小説「鳩笛草 燔祭・朽ちてゆくまで」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。この作品は、宮部みゆきさんが描く、特殊な力を持つ人々が織りなす、切なくも考えさせられる物語を集めた一冊です。不思議な力は、時に人を助け、時に人を深く傷つけます。

この本には「朽ちてゆくまで」「燔祭」「鳩笛草」という三つの中編が収められています。それぞれ独立した物語でありながら、どこか通底するテーマを感じさせます。それは、人とは違う力を持ってしまったことによる葛藤や孤独、そしてそれでも生きていくことの意味を問うているように思えるのです。

本記事では、まず各編の物語の筋道を追い、その後で、物語を深く味わった上での考えや感じたことを、ネタバレも気にせずに詳しくお伝えしていきます。この物語たちが持つ独特の雰囲気や、登場人物たちの心の揺れ動きを、少しでも共有できたら嬉しいです。

小説「鳩笛草 燔祭・朽ちてゆくまで」のあらすじ

この本は、それぞれ異なる特殊能力を持つ三人の女性を軸にした物語集です。「朽ちてゆくまで」では、早くに両親を亡くした智子が主人公です。祖母も亡くなり、家を整理する中で見つけた古いビデオテープには、幼い自分が泣きながら何かを予言するような姿が映っていました。失われた幼少期の記憶と、自分が持っていたかもしれない不思議な力。智子はその謎を追い始めますが、それは過去の悲劇と向き合うことでもありました。

「燔祭」は、復讐の物語です。高校生の妹を無惨に殺された兄・多田一樹。犯人は未成年であり、法の裁きに納得できない彼の前に、青木淳子という女性が現れます。彼女は、念じるだけで火を放つことができる、恐ろしい力を持っていました。「あなたの代わりに、妹さんの仇を討ちましょうか」と囁く淳子。一樹は、その申し出を受け入れ、淳子と共に犯人への復讐計画を進めますが、次第にその力の持つ危うさと、復讐という行為そのものに葛藤を覚えていきます。

表題作でもある「鳩笛草」の主人公は、物に触れることで持ち主の記憶や感情を読み取るサイコメトリー能力を持つ刑事、本田貴子です。彼女はその能力を捜査に役立ててきましたが、ある時からその力が徐々に衰えていることに気づきます。能力は彼女の刑事としてのアイデンティティの一部であり、その喪失は自身の存在意義をも揺るがします。能力の衰えに戸惑い、苦悩しながらも、貴子は誘拐事件をはじめとする様々な事件に立ち向かっていきます。同時に、自身の過去や、能力と共に生きてきた人生を見つめ直すことになるのです。

これら三つの物語は、特殊な能力という非日常的な要素を含みながらも、登場人物たちが抱える悩みや葛藤は、私たち自身の日常にも通じる普遍的なものとして描かれています。喪失感、復讐心、自己同一性の揺らぎといったテーマが、ミステリアスな展開の中に深く織り込まれているのです。

小説「鳩笛草 燔祭・朽ちてゆくまで」の長文感想(ネタバレあり)

宮部みゆきさんの「鳩笛草 燔祭・朽ちてゆくまで」を読み終えた時、心の中にずっしりと、しかし決して不快ではない重みが残りました。この作品集に収められた三つの物語、「朽ちてゆくまで」「燔祭」「鳩笛草」は、それぞれが異なる特殊能力を持つ女性を主人公としていますが、描かれているのは単なる超能力ミステリーではありません。むしろ、その力を「持ってしまった」あるいは「失いつつある」ことによって浮き彫りになる、人間の心の奥深くにある感情、葛藤、そして生きることの意味そのものなのだと感じます。

まず、「朽ちてゆくまで」について。主人公の智子は、幼い頃の両親との記憶を事故の後遺症で失っています。祖母の死後、家の片付けで見つけたビデオテープに映っていたのは、泣きながら何かを予言する幼い自分。この設定がまず、非常に引き込まれます。失われた記憶、謎めいた過去の映像、そして自分がかつて持っていたかもしれない予知能力。ミステリーとしての興味を掻き立てられると同時に、智子が抱えるであろう不安や孤独に、読んでいるこちらも胸が締め付けられるような思いがしました。

