小説「誰か Somebody」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。宮部みゆきさんの作品の中でも、杉村三郎シリーズの第一作目として知られるこの物語は、日常に潜むささやかな綻びから、思いもよらない深い人間ドラマが展開していく、まさに宮部さんならではのミステリーですよね。

物語は、主人公の杉村三郎が、大企業の会長令嬢と結婚し、いわゆる「逆玉の輿」に乗るところから始まります。新しい生活、広報室での穏やかな仕事。しかし、義父の運転手だった梶田信夫が自転車によるひき逃げ事故で亡くなったことから、彼の平穏な日常は少しずつ変化していくのです。この記事では、その事件の顛末と、そこから明らかになる人々の過去や秘密について、詳しく触れていきます。

梶田さんの娘たち、聡美と梨子との出会い、亡き父の本を作りたいという彼女たちの願いに協力するうちに、三郎は単なる事故調査に留まらない、複雑な人間関係の渦へと足を踏み入れていきます。過去の誘拐事件の謎、姉妹間の確執、そして最後に明かされる衝撃の真実まで。物語の核心に迫る内容を含みますので、未読の方はご注意いただきつつ、読み進めていただければ幸いです。

小説「誰か Somebody」のあらすじ

杉村三郎は、絵本編集者としての職を辞し、妻・菜穂子の父であり、巨大コンツェルン「今多コンツェルン」の会長・今多嘉親の意向で、同社の広報室で社内報の編集者として働くことになりました。会長令嬢との結婚はいわゆる「逆玉の輿」であり、三郎自身もその立場に多少の居心地の悪さを感じつつも、妻と幼い娘と共に平穏な日々を送っていました。しかし、その日常は突然破られます。会長の嘉親を長年支えてきた古参の運転手、梶田信夫が自転車によるひき逃げ事故で亡くなったのです。

葬儀が終わり、しばらく経った頃、三郎は嘉親の指示で、梶田信夫の二人の娘、聡美と梨子の相談に乗ることになります。姉妹は、亡くなった父の人生を本に残したいと願っていました。特に妹の梨子は、ひき逃げ犯への怒りも込め、父に関する本を出版したいと強く考えていました。姉の聡美は梨子の計画に賛同しつつも、自身の結婚を間近に控えていることもあり、父の過去を深く掘り起こすことにはためらいを見せます。さらに聡美は、自分が幼い頃に誘拐された記憶があり、それが父の過去に関係しているのではないかと三郎に打ち明けます。

三郎は姉妹の依頼を引き受け、梶田信夫の人生をたどり始めます。梶田が以前勤めていた「トモノ玩具」の元社長・友野栄次郎や、当時の同僚だった関口氏などに話を聞くものの、すぐには有力な情報は得られません。警察もひき逃げ事件の捜査は難航しており、目撃情報も乏しい状況でした。三郎は、梶田が事故当日に訪れていた場所や、聡美が口にした「誘拐」の記憶の真相を探るべく、地道な調査を続けます。その過程で、三郎自身も事故現場で自転車に接触されるという出来事に見舞われます。

調査を進める中で、三郎のもとに非通知の電話がかかってくるようになります。それは後に、梶田信夫が事故に遭う直前まで会っていた人物、野瀬祐子からのものでした。彼女の告白により、聡美が記憶していた「誘拐」の真相が明らかになります。それは、野瀬が過去に犯した過ちを梶田夫妻が庇い、その際に一時的に聡美を預かった出来事だったのでした。ひき逃げ事件についても、警察の捜査で犯人は中学生であり、事故であったことが判明します。しかし、物語はこれで終わりませんでした。事件の調査を通して見えてきた梶田姉妹の複雑な関係、そして姉・聡美の婚約者である浜田を巡る衝撃的な事実が、最後に三郎の前に立ちはだかるのです。

小説「誰か Somebody」の長文感想(ネタバレあり)

宮部みゆきさんの『誰か Somebody』、杉村三郎シリーズの記念すべき第一作目ですね。読み終えた後、心にずしりと残るものがありました。単なるミステリーという枠には収まらない、人間の心の機微、家族というものの複雑さ、そして過去が現在に落とす影の深さを、これでもかというほど丁寧に描いている作品だと感じました。

まず、主人公の杉村三郎という人物設定が非常に興味深いですよね。彼は探偵でもなければ警察官でもない。大企業の会長の娘婿で、広報室に勤めるサラリーマン。いわば、特殊な能力を持たない「普通の人」です。だからこそ、彼の視点を通して語られる物語には、リアリティと共感が伴います。義父の運転手の死という、本来ならそこまで深く関わるはずのない事件に、彼は義父の命令と、残された娘たちの想いに応える形で関わっていく。その過程で、彼自身も戸惑い、悩み、時には危険な目に遭いながら、少しずつ真相に近づいていきます。

