小説「fishy」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。
三人称ではなく、一人称が交替していく語りのリズムが心地よく、読み進めるほどに三人の女性の輪郭が少しずつ溶け合っていきます。舞台は銀座のコリドー街。焼き鳥屋や居酒屋でグラスが触れ合う音にまぎれて、最新美容や恋愛、結婚生活の話題が飛び交いながらも、どこか緊張の糸が張り続ける会話劇です。作品は、編集者の弓子、インテリアデザイナーのユリ、作家志望のライター・美玖の三人を中心に展開します。三人は「友達」と呼ぶことすらためらう距離感で集まり、共感を求めず、それでも報告し合う関係です。こうした骨格は、代官山 蔦屋書店の紹介でも確認できます。
物語のキーワードは「うつろさ」と「確かめようのなさ」。題名の“fishy”には「魚のような」という直訳だけでなく、「怪しい」「胡散臭い」といった含意が宿ります。表層の会話の軽やかさと、足もとでうねる不穏さを、その英単語が見事に束ねているのです。
刊行は朝日新聞出版から。単行本は九月上旬に出ており、ページ数は二百数十ページ規模です。のちに文庫化もされ、女性同士の関係性に光を当てる読みどころが、出版社の紹介記事や書店サイトでも強調されています。
「fishy」のあらすじ
弓子・ユリ・美玖の三人は、銀座のコリドー街で定期的に会い、飲みながら近況を語ります。けれどもそこで交わされるのは慰め合いではありません。弓子は二人の子を持つ編集者。夫の浮気と離婚話に追い詰められ、仕事と家庭、自尊心のすべてを守ろうと必死です。
ユリは三十代のインテリアデザイナーで、娘の話題も仕事の失敗も、過度なまでにオープンに語ります。けれど彼女の「何でもさらす」姿勢は、攻めというより防御かもしれない、と作中は示唆します。ユリがときおり口にする「冷凍庫」の話は、笑い話のようでいてひやりとする不吉さを残します。
美玖は二十代のライター。想い人だった商社マンが結婚して海外赴任する直前に関係を持ち、不倫が始まってしまいます。ほどなく妻に露見し、慰謝料の請求という現実の刃が降りおろされます。
三人の語りは入れ替わり、あらすじの各所で相手の言葉を「正しさ」で刺す場面が続きます。タイトルの“fishy”が示す「あやしさ」は、男たちに限らず三人自身の語りにも浸透していき、どれが真実でどれが方便なのか、読者は確信を持てなくなっていきます。けれど最終的な帰結だけは伏せられ、緊張の糸は張られたまま物語は加速します。
「fishy」の長文感想(ネタバレあり)
この作品の白眉は、三人の視点が円環のように巡り、読者の中で輪郭を失っていくことです。弓子の怒りも、美玖の焦燥も、ユリの饒舌も、ページをまたぐごとに入れ替わり、混線します。代官山 蔦屋書店の記事が指摘するように、三人が読者の中で「融解」する瞬間こそが、fishyの本質です。
ネタバレを承知で言えば、もっとも謎めいているのはユリです。彼女は「自分の赤ん坊を殺した」「夫を冷凍庫に入れている」など、整合しない語りを重ねます。この自己分裂は、相対主義の極まった姿として描かれ、真偽はついに確定されません。ここで読者は「真実でなくとも効いてしまう言葉」の怖さに目を開かされます。
弓子の章は痛々しいほど具体的です。夫の浮気、セックスレスを理由にした身勝手な離別宣言、新恋人を同席させられる屈辱。彼女が「母」と「働き手」の二重負荷を抱えて生活をつなぐ描写には、現実の重力がのしかかります。
美玖は恋の昂揚を信じてしまった側の語り手です。ふとした一夜から始まった不倫が、慰謝料という数字に変換される瞬間、甘美な物語は現実の台帳に書き換えられます。恋と責任が衝突する鋭い音は、fishy全体に響き渡ります。
題名の“fishy”は「うさんくさい」という含意をまとい、登場人物の言葉に付着します。銀座コリドー街という「声」が反響する場所は、この題名を視覚化する舞台装置です。夜の照明、酒の勢い、スマホ通知の点滅。どれもが現代的な「霞」を生み、語りの輪郭を曖昧にします。
ネタバレの核心に踏み込みます。ユリの“告白”群は真偽不明のままですが、そこに重要なのは「確証」ではなく、告白が相手の語りを侵食する作用そのものです。ユリが鏡である、という読解は示唆的で、弓子も美玖も彼女に照らされて自己像を更新させられます。
fishyの会話は、共感を拒む設計です。慰め合いではなく、分析と牽制。だからこそ一人で抱えるには過重な出来事が、三人で“等化”され、持ち運べる重さに変わる。これは友情礼賛ではなく、関係の実用性についての冷静な観察です。
弓子は「母としての私」と「女としての私」の間で引き裂かれます。夫の裏切りは、家族の連帯と自尊心の境界線をあらわにし、彼女を「監視」へと駆り立てる。その姿は痛ましいのに、同時に現実感が濃い。彼女の怒りは、誰にでも起こりうる日常の破綻に根ざしています。
美玖は作家志望という設定ゆえに、出来事を言葉に変換せずにいられません。相手の既婚者は海外へ。距離と秘密が恋の劇薬になり、同時に毒にもなる。請求書が届いた時、彼女は初めて「物語」が現実の制度に敗北することを知ります。
ユリが発する「正しい分析」は、相手の逃げ道を塞ぎます。全部をさらけ出すことが、じつは自衛の戦略になるという洞察は鋭い。自分から先に扉を開けておけば、他人にこじ開けられることはない――その発想が、彼女の饒舌の根っこにあるのです。
会話劇としての密度を支えるのは、場所と飲食の具体です。焼き鳥の脂、氷の音、タレの甘さ。そこに“fishy”な空気が混じり、読者はページの上で匂いを嗅ぐように読み進めます。空気の味がする小説は、そう多くありません。
社会的トピックの断片が会話に混ざるのも特徴です。ネット炎上、報道の姿勢、育児の破綻、ワンオペの疲弊。断章のような挿話が地層を作り、三人の個人的な話を社会へと接続します。作品が発表時から「女性の最前線」の報告のように読まれたのは、この多層化ゆえでしょう。
「小説は肥溜めでいい」という挑発的な一節が示すのは、表現が現実の排泄物まで受け止める器であるべきだという覚悟です。気取りを拒むその姿勢は、fishyの文体の柔らかさと生々しさを支えています。
ネタバレ的に言うと、ラスト近くで三人の境界はさらに曖昧になります。「いつもは見えないところが、見えているだけ」という一節が暗示するのは、人格の連続性よりも、その時々の断面の真実性です。固定した「私」を疑う視線が、読後の頭の中に残ります。
fishyは、恋愛小説のかたちを借りた「語りの倫理」の物語でもあります。誰が何を語るか。誰の言葉が他人の現実を書き換えるのか。ユリの“嘘かもしれない告白”は、読者の判断を宙吊りにし、ふだん私たちが頼りにしている真偽の物差しをぐらつかせます。
三人の関係は、好悪ではなく必要で保たれています。好きだから集まるのではなく、それぞれの歪みを相殺するために集まる。だから別れ際のさびしさは、友情よりも「機能の喪失」への不安に近い。その冷たさすら、現代の友情のリアルに思えます。
fishyという題名に込められた「胡散臭さ」は、世界の輪郭を疑うまなざしです。人の告白も、報道も、SNSも、すべてが生成と消去を繰り返す現代において、確かなのは「いま、この席にいる私たちだけ」という刹那的な連帯。作中でグラスが鳴る音は、その連帯の合図に聞こえます。
最後に。fishyは、三人のだれかが「救われる」物語ではありません。むしろ、うまくいかなさを引き受けることで、各自が次の一手を選び直す物語です。真実と嘘の境界線に立ち続ける息苦しさを、会話のリズムが辛うじて緩和してくれる――そのバランス感覚こそ、本書の確かな魅力だと感じました。
まとめ:「fishy」のあらすじ・ネタバレ・長文感想
fishyは、弓子・ユリ・美玖の三人が、共感を拒む距離感のまま「この場かぎりの付き合い」を続ける物語です。銀座コリドー街の喧騒の中で交わされる会話が、あらすじ以上に多くを物語ります。
ネタバレを踏まえると、もっとも大きな謎はユリの告白の真偽です。彼女の語りは鏡のように他者の欲望や自己像を映し出し、読者の判断を宙に浮かせます。
弓子は家庭の破綻と自尊心の間で、現実的な闘いを続けます。美玖は恋の昂揚が制度に敗れる痛みを学び、その痛みを言葉に変えるしかない自分と向き合います。fishyは、三人の線が交差し続けることで、読者の内側に「うつろさ」の手触りを残します。
題名の“fishy”が示す「あやしさ」は、世界の情報過多と確かめようのなさに対する感覚です。会話の熱量と不穏さのせめぎ合いを引き受けたこの小説は、読後も長く、胸の奥で微かなざわめきを保ち続けます。