小説「みみずく通信」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。この作品は、太宰治が新潟の高等学校へ講演に行った際の出来事を、親しい友人への手紙という形式で綴ったものです。旅の恥はかき捨て、とばかりに、講演会の様子や生徒たちとの交流、そして自身の内面を率直に語っています。
太宰治といえば、どこか破滅的で暗いイメージを持つ方もいるかもしれません。しかし、この「みみずく通信」を読むと、彼の意外な一面、人間味あふれる姿に触れることができます。照れ屋で小心、だけれども生徒たちには真摯に向き合い、時にはお茶目な一面も見せる。そんな太宰治の姿が生き生きと描かれています。
この記事では、まず「みみずく通信」の物語の筋道を、結末まで含めて詳しくお伝えします。その後、作品を読んで私が感じたこと、考えたことを、ネタバレを気にせずにたっぷりと語っていきたいと思います。太宰治の作品が好きな方はもちろん、これから読んでみようかなと考えている方にも、楽しんでいただける内容になっているかと思います。
太宰治が旅先で何を見て、何を感じ、何を語ったのか。そして、その経験がどのように作品へと昇華されていったのか。一緒に「みみずく通信」の世界を旅してみませんか。きっと、太宰治という作家の新たな魅力に気づくことができるはずです。
小説「みみずく通信」のあらすじ
この物語は、太宰治が親しい友人へ宛てた手紙の形式で始まります。「無事、大任を果たしました」という書き出しで、新潟の高等学校での講演という「大任」について語り始めます。彼は、この旅の目的を事前に友人に知らせなかった理由を、照れくささと、友人からの心配や忠告を恐れたためだと正直に告白します。ラジオ小説の放送が友人に知られて赤面した経験から、隠し事はせず、洗いざらい話すことにしたのです。
新潟に到着した太宰は、駅で出迎えてくれた二人の生徒と共に旅館へ向かいます。埃っぽく乾いた新潟の街並み、広い道路、万代橋と信濃川の風景に特別な感慨は抱きません。旅館ではすぐに横になりますが、眠ることはできませんでした。昼食後、生徒たちが迎えに来て、海岸の砂丘の上に建つ学校へ。自動車の中で浪の音について尋ねると、生徒たちに笑われてしまいます。
学校に着くと、渋柿色の木造校舎が目に入ります。玄関で下駄の悪さを気にしたり、校長室で案内役の生徒から芥川龍之介が来た際に講堂の彫刻を褒めたと聞かされ、自分も何か褒めるべきかと内心きょろきょろしたりします。講演会では、用意してきた自身の創作集から初期作品『思い出』の一部を朗読し、私小説や告白の限度、自己暴露の底にある愛情について語ります。
話が途切れると、今度は近作『走れメロス』を朗読し、友情や素朴な信頼について熱弁します。「青春は、友情の葛藤であります」と語り、理想を捨てるなと訴えます。講演後の座談会では、生徒からの質問は少なかったものの、「ありがとう、すみません」という言葉の必要性、卑屈は恥ではないこと、被害妄想や罪の意識などについて、思いつくままに語りました。
講演を終えた太宰は、生徒の有志たちと海を見に行きます。日本海の黒い水、固い波、水平線に横たわる佐渡島を眺めながら、芭蕉の句に思いを馳せつつも、朝日と夕日の違いについて生徒と語り合います。「滅亡の風景だ」と感じながらも、「忘れ得ぬ思い出の一つだ」と口にします。その後、一行は「イタリヤ軒」という洋食屋で夕食をとります。
食事の席では、生徒たちも打ち解け、「太宰さんを、もっと変った人かと思っていました。案外、常識家ですね」といった率直な言葉も飛び出します。作家という生き方について問われると、「他に何をしても駄目だったから、作家になったとも言える」と答え、何もせずに自分を駄目だと決めるのは怠惰だと諭します。別れ際には、「大学へはいって、くるしい事が起ったら相談に来給え」「諸君、勉強し給え」と、生徒たちに温かい言葉をかけます。生徒と別れた後、立ち寄った店で女の人に「剣道の先生でしょう?」と間違われ、苦笑します。宿に戻り、この手紙を書いている彼は、翌日、以前から行きたかった佐渡島へ渡るつもりだと記し、「講演は、あまり修行にもなりません。剣道の先生も、一日限りでたくさん也」と締めくくります。最後に其角の俳句「みみずくの、ひとり笑いや秋の暮」を引用して、手紙を結びます。
小説「みみずく通信」の長文感想(ネタバレあり)
この「みみずく通信」という作品、実に味わい深いものがありますね。太宰治が友人へ宛てた手紙という形式で書かれているわけですが、その語り口が非常に自然で、まるで太宰自身が隣でその旅の出来事を話してくれているような、そんな親密さを感じさせます。彼の照れくささや見栄、そして内心の動揺が、飾らない言葉で綴られていて、人間・太宰治の体温が伝わってくるようです。
