小説『おいしい水』のあらすじをネタバレ込みでご紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。
原田マハさんの『おいしい水』は、まるで水彩画のように繊細な筆致で描かれた一編です。若き日の淡い恋の「決定的瞬間」を切り取り、読者の心に静かな波紋を広げます。岩波書店の「Coffee Books」シリーズの一冊として刊行された本作は、短いページ数の中に、忘れがたい感情の余韻を残すことで知られています。
この作品の大きな特徴は、文章と絵画が一体となって物語を紡ぎ出す点にあります。画家・伊庭靖子さんによる透明感あふれる油彩画が随所に挿入され、物語の雰囲気を一層引き立てます。文字だけでは伝えきれない心の機微が、絵画によって視覚的にも表現され、読者に深い共感を呼び起こすのです。
1980年代の神戸を舞台に、移ろいゆく季節の中で育まれる恋は、携帯電話やEメールがない時代特有の不確かさや焦燥感を伴います。会いたければ「待つほかなかった」、知りたければ「傷つくほかなかった」という状況が、かえって一つ一つの瞬間をかけがえのないものとして描き出します。
そして、物語のタイトルである『おいしい水』が何を意味するのか。読み進めるうちに、その言葉が持つ切なくも美しい真意が明らかになります。これは、単なる恋愛物語にとどまらず、失われたものへの郷愁、そして痛みを伴う記憶がいかにして私たちの人生を豊かにするのかを教えてくれる作品です。
小説『おいしい水』のあらすじ
物語は、1980年代の神戸を舞台に展開されます。主人公の安西は、西宮の大学に通う19歳の女子大学生です。彼女は毎週、アルバイトのために阪急電車に乗って神戸へと向かいます。あずき色の車窓からは、六甲山の緑や、夙川、芦屋の桜並木といった美しい風景が流れ、安西の心を和ませます。
安西のアルバイト先は、神戸・元町にある写真集のお店「スチール・アンド・モーション」です。店主のナツコさんに勧められ、安西は元町駅近くの路地裏にひっそりと佇む喫茶店「エビアン」に立ち寄るようになります。そこは、決して華やかではありませんが、安くて美味しいコーヒーが飲める、地元の常連客に愛されるお店でした。
「エビアン」に足繁く通うようになった安西は、そこで一人の少年と出会います。彼の名はべべ。美しい顔立ちながらも掴みどころのない雰囲気を持つ、カメラマンの卵でした。安西は、べべの姿を見るためだけに、アルバイトの出勤時間よりも早く神戸へ向かい、「エビアン」の彼の隣の席に座ることを習慣にします。
安西は、べべの姿を目で追い、彼の呼吸に全神経を集中させる日々を送ります。やがて、彼女のべべへの憧れは、抑えきれない恋心へと変わっていきます。勇気を振り絞って彼に声をかけますが、べべの態度は気まぐれで、安西は彼の曖昧な反応に振り回されるばかりでした。
結局、安西のべべへの恋は成就しませんでした。べべが「男性の囲いものとなっていた」という複雑な背景が、二人の関係性を阻む大きな壁となります。安西は神戸で「大切なものを失った」と語り、この報われない初恋は、彼女にとってほろ苦い記憶として心に残ります。
それでも、べべは安西に数枚の写真を残しました。それは、安西の「後姿」や「泣き顔」が写された、決してぱっとしない写真でしたが、安西にとっては、その儚い繋がりを象徴するかけがえのない形見となりました。20年以上の時が経っても、これらの写真は安西の中で「鮮やかな思い出」として輝き続けています。
小説『おいしい水』の長文感想(ネタバレあり)
原田マハさんの『おいしい水』を読み終え、私の心には静かで、しかし深い感情の波が押し寄せました。この作品は、単なる恋愛物語の枠を超え、過ぎ去りし日々への郷愁、そして痛みさえも昇華させる記憶の尊さを教えてくれる、そんな一冊でした。ページをめくるたびに、19歳の安西が経験した初恋の、あの何とも言えない繊細な感情が、まるで自分自身の記憶であるかのように鮮やかに蘇ってきます。
物語の舞台となる1980年代の神戸は、原田マハさんの筆によって、まるで絵画のように美しく描写されています。阪急電車が走る風景、夙川や芦屋の桜並木、そして神戸の街の匂いまでもが、五感に訴えかけてくるようでした。私たちがスマートフォン片手に瞬時に情報を得られる現代とは異なり、会いたければ「待つほかなかった」、何かを知りたければ「傷つくほかなかった」というあの時代の恋愛は、一つ一つの瞬間がより濃密で、だからこそ切ない。その時代背景が、安西のべべへの募る想いを一層際立たせていました。
安西がべべを見るために、毎週アルバイトより早く神戸へ向かい、「エビアン」の隣の席に座る。この描写に、私は胸を締め付けられました。それは、ただの行動ではなく、若さゆえの純粋でひたむきな憧れ、そして言葉にならない深い感情の表れです。隣に座り、彼の呼吸に全神経を集中させる安西の姿は、まるで神聖な儀式のようでした。直接的な会話がなくとも、そこに存在するだけで満たされる。そんな一途な恋心を、私たちは誰しも経験したことがあるのではないでしょうか。
そして、勇気を振り絞ってべべに声をかける安西の姿。これは、現代の私たちが見ても、どれほどの勇気が必要だったことか、想像に難くありません。しかし、べべの気まぐれな態度に振り回される安西の姿には、報われない恋のほろ苦さが凝縮されていました。「伝わらないことが伝わっているのに、それを伝えることができない距離感」という表現は、まさにそのもどかしさを的確に捉えています。相手の複雑な背景を知りながらも、惹かれてしまう抗いがたい感情。それは、理屈では割り切れない恋の普遍的な側面を示しているように思えます。
べべが「男性の囲いものとなっていた」という一文は、物語に奥行きと深い悲劇性を与えます。それは、単なるすれ違いの恋ではなく、乗り越えがたい社会的な壁が存在していたことを示唆しています。安西が19歳という多感な時期に、このような複雑な現実に直面し、受け入れていく過程は、彼女の精神的な成長を促す上で不可欠な経験だったのでしょう。純粋な「蕾」だった安西が、この困難な経験を通して大人へと変貌していく姿に、私は深く心を揺さぶられました。
べべが安西に残した「後姿」や「泣き顔」の写真も、この物語の象徴的な要素です。一般的な恋の記念写真とは異なり、決して理想化されたものではありません。むしろ、安西の最も感情的で、あるいは物理的に距離のある瞬間を切り取った写真です。しかし、これらの「ぱっとしない」写真が、20年以上の時を経て、安西にとって「鮮やかな思い出」として残り続けているという事実が、この作品の真髄を語っているように思えます。
記憶というものは、時として痛みを伴うものです。報われなかった恋、失われたものへの悔恨。しかし、それらの感情が、時間のフィルターを通すことで、別の輝きを放ち始めることがあります。安西にとって、べべとの恋は「濃く、辛いお話」であり、「闇の部分」も存在しましたが、それらは決して無駄な経験ではありませんでした。むしろ、彼女を形成し、内面的な成熟へと導いた、かけがえのない財産となったのです。
そして、この物語のタイトル「おいしい水」が持つ意味。読者レビューでも言及されていましたが、その真意が明かされた時、私は感動のあまり言葉を失いました。「しょっぱい涙をべべはおいしい水と言った」。そして、「誰もがおいしい水、流してる。いっぱい…」。この言葉は、報われない愛や痛みを伴う経験によって流される涙が、単なる悲しみの象徴ではないことを示唆しています。むしろ、それは人生を豊かにし、私たちを深くする、まさに「おいしい」ものとして再認識されるのです。
