小説「汝、星のごとく」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。
瀬戸内の小さな島で出会った暁海と櫂が、長い年月をかけて愛と人生の選択に揺れる物語です。
「汝、星のごとく」は本屋大賞の受賞作として大きく読まれました。
直木賞候補としても名前が挙がり、物語の重みが広い層に届いた一冊です。
映像化の動きも進み、2026年秋に公開予定です。ちなみに、横浜流星さんと広瀬すずさんのW主演です。読むタイミングとしては今かな、と背中を押される人もいるはずです。
また、世界観につながる作品として「星を編む」も刊行されています。
「汝、星のごとく」のあらすじ
舞台は瀬戸内の島。島で育った井上暁海と、家庭の事情で島へ来た青埜櫂が高校で出会います。ふたりはどちらも親の問題を抱え、日々の暮らしの中で大人の役割を背負っているところが共通しています。
惹かれ合うのは自然でした。けれど島は狭く、人の目はやさしくも残酷で、家の事情は噂になり、善意がときに刃になります。暁海の家庭、櫂の家庭、それぞれの歪みが恋の熱を冷やしも温めもしていきます。
高校卒業後、櫂は創作の道を目指して島を出ます。暁海は島に残り、働きながら家を支えます。距離ができ、生活の温度差が生まれ、ふたりの関係は「好き」だけでは保てない現実へ踏み込んでいきます。
物語は、ふたりだけの恋を描くようでいて、周囲の大人たちや環境が人生をどう形づくるかを丁寧に追っていきます。先生、親、島の空気、都会の速度。その全部が、暁海と櫂の選択に影を落とし、次の一歩の重さを増していきます。
「汝、星のごとく」の長文感想(ネタバレあり)
ここから先はネタバレを含みます。最初の一行が、胸の奥を冷やすほど強いのに、読み終えたあとには、あの冷たさが別の温度に変わっているのが怖いです。「月に一度、わたしの夫は恋人に会いにいく。」という導入は、事件の予告ではなく、人生のかたちの予告だったのだと、あとから気づかされます。
瀬戸内の島の描写が、ただ美しいだけで終わりません。海と空は開けているのに、人間関係は閉じている。その閉じ方が、悪意というより「そういうもの」として毎日回っているのがつらいです。「汝、星のごとく」は、景色の明るさで痛みを際立たせるのが上手くて、読んでいるこちらの逃げ道をふさいできます。
暁海の家庭は、父の不在と母の不安定さで、家が家として機能しない時間が続きます。櫂の家庭も、母が恋愛に引きずられ、子が暮らしを整える側に回ります。ふたりが互いに惹かれ合うのは、救いだからです。恋というより、理解される場所にやっと辿りついた感覚が先にある。だから青春の場面が甘いのに、同時にひやりとします。
「汝、星のごとく」の高校パートは、好きな相手と海を見て笑う、ただそれだけの場面が眩しいです。櫂が星の名を教える場面も、知識の披露ではなく、世界の見え方を手渡す行為になっている。ここでふたりが手に入れたのは、恋人という立場だけじゃなく、「明日を言葉にできる相手」なんだと思いました。
卒業後、進路が分かれた瞬間から、物語のギアが変わります。櫂は創作の世界へ入り、暁海は島に残って働き、母を抱えます。遠距離恋愛の苦しさは、会えない寂しさよりも「生活の手触りが違っていく」ことにあると描かれていて、そこが刺さります。
暁海が島で身につけていくのは、諦めではなく技術と意思です。刺繍という道が、夢の装飾ではなく、食べていく手段として現れてくるのがいい。手を動かし、積み上げ、評価され、稼ぎ、自由を少しずつ手に入れる。その過程が、恋の勝敗とは別の場所で、人生の勝ち筋を作っていきます。
一方の櫂は、才能と運が噛み合ったぶん、落ちるときの速度も速いです。成功が「自分の力」だけの結果ではないと知っているから、歯止めが利かない。仕事が回り、金が入り、人間関係が濃くなり、気づけば生活の中心が恋ではなく創作と消耗になっている。その姿が、責める気持ちより、怖さを呼びます。
「汝、星のごとく」が残酷なのは、悪役を単純に置かないところです。暁海の母も、櫂の母も、最初から怪物として描かれません。弱さや依存は、本人のせいだけではない、と匂わせたうえで、それでも子に与える影響は容赦なく描く。読者は同情しながら腹を立て、腹を立てながら罪悪感を持たされます。
北原先生の存在が、物語の空気を変えます。善良な大人として登場しつつ、完璧な救済者ではない。彼は島の価値観の内側にいながら、外側の視点も持ち込む緩衝材になっていて、暁海が倒れそうな局面で言葉を渡します。のちに、彼自身の人生の線が見えてくると、支える側の孤独も浮き上がります。
中盤、暁海が「正しさ」を守ろうとするほど、人生はよけいに息苦しくなっていきます。島から出ること、母を置くこと、恋を選ぶこと。全部が「誰かを傷つける」選択に見えてしまう。だから暁海は自分の気持ちを小さく畳み、無理に日常へ縫い付けます。その縫い目が、後半でいちばん痛い場所になります。
櫂の側で決定的なのは、創作の相棒だった尚人の問題と、それがもたらす連鎖です。ネットの暴力と、業界の都合と、個人の弱さが絡み合い、人生がほどけていく。櫂は落ちたのではなく、落とされたのでもなく、落ちていく流れに身を預けてしまう。ここが本当に苦しいです。
終盤で描かれる病は、罰としてではなく、時間切れとしてやってきます。東京での暮らしの荒れ方と、身体の崩れ方が並走して、読者の希望をじわじわ削ります。それでも暁海が櫂のもとへ向かう場面は、恋の回収ではなく、人生の回収に見えます。置いてきたもの全部を抱えたまま、ようやく自分の意思で動く、その重さに息が止まります。
さらに胸を締めつけるのが、許可された関係の形です。暁海の「夫」という存在が、憎むべき障害ではなく、現実を受け止めるための器として出てくる。だからこそ冒頭の一行が、下世話な話ではなく、痛みの共有として立ち上がります。読んでいる側の価値観が試されます。
花火の場面は、派手な感動装置なのに、妙に静かです。瀬戸内の夜空に上がる光は、祝福にも弔いにも見える。しかも集まる顔ぶれが、人生の継ぎ目を全部さらしていて、笑っていいのか泣いていいのか分からなくなる。あの瞬間、暁海が手に入れたのは「やり直し」ではなく、「見届ける権利」だったのだと思いました。
エピローグに戻ったとき、「汝、星のごとく」は恋愛小説の顔をしながら、家族小説であり、仕事小説であり、共同体小説でもあった、と腑に落ちます。月に一度の外出が、断罪ではなく、折り合いとして語られる。その折り合いが美しいとは言いません。でも、ああいう折り合い方しかできない人がいることを、否定しきれないのが怖いです。
タイトルの手触りも、読み終えて変わります。由来として触れられる「なんぢ星のごとく」という言葉が、燃え尽きても光が届く、みたいな時間差の感覚と響き合って、櫂と暁海の関係をそのまま映すように見えてきます。読後、夜空を見上げたくなるのに、同時に見上げたくない。そんな矛盾が残るのが「汝、星のごとく」でした。
「汝、星のごとく」はこんな人にオススメ
「汝、星のごとく」は、恋の成就だけを期待して読むと、心が追いつかないかもしれません。けれど、人生が思いどおりにならない理由を、誰かのせいにせずに見つめたい人には、深く残ります。島の空気、家の事情、仕事の現実が、恋をどう変えるかが丁寧です。
家族の問題を「切れば終わる話」として片づけられない人にも向きます。親を捨てられない優しさが、同時に自分を縛る。その矛盾を、正論で踏みにじらず、しかし甘やかしもしない温度で描いていきます。「汝、星のごとく」を読むと、許すことと許されることの輪郭が少し変わります。
仕事や表現に関わる人、あるいは関わりたい人にも刺さります。創作の光の部分だけでなく、支える編集や世間の視線、ネットの暴力が人生に食い込む描写があり、成功が救いになりきらない怖さが出てきます。その上で、人が何に賭けて生きるのかを問うてきます。
読み終えたあと、もっとこの世界を見届けたいと思ったら「星を編む」に進むのもありです。
また、映像化の情報に触れて気になっている人は、先に「汝、星のごとく」で自分の受け取り方を作っておくと、後から別の角度で味わえます。
まとめ:「汝、星のごとく」のあらすじ・ネタバレ・長文感想
- 「汝、星のごとく」は冒頭の一行が最後に別の意味へ変わります。
- 島の美しさと共同体の息苦しさが同時に描かれます。
- 暁海と櫂は親の問題を背負うところから物語が始まります。
- 遠距離になってからの生活の温度差が、恋を静かに削ります。
- 暁海は手仕事と意思で「自分の人生」を取り戻していきます。
- 櫂の成功は救いにもなり、落とし穴にもなります。
- 北原先生は支える側の孤独も抱えた重要人物です。
- 尚人をめぐる出来事が、物語を容赦なく現実へ引き戻します。
- 終盤の花火は、祝福と別れが同居する場面として残ります。
- 読後に残るのは「正しさ」よりも「生き方」の重さです。




