小説『ふる』のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。
西加奈子さんの『ふる』を読み終えたとき、私は心の奥底に大切にしまっていた古いアルバムを開いたような、そんな不思議な感覚に包まれました。本作は、西さんらしい奔放な筆致と、読者の心に深く突き刺さるような鋭い問いかけが織りなす、まさに「いのち」の物語です。主人公である池井戸花しすを通して描かれるのは、私たちが普段、見て見ぬふりをしてしまうような心の機微であり、生きていくことの根源的な喜びや悲しみです。
花しすは、アダルトビデオのモザイク掛けを生業とし、街の音を密かに録音することを趣味とする28歳の女性です。彼女は「いつだってオチでいたい」と願い、周囲に嫌われない「癒し」の存在であろうとします。しかし、その裏には「誰かを傷つけることが怖い」という、彼女自身の繊細な心が隠されています。この矛盾を抱えた花しすの姿は、多くの読者の共感を呼ぶのではないでしょうか。
物語は、花しすの過去と現在が巧みに交錯しながら進んでいきます。謎めいた「新田人生」という人物、花しすにしか見えない「白いもの」、そして彼女の母の言葉など、多くの象徴的な要素が散りばめられ、読者はその意味を考えながら物語の深淵へと誘われます。これらの要素が単なる奇妙な描写に終わらず、最終的には「生きる」ことへの深い洞察へと繋がっていく様は、まさに西加奈子さんの筆致の妙としか言いようがありません。
本作は、単なるフィクションとして消費される物語ではありません。読者一人ひとりの心に、自身の人生における「ふる」とは何か、そして「愛」とは何かを問いかける、そんな哲学的な一面も持ち合わせています。読み終えた後も、その余韻が長く心に残る一冊です。
『ふる』のあらすじ
主人公は、アダルトビデオにモザイクをかける仕事をしている28歳の女性、池井戸花しすです。彼女は、誰にも嫌われたくないと強く願い、「いつだってオチでいたい」とひそかに思っています。花しすには、2歳年上の親友さなえと、2匹の飼い猫が同居しており、一見すると平穏な日常を送っているように見えます。
花しすは、自分が優しい人間だと認識していませんが、ただ「誰かを傷つけることが怖いだけ」だと自覚しています。そのため、能動的に人と関わることを避け、常に受け身でいることで自分を守ろうとします。しかし、周囲からはその態度が「優しさ」と誤解され、彼女は複雑な感情を抱えています。
彼女の趣味は、街中の音声をICレコーダーに録音することです。職場の同僚との会話もこっそり録音し、寝る前に再生しながら「自分が確かにいた過去の『今』を、この『今』に閉じ込めておきたい」と感じています。これは、彼女が日々の生活の中で「生きている実感」を必死に確かめようとしている姿の表れでもあります。
そんな花しすの身の回りには、不可思議な出来事が頻繁に起こります。特に顕著なのは、「新田人生」という名の人物が、タクシー運転手、小さな子ども、同僚、医者など、さまざまな姿で繰り返し彼女の前に現れることです。また、花しすにしか見えない「白いふわふわとした存在」が常に漂い、人々の髪や足元に絡みつく様子が描写されます。
『ふる』の長文感想(ネタバレあり)
西加奈子さんの『ふる』を読み終えたとき、私は深い湖の底に沈んでいた大切な石を拾い上げたような、清々しい感覚に包まれました。本作は、人間の根源的な感情や、生きていくことの意味を、時にユーモラスに、時に哲学的に、そして常に温かく問いかけてくる作品です。主人公の池井戸花しすという特異な存在を通して、私たちは自分自身の内面と向き合うことを余儀なくされます。
花しすの職業がアダルトビデオへのモザイク掛けであるという設定は、非常に示唆に富んでいます。性的なもの、生々しいものを隠蔽する仕事でありながら、彼女自身が「生」や「性」という根源的なテーマに直面していく過程が描かれているからです。モザイクという行為は、一見すると「隠す」ことに徹していますが、それは同時に「そこに何かがある」ことを強く示唆するものでもあります。彼女の仕事は、まさに私たちが日常で見て見ぬふりをしている、しかし確かにそこにある「いのち」の営みを象徴しているかのようです。
彼女の趣味である「街の音の隠し録り」もまた、花しすの「生」への執着、あるいは不安の表れだと感じました。「自分が確かにいた過去の『今』を、この『今』に閉じ込めておきたい」という彼女の言葉は、時間が流れていくことへの抵抗、そして自分という存在が確かに存在した証を残したいという切実な願いを物語っています。私たちは皆、過去に囚われ、未来を案じながら生きていますが、花しすのこの行為は、その普遍的な感情を極めて純粋な形で表現しているように思えました。
「いつだってオチでいたい」「誰にも嫌われない『癒し』の存在」であろうとする花しすの姿は、多くの読者の共感を呼ぶでしょう。私自身も、他者からの評価を気にし、波風を立てないように振る舞ってしまうことがあります。しかし、その「優しさ」が、実は「誰かを傷つけることが怖い」という臆病さの裏返しであるという彼女の自己認識には、ハッとさせられました。それは、自己と他者との関係性における、人間の複雑な真実を鋭く突いているからです。
物語に繰り返し登場する「新田人生」という名の人物は、実に印象的です。タクシー運転手、小さな子ども、同僚、医者など、あらゆる姿で花しすの前に現れる「新田人生」は、まさに「人生そのもの」のメタファーだと感じました。人生は予測不可能であり、様々な顔を見せながら、常に私たちの前に現れては、時に問いかけ、時に導いてくれる。それは、一貫性のない、それでいて確かに私たちに影響を与え続ける存在として描かれています。