まず面白いのは、旅の目的を友人に隠していた理由ですね。「てれくさかった」ことと、「れいの如く心配して何やらかやら忠告、教訓をはじめるのではないか」と恐れたからだ、と。こういう弱さというか、格好つけたくなるところを正直に書いてしまうのが、太宰らしいと感じます。以前にラジオ小説の件で友人に感想文を送られて「赤面、閉口」した経験が、今回の「洗いざらい」話すという決意につながっているのも、なんだか微笑ましいですよね。失敗から学んでいるというか、隠し通せない自分の性格を自覚しているというか。
新潟の街の描写も印象的です。「へんに埃っぽく乾いて」「捨てられた新聞紙が、風に吹かれて、広い道路の上を模型の軍艦のように、素早くちょろちょろ走って」いた、とか。決して美しい描写ではないけれど、妙にリアルで、その場の空気感が伝わってきます。万代橋や信濃川を見ても「別段、感慨もありませんでした」と素っ気なく書いているあたりも、気取らなくて良いなと思います。無理に感動してみせる必要はない、という彼のスタンスが窺えます。
学校でのエピソードも、太宰の小心さや自意識が垣間見えて興味深いです。生徒に芥川龍之介が彫刻を褒めた話を聞かされ、「私も、何か褒めなければいけないかと思って、あたりを見廻した」けれど、「褒めたいものもありませんでした」というくだり。無理に取り繕わない正直さが、かえって好感が持てます。玄関で下駄の悪さを気にするところなんかも、妙に人間くさくて、大作家というイメージとのギャップが面白いです。
講演会の内容も、なかなか興味深いですよね。自分の作品を朗読するというスタイルが、当時としては普通だったのか、それとも太宰ならではなのか。彼自身、「てれくさい虫を押し殺し押し殺し、どもりながら言いました」と書いているように、決して得意ではなかったのかもしれません。それでも、『思い出』を読んで私小説や告白について語り、『走れメロス』を読んで友情や信頼について語る。その内容は、彼の文学の根幹に関わるテーマであり、生徒たちに真剣に伝えようとしていたことがわかります。
「青春は、友情の葛藤であります」という言葉は、若者たちに向けた力強いメッセージですよね。純粋さを求め、ぶつかり合い、傷つくことこそが青春なのだと。そして、「理想を捨てるな」と。太宰自身の経験から来る言葉なのかもしれません。座談会での、「ありがとう、すみません」という挨拶言葉の必要性についての言及も、考えさせられます。「それを感じた時、人は、必ずそれを言うべきである。言わなければわからぬという興覚めの事実」というのは、現代にも通じる指摘ではないでしょうか。私たちはつい、感謝の気持ちを「すみません」で済ませてしまうことがあります。その背景にある心理まで見抜いているような鋭さを感じます。
卑屈や被害妄想についても、「必ずしも精神病でない」と言い切るところが、太宰らしい視点かもしれません。人間の心の弱さや複雑さを、安易に断罪しない優しさのようなものが感じられます。「のほほん顔の王さまも美しい」という言葉も、完璧ではない、ありのままの姿を肯定するような響きがあります。罪の意識についても語ったとありますが、これは彼の生涯のテーマとも言えるものでしょう。短い記述ですが、深い内容だったのではないかと想像させられます。
講演後、生徒たちと海を見に行く場面は、この作品の中でも特に印象的なシーンの一つです。日本海の「黒い水」「固い浪」、水平線に横たわる佐渡島、低い空と真黒い雲。どこか陰鬱で、「滅亡の風景」とまで感じさせる景色。しかし、太宰はその景色を前にして「これあいい。忘れ得ぬ思い出の一つだ」と呟きます。美しいだけではない、厳しさや寂寥感をも含んだ風景の中に、何か心に残るものを見出したのでしょう。芭蕉の句を口ずさみながらも、「あのじいさん案外ずるい人だから」と疑ってみせるあたりも、彼らしい天の邪鬼な一面でしょうか。
夕日の描写も独特です。「ぶるぶる煮えたぎって、血のような感じ」「少しなまぐさいね。疲れた魚の匂いがあるね」と。生徒が富士山で見た朝日とは「どこか違うようです。こんなに悲しくありませんでした」と答えるのに対し、「夕日は、どうも、少しなまぐさいね」と応じる。単なる感傷ではない、生々しい感覚で風景を捉えているのが分かります。この感性が、彼の文学の源泉の一つなのかもしれません。