参考にした文章にもありましたが、杉村三郎はまさに「傍観者」であり「見届ける者」としての役割を担っていますよね。彼は積極的に事件を解決しようと動くヒーローではありません。むしろ、梶田姉妹の話を聞き、関係者のもとを訪ね、情報を集める中で、否応なく事態の核心に触れてしまう。その「巻き込まれ型」のスタンスが、物語に独特の緊張感と切実さを与えているように思います。彼の調査は、決して効率的とは言えません。警察を訪ねてもたらい回しにされたり、有力な手がかりがなかなか見つからなかったり。そのもどかしさが、かえって現実味を帯びていて、読んでいるこちらも一緒に「どうなるんだろう」とやきもきさせられます。

この物語の巧みな点は、序盤に提示される「梶田信夫はなぜ、どこへ行こうとして事故に遭ったのか」「ひき逃げ犯は誰なのか」という謎が、読み進めるうちに形を変え、深まっていくところにあると感じます。姉・聡美の「誘拐されたかもしれない」という曖昧な記憶、梶田が過去に勤めていた玩具会社での出来事、そして非通知の電話…。小さな疑問や伏線が次々と提示され、それらが徐々に繋がっていく過程は、さすが宮部みゆきさん、と唸らされました。

特に、聡美の「誘拐」の記憶の真相が明らかになる場面は、物語の大きな転換点ですよね。野瀬祐子という女性の告白によって、それは誘拐ではなく、彼女が過去に犯した罪を梶田夫妻が隠蔽するために、一時的に聡美を預かった出来事だったことが判明します。この事実は、聡美が長年抱えてきた心の重荷の正体を明らかにすると同時に、梶田信夫という人物の、そして彼の妻の、深い情と、ある種の「共犯関係」をも描き出します。彼らは、決して法的に正しい行いをしたわけではありませんが、野瀬祐子への同情と優しさから、大きな秘密を抱えることになった。そのことが、巡り巡って梶田自身の死の間際の行動にも繋がっていたという構成には、運命の皮肉のようなものを感じずにはいられませんでした。

そして、ひき逃げ事件の犯人が中学生であったことが判明し、一応の解決を見たかのように思えたところで、物語は終わらない。ここからが、この『誰か Somebody』という作品の、もう一つの、そしておそらく最も重いテーマが立ち上がってくるところではないでしょうか。それは、梶田姉妹、聡美と梨子の間に横たわる根深い確執と、その確執が生み出した悲劇です。

妹の梨子が、姉・聡美の婚約者である浜田と不倫関係にあるという事実。これは、物語の比較的早い段階から、読者には「もしかして?」と予感させるような描写が散りばめられています。浜田が聡美との電話を切った直後に梨子に電話をかける描写や、三郎が浜田の携帯の着メロに聞き覚えがあると感じる場面など、巧妙に伏線が張られていますよね。しかし、その事実が、三郎によって暴露される終盤の展開は、非常に衝撃的でした。

梨子は、幼い頃から姉に対して複雑な感情を抱いていました。両親の愛情が姉に注がれていると感じ、常に姉と自分を比較し、劣等感を抱いていた。その歪んだ感情が、姉の大切な人である浜田を奪うという行動に繋がってしまった。梨子の言い分は、自己中心的で身勝手なものに聞こえますが、彼女が抱えてきた長年の渇望や孤独感を思うと、単純に断罪できない複雑さも感じます。

一方の聡美もまた、妹の行動に気づいていながら、見て見ぬふりをし、浜田と結婚することで幸せになれると思い込もうとしていました。彼女は、過去の「誘拐」の記憶(実際は違いましたが)や、両親が抱えていた秘密を薄々感じ取りながら、どこか不安定な足場で生きてきたのかもしれません。だからこそ、形だけでも「普通の幸せ」を手に入れたかった。しかし、それは砂上の楼閣のようなもので、三郎の暴露によって脆くも崩れ去ってしまいます。

この姉妹の確執の根源には、やはり両親である梶田夫妻が抱えていた秘密が深く関わっています。野瀬祐子の件を隠し通したこと、そしてその過程で聡美を一時的に預けたこと。これらの出来事が、姉妹の間に微妙な距離感や感情のずれを生み、長い年月をかけて歪んだ関係性を形作ってしまった。親が良かれと思ってした行動や、隠し事が、子供たちの人生にどれほど大きな影響を与えうるのか。そのことを、この物語は痛切に描き出しています。

