小説「M」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。
本書は、これまで新宿歌舞伎町のような裏社会を舞台に、硝煙と謀略の匂い立つ物語を描いてきた馳星周さんの、ひとつの大きな転換点とも言える作品集です。ここに登場するのは、裏社会の住人ではありません。ごく普通のサラリーマン、主婦、大学生といった、私たちの隣にいるかもしれない人々です。
彼らが暮らす平穏な日常に、ある日、ほんの些細なきっかけで亀裂が入ります。その亀裂から覗くのは、心の奥底に眠っていた欲望や狂気。一度その深淵を覗き込んでしまった者は、もう後戻りのできない坂道を転がり落ちていくのです。
この記事では、そんな4つの物語が織りなす絶望の形を、各編の結末まで含めて詳しくお伝えしていきます。刺激の強い内容を含みますので、これから本書を読もうと考えている方はご注意ください。本書が投げかける、日常に潜む恐怖の本質に迫っていきたいと思います。
「M」のあらすじ
馳星周さんの「M」は、それぞれ独立した4つの中篇から構成される物語です。いずれの物語も、一見するとどこにでもあるような日常を舞台に、平凡な人々が主人公として描かれています。彼らは特別な人間ではなく、私たちと同じように日々の生活に悩みや不満を抱えながら生きています。
物語が動き出すのは、いつも決まって些細な出来事がきっかけです。それは、会社に新しく入ってきた義理の妹であったり、密かに想いを寄せる相手の秘密を知ってしまったり、あるいは家庭のストレスから逃れるためのほんの出来心であったりします。
しかし、その小さな一歩が、彼らを後戻りできない背徳の道へと誘います。抑えつけていた欲望は堰を切ったように溢れ出し、妄想は現実を侵食し始めます。登場人物たちは、自らが作り出した地獄の中で、もがき、堕ちていきます。
本書は、そんな彼らがどのような転落の道を辿るのかを、冷徹なまでに克明に描き出しています。希望や救いを求める方には、決しておすすめできません。人間の内面に潜む、底なしの闇を覗き込む覚悟のある方だけが読み進めるべき物語と言えるでしょう。
「M」の長文感想(ネタバレあり)
第一話「眩暈(めまい)」が描く、平凡な地獄
まず初めにお話ししたいのが、第一話「眩暈」です。主人公は、35歳のサラリーマン、児玉。彼は、望まない結婚をし、愛情のない家庭を持ち、高額なマンションのローンに追われるという、閉塞感に満ちた毎日を送っています。この息が詰まるような日常の描写が、本当に巧みで、読んでいるこちらの胸まで苦しくなるほどです。物語の序盤で、彼の精神がどれほど乾き、追い詰められているかが丁寧に描かれるからこそ、その後の転落に凄まじい説得力が生まれるのです。
その彼の乾いた日常に、一滴の毒が垂らされます。妻の妹、つまり若く美しい義妹が、彼の会社に派遣社員としてやってくるのです。彼女が時折見せる無邪気な、あるいは計算された媚態は、出口のない生活に喘いでいた児玉にとって、強烈な刺激となります。抑圧された性的な欲望と日々の不満が、すべて義妹という一点に集中し、彼の心は急速に危険な領域へと傾いていきます。ここでの心理描写は、誰の心にも潜む可能性のある、しかし決して覗いてはならない領域に光を当てるようで、読んでいて背筋が寒くなりました。
児玉の執着は、常軌を逸した「妄想」へと育っていきます。彼はアダルトビデオの中に、義妹と瓜二つの女優を見つけてしまうのです。それが運の尽きでした。彼はその映像を繰り返し見ることで、現実の義妹と映像の中の女優との境界線を曖昧にしていきます。頭の中では、彼女はすでに自分の欲望をすべて受け入れてくれる存在となり、彼の行動は現実世界でも少しずつ、しかし確実に歪んでいくのです。この、妄想が現実を侵食していく過程の描写は、まさに圧巻の一言です。ページをめくる手が止まらないのに、これ以上読み進めたくない、そんな矛盾した気持ちにさせられました。
そして、この物語が読者に突きつける結末は、完全なる「破滅」です。一切の救いはありません。児玉の妄想は、彼のささやかな人生のすべてを破壊し尽くします。彼自身が作り出した妄想という名の悪魔によって、彼は食い尽くされるのです。この物語は、満たされない現代人が抱える不満や欲望が、いかに容易く人を狂わせるかという、ひとつの残酷な見本を見せつけられたような読後感を残しました。あまりにも救いがなく、ただただ、人間の心の脆さと恐ろしさに打ちのめされるばかりでした。
