小説「AX アックス」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。伊坂幸太郎さんの描く「殺し屋シリーズ」の第三弾として知られる本作は、これまでのシリーズ作品とは少し趣が異なり、家族の物語としての側面が強く押し出されているのが特徴です。主人公は、表向きは文房具メーカーに勤める平凡なサラリーマン、しかし裏では「兜」という名で知られる凄腕の殺し屋という二つの顔を持つ男です。
物語は、そんな彼が家庭では妻に頭が上がらない恐妻家として、そして一人息子・克巳を深く愛する父親として日常を送る姿と、裏社会での危険な任務をこなす非日常とが交錯しながら進んでいきます。殺し屋稼業から足を洗いたいと願いながらも、しがらみから抜け出せずにいる兜の葛藤。そして、彼の人生が思わぬ形で終わりを迎えた後、成長した息子が父の隠された真実へと迫っていく様子が描かれます。
この記事では、そんな「AX アックス」の物語の詳しい流れ、登場人物たちの関係性、そして物語の結末に触れつつ、私がこの作品を読んで感じたこと、考えたことを詳しくお伝えしていきたいと思います。父と息子の絆、家族を守ることの意味、そして人生の皮肉と救いが詰まった物語の世界を、一緒に辿っていきましょう。
小説「AX アックス」のあらすじ
文房具メーカーで営業として働く三宅、通称「兜」。しかしそれは表の顔。彼の真の姿は、裏社会でその名を知られた凄腕の殺し屋でした。家庭では妻に全く頭が上がらず、一人息子の克巳の成長を何よりも大切に思う父親。彼は、克巳が生まれた頃から危険な裏稼業から足を洗いたいと強く願っていましたが、仲介役である医師との関係や高額な手切れ金の問題から、抜け出すことができずにいました。仕事の依頼は、都内の診療所にいる医師を通じて受け、時には他の殺し屋と連携したり、標的になったりしながら、ぎりぎりの日々を送っています。
ある日、兜は営業先で警備会社の社員、奈野村と出会います。奈野村もまた一人息子を持つ父親であり、二人は境遇の近しさから急速に親しくなり、兜にとって初めて心を通わせる友人となります。しかし、皮肉な運命が彼を待ち受けていました。仲介役の医師から、これを成功させれば引退できるという最後の仕事を持ちかけられますが、その標的はなんと奈野村だったのです。友情と任務の間で激しく葛藤した兜は、百貨店で奈野村と対峙します。そこで奈野村もまた、自分と同じく家族のために生き延びなければならない殺し屋であることを知るのでした。兜は奈野村を殺すことができず、その場から逃走します。任務失敗は、自身の家族にも危険が及ぶことを意味していました。
それからしばらくして、兜はビルの屋上から転落死したと報道されます。警察は事故、あるいは自殺として処理しましたが、真相は闇の中でした。兜の死から十年。息子の克巳は結婚し、自らも父親となっていました。ある日、父が生前助けたという青年・田辺亮二が訪ねてきたことをきっかけに、克巳は父の死に疑問を抱き始めます。田辺から渡された父の診察券を手掛かりに、克巳は仲介役だった医師と接触。父が何かを遺そうとしていた可能性を知り、実家の父の部屋を探すと、古びたマンションの鍵を見つけ出します。
父が秘密にしていたその部屋へ向かった克巳。しかし、そこへ現れたのは銃を構えたあの医師でした。医師は克巳を脅して部屋へ侵入しようとしますが、扉を開けた瞬間、兜が生前に仕掛けていたボウガンが作動し、医師は絶命します。呆然とする克巳の前に現れたのは、クリーニング店主となった奈野村でした。彼は、兜のおかげで殺し屋を辞め、平穏な生活を送れるようになったと語り、医師の始末を引き受けます。「お父さんは、何者だったんですか?」と問う克巳に、奈野村は微笑んで答えるのでした。「ただの、いいお父さんだったよ」。克巳は、父が自分たち家族を守るために、見えないところで戦い続けていたこと、そしてその深い愛情を知るのでした。
