小説「わたしの美しい庭」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。物語の核にあるのは、マンション屋上の庭園の奥に建つ「縁切り神社」と、そこへ辿り着く人たちの心のほつれです。
「わたしの美しい庭」は、血縁や肩書だけでは測れないつながりを、日々の暮らしの温度で描いていきます。
登場するのは、統理と小学生の百音、そこへ毎朝ふらりと加わる路有、さらに同じ建物や周辺に縁を持つ桃子や基など、輪郭の違う人たちです。
この記事では、まず「わたしの美しい庭」のあらすじを整理し、そのあとで踏み込んだ話も含めて「わたしの美しい庭」を味わい直します。人が集まることの光と影まで見通す視点が、この作品には通っています。
「わたしの美しい庭」のあらすじ
「わたしの美しい庭」の舞台は、屋上に庭園があり、その奥に「縁切り神社」があるマンションです。悪癖や気鬱となる悪い縁を断ち切る、と噂される場所に、さまざまな事情を抱えた人が引き寄せられていきます。
最上階に住む統理は、その神社の管理も担い、百音と一緒に暮らしています。血のつながりはないのに、ふたりの生活は落ち着いていて、そこへ隣人の路有が朝の食卓に加わるのが日常になっています。
一方で、外の世界はやさしいだけではありません。独身の桃子は周囲の視線や「普通」に揺さぶられ、路有は自身の在り方をめぐる痛みを抱え、基は仕事や心身の不調で立ち止まります。けれど彼らは、屋上の小さな神社と、統理たちの生活圏に触れながら、少しずつ呼吸を整えていきます。
「わたしの美しい庭」は、誰かを救う正解を掲げる物語ではなく、ほどけたり結び直したりする過程を丁寧に追います。だからこそ、あらすじを追うだけでも、切りたいものが何なのかが人によって違う、と静かに伝わってくるはずです。
「わたしの美しい庭」の長文感想(ネタバレあり)
ここからはネタバレを含みますが、「わたしの美しい庭」の魅力は出来事の派手さではなく、心の関節が鳴る瞬間の確かさにあります。連作のように見えながら、読み進めるうちに一本の長い息に収束していく構成が、とても効いているんです。
「わたしの美しい庭」でまず胸をつかまれるのは、統理と百音の関係です。統理は亡妻が別の相手との間にもうけた子である百音を引き取り、世間の好奇や噂とは別の場所で「親であること」を積み上げていきます。その無言の強さが、物語全体の土台になっています。
屋上の神社は、ただの装置ではありません。断ち物の神さまが祀られ、悪い縁を切りたい人が訪れるという設定が、登場人物たちの「言いにくさ」を言語化してくれます。誰にも言えない願いを、ようやく置ける場所がある、というだけで救われる瞬間があるんですよね。
しかも、この神社は「正しい願い」だけを選別しません。みっともない執着も、しつこい自責も、見栄も、いったん受け止めてくれる。だから「わたしの美しい庭」は、立派な更生譚ではなく、生活の中で自分に許可を出していく話として響いてきます。
桃子の章が突き刺さるのは、彼女が何かを大きく間違えたわけではないからです。若い頃に大切な恋人を失い、その不在を抱えたまま歳月を重ね、職場でも家庭でも「こうあるべき」に押し流されそうになる。本人の内側は必死に踏ん張っているのに、外側の圧だけが増えていく描写がつらいほど現実的です。
それでも桃子は、崩れ落ちきらないんです。忘れて前へ進むことだけが善ではない、と自分に言い聞かせるような歩き方をしている。ここで「わたしの美しい庭」は、喪失を美談にしないまま、喪失と共存する姿を差し出します。読み手の過去の痛みまで、そっと撫でるように。
路有の章は、軽やかに見える人の背中に、どれだけの重りが括られているかを教えてくれます。ゲイであることを隠さず生きる一方で、家族との断絶や周囲の偏見が生活の細部にまで影を落とす。友人の何気ない言葉が刃になる場面は、読んでいて息が詰まりました。
