小説「あばばばば」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。
芥川龍之介の「あばばばば」は、保吉という海軍学校の教師と、町の小さな店にいる若い妻との出会いと再会を軸にした短編です。短いながらも、「あばばばば」と赤子をあやす声に乗せて、娘から母への変化、そしてそれを見つめる男の複雑な心の揺れを描き出しています。
読んでみると、「あばばばば」というタイトルの間の抜けた響きからは想像できないほど、静かで繊細な情感が漂っています。最初に登場するのは、無愛想な店主と、その店で働く面皰だらけの小僧、そしてやがて姿を見せる十九歳ほどの妻。保吉は彼女の不器用でたどたどしい応対に、恋愛とは少し違う、柔らかい好意を抱きます。
しかし、いつの間にかその妻は店頭から消え、「あばばばば」は一度保吉の視界から遠ざかります。ところがある春の夜、保吉は店の前を通りかかり、「あばばばば、ばあ!」という声を耳にするのです。この一声が、あらすじの中で最も印象的な場面へと読者を導きます。ネタバレを含む展開になりますが、ここで保吉が目にするのは、赤子をあやす、かつての「娘」ではなく、すっかり「母」になった女の姿です。
「あばばばば」は、幸福な情景を描きながらも、その裏側にある失われた初々しさへの郷愁や、時間がもたらす変化の残酷さを静かに浮かび上がらせます。芥川龍之介の作品の中でも、戦いや死ではなく、日常とささやかな家庭の幸福に光を当てた一篇として、読み終えたあとにじんわりと余韻が残る作品だと思います。
「あばばばば」のあらすじ
海軍学校の教師・保吉は、通勤途中にときどき立ち寄る小さな店を見つけます。赤く塗られた看板を掲げたその店には、眇の目をした若い店主と、面皰の多い小僧がいて、店先の飾り窓には軍艦三笠の模型や飲み物の壜などが雑多に並んでいます。保吉は、どこか無愛想な店主に苦笑しながらも、日々の往復のなかで、なんとなくその店を贔屓にするようになっていきます。
ある朝、保吉がいつものように店を訪れると、勘定台の向こう側には見慣れない若い女が座っていました。年は十九ほど、西洋髪に結い上げたその女は、どう見ても店主の妻らしい存在です。保吉が煙草を頼むと、女は慌てて銘柄を間違え、顔を真っ赤にして謝ります。その初々しくぎこちない応対に、保吉は思わず微笑み、彼女に対して「恋ではないけれど、どこか懐かしいような好意」を抱くようになります。
それからしばらくの間、保吉は店を訪れるたびに妻の様子を観察します。まだ客あしらいに慣れていない女は、しばしば注文を聞き間違えたり、恥ずかしそうにうつむいたりしますが、そのたどたどしさゆえに、かえって品の良さや守ってあげたくなるような雰囲気が漂います。保吉は、仕事に追われる日常の合間に、この妻の姿を眺める時間を、ささやかな楽しみとして味わうようになっていきます。
ところが、ある時期を境に、妻は突然店から姿を消してしまいます。保吉が店を訪れても、そこにいるのはいつもの店主と小僧だけで、あの赤くなりやすい頬の女はもういません。保吉は特に理由を尋ねることもなく、ただ心のどこかで物足りなさを覚えながら、再び淡々と店を利用し続けます。そして季節が変わったある春の夜、保吉が店の前を通りかかったとき、「あばばばば、ばあ!」という女の声が暗がりの中から響いてくるのです。
「あばばばば」の長文感想(ネタバレあり)
ここからの感想は、物語の結末や細部に触れるネタバレを含みます。まだ「あばばばば」を読んでいない方は、できれば作品を一読してから戻ってきていただくと、より味わいが深くなると思います。とはいえ、作品自体は短く、筋も非常にシンプルなので、先に結末を知っても十分楽しめるタイプの短編でもあります。
まず印象的なのは、「あばばばば」がほとんど二つの場面だけで構成されているところです。最初の場面は、保吉が若い妻と出会う一連のエピソード。次の場面は、春の夜に赤子をあやす女と再会する情景です。そのあいだの時間経過は、ほとんど説明されないまま軽やかに飛び越えられます。それゆえ、読者は「娘」から「母」へと移り変わった女の姿を、いわば瞬間的なビフォー・アフターとして突きつけられることになります。
最初のパートで描かれる店の内部は、ちょっとした観察記録のように細かく描写されています。飾り窓に並ぶ軍艦三笠の模型と、キユラソオやココア、干葡萄の箱といった品々は、軍艦という大きなものが、日用品の間に埋もれてしまうような、ささやかな風景の一部として扱われています。海軍学校の教師である保吉が、そのような物を何気なく眺めているという構図には、軍隊や国家と、庶民の日常が不思議なバランスで同居している時代の空気が反映されているように感じられます。