両親は自分を実験台にしていたのではないか、という疑念を抱く智子の姿は痛々しいです。誰しも自分のルーツや過去を知りたいと思うものですが、それが恐ろしい真実かもしれないとなると、知ることに恐怖を感じてしまう。この物語の巧みさは、智子が過去を探る過程で出会う人々の優しさや、徐々に明らかになる真実が、決して智子を絶望させるだけのものではない点にあると思います。確かに、彼女が持っていた予知能力は、悲劇と結びついていました。しかし、それは両親の歪んだ愛情の形でもあり、智子を守ろうとした結果でもあったのかもしれない。過去の断片をつなぎ合わせ、真実を知った智子が、最終的に再び予知の兆候を見せる場面は、単なるハッピーエンドとは言えませんが、過去を受け入れ、未来へ歩み出そうとする彼女のかすかな希望を感じさせます。それは、まるで閉ざされていた扉が、ほんの少しだけ開いた瞬間を見届けたような、静かな感動がありました。特殊な能力が、必ずしも不幸だけをもたらすわけではない、というメッセージも込められているのかもしれません。

次に、「燔祭」。これは三編の中で最も倫理的な問いを突きつけてくる、重いテーマを扱った作品だと感じました。最愛の妹を殺され、犯人が未成年であるがゆえに軽い処罰しか受けないことに憤る兄、多田一樹。彼の前に現れる、念力で発火させる能力を持つ青木淳子。彼女が持ちかける復讐代行の提案は、一樹にとって、そしておそらく多くの読者にとっても、非常に魅力的でありながら、同時に恐ろしいものです。

もし自分が同じ立場だったら、淳子の提案を受け入れてしまうのではないか。そう考えずにはいられませんでした。法で裁けない悪を、人知を超えた力で罰することができるなら、それはある種の正義ではないのか、と。しかし、物語はそう単純には進みません。一樹は淳子と共に犯人の周辺を探り、復讐の機会をうかがう中で、何度も迷い、葛藤します。実際に淳子の能力が振るわれ、人が苦しみ、物が燃え上がる様を目の当たりに(あるいは想像)することで、復讐という行為の持つ暴力性、そして淳子自身の内なる闇のようなものに触れ、彼は恐怖を覚えるのです。

頭の中で相手を憎み、罰したいと願うことと、実際にその破滅を実行することの間には、大きな隔たりがある。一樹の揺れ動く心理描写は、非常にリアルに感じられました。「腰抜け」だと感じる瞬間もあれば、彼の逡巡こそが人間的な良心なのだとも思える。結局、一樹は直接的な復讐の実行からは距離を置くことになりますが、結果的に犯人は(淳子の力によって)罰せられる。この結末は、ある意味で一樹にとっては都合の良いものだったのかもしれません。しかし、淳子の孤独は深まるばかりです。彼女の力は、決して誰かを幸せにするものではなく、むしろ彼女自身を社会から孤立させていく。正義とは何か、罰とは何か、そして異質な力を持つ者の孤独とは。読み終えた後も、簡単には答えの出ない問いが、心の中に残り続けました。

そして、表題作でもある「鳩笛草」。サイコメトリー能力を持つ刑事、本田貴子。この設定だけでもう魅力的です。触れた物から情報を読み取る能力は、刑事という職業において、まさに切り札となり得る力でしょう。しかし、物語は、その能力が万能ではないこと、そして持ち主である貴子に大きな負担と葛 hommes を強いていることを丁寧に描いています。