第二話「人形」が示す、献身という名の自己破壊
次に語るのは、第二話「人形」です。この物語の主人公は、21歳の女子大生、裕美。彼女は、物心ついた頃から、隣人で幼馴染の父親である金子という男性に対して、決して許されることのない恋心を抱き続けています。この背徳的な設定だけでも十分に心をかき乱されるのですが、物語はさらに歪んだ方向へと進んでいきます。彼女の愛情は、純粋なものではなく、どこか執念深く、倒錯した熱を帯びているのです。
物語の歯車が狂い始めるのは、裕美が想い人である金子氏を尾行し、彼が高級なデートクラブに通っているという秘密を知ってしまった瞬間です。普通の人間なら、ここで幻滅するか、諦めるでしょう。しかし、裕美は違いました。彼女は、金子氏に客として選んでもらうため、自らもそのデートクラブで働くという、常軌を逸した決断を下すのです。これは、搾取される立場に身を置くことで、歪んだ形で彼との究極的な一体感を得ようとする、恐ろしくも純粋な献身の形と言えるのかもしれません。彼女が、ただの被害者ではなく、自らの意思で堕落を選び取っていく姿に、私は一種の戦慄を覚えました。
物語が進むにつれて、単なる裕美の片思いの話ではないことが分かってきます。彼女の家である内藤家と、金子家の関係は、単なるご近所付き合いではなく、もっと複雑で、どろりとした何かが隠されていることが示唆されるのです。水面下で渦巻く、過去の不貞や嫉妬、そして隠された秘密。それらが、裕美の異常な行動の背景にあるのではないかと感じさせられ、ミステリーとしての側面も色濃くなっていきます。
そして、この物語の結末は、単純な恋愛の成就や破局では終わりません。二つの家族の間に横たわっていた、ある衝撃的な事実が白日の下に晒されることで、物語はクライマックスを迎えます。この結末によって、裕美の立場は劇的に変化します。彼女は、ただの哀れな少女ではなく、すべてを知った上で行動していた、ある種の支配者のような不気味な存在へと変貌を遂げるのです。自己破壊的とも思える献身の果てに、彼女が手に入れたものの恐ろしさに、読者は言葉を失うことになるでしょう。この結末には、してやられた、という感覚と、深い嫌悪感が同時に押し寄せました。
第三話「声」が響かせる、二重の地獄
収録作の中でも、個人的に最も後味が悪く、恐怖を感じたのが、この第三話「声」です。主人公は、夫が失業したことに強いストレスを感じている、ごく普通の主婦。彼女は、日々の鬱憤晴らしか、あるいは家計の足しにするためか、軽い気持ちで伝言ダイヤルを利用し、男性と会うようになります。この時点ではまだ、ありふれた日常からの逸脱、ささやかな冒険のようにも思えます。
しかし、そのささやかな冒険は、すぐに悪夢へと変わります。彼女はヤクザの仕掛けた罠にはまり、脅迫され、売春を強要されるという、まさしく地獄のような状況に追い込まれてしまうのです。物語は、彼女が抗うこともできず、搾取の泥沼へとずぶずぶと沈んでいく様を、容赦なく描き出します。ここでの描写は、馳星周さんの真骨頂とも言える、裏社会の暴力と非情さが凝縮されており、読んでいるだけで息が苦しくなります。
この外部からの暴力という地獄と並行して、もうひとつの、より内面を蝕む恐怖が進行します。彼女は、自分の息子が学校でいじめられているのではないかと疑い、彼の鞄に盗聴器を仕掛けるという行動に出ます。息子を心配する母の愛情から出た行動です。しかし、そこで彼女が耳にしたのは、助けを求める息子の悲痛な声ではありませんでした。そこで明かされる真実は、ヤクザに脅されているという現実さえ霞んでしまうほどの、絶望的なものでした。
この物語は、いかなる救いも解決も示されないまま、ぷつりと終わります。主婦は、ヤクザからの脅迫と、息子の本性という、二つの地獄のまっただ中に取り残されます。聖域であるはずの家庭も、逃げ込んだ先の非日常も、どちらも彼女を救ってはくれません。どこにも逃げ場がないという、完全な閉塞感。この物語が突きつける絶対的な恐怖と絶望は、読後、長い時間にわたって心の澱のように残り続けました。人間の恐ろしさとは、暴力団のような組織的な悪だけではなく、最も身近な存在の中にこそ潜んでいるのかもしれないと、そう思わせる一編でした。
