小説『サロメ』のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。

原田マハさんの描く『サロメ』は、単なる歴史小説や美術ミステリーの枠に収まらない、人間の深い情念と芸術の誕生に迫る一作です。19世紀末のロンドンを舞台に、稀代の天才画家オーブリー・ビアズリーと、時代の寵児オスカー・ワイルド、そしてビアズリーの姉メイベルの間に繰り広げられる、複雑な愛憎劇が読みどころ。現代パートで提示される「未発表版『サロメ』」の挿絵に隠された謎が、過去の退廃と狂気を鮮やかに描き出します。

物語は、現在のロンドンにあるヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に勤める学芸員の甲斐祐也が、ある奇妙な挿絵の鑑定を依頼されるところから始まります。それは、ビアズリーがオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』のために描いた挿絵の一枚ですが、その絵にはある決定的な違和感がありました。この一点の違和感が、読者を19世紀末のロンドンへと誘い、ビアズリーとワイルド、そして彼らを取り巻く人々の秘められた真実へと導いていくのです。

この作品は、史実を丹念に踏まえつつも、原田マハさんならではの大胆な「妄想力」によって、歴史の隙間に隠された人間ドラマを鮮やかに再構築しています。芸術が生まれる背景には、時に計り知れないほどの愛や憎しみ、そして嫉妬が渦巻いていることを教えてくれます。特にメイベルの存在は、物語全体に不穏な空気を漂わせ、読者に深い問いかけを投げかけます。

あなたは、この魅惑的な物語の虜になることでしょう。芸術と狂気、愛と破滅が織りなす究極のデカダンス。さあ、『サロメ』が持つ魔性の世界へ、一緒に足を踏み入れてみませんか。

小説『サロメ』のあらすじ

ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に客員学芸員として派遣されている甲斐祐也は、ロンドン大学のワイルド研究者、ジェーン・マクノイアから一枚の絵の鑑定を依頼されます。それは、天才画家オーブリー・ビアズリーがオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』のために描いた挿絵の一つ、「最高潮(クライマックス)」の未発表版と見られるものでした。しかし、その絵に描かれた生首の顔は、預言者ヨハネのものではなく、見慣れない男の顔でした。この絵に隠された謎を追うことが、甲斐とジェーンの新たな研究の始まりとなります。

物語は、現代の謎を導入としつつ、19世紀末のロンドンへと時代を遡ります。そこには、結核を患いながらも驚異的な才能を放つ若き画家オーブリー・ビアズリーと、時代の寵児として名を馳せていた詩人・劇作家オスカー・ワイルドの姿がありました。ビアズリーの絵は、その淫靡で退廃的な魅力で瞬く間にワイルドの目に留まり、ワイルドは自身の戯曲『サロメ』の挿絵をビアズリーに依頼します。二人の天才は、互いの才能に深く共鳴し、その関係性は芸術的な領域を超えて深まっていきます。

そんな二人の関係に、ビアズリーの姉であるメイベルが深く関わってきます。女優を目指しながらもなかなか芽が出ないメイベルは、幼い頃から病弱な弟オーブリーを献身的に支え、その才能を誰よりも信じていました。しかし、ワイルドがオーブリーの才能を見出し、彼が世に知られていくにつれて、メイベルの弟への愛情は、次第に病的な執着とワイルドへの嫉妬へと変貌していきます。

メイベルは、弟のオーブリーとワイルドの関係を「弟のためにならない」と称して引き裂こうと画策します。彼女の行動は、弟を「守る」という名目で行われますが、その裏には、自らの自己愛や、弟が自分から離れていくことへの耐え難い不満、そして女優としての満たされない野心がありました。彼女の存在は、次第に『サロメ』の物語に登場する「妖女」そのものへと変貌していきます。

ワイルドとビアズリー、そして彼らの間で暗躍するメイベル。さらに、ワイルドの同性の恋人であるアルフレッド・ダグラスも加わり、物語は複雑な「四つ巴の愛憎劇」へと発展していきます。この愛憎劇が、やがて彼らの運命を大きく左右し、ビアズリーの描いた「未発表版『サロメ』」の挿絵に隠された真実へと繋がっていくのです。

ワイルドは、同性愛がタブー視された時代において、その生き様から社会的な破滅を経験し、投獄された後に若くして亡くなります。ビアズリーもまた、結核により25歳という若さで夭折します。彼らの悲劇的な最期は、単なる歴史的事実としてではなく、メイベルの狂気的な愛憎がもたらした結果として描かれ、読者に深い衝撃を与えます。

小説『サロメ』の長文感想(ネタバレあり)

原田マハさんの『サロメ』は、単なる歴史や美術を題材にした物語ではありません。それは、人間の持つ根源的な感情、つまり愛、憎悪、嫉妬が、いかにして芸術を生み出し、そして個人の運命を翻弄するのかを深く問いかける、強烈な一編だと感じました。読み終えた後も、その余韻が長く心に残る、まさに「傑作」と呼ぶにふさわしい作品です。

まず、冒頭の現代パートで提示される「未発表版『サロメ』」の挿絵の謎が、読者の好奇心を鷲掴みにします。ビアズリーが描いた「最高潮」の絵の中で、生首の顔がヨハネではないという一点の違和感。この仕掛けが実に巧妙で、過去の物語へと誘う導入として完璧でした。現代の学芸員である甲斐祐也とジェーン・マクノイアが、謎を解き明かしていく過程は、まるで私たちが彼らと一緒に、世紀末のロンドンという迷宮を探索しているような感覚にさせてくれます。

