小説「クラウドガール」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。
まず触れておきたいのは、本作が朝日新聞での連載後に文庫化された経緯と、読者層の広がりです。姉妹の“共有”する秘密へ向けて徐々に速度を上げる構成が、読み進めるほどに効いてきます。
本記事では、前半であらすじを整理し、後半でネタバレに踏み込みながらテーマと仕掛けを丁寧に読み解きます。姉の理有と妹の杏――二人の語りが交互に積み重なっていくことで、記憶と感情のズレが立体化していくのが「クラウドガール」の大きな魅力です。
「クラウドガール」のあらすじ
東京で二人暮らしをする大学生の姉・理有(りう)と高校生の妹・杏(あん)。父母は離婚し、母はすでにこの世にいません。頼られることに慣れた理有と、刹那に生きる杏――正反対の姉妹は、表向きは支え合いながらも、心の奥底では別々の時計を動かしています。
「クラウドガール」は、姉妹それぞれの一人称で章が交互に進みます。理有は家事や学業、妹の面倒まできっちりこなす理性的なタイプ。一方の杏は、美しさと行動力で周囲を惹きつけながら、恋人との関係に振り回されがちです。
杏の相手は同い年の晴臣。浮気をくり返す彼を杏は突き放せず、別れと再開を反復します。理有にも新たな出会いが訪れ、年上の光也と距離を縮めていきます。日常は回り続けますが、母の死と家族の記憶だけは、二人の中でいつまでも沈殿しています。
そして「クラウドガール」は、ふとした行き違いを糸口に、姉妹のあいだにある“見えない境界”を浮かび上がらせていきます。母の面影、離別した父への感情、過去に見た“ある場面”――語られ方の差が、不穏な影として少しずつ輪郭を持ちはじめるのです。結末はここでは伏せますが、後半での急加速に備えてお読みください。
「クラウドガール」の長文感想(ネタバレあり)
ここからはネタバレに踏み込みます。未読の方はご注意ください。
「クラウドガール」は、エンタメ的な疾走感と、家族小説の痛点を同居させる語りで魅せます。章ごとに語り手が入れ替わるたび、読者の“事実”が微妙に揺れ、同じ出来事が別の照明を浴びるのです。これは単なるテクニック以上に、記憶の主観性そのものを主題化する装置になっています。
理有の文章は端整です。自己管理の語彙で世界を整えようとする彼女は、母の死後、家政と感情の責任を同時に背負い続けてきました。彼女が“冷静”に見えるのは、生き延びるために感情を棚上げしてきたからにほかなりません。対して杏は、今この瞬間の感覚と衝動で動く。理有の理性と杏の生命感――この両輪が「クラウドガール」の推進力です。
ネタバレの核心に近づくにつれ、母という中心不在の存在が膨らみます。亡き母は小説家。創作に没頭し、娘たちの前からたびたび消える人でもありました。姉妹はそれぞれに母を理解し、同時に恨んでもいます。理有にとって母は“面倒の根源”であり、杏にとっては“選ばれた側”を夢見させる幻灯です。
杏と晴臣の反復は、自己価値の再確認行為です。裏切りがあっても、極端な謝罪の言葉一つでリセットされる。杏は他者からの視線でしか自分を確かめられない。そこに「クラウドガール」の危うさが露呈します。軽薄ではないのに、軽さから逃れられない十代の体温が、章のリズムとして響きます。
理有の恋愛線に置かれた光也は、安心と大人の距離感を体現します。けれど、彼の存在は理有を“きちんとした人”に固定化する働きも持ち、理有の内部にある揺らぎを、かえって浮き彫りにします。彼女は「守る私」を演じながら、「守られたい私」を封じてきたのです。
物語が良い意味で加速するのは、姉妹の記憶が嚙み合わない箇所が増えたときです。たとえば母の最期の記憶。理有の言葉は秩序立っていますが、ところどころに“説明の過剰”と“感情の欠落”が混在する。杏の回想は断片的で、しかし生々しい。二人の語りの濃淡が、読者の中に疑念を育てます。
クライマックスでは、母の死と父への感情をめぐる“認識の改訂”が起こります。ここでのネタバレは、誰が悪かったのかを決めることではありません。むしろ、悪者不在のまま、ケアが行き届かなかった連鎖を可視化することに意味がある。母は母なりに、理有は理有なりに、杏は杏なりに、皆が自分の立場で最善を尽くしていた。その最善が、いつのまにか互いを傷つけていたのです。
「クラウドガール」の題ににじむのは、掴もうとすると指の間から逃げる雲の質感です。姉妹の関係は“曖昧で変形し続けるもの”。雲のかたちが一瞬たりとも同じでないように、愛情も憎しみも、他者の視線や一つの出来事で容易に別の輪郭を見せます。
この作品が巧いのは、加害と被害、依存と自立を一人の中に同居させる配置です。理有は“面倒を見る人”として杏に尽くす一方で、その役割に縛られている。杏は“面倒を見てもらう人”でありながら、理有の存在理由になってしまっている。相互依存が均衡している間は温かく、崩れると脆い。この温度差を、語りのテンポで表現しているのが見事です。
姉妹の言葉がときに暴力になる場面は、読む手が止まるほど痛いです。なぜなら、二人は相手の急所を知り尽くしているから。善意で放った言葉が、過去のトラウマを抉る刃になる。家族小説の難所を正面から通り抜ける胆力が、「クラウドガール」にはあります。
印象的なのは、日常描写の“速度”です。料理、洗濯、通学、バイト――粒立ったディテールが、二人の生活に“生きている時間”を与えます。日常がちゃんと息をしているからこそ、後半の真相に触れるシーンで、空気が一変する。その落差が、読後の余韻を長く引き延ばします。
ネタバレのもう一段奥には、語りの信頼性という問題があります。どちらの語りも嘘をついていない。けれど、どちらも真実のすべてではない。記憶は、自己防衛と願望の層を持つからです。読者は“完全な第三者”にはなれず、二人の肩口から世界を見るしかない。その限定視点が、物語に“不可視の余白”を残します。
姉妹の恋愛線は単なる副次要素ではありません。杏の晴臣、理有の光也――それぞれが、姉妹の“自己像”を映す鏡になっている。杏は“選ばれなさ”の恐怖から逃れるために相手に賭け、理有は“選ばれる私”を理性的に運用しようとする。鏡像的な配置は、ラストの選択に向けて静かに収束していきます。
「クラウドガール」は、母という“創作する人”の影も忘れません。作品世界の外にいる読者にとっては、母はほとんど姿を見せないのに、姉妹の中では圧倒的な重力を持ち続ける。この“姿なき重力”が、姉妹の選択の軌道を歪ませます。解説者として綿矢りさの名が添えられているのも象徴的で、デビュー当時から互いに参照されてきた二人の作家史までも背景に立ち上がります。
クライマックスでの対峙は、怒りの爆発であり、ようやく到達した“境界線の引き直し”でもあります。互いの“役割”を降