その日常の真ん中に現れるのが、「あばばばば」の中心人物ともいえる若い妻です。西洋髪に結い上げた十九歳ほどの女は、決して絶世の美人ではないものの、どこか猫に似た顔立ちで、初々しい気配をまとっています。注文を聞き間違えては頬を赤らめ、客との距離の取り方もまだぎこちない。保吉が彼女に対して抱くのは、激情ではなく、ふっと胸の奥に灯るような親しみと、少しだけ保護したくなるような情です。「あばばばば」は、この淡い感情の揺らぎを、大きな事件もなく描き出していきます。
保吉が意識するのは、彼女の「恥じらい」と、そこににじむ「品の良さ」です。店主は無愛想で、店の内装も決して洗練されているとは言えませんが、その中でぽつんと座っている妻だけは、どこか異質な光を放っています。ちょっとした応対のミスに戸惑いながらも、懸命に役割を果たそうとする姿に、保吉は自分の生活にはない清らかさを感じ取ります。「あばばばば」は、この短い出会いの時間を通じて、他人のささやかな一面に心惹かれる経験を、読者にも思い出させてくれます。
やがて、その妻が店から消える瞬間は、驚くほどあっさりと語られます。保吉は事情を尋ねず、店主も説明しません。読者もまた、なぜ妻が姿を見せなくなったのか、はっきりとは知らされません。結婚生活がどうなったのか、病気なのか、里に帰ったのか、あるいは別の事情があるのか。こうした不在の理由が曖昧なまま放置されることで、「あばばばば」には、言葉にされない空白の時間が生まれます。その空白こそが、のちのネタバレ場面を、より印象的なものにしていると感じます。
春の夜、保吉が店の前を通りかかったとき、闇の中から聞こえてくる「あばばばば、ばあ!」という声。この一声は、作品全体の空気を一変させるほどの力を持っています。かつて、注文を間違えて顔を赤くしていた女が、今度は赤子を相手に、堂々と声を張り上げている。ここでネタバレとして明らかになるのは、彼女が母親になっているという事実だけではなく、その心持ちや表情まで含めた、人格の変化です。
再会したときの妻は、もはや以前のように頬を染めてうつむく娘ではありません。「あばばばば」と赤子に話しかけるときの女は、通りがかりの男に見られても動じず、むしろ誇らしげに子をあやし続けます。あのとき保吉が魅力を感じた「恥じらい」は、母としての自然な振る舞いのなかに溶けてしまったかのようです。あばばばばという擬声は、幼児語そのものですが、それを口にしている女の姿には、娘時代にはなかった落ち着きと強さが宿っています。
ここで興味深いのは、保吉の感情が決して単純な祝福だけではないところです。もちろん、彼は妻が母になり、幸福そうに赤子をあやしていることに、ある種の安心を覚えます。しかし同時に、かつての初々しい気配を懐かしむ心も捨てきれません。「あばばばば」は、男の側の身勝手な感傷と、女の側のまっとうな成長とが、静かにねじれ合う瞬間を描いているように思います。
このねじれを意識しながら読み返すと、「あばばばば」という題名の響きも違って感じられてきます。赤子をあやす声としての「あばばばば」は、母と子だけの世界を作り出す、暖かな音です。しかし保吉の耳には、その音がかつての「娘」を遠く過去へ押しやってしまう合図としても響く。読者は、その二重の響きを同時に聞かされることになります。ここに、短いながらも深い余韻を生む仕掛けがあると感じます。
また、軍艦三笠の模型が、酒やココアの缶と並べられ、日用品と同列に置かれている描写には、さりげない時代批判も読み取れます。国家の威信の象徴であるはずの軍艦が、庶民の店先では商品を飾る道具のひとつに過ぎない。この対比は、海軍学校の教師である保吉の立場を、どこか相対化してしまいます。「あばばばば」は、一見すると家庭的で平和な短編ですが、その背景には軍隊や制度への視線も潜んでいると考えられます。
一方で、妻の変化は、とても現実的な女性の人生の一コマとして描かれています。十九歳の娘が、やがて母になる。その間には、結婚生活、妊娠・出産、家計のやりくりなど、さまざまな出来事があったはずですが、「あばばばば」はそれらをすべて省略します。その省略があるからこそ、再会の場面で読者は「こんなところまで来てしまったのだ」という時間の重みを感じるのではないでしょうか。