そして、「花しすにしか見えない」らしい「白いふわふわとした不思議な存在」もまた、本作の重要な象徴です。これは、人それぞれに寄り添う祝福や魂のようなものなのでしょうか。あるいは、私たちの目には見えないけれど、常に私たちと共にあり、人生の喜びや悲しみに寄り添ってくれる、そんな温かい存在なのかもしれません。この「白いもの」が、人々の髪や足元に絡みつく様子が描写されるたびに、読者の心にも優しい光が灯るように感じられました。
物語の中盤で、花しすが録音したテープから突然響く、母親の「忘れんといてな」という声。この瞬間の描写は、鳥肌が立つほど鮮烈でした。この言葉は、単なる母親から娘への呼びかけに留まらず、花しすの心の奥底に封じ込められていた記憶の扉を開く鍵となります。過去と現在、そして家族とのつながりが、この一言によって強烈に結びつけられるのです。
この出来事をきっかけに、花しすは自身の抱える「誰かを傷つけることへの恐れ」と、「生きている実感への渇望」に正面から向き合うことになります。長年、受け身でいることで自分を守ってきた彼女が、能動的に自身の内面と向き合い始める。ここから物語は、一気にクライマックスへと加速していきます。
終盤で、これまで断片的に描かれてきた「新田人生」や「白いもの」の意味が、花しす自身の人生観と重なり、深いメッセージがもたらされます。最後に花しすの前に現れた「新田人生」が、「結局生きるとは、愛だ」と宣言する場面は、本作の核心を突いています。彼はさらに、「愛と、白いふわふわしたものと、女性器と――それが全部、生きるということ、いのちの物語だ」と語りかけます。この言葉によって、作中で繰り返し登場した「白いもの」や女性の身体性(生理や排泄、性の描写)が、「愛」と「いのち」という大きなテーマに集約されていくのがわかります。
これは、生きることそのものが祝福であり、奇跡であるというメッセージに他なりません。私たちの身体は、愛を育み、いのちを繋いでいくための器であり、その営みこそが尊い「いのち」の物語を紡いでいるのだと、力強く示唆されているのです。性という、時に隠されがちなテーマを、これほどまでに生命の肯定的な側面として描いている点に、西加奈子さんの並々ならぬ哲学を感じます。
花しすは、この体験を通じて、自分が大切にしてきた過去を抱えながらも、改めて「いま」を生きる意味に気づきます。彼女は、過去と現在、未来がゆるやかにつながる新たな「今」を受け入れ、長年心の奥底に閉じ込めていた想いを解放していきます。母親の「忘れんといてな」という声は、彼女にとって自分を形作ってきた記憶の灯火であり、それを胸に刻むことで、花しすは自分自身を確かに取り戻していくのです。それは、過去を否定することなく、むしろ過去を受け入れ、抱きしめることで、人は初めて真の「今」を生きることができるという、温かいメッセージのように響きます。
『ふる』というタイトルもまた、多義的で非常に魅力的です。「ふる」とは、古くなること、そして揺れ動くこと、さらには降り注ぐものという意味も含まれているのではないでしょうか。過去の記憶が「ふる」ように、私たちの心を揺さぶり、そして新しい感情が「ふる」ように降り注ぐ。そんな、人生の移ろいや変化を内包したタイトルだと感じました。
本作は、生と性が切り離せないものとして描かれています。女性の身体や、時に生々しい日常の描写が通奏低音のように響くことで、読者はより深く「いのち」というテーマと向き合うことになります。それは決して嫌悪感を抱かせるような描写ではなく、むしろ生命の神秘や尊さを感じさせるものとして描かれています。
西加奈子さんが本作で「いのち」について書きたかったという意図は、読者に確かに伝わってきます。花しすの「誰の感情も害さないことに全力を注ぐ」という一見すると受け身な優しさが、最終的には「生きるとは愛だ」という普遍的な真理へと繋がっていく過程は、感動的ですらあります。私たちは皆、それぞれの人生において、様々な「ふる」を抱えながら生きています。この物語は、そんな私たち一人ひとりの心に、優しく、そして力強く語りかけてくれる一冊です。
まとめ
西加奈子さんの『ふる』は、アダルトビデオのモザイク掛けをする女性、池井戸花しすを通して、「いのち」の根源的な問いを投げかける作品です。彼女の「誰かを傷つけたくない」という臆病さからくる優しさと、過去への執着が物語の大きな軸となっています。
物語は、花しすの過去と現在が交錯しながら進行し、「新田人生」という名の多様な人物や、「白いもの」という不思議な存在が繰り返し登場します。これらは単なる奇妙な描写ではなく、読者に「人生」や「祝福」といった、より深い意味を問いかける象徴として機能しています。
中でも、母親の「忘れんといてな」という言葉が録音テープから響く場面は、花しすの心の扉を開く重要な転換点です。この出来事をきっかけに、彼女は自身の抱える恐れと、生きている実感への渇望に正面から向き合い始めます。
結末では、「生きるとは愛だ」というメッセージが提示され、作中で描かれた「白いもの」や女性の身体性が「いのち」の物語、そして「愛」と深く結びついていることが示唆されます。過去を受け入れ、「今」を生きる花しすの姿は、読者に温かい光を届け、私たち自身の人生における「いのち」の意味を深く考えさせてくれます。