小説「仙人」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。
「仙人」は、芥川龍之介が手がけた作品のなかでも、童話風の軽やかさと皮肉な視線が同居した一編です。大阪を舞台に、「仙人になりたい」と真顔で願う奉公人・権助の物語が、語り手の口から朗々と語られていきます。
「仙人」は子ども向けの昔話のように読み進められる一方で、読み終えると、働くことの意味や、信じることの重さについて、不意に考え込まされる不思議な読後感を残します。ネタバレを含む形で物語の結末にも触れながら、その仕掛けを丁寧に追っていきたいと思います。
この記事では、まず「仙人」の物語を押さえるために、結末一歩手前までのあらすじを整理します。そのうえで、ネタバレ込みでラストシーンを振り返りながら、権助という人物像や、医者夫婦のいやらしさ、大阪という町の空気感にまで踏み込んでいきます。
「仙人」をこれから読む人にも、すでに読んだことがある人にも、もう一度作品世界を味わい直してもらえるように、「あらすじ」「ネタバレ」「長文の感想」を組み合わせて、立体的に作品の魅力を掘り下げていきます。
「仙人」のあらすじ
「仙人」は、大阪に住む語り手が、「大阪の話をしましょう」と読者に呼びかけるところから始まります。昔、大阪の町へ奉公にやって来た権助という若者がいました。権助は働き口を斡旋する口入れ屋を訪ね、「自分は仙人になりたいので、仙人になれるところへ奉公に出してほしい」と、真面目な顔で頼み込みます。
口入れ屋の番頭は、仙人志望の奉公人など聞いたこともなく、最初は困り果てます。そこへ相談を持ちかけられたのが、近所の医者でした。ところが実際に権助に目をつけたのは、その医者の妻です。欲深く抜け目のないこの女房は、「うちに来て働けば、数年も経てば仙人にしてやる」と言い、給金なしの奉公を約束させてしまいます。
こうして権助は、医者の家で働き始めます。掃除に洗濯、使い走りと、一日じゅう休みなくこき使われても、権助は「仙人になれる」と信じて愚痴ひとつこぼしません。年月は流れ、周囲の人間が年老いていく中で、権助だけは淡々と働き続けます。彼にとって日々のつらさは、すべて「仙人の修行」だと受け止められているからです。
やがて、医者の妻が軽い気持ちで約束してしまった期間が過ぎようとします。権助は約束通り仙人にしてもらえると信じていますが、妻には仙術など知る由もありません。追い詰められた妻は、庭に生えた松の木を指さし、権助に「この松に登って両手を離せば仙人になれる」と、とんでもないことを言い出します。物語の結末は、この無茶な命令を真に受けた権助が松の木に登った瞬間から、一気に動き出していきます。
「仙人」の長文感想(ネタバレあり)
「仙人」を読み返すたびに感じるのは、童話のように始まる物語が、気づけば働くことや信じることの本質に迫る鋭い問いへと変わっていく、その流れの巧みさです。ここから先は物語の核心に触れるネタバレを含みますので、結末をまだ知らずに楽しみたい方は一度作品を読んでから戻ってきていただくと、より味わいが深くなると思います。
まず目を引くのは、「仙人」が一人称の語り手による昔話風のスタイルで進んでいく点です。語り手は大阪の町に暮らしている人物であり、「こんな男がいた」と過去の出来事を振り返るように話し始めます。そのおかげで、権助の行動は少し距離をとった目線から描かれ、読者は笑いと同情のあいだを揺れ動きながら物語を追うことになります。
権助が口入れ屋で「仙人になりたい」と訴える場面は、一見すると滑稽です。しかし、「出世したい」「楽をしたい」といったありふれた願いではなく、「仙人になりたい」という突飛な夢だからこそ、彼の欲望は俗っぽさを突き抜けて、どこか清らかにすら見えてきます。「仙人」という存在に向けられた憧れは、世間の評価から離れた、生き方そのものへの願望のようにも感じられます。