三郎が最後に梨子と浜田の関係を暴露する場面は、読んでいて非常に苦しくなりました。彼は、聡美が真実を知りながらも結婚しようとしていることを見抜き、ある意味で彼女を「救おう」としたのかもしれません。あるいは、単に真実を告げずにはいられなかったのかもしれない。しかし、その結果、聡美は深く傷つき、三郎に対して怒りと失望をぶつけます。「あなたのような恵まれた人にはわからない」と。この聡美の言葉は、三郎にとっても、そして読者にとっても重く響きます。

三郎は、善意から行動したのかもしれない。しかし、他人の人生に深く介入し、真実を告げることが、必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。むしろ、当事者たちが築き上げてきた危ういバランスを壊し、更なる不幸を招くことだってある。その現実を、三郎は突きつけられます。彼が梶田姉妹にとっての「誰か」になろうとした結果は、非常に씁쓸(씁쓸:씁쓸하다【形容詞】苦々しい、ほろ苦い)한ものでした。ここで比喩を使うならば、彼は、静かに絡み合っていた糸を解きほぐそうとして、かえって固く結びつけてしまったのかもしれません。

タイトルである『誰か Somebody』。この「誰か」とは、一体誰を指すのでしょうか。ひき逃げ事件の犯人、聡美を「誘拐」した人物(実際は野瀬祐子)、三郎に非通知電話をかけてきた人物…。物語の中には、文字通り「誰か」を探す場面が多く登場します。しかし、読み終えてみると、このタイトルはもっと深い意味を持っているように感じられます。

参考にした文章の考察にもありましたが、「わたしたちはみんなそうじゃないか?自分で知っているだけでは足りない。だから、人は一人では生きていけない。どうしようもないほどに、自分以外の誰かが必要なのだ」という、三郎が野瀬祐子に対して心の中で語りかける言葉。これが、この物語の核心をついているのではないでしょうか。

人は、自分の弱さや過ちを、自分だけで受け止めることは難しい。誰かに話を聞いてほしい、誰かに肯定してほしい、誰かに背中を押してほしい。そう願わずにはいられない。野瀬祐子にとって、梶田夫妻は秘密を共有し、彼女を支えてくれる「誰か」でした。そして、長年の罪悪感に苛まれる彼女にとって、三郎は真実を打ち明け、過去と向き合うきっかけを与えてくれる「誰か」となった。

聡美にとっても、梨子にとっても、そして浜田にとっても、心の奥底では「誰か」の助けや理解を求めていたのかもしれません。しかし、彼らは歪んだ形でしかそれを表現できなかったり、あるいは求める相手を間違えたりしてしまった。三郎は、彼らにとっての良き「誰か」にはなれなかったのかもしれません。しかし、彼の存在が、結果的に彼らの人生に大きな波紋を投げかけたことは事実です。

この物語は、ミステリーとしての面白さはもちろんのこと、人間という存在の複雑さ、弱さ、そして「誰か」を必要とする切実さを、深く考えさせてくれる作品でした。読後感は決して明るいものではありませんが、心に残る登場人物たちの葛藤や痛みが、いつまでも忘れられない余韻となります。杉村三郎という等身大の主人公が、今後どのように事件に関わり、成長していくのか。続編への期待が高まる、素晴らしいシリーズの幕開けだと感じました。

まとめ

宮部みゆきさんの小説『誰か Somebody』は、杉村三郎シリーズの第一作として、日常に潜む事件と、そこから浮かび上がる深い人間ドラマを描いた作品でした。主人公の杉村三郎は、特別な能力を持たない普通の会社員ですが、義父の運転手の死をきっかけに、否応なく事件の真相と人々の秘密に触れていくことになります。

物語は、ひき逃げ事件の犯人探しと、梶田信夫の娘・聡美が記憶する過去の「誘拐」事件の謎を軸に進みます。調査の過程で明らかになるのは、単なる事件の真相だけでなく、梶田夫妻が抱えていた秘密、そしてそれが娘たち、聡美と梨子の関係性に落とした複雑な影でした。特に、終盤で明かされる梨子と聡美の婚約者・浜田との関係は、物語に衝撃的な結末をもたらします。

この作品は、「誰か」というタイトルの意味を深く考えさせられます。人は一人では生きていけず、自分の弱さや過ちを受け止め、乗り越えるために「誰か」を必要としている。しかし、その「誰か」との関わり方が、時として更なる悲劇を生むこともある。杉村三郎の行動とその結果を通して、人間関係の難しさや切なさが、強く心に残る物語でした。