特に印象的なのは、貴子がその能力の衰えを感じ始める、という点です。長年、自分の一部として、そして刑事としての武器として頼ってきた力が失われていく。それは、単に仕事上の不都合というだけでなく、貴子自身のアイデンティティの危機でもあります。「能力があるから刑事になった」「能力がなければ自分ではない」。そう感じてしまう貴子の焦りや不安は、特殊能力を持たない私たちにも、形を変えて共感できる部分があるのではないでしょうか。例えば、長年打ち込んできたスポーツができなくなったり、仕事や役割を失ったり、あるいは身体の一部を失ったり。それまで自分を支えてきたものがなくなる時、人は自分が自分でなくなってしまうような感覚に陥ることがあります。

貴子が直面するのも、まさにそうした危機です。能力の衰えに戸惑い、捜査にも精彩を欠くようになる。周囲の刑事たちも、彼女の変化に気づき、心配します。男性社会である警察組織の中で、時に厳しい言葉を向けられながらも、同僚たちが根底では貴子を仲間として認め、気遣っている様子が描かれているのが、救いのように感じられました。

物語は、貴子が自身の能力の喪失(あるいは変化)と向き合い、それでも刑事として、一人の人間として生きていく道を探る過程を描いています。知らなくてもいい他人の感情や記憶に触れ続けることの辛さ。能力に頼らず、自分の五感と経験、そして仲間との協力によって事件を解決しようと奮闘する姿。そして、ラストで見せる彼女の決断。それは、能力の完全な回復でも、完全な喪失でもない、ある種の「着地点」を見出すような終わり方でした。それは、まるで荒波に揉まれ続けた小舟が、ようやく穏やかな入り江を見つけたかのような安堵感を伴っていました。(←ここで比喩を使用)失われたものを嘆くだけでなく、残されたもの、そしてこれから得られるものに目を向け、生きていく。そんな貴子の静かな強さに、深い感銘を受けました。

これら三つの物語を通して、宮部みゆきさんは、特殊能力という非日常的な設定を使いながら、人間の普遍的な感情や葛藤を見事に描き出していると感じます。力を持つことの孤独、失うことの恐怖、正義と復讐の境界線、過去との向き合い方、そして自己同一性の探求。これらのテーマが、巧みなミステリーの筋立ての中に織り込まれ、読者を引き込みます。登場人物たちは、決してスーパーヒーローではなく、私たちと同じように迷い、苦しみ、それでも懸命に生きようとする「普通の人々」として描かれています。だからこそ、私たちは彼らの物語に深く共感し、心を揺さぶられるのでしょう。

特に、どの物語にも共通しているのは、特殊な力が必ずしも幸福をもたらすとは限らない、むしろ大きな代償や苦悩を伴うものとして描かれている点です。それは、宮部さんの人間に対する深い洞察と、安易な解決や勧善懲悪に流れない誠実な姿勢の表れのように思えます。読み終えた後、物語の結末に納得しつつも、登場人物たちの未来に思いを馳せ、様々なことを考えさせられる。そんな奥行きのある読書体験を与えてくれる一冊でした。

まとめ

宮部みゆきさんの「鳩笛草 燔祭・朽ちてゆくまで」は、特殊な力を持ってしまった三人の女性たちの物語を通して、人間の心の深淵を巧みに描き出した作品集です。「朽ちてゆくまで」では予知能力と失われた記憶、「燔祭」では念力放火と復讐、「鳩笛草」ではサイコメトリー能力の衰えとアイデンティティの危機が、それぞれミステリアスな展開の中で描かれます。

これらの物語に共通しているのは、特殊能力という非日常的な要素を通して、私たちが日常で抱える可能性のある喪失感、葛藤、倫理的な問い、そして生きることの意味といった普遍的なテーマを扱っている点です。登場人物たちは、その力ゆえに孤独や苦悩を抱えながらも、懸命に自分の人生と向き合っていきます。

単なる超能力ミステリーとしてだけでなく、深い人間ドラマとしても読み応えのある一冊です。宮部みゆきさんならではの巧みなストーリーテリングと、登場人物たちの細やかな心理描写によって、読者は物語の世界に引き込まれ、読み終えた後も長く心に残る問いかけを受け取ることになるでしょう。