そこへ食い込んでくるのが、医者の妻の存在です。「仙人になりたい」という権助の純粋な願いを、徹底的に利用する人物として登場します。この女房は、権助を二十年ものあいだ給金なしで働かせ続けることで、自分は汗を流さずに利益だけを得ようとします。彼女の人物造形は、単なる悪人というより、「目の前の得のためなら何でも利用する人間」の縮図のように描かれています。
一方、医者本人は、妻に主導権を握られたまま事態を見て見ぬふりをしているような印象です。直接的に権助を搾取しているのは妻ですが、その陰で黙認している医者もまた、構造的な加害者として存在しています。「仙人」におけるこの夫婦の描き方は、誰かを利用する人間と、それを止めない人間が、同じくらい罪深いということを静かに浮かび上がらせています。
時間が経つほどに、「仙人」の物語は重みを増していきます。二十年という長い期間、権助はただひたすらに働き続けます。雨の日も風の日も、愚痴も不満も言わず、「仙人になれる」という約束だけを支えにして、生活のすべてを奉公に捧げるのです。この時間の蓄積を思うと、物語を読む側としては、彼があまりにも報われなさ過ぎて、胸が詰まるような思いになります。
そして、いよいよ約束の期間が過ぎる段になって、医者の妻は追い詰められます。彼女には、権助を本当に仙人にする方法などありません。ここで彼女が選んだ手段は、「庭の松に登って両手を離せ」という、事実上の殺人ともいえる無茶な命令でした。この瞬間、作品は一気に緊張感を高め、「仙人」の物語が単なる昔話ではなかったことをはっきり示します。
ところが、「仙人」はここで意外な展開を見せます。権助が松に登り、言われた通りに両手を離しても、落ちないのです。医者の妻が青ざめて見上げるなかで、権助は「おかげさまで仙人になれました」と礼を言い、空へと階段を登るように、ひと足ひと足、上へ上へと昇っていきます。このラストは、ネタバレを知っていてもなお、何度読んでも不思議な感覚を呼び起こします。
この奇跡的な結末をどう受け取るかで、「仙人」という作品の印象は大きく変わります。ある読み方では、「二十年間、金欲にとらわれず、ただ一つの夢のために生きた権助の信念が、ついに現実を超えた」とも考えられます。別の読み方では、「あまりにも救いのない搾取の物語になってしまうことを避けるため、作者が最後に与えたささやかな奇蹟」だと感じるかもしれません。
私が「仙人」を読むたびに惹かれるのは、この結末が単なるご都合主義のハッピーエンドに見えない点です。権助が空へ昇ってしまったあと、医者と妻は取り残されます。搾取する側だけが地上に残り、搾取され続けた権助だけが、どこか遠い場所へ去っていく構図は、すがすがしさと同時に、薄ら寒さも漂わせます。そこに、「仙人」が持つ独特の余韻があります。
また、「仙人」は労働の意味についても考えさせる作品です。権助は給金を一文も受け取らない代わりに、「仙人になれる」という約束だけを報酬として働き続けます。現代に置き換えれば、「経験が積めるから」「夢につながるから」という言葉で過酷な労働を正当化する場面にも重なって見えてきます。あらすじだけを追っていては気づきにくい、どこか現代的な苦さがそこににじんでいます。
一方で、権助が最後に本当に仙人になってしまうことで、「信じ抜いた者が勝つ」といった単純な教訓だけでは片づけられない複雑さも生まれます。彼が空へ昇る場面は、確かに救いのように見えますが、それは同時に「現実世界からの退場」でもあります。長年の奉公のあとに待っていたのが、地上での安らぎではなく、どこか遠い世界への旅立ちだったという点に、淡い哀しみも感じられます。