物語の主軸となる19世紀末のロンドンパートは、まさにデカダンスの極致です。オーブリー・ビアズリーとオスカー・ワイルドという二人の天才が、互いの才能に惹かれ合い、魂を共鳴させていく様は、息をのむほどに美しく、そして切なく描かれています。特に、ビアズリーの描く絵の「淫靡さゆえ、邪悪さゆえ、目を逸らせなくなるほどの抗いがたい魅力」という表現には、深く頷かされました。彼の絵が持つ独特の空気感、見る者の心の奥底に潜む「罪深きものへの興味」を刺激する力は、まさにワイルドの戯曲『サロメ』の世界観と完璧に合致しているのです。二人の関係性が、芸術の創造にどれほど大きな影響を与えたのかが、ひしひしと伝わってきました。

そして、この物語に決定的な陰影を与えるのが、メイベル・ビアズリーという存在です。彼女は、当初は献身的な弟思いの姉として描かれますが、物語が進むにつれて、その姿は『サロメ』の妖女そのものへと変貌していきます。弟の才能を愛し、その成功を願う純粋な感情が、ワイルドへの嫉妬と、弟が自分から離れていくことへの「病的な執着」へと転じていく様は、読んでいてゾッとするほどでした。彼女の行動の根底には、女優としての満たされない野心や、自己愛といった、人間の持つ複雑な感情が渦巻いていることを知らされ、その多面的な内面に引き込まれていきました。メイベルの変貌は、愛が憎悪へと転じる人間の業、そしてその業が芸術作品の誕生に深く関与するという、この作品の核心的なテーマを象徴していると感じました。

原田マハさんの「妄想力」にはただただ感服します。史実を綿密に調査した上で、ワイルドとビアズリーの破滅にメイベルが深く関与していたという大胆なフィクションを織り交ぜることで、物語は単なる歴史の再現に留まらず、ミステリアスで引き込まれるドラマへと昇華されています。メイベルの一人芝居がワイルドの認知症を悪化させ、死を後押ししたという描写は、史実の背後にある「語られざる真実」を想像させるに十分でした。まるで、歴史の裏側に隠された「もしも」の物語を覗き見ているかのような感覚を覚えました。

『サロメ』という戯曲、そしてビアズリーが描いた挿絵は、この物語の中で単なる芸術作品ではありません。それは、登場人物たちの愛憎が絡み合い、彼らの魂が込められた「生きた証」として描かれています。特に「最高潮」の挿絵に描かれた生首の謎が解き明かされるクライマックスは、鳥肌が立つほどの衝撃でした。ビアズリーが最後に銀の皿の上の首として願ったのが、彼を破滅へと導いたワイルドの首であったという示唆。そして、メイベルが自らの狂気の果てに、ワイルドの死に関与していたという結末は、人間の愛と憎悪が織りなす究極のデカダンスを強烈に印象付けます。

この作品は、芸術が生まれる背景には、純粋な美しさだけでなく、人間の持つ最も暗い情念や、時には破滅的な関係性が存在し得ることを示唆しています。同性愛が「罪」とされた時代のタブー、聖人殺害という究極のタブーといった要素が、作品全体の背徳的な雰囲気を一層強め、読者に深く問いかけます。芸術と真実、そして人間の業という普遍的なテーマを、これほどまでに魅惑的に描き出した原田マハさんの筆致には、ただただ脱帽するばかりです。

読み終えて、私たちが普段目にしている芸術作品の背後には、想像もつかないようなドラマや、作者の計り知れない感情が込められているのかもしれない、ということを改めて考えさせられました。『サロメ』は、美術や歴史に興味がある方はもちろんのこと、人間の心の闇、そして愛と憎悪の間に揺れ動く感情に触れたい方にも、ぜひ読んでいただきたい一冊です。この物語が、あなたの心にも忘れられない余韻を残すことを願っています。

まとめ

原田マハさんの『サロメ』は、19世紀末ロンドンの退廃的な雰囲気を背景に、天才芸術家オーブリー・ビアズリーとオスカー・ワイルド、そして彼らに深く関わるメイベル・ビアズリーの間に繰り広げられる、愛憎劇を描いた傑作です。現代パートで提示される「未発表版『サロメ』」の挿絵の謎が、過去の秘められた真実へと読者を誘います。

この物語の中心にあるのは、ビアズリーの才能とワイルドとの運命的な出会い、そしてそれに対するメイベルの「病的な執着」です。献身的な姉から、次第に『サロメ』の妖女そのものへと変貌していくメイベルの姿は、愛が憎悪へと転じる人間の複雑な心理を鮮やかに描き出しています。彼女の存在が、ワイルドとビアズリーの破滅に深く関与していたという原田マハさんならではの「妄想力」が、物語に予測不能な展開と深みを与えています。

『サロメ』という作品は、単なる歴史の再現に留まらず、愛、憎悪、嫉妬といった人間の根源的な感情が、いかにして芸術の創造に影響を与え、また破滅を招くのかという普遍的なテーマを投げかけています。世紀末のデカダンスという時代背景と、登場人物たちの業が絡み合うことで生まれる唯一無二の傑作というテーマは、読者に芸術の持つ多面性、そして真実とフィクションの境界線について深く考察を促すでしょう。

この作品は、美術ミステリーとしての面白さはもちろんのこと、人間の情念の奥深さ、そして芸術の持つ計り知れない力を教えてくれます。読み終えた後も長く心に残る、強烈なインパクトを持つ一冊です。ぜひ手に取って、『サロメ』が織りなす魅惑の世界を体験してみてください。