさに会社、そして鎌田に「衝撃を与える」結果となるのですから。このカタルシスは、物語の大きな魅力の一つですね。

そして、物語の鍵を握る謎のメール、「ニワトリは一度だけ飛べる」。このメールの送り主《ニワトリ》の正体は、中盤まで大きな謎として読者を引きつけます。メールの内容は、イノ部屋のメンバーを『オズの魔法使い』のキャラクターに喩え、鎌田たちの悪だくみを警告するものでした。裕介は「勇気がほしいライオン」、羽村は「知恵がほしいカカシ」、中川は「心を取り戻したいブリキの木こり」。この設定が、それぞれのキャラクターの抱える葛藤や、物語における役割と見事にリンクしていて、唸らされました。

メールの送り主が鎌田に近い人物であることは示唆されますが、それが味方なのか敵なのか、判然としない。裕介が過去に何気なくした親切が、実は送り主にとって大きな意味を持っていた、という事実が明かされるのですが、それでもなお、罠ではないかという疑念は拭えません。私だったら、怖くてもうメールを開けないかもしれません。

その送り主の正体が、鎌田の秘書であり、なんとイノ部屋の江崎室長の娘である江崎洋子だと判明した時は、驚きました。一見、やる気のなさそうな江崎室長が、実は娘の行動を静かに見守り、いざという時には熱い行動力を見せる。この親子関係も、物語に深みを与えています。江崎室長、普段は飄々としているけれど、スイッチが入ると頼りになる、魅力的な人物でした。

イノ部屋のメンバーも、それぞれに個性的です。元エリートの羽村は、プライドが高く、現状への不満を隠しませんが、根は真っ直ぐで、不正を許せない正義感を持っています。彼の知恵が、後の反撃計画で重要な役割を果たします。

一方、中川は、非常に複雑なキャラクターです。彼は、娘が重い病気を患っており、その治療費のために、鎌田が画策する食品偽装の罪を被ろうとします。その態度は、時に周囲を苛立たせ、裕介たちとの間に溝を生むことも。彼の行動原理は理解できるものの、もう少し素直になれれば、周りも助けやすいのに、と感じてしまう場面もありました。娘のことで同情されるうちに、心がねじくれてしまったのかもしれません。それでも、彼が「心を取り戻したいブリキの木こり」に喩えられているように、物語を通して、彼なりに人間らしい感情を取り戻していく過程が描かれています。

『オズの魔法使い』のモチーフは、本当に巧みに使われていると感じました。臆病なライオンである裕介が、仲間を守るために勇気を振り絞る場面は、物語のハイライトの一つです。知恵がほしいカカシの羽村が、状況を分析し、作戦を練る。心を失ったブリキの木こりの中川が、仲間との関わりの中で、再び他者を信じる気持ちを取り戻していく。童話のキャラクターと重ね合わせることで、彼らの内面的な成長がより鮮やかに浮かび上がってきます。久しぶりに『オズの魔法使い』を読み返したくなりました。

物語の後半、鎌田たちが進める食品偽装計画の全貌が明らかになり、イノ部屋のメンバーたちは、それを阻止し、告発するための危険な賭けに出ます。仲間内での疑心暗鬼や、鎌田たちの妨害工作など、ハラハラする展開が続きます。特に、計画実行の場面は、手に汗握る緊張感でした。それぞれの弱さを抱えた男たちが、持てる力を合わせ、巨大な権力に立ち向かう姿は、読んでいて胸が熱くなりました。

この作品は、単なるサラリーマンの逆転劇にとどまらず、現代社会が抱える問題にも切り込んでいます。企業の論理の前では、個人の尊厳や正義がないがしろにされがちな現実。利益のためなら不正も厭わない体質。そうした社会の暗部に光を当てながらも、決して絶望だけを描くのではないところが、重松清さんらしいと感じます。

どんなに理不尽な状況に置かれても、諦めずに声を上げること、仲間と手を取り合うことの大切さ。そして、「ニワトリは一度だけ飛べる」というタイトルが示すように、普段は飛べないと思っている者でも、強い意志と覚悟があれば、一度きりのチャンスを掴み、大きく飛躍できる可能性があるのだと、この物語は教えてくれます。

読み終えた後、爽快感とともに、明日からまた頑張ろう、と思えるような、温かい力が湧いてくる作品でした。登場人物たちの誰かに、きっと自分を重ね合わせてしまうはずです。もし、今、仕事や人生で壁にぶつかっている人がいたら、ぜひ手に取ってみてほしい一冊です。

まとめ

重松清さんの小説「ニワトリは一度だけ飛べる」は、会社の理不尽な異動によって「追い出し部屋」に左遷されたサラリーマン、酒井裕介が主人公の物語です。家族のために現状維持を望む彼でしたが、謎のメール「ニワトリは一度だけ飛べる」をきっかけに、状況は動き始めます。

この物語は、イノ部屋に集められた、それぞれに事情を抱えるメンバーたちが、『オズの魔法使い』の登場人物になぞらえられながら、会社の不正に立ち向かい、一発逆転を狙う姿を描いています。勇気がほしいライオン(裕介)、知恵がほしいカカシ(羽村)、心を取り戻したいブリキの木こり(中川)。彼らが手を取り合い、困難に立ち向かう様子は、読む人の心を熱くします。

リストラ、企業の不正、家族との関係など、現代社会に通じるテーマを扱いながらも、決して重苦しいだけではなく、最後には希望と爽快感を与えてくれるのが、この作品の魅力です。理不尽な状況の中でも、諦めずに声を上げること、仲間を信じることの大切さを教えてくれます。

もしあなたが、日々の仕事や生活に少し疲れを感じていたり、何か乗り越えたい壁があると感じていたりするなら、この「ニワトリは一度だけ飛べる」は、きっと背中をそっと押してくれるはずです。読みやすい文章で、物語の世界にぐっと引き込まれますよ。