語りのテンポも、「仙人」の魅力を支える大きな要素です。序盤は軽快に、権助の奇妙な願いと、それを利用しようとする医者夫婦の様子が描かれていきます。ところが、時間が経つにつれて文章の調子は少しずつ落ち着き、長年の奉公の重みや、権助の変わらない態度がじわじわと効いてきます。ラストの数行に至って一気に超自然的な出来事が起こるため、その落差が非常に印象的です。
また、「仙人」という題名もよく効いています。読者は最初から「本当に仙人になれるのか」と疑いながら読み進めますが、ラストで権助が空へ昇ることで、タイトルがそのまま現実化した形になります。こうした構成の妙によって、読み終わったあと、あらすじを思い返すだけでも不思議な余韻がよみがえり、「あの権助は今どこにいるのだろう」と、つい想像したくなります。
「仙人」を他の芥川作品と並べてみると、「杜子春」や「芋粥」などと同じく、「人間の欲望」と「救い」の関係を扱った一編として位置づけられます。「杜子春」では富と修行、「芋粥」では飢えと満腹が、ある種の試練として描かれましたが、「仙人」では、権助の純粋すぎる願いと、それを利用する人間たちの欲深さが正面から対比されています。
読書案内として考えると、「仙人」は中高生にも勧めやすい作品です。あらすじ自体は分かりやすく、ネタバレを聞いてから読んでも十分楽しめますし、結末を知ったうえで再読すると、序盤から伏線のように感じられる箇所がいくつも見つかります。短いながらも、感想を書きやすいテーマが散りばめられているため、読書感想文の題材としても向いていると感じます。
個人的には、「仙人」のラストシーンで権助が言う「おかげさまで仙人になれました」という言葉が忘れられません。彼は、二十年ものあいだ自分を搾取してきた医者夫婦に対してさえ、恨み言を残しません。その姿は、愚かしさと尊さが紙一重で同居した、非常に複雑な人間像として胸に残ります。ここにこそ、「仙人」という作品が今も読み継がれている理由の一つがあるように思います。
ネタバレ込みで「仙人」を振り返ると、単純に「信じれば夢は叶う」という話でも、「人を利用してはいけない」という教訓でも終わらない、独特のバランスをたもった作品だと分かります。権助の生き方は現実的ではないかもしれませんが、その一途さが最後に世界のほうをねじ曲げてしまうような不思議さが、この物語の核にあります。
「仙人」は、読み終えたあとに静かに考え込ませる力を持った一編です。あらすじだけを追っても面白く、ネタバレを知ってからの再読にも耐える厚みがあります。権助の二十年に思いを馳せながら、医者夫婦の姿を自分の身の回りの出来事に重ねてみると、現代の働き方や人間関係についても、改めて考えさせられるのではないでしょうか。
まとめ:「仙人」のあらすじ・ネタバレ・長文感想
ここまで、「仙人」のあらすじをたどりつつ、ラストシーンのネタバレを含めた長文の感想を書いてきました。大阪の町を舞台に、「仙人になりたい」と願う権助の物語は、童話のような軽さと、現代にも通じる切実さをあわせ持っています。
あらすじの段階では、権助の純粋な願いと、医者夫婦による搾取の構図が分かりやすく示されました。長年の奉公の末に松の木へと登らされる場面までで区切ると、「この先どうなるのか」という緊張感がくっきりと浮かび上がります。
ネタバレ込みで結末まで見ていくと、権助が本当に仙人になって空へ昇るという出来事が、単なる奇跡ではなく、人間の信念や欲望、そして労働の意味を問い直す強い象徴として感じられてきます。「仙人」は、短い分量のなかに、何度読んでも味が変わる多層的なテーマを閉じ込めた作品だと言えるでしょう。
まだ「仙人」を読んでいない方は、まずは実際の文章に触れてみることをおすすめします。そのうえで、あらすじや感想を振り返ると、権助の一言一言や、医者夫婦の何気ない行動に、別の響きが聞こえてくるはずです。何度読み返しても、新しい発見を与えてくれる一編として、「仙人」はこれからも長く読み継がれていくのではないでしょうか。





