最終話にして表題作「M」が到達する、暴力の極致
そして最後に、この作品集の表題作である第四話「M」についてお話しします。主人公は、フリーターとしてその日暮らしの生活を送る青年、稔。彼の人生は、あるひとつの過去の出来事に完全に縛り付けられています。それは、虐待を繰り返す父親から母親を守るため、自らの手で父親を殺めたという壮絶な過去です。この「父親殺し」という十字架が、彼のその後の人格すべてを歪ませ、物語の根幹をなすトラウマとなっています。
そんな彼が、会社の先輩に誘われて、SMクラブへと足を踏み入れます。そこで彼は、女王様として君臨するSM嬢・まゆみと出会い、一瞬にして彼女の虜となります。彼が彼女に求めるのは、単なる性的な快楽ではありません。それは、自らの罪に対する「罰」への渇望であり、幼い頃に経験した暴力的な関係性の、倒錯した形での再現なのです。彼にとってマゾヒズムは、過去のトラウマから逃れるための唯一の救済であり、必然的な心理の帰結でした。彼の痛々しいほどの純粋な欲望の描写は、読んでいて胸が締め付けられるようでした。
稔のまゆみへの執着は、彼のすべてを飲み込んでいきます。しかし、彼女との倒錯した時間を過ごすためには、高額な料金が必要です。その金を作るため、彼はついに強盗という犯罪に手を染めてしまいます。この瞬間、彼は心に傷を負った被害者から、自らの欲望のために他者を害する加害者へと、決定的な一線を越えるのです。彼の転落は、もはや誰にも止められません。ひたすらに、純粋に、破滅へと向かって突き進んでいくのです。
この物語のクライマックスは、稔とまゆみの最後のセッションで訪れます。その結末は、多くの読者の予想を裏切る、衝撃的で、暴力的で、そしてあまりにも救いのないものです。それは性的な行為による解放などではなく、究極的な暴力の行使によってのみ達成される、歪んだ愛の成就でした。母親を守るための殺人で始まった稔の物語は、彼のトラウマと執着を完結させるための、この上なく残忍な行為によって幕を閉じます。女王まゆみの正体などは一切語られず、彼女は最後まで、稔のトラウマが生み出した女神として存在し続けます。この結末がもたらす虚無感と絶望感は、筆舌に尽くしがたいものがありました。
心をかき乱す、傑作
ここまで4つの物語を見てきましたが、これらすべてに共通しているのは、登場人物たちの人生を破壊するのが、彼らの内面で肥大化した「妄想」であるという点です。そして、その妄想は、私たちの日常と地続きの場所で、静かに育まれていくのです。
また、本書は、馳星周さん特有の、乾いた短い文章が連なるリズミカルな文体が、裏社会という舞台を離れてもなお、凄まじい威力を発揮することを証明しています。肌がひりつくような緊張感と、冷たく退廃的な雰囲気。その卓越した筆致が、ともすれば単なる扇情的な物語に終わりかねない題材を、人間の心の闇を深くえぐる文学作品へと昇華させているのだと、私は感じました。
まとめ
馳星周さんの「M」は、読む者に大きな精神的負担を強いる作品であることは間違いありません。ここに描かれているのは、暴力、背徳、そして救いのない絶望です。しかし、だからこそ本作は、人間の心理の深淵を覗き込む、類い稀な傑作なのだと言えます。
本書は、馳星周さんのファンはもちろんのこと、日常に潜む人間の狂気を描いた物語を求める方に、ぜひ手に取っていただきたい一冊です。ただし、物語に癒やしや希望を求める方には、決してお勧めできません。読後、しばらくの間、気分が沈んでしまう可能性があることは覚悟してください。
私たちが「平凡」や「日常」と呼んでいるものが、いかに脆く、危ういバランスの上に成り立っているのか。そして、最も恐ろしい闇とは、どこか遠い場所にあるのではなく、私たち自身の心の中に、何かのきっかけを待って静かに眠っているのかもしれない。
本書は、そんな冷徹な真実を、読者の目の前に突きつけてきます。この物語を読んだ後、あなたは隣人や家族、そして自分自身の心を、以前と同じ目で見ることができるでしょうか。その問いこそが、本作の最大の価値なのだと私は思います。