小説「AX アックス」の長文感想(ネタバレあり)
伊坂幸太郎さんの「殺し屋シリーズ」は、『グラスホッパー』『マリアビートル』と、裏社会に生きる者たちの非情でスタイリッシュな戦いを描いてきた印象が強かったのですが、この『AX アックス』は、それらとは一線を画す、深く心に染み入る家族の物語でした。もちろん、殺し屋としての兜の腕前や、裏社会の緊張感あふれる描写も健在ですが、物語の中心にあるのは、紛れもなく「父親」としての兜の姿であり、家族への強い愛情なのだと感じます。
主人公の兜(三宅)は、凄腕の殺し屋でありながら、家では妻に全く頭が上がらない恐妻家。このギャップが、まず彼の人間的な魅力を際立たせています。完璧な殺し屋という冷徹なイメージとは裏腹に、妻の機嫌を伺い、息子の克巳の将来を心から案じ、学校行事と殺しの依頼の間で右往左往する姿は、どこか滑稽でありながらも、非常に共感を覚える部分です。「AX」の章で、克巳の進路相談と爆破事件犯の始末が重なってしまう場面などは、彼の二重生活の象徴であり、その板挟みの苦悩がよく表れていました。殺しの現場に向かう途中でも、息子の学校の美人教師の話に気を取られたりするあたり、彼の意識がいかに家族に向いているかが伝わってきます。
彼が一貫して持ち続ける「できるだけフェアでいろ」という哲学も印象的です。殺し屋という、本来アンフェアな世界の住人である彼が、なぜそのような信念を持つに至ったのか。それは、彼が守りたい家族、特に息子・克巳に対して、떳떳(タンタン)とは言えないまでも、自分なりの筋を通したいという思いの表れなのかもしれません。仕事だからと割り切るのではなく、そこに彼なりの倫理観を持ち込もうとする姿勢は、彼の人間性の核を成しているように思えます。
物語は連作短編形式で進み、「BEE」では庭のスズメバチの巣駆除に悪戦苦闘する兜の日常が描かれます。命を狙ってくる殺し屋「スズメバチ」の脅威と、自宅の庭の蜂の巣という、スケールの全く異なる「ハチ」の問題が並行して語られる構成が面白いです。結局、妻に止められていたにも関わらず自分で駆除しようとして失敗するあたり、彼の不器用さや、どこか抜けた一面も描かれていて、ますます兜という人物が好きになります。このエピソードは、一見すると本筋の殺し屋稼業とは離れているように見えますが、日常の中に潜む小さな脅威と、裏社会の命懸けの戦いとが、兜にとっては地続きのものであることを示唆しているのかもしれません。
「Crayon」では、ボルダリングジムで出会った同じく恐妻家の松田との交流が描かれます。兜にとって、心を許せる友人ができるというのは、おそらく初めてに近い経験だったのではないでしょうか。同じような境遇(恐妻家、子供が同年代)を持つ松田との会話は、兜にとって束の間の安らぎであったはずです。しかし、その結末はあまりにも切ないものでした。松田が実は問題を抱えており、兜が知らず知らずのうちにその一端に関わってしまう展開は、兜の日常が決して平穏なだけではないこと、彼のいる世界が常に危険と隣り合わせであることを改めて突きつけます。友人の悲劇を目の当たりにし、何もできなかった(あるいは、知らずに関与してしまったかもしれない)という事実は、彼の心に重くのしかかったことでしょう。
そして物語は、「EXIT」で大きな転換点を迎えます。営業先で知り合った警備員の奈野村。彼もまた息子を持つ父親であり、兜は彼に深い親近感を覚えます。奈野村は、兜にとって松田以上に心を開ける存在、まさに「友人」と呼べる相手になったように見えました。しかし、運命は残酷です。引退を賭けた最後の仕事のターゲットが、その奈野村だったのです。ここでの兜の葛藤は、読んでいて胸が締め付けられるようでした。友情を取るか、自身の(そして家族の)安全を取るか。究極の選択を迫られた兜は、奈野村と対峙します。そして、奈野村もまた、自分と同じ殺し屋であり、家族のために生き延びようとしていることを知ります。この二人の対決シーンは、互いの力量を認め合いながらも、殺し合うことのできない、一種異様な緊張感に満ちています。兜が最終的に選んだのは、戦うことでも、殺すことでもなく、「逃げる」ことでした。これは、彼なりの「フェア」な選択だったのかもしれません。しかし、その結果、彼は組織から追われる立場となり、物語は彼の死という衝撃的な展開を迎えます。その死に様があまりにもあっさりと描かれているのが、逆に彼の人生の過酷さを物語っているように感じられました。