保吉の視点に立つと、彼が見ているのは、つねに「自分から見た」女の姿だけです。最初は、恥じらいを含んだ品の良い娘として。再会後は、母としてのたくましさを備えた女として。女自身の内心は最後まで直接語られません。この非対称性は、ネタバレを知っている二度目の読書でより強く意識されます。読めば読むほど、保吉がどれほど身勝手な感傷に浸っているか、またどれほど彼自身が変わらないままであるかが、じわじわと浮かび上がってきます。
保吉は海軍学校の教師という、ある意味では安定した職を持つ男性です。彼は日々、規律や制度の中で生徒を指導する立場にありながら、私生活ではささやかな情緒的な逃げ場を求めて、たばこ屋に足を運びます。「あばばばば」は、そんな彼の小さな逃避行が、時間の流れによっていつの間にか終わってしまったことを告げる物語でもあります。彼にとって妻の変化は、自分の居場所が変わってしまったことの象徴でもあるのでしょう。
この作品を現代の読者として読むと、娘から母へ移り変わる瞬間に感じる「喪失」と「獲得」の入り交じった感情が、意外なほど普遍的であることに気づきます。子どもを持つことで得られる幸福と引き換えに、もう戻れない過去の自分がある。その感覚は、男女を問わず、人生のさまざまな節目で経験するものです。「あばばばば」は、女の側の変化を描きつつ、その変化を見つめる男の戸惑いを通して、読者自身の人生の節目を振り返らせてくれます。
ネタバレを知ったうえで読み返すと、最初の出会いの場面は、すでに「母になる前の最後の季節」を切り取ったものとして見えてきます。まだ赤子をあやしていない妻の姿には、これから変わっていく運命の影がうっすらと差しています。それを知らない保吉と、知っている読者とのあいだに生まれる距離感が、作品の味わいをより奥深いものにしているように感じます。
「あばばばば」というタイトルは、一見するとふざけた音列に聞こえますが、読後には、春の夜の路地裏にこだまする母と子の声として、温かくも少し切ない響きを帯びて記憶に残ります。その声を聞きながら立ち尽くす保吉の姿には、自分だけ時間の外側に取り残されてしまったような寂しさも滲みます。だからこそ、作品のラストシーンには、幸福の場面を見ているはずなのに、どこか胸が締めつけられるような感覚が宿るのだと思います。
最後に、「あばばばば」は芥川龍之介の中では比較的穏やかな一篇ですが、その穏やかさの中に、時間と成長、そして取り返しのつかなさがじっと潜んでいます。派手な事件も奇想天外な展開もありませんが、そのぶん、読者自身の経験や記憶を呼び起こす力を持っています。読むたびに、視点が少しずつ変わっていく、そんな再読に耐える短編として、静かにお勧めしたくなる作品です。
まとめ:「あばばばば」のあらすじ・ネタバレ・長文感想
ここまで、「あばばばば」のあらすじとネタバレを含む感想を振り返ってきました。物語は、海軍学校の教師・保吉と、小さな店の若い妻との出会いと再会という、ごくささやかな出来事で構成されています。それにもかかわらず、読後に残る印象は驚くほど豊かで、娘から母へと変わっていく女性の姿と、それを見つめる男の複雑な感情が静かに心に残ります。
最初の出会いの場面では、「あばばばば」は初々しい店番の女の恥じらいと品の良さを、細やかな描写で立ち上げていました。やがて彼女が店から姿を消し、春の夜に再び現れたとき、読者は赤子をあやす声「あばばばば、ばあ!」を通して、彼女がすでに母としての新しい段階に入っていることを知らされます。この再会の場面こそが、あらすじの核心であり、作品全体の情感を決定づける場面と言えるでしょう。
ネタバレ込みで読んだあとにもう一度ページをめくると、最初の場面に潜んでいた予感や、保吉の視線の偏りが、よりはっきりと見えてきます。彼が惹かれていたのは、彼自身のために都合よく存在してくれる「娘」の姿であり、母となった妻は、もはやその枠組みからはみ出してしまっている。その事実を前にした戸惑いや郷愁が、「あばばばば」という声の明るさと対照をなし、作品にほろ苦い後味を与えています。
「あばばばば」は、短いなかに人生の移り変わりを凝縮したような一篇です。派手さはありませんが、読むたびに違う角度から心を刺してくる不思議な吸引力があります。店先の飾り窓、無愛想な店主、初々しい妻、そして春の夜の路地に響く母の声。これらの情景がひとまとまりになって、静かな余韻として胸に残り続ける作品だと感じます。












