イタリヤ軒での食事の場面では、生徒たちとの距離が縮まっていく様子が描かれています。「太宰さんを、もっと変った人かと思っていました。案外、常識家ですね」という生徒の言葉は、当時の人々が作家、特に太宰治に対して抱いていたイメージを反映しているようで興味深いです。それに対する太宰の「生活は、常識的にしようと心掛けているんだ。青白い憂鬱なんてのは、かえって通俗なものだからね」という返答は、彼なりの矜持を示しているように思えます。
「自分ひとり作家づらをして生きている事は、悪い事だと思いませんか」という、若者らしい真っ直ぐな問いかけも印象的です。これに対する太宰の答え、「それは逆だ。他に何をしても駄目だったから、作家になったとも言える」は、謙遜のようでありながら、ある種の真実を突いているのかもしれません。そして、すぐに「じゃ僕なんか有望なわけです。何をしても駄目です」と反応する生徒へのアドバイス。「君は、今まで何も失敗してやしないじゃないか。(中略)何もしないさきから、僕は駄目だときめてしまうのは、それあ怠惰だ」。これは、生徒だけでなく、私たち読者にも響く言葉ではないでしょうか。行動する前に諦めてしまうことへの、厳しいけれど温かい叱咤激励です。
そして、別れ際の言葉。「大学へはいって、くるしい事が起ったら相談に来給え。作家は、無用の長物かも知れんが、そんな時には、ほんの少しだろうが有りがたいところもあるものだよ」。これは社交辞令だったのかもしれませんが、それでも彼の面倒見の良さ、生徒たちへの真摯な思いが伝わってきます。普段は照れ屋で、どこか斜に構えているように見える太宰が、ここでは素直に若者たちの未来を案じ、手を差し伸べようとしている。このギャップに、ぐっときます。「諸君、勉強し給え、だ」という最後の言葉も、シンプルですが力強いエールです。
旅の最後に、立ち寄った店で「剣道の先生でしょう?」と間違われるエピソードは、オチとして秀逸ですね。講演という「大任」を果たし、生徒たちに人生訓まで語った直後に、全く違う人物に間違われる。そのあっけなさが、どこか可笑しく、また太宰自身の「作家づら」に対する自嘲の念も込められているように感じられます。「剣道の先生も、一日限りでたくさん也」という言葉には、慣れない役割を務めた後の疲労感と安堵感が滲み出ています。
この作品は、続編にあたる「佐渡」へと繋がっていきます。「みみずく通信」で新潟での講演という「表」の仕事を終えた太宰が、「佐渡」ではより私的な、内面へと沈潜していく旅を描くことになります。「みみずく通信」を読むことで、「佐渡」への期待感も高まりますし、二つの作品を合わせて読むことで、この旅全体の意味合いがより深く理解できるようになるでしょう。
全体を通して感じるのは、太宰治という人間の多面性です。破滅的なイメージとは裏腹の、小心で、照れ屋で、見栄っ張りで、でも正直で、面倒見が良くて、若者に真剣に向き合おうとする姿。書簡体という形式が、そうした彼の素顔を巧みに引き出していると言えるでしょう。友人への私信という体裁をとることで、より率直に、飾らずに自分の心の内を吐露できたのかもしれません。読んでいるこちらも、まるで太宰から個人的な手紙を受け取ったような、そんな親密な読書体験ができるのが、この作品の大きな魅力だと感じます。
まとめ
太宰治の「みみずく通信」は、新潟への講演旅行の顛末を友人への手紙形式で綴った、魅力あふれる短編です。この作品を読むと、一般的に持たれがちな太宰治のイメージとは少し違う、人間味豊かな一面に触れることができます。照れ屋で小心、見栄っ張りなところもありながら、講演では真摯に自身の考えを語り、生徒たちとは率直に交流する姿が描かれています。
物語は、講演という「大任」を終えた安堵感と、旅先での様々な出来事に対する彼の率直な反応で彩られています。新潟の街の印象、講演での緊張と奮闘、生徒たちとの対話、日本海の風景、そして思わぬ誤解。それらが、飾らない言葉遣いと、どこかユーモラスな視点を通して語られ、読者を引き込みます。
特に印象的なのは、生徒たちにかける言葉です。「何もしないさきから、僕は駄目だときめてしまうのは、それあ怠惰だ」という叱咤激励や、「くるしい事が起ったら相談に来給え」という温かい申し出には、彼の面倒見の良さと、若者への真摯な眼差しが感じられます。書簡体という形式も、太宰の素顔を覗き見るような親密な読書体験をもたらしてくれます。
「みみずく通信」は、太宰治の文学の入門としても、また彼の新たな一面を発見するためにも、ぜひ読んでいただきたい作品です。彼の他の作品や、続編にあたる「佐渡」と合わせて読むことで、さらに深い味わいを感じることができるでしょう。この手紙を受け取った友人のように、私たち読者もまた、太宰治という人間をより身近に感じられるはずです。