最終章「FINE」は、兜の死から十年後、息子の克巳の視点と、兜の最期の日々に近い時点の視点が交錯しながら、全ての謎が解き明かされていきます。父の死の真相を探る克巳の姿は、読者の視点とも重なります。父が遺した鍵、秘密の部屋、そしてそこに仕掛けられた罠。サスペンスとしての面白さもさることながら、克巳が父の足跡を辿ることで、知らなかった父の姿、父の深い愛情に触れていく過程が感動的です。特に、父の部屋に仕掛けられていたボウガンが、父を裏切り、克巳をも手にかけようとした医師を倒す場面は、見事な伏線回収であり、まさに「蟷螂の斧」が実現した瞬間でした。死してなお、息子を守ろうとした兜の執念を感じさせます。
そして、全ての真相を知る人物として現れるのが、クリーニング店主となった奈野村です。彼が生き延び、堅気の生活を送れているのは、あの夜、兜が彼を殺さずに逃げたおかげでした。奈野村が克巳に語る「ただの、いいお父さんだったよ」という言葉。これこそが、この物語の核心を突く一言だと思います。殺し屋「兜」ではなく、父親「三宅」として、彼は最後まで家族を守り抜こうとした。そのためにどれだけの犠牲を払い、苦悩し、そして孤独に戦ってきたのか。奈野村の言葉には、その全てが集約されているように感じました。兜の人生は、まるで複雑に絡み合った糸のようでした。殺し屋としての冷徹な部分と、家族を愛する温かい部分、それらが解きほぐせないほどに結びつき、彼の生き方を形作っていたのです。
『AX アックス』は、殺し屋という設定を用いながらも、その本質は普遍的な「家族愛」を描いた物語だと言えるでしょう。『グラスホッパー』や『マリアビートル』のような派手なアクションや群像劇的な面白さとは異なりますが、一人の男の生き様と、父から子へと受け継がれていく想いを深く掘り下げた、静かで、しかし力強い感動を与えてくれる作品でした。兜の不器用ながらも必死な愛情表現、妻とのコミカルなやり取り、そして息子・克巳が父を理解していく過程。それら全てが心に響き、読み終えた後も温かい余韻が残りました。殺し屋シリーズのファンはもちろん、家族の物語を読みたいという方にも、ぜひ手に取っていただきたい一冊です。
まとめ
この記事では、伊坂幸太郎さんの小説『AX アックス』について、物語の詳しい流れや結末に触れながら、その魅力と私が感じたことをお伝えしてきました。表向きは文房具メーカーの営業マン、裏では凄腕の殺し屋「兜」という二つの顔を持つ男・三宅が、家族への愛ゆえに裏稼業から足を洗おうと葛藤する姿が中心に描かれています。
物語は、兜の日常と非日常が交錯する連作短編形式で進み、友人となった奈野村との出会いと別れ、そして兜の死後、息子・克巳が父の隠された真実に迫っていく過程が描かれます。特に、殺し屋でありながら恐妻家で子煩悩という兜の人間味あふれるキャラクター造形と、彼が貫こうとした「フェア」であることへのこだわり、そして何よりも家族を守ろうとする強い父性愛が、この物語の大きな魅力となっています。
最終的に、兜は自らの命と引き換えに近い形で家族を守り抜き、その想いは十年後、成長した息子・克巳へと確かに受け継がれていきます。殺し屋という非情な世界を舞台にしながらも、描かれるのは普遍的な家族の絆と愛情の物語であり、読後には切なくも温かい感動が残ります。伊坂幸太郎さんの描く、一風変わった、しかし心揺さぶる家族の物語を、ぜひ味わってみてください。