この比喩は、原田マハさんの卓越した感性を示すものです。涙は時に、心の浄化や、感情の昇華を促すものです。辛い経験を通して流した涙が、時を経て、甘美な記憶、人生を彩る大切な要素となる。そんな普遍的な真実を、この「おいしい水」という言葉は雄弁に語りかけてきます。私たちは皆、それぞれの人生で「おいしい水」を流し、その経験が私たちを形作っているのだと、そう思わせてくれるのです。
また、物語全体を包む郷愁の念も、この作品の大きな魅力です。大人になった安西が、若き日の自分を回想する形で物語が進むため、過ぎ去った時間への温かい眼差しが常に感じられます。「光のさなかにいる時は、その場所がどんなに明るいか気づかない。そこから遠ざかってみて初めて、その輝きを知るのだ」という一節は、まさにその郷愁の本質を突いています。痛みや苦しみさえも、時が経てば、輝きを増し、かけがえのない記憶となる。この時間の魔法が、作品全体に深みを与えています。
最後に、この作品が示唆する、阪神淡路大震災の文脈についても触れておきたいと思います。物語の主要な恋愛部分は1980年代に設定されていますが、語り手の回想はそれから約20年後に行われる。作中では明言されませんが、「震災前の神戸」という記述や、「震災はすべてを失うことにつながる」という暗示は、安西が経験した個人的な喪失が、神戸という街が経験した集団的な喪失と響き合うことを示唆しています。これにより、「大切なものを失った」というテーマは、個人的な悲劇を超え、より深い社会的、歴史的な意味合いを帯び、物語のほろ苦い美しさにさらなる層を加えているのです。
『おいしい水』は、短いながらも、読者の心に深く刻まれる作品です。初恋の甘酸っぱさ、報われない恋の痛み、そしてそれら全てを包み込む記憶の優しさ。原田マハさんは、まるで絵を描くように、これらの感情を丁寧に紡ぎ出し、私たちに忘れかけていた大切な何かを思い出させてくれます。それは、涙の味はしょっぱいけれど、その涙が流れた経験こそが、人生を豊かにする「おいしい水」なのだという、希望に満ちたメッセージです。この作品は、私たちの心の奥底に、静かに、しかし確かに響き渡り続けることでしょう。
まとめ
原田マハさんの『おいしい水』は、1980年代の神戸を舞台に、19歳の安西が経験するほろ苦い初恋の物語を描いた作品です。詩的な文章と、伊庭靖子さんによる透明感あふれる挿画が融合し、読者に深く心に残る読書体験を提供します。文章と絵画が一体となった表現は、この作品の大きな魅力であり、物語の感情的な深みを一層際立たせています。
この物語の核となるのは、若き日の「決定的瞬間」と、それがもたらす感情の機微です。携帯電話やEメールがない時代ならではの、待つことや傷つくことによって初めて知るというコミュニケーションのあり方が、安西のべべへの一途な思いをより強く描き出しています。報われない恋の切なさが、読む者の胸を締め付けますが、その痛みさえも美しいものとして受け止める視点が随所に散りばめられています。
そして、作品のタイトル「おいしい水」が象徴するのは、涙、そして痛みを伴う記憶の尊さです。べべの「しょっぱい涙を『おいしい水』と言った」という言葉は、悲しみや苦しみが、時間を経て私たちの人生を豊かにするかけがえのない経験となることを示唆しています。それは、痛みから生まれる成長と、過去の出来事が現在を形作る上でいかに重要であるかを教えてくれるメッセージです。
『おいしい水』は、単なる恋愛小説にとどまらず、失われたものへの郷愁、記憶の永続的な力、そして人間的な成長という普遍的なテーマを探求しています。個人的な喪失が、阪神淡路大震災という歴史的背景と響き合うことで、物語はさらに深い意味合いを帯びます。この作品は、私たちの人生において、痛みや悲しみさえもが、やがて「おいしい」記憶となることを雄弁に語りかけてくれる、そんな感動作でした。