路有と統理の関係がいいのは、友情や同居のラベルが要らないところです。統理だけは離れていかなかった、という回想が積み重なるほどに、「理解できる/できない」の二択ではなく、「そばにいる」を選ぶ強さが見えてきます。百音がそこに自然に混ざっているのも、作り物ではなく暮らしとして説得力があります。
この作品が巧いのは、集まることを手放しで肯定しない点です。輪ができると、その外側が生まれる。誰かを守る言葉が、別の誰かを追い出すこともある。その残酷さまで射程に入れているから、「わたしの美しい庭」のやさしさは薄っぺらくならないんです。
基の章では、心が折れる過程が丁寧に追われます。激務や不調で仕事を離れ、焦りだけが募るのに身体が動かない。恋人との関係も、善意だけでは保てない局面が来る。そんな時に、基が偶然にも桃子と再会し、路有の場にもつながっていく流れが、物語の「縁」を一本に束ねていきます。
基がいちばん苦しいのは、「がんばれない自分」を裁いてしまうところです。ここで統理や百音たちの生活が効いてきます。彼らは説教で救わない代わりに、食卓や何気ない会話で、基の呼吸を少しずつ現実に戻していく。読む側にも、立て直しは劇的じゃなくていいんだ、と伝わってきます。
屋上の神社が象徴するのは、縁を断ち切る快感ではなく、「切っていいもの」を自分で選び直す権利だと思いました。何を切るかがその人の尊厳に直結しているから、他人が口を挟むほど浅い話ではない。その感覚が「わたしの美しい庭」の隅々から立ち上ってきます。
読後に残るのは、完全な解決ではなく、割り切れなさを抱えたまま暮らす強さです。もやもやを抱えたままでも、生活は続けられるし、人は人に触れられる。そう言ってもらえた気がして、私は静かに救われました。
「わたしの美しい庭」を暮らしの傍らに置けるのも嬉しいところです。重いテーマを扱いながら、読み心地はあくまで生活のリズムに寄り添います。だからこそ、つらい時期に読み返したくなる人が多いのだと思います。
最後に改めて、「わたしの美しい庭」は救いを約束する物語ではありません。けれど、救いが生まれる条件を、暮らしの手触りで示してくれる。統理と百音と路有の朝食が、桃子と基の時間が、そのまま「生き延び方」の見本になっているんです。
「わたしの美しい庭」はこんな人にオススメ
「普通」という言葉に、知らないうちに息苦しさを覚えたことがある人に、「わたしの美しい庭」は合うと思います。誰かの正義が自分を削る瞬間を、この作品は見過ごしません。桃子の揺れ方が、きっと他人事ではなくなるはずです。
血縁や恋愛だけが居場所の形ではない、と感じている人にもおすすめです。「わたしの美しい庭」が描くのは、名づけえぬ共同体のリアルで、そこには都合の良い絆ではなく、距離の取り方の試行錯誤があります。
性的指向や家族との断絶、周囲の偏見といったテーマに、誠実に向き合う物語を読みたい人にも向いています。路有の章は痛みがあるぶん、安易に「理解した気」になれない手応えが残ります。
また、心身の不調や働き方の問題を、きれいごとにせず描いた作品を探している人にも良いと思います。基の章は、折れたあとに戻る道を、派手に照らすのではなく、足元から整えていく描き方でした。「わたしの美しい庭」を読むことで、自分に向ける言葉が少し変わる人もいるはずです。
まとめ:「わたしの美しい庭」のあらすじ・ネタバレ・長文感想
- 「縁切り神社」という舞台装置が、願いの言いにくさを受け止めます。
- 統理と百音の暮らしが、物語全体の安心の土台になります。
- 路有の章は、偏見が日常に入り込む怖さを具体的に描きます。
- 桃子の章は、「普通」の圧が人を追い詰める現実を突きます。
- 基の章は、折れた心を立て直す過程を生活の速度で描きます。
- 誰かの正しさが、別の誰かを排除する場面を見逃しません。
- 切ることは破壊ではなく、自分を守る選択として描かれます。
- 連作のようで、読み終えると一本の長い物語として立ち上がります。
- 解決よりも「抱えたまま生きる」強さが後に残ります。
- 読後、他者への想像力と、自分への許しが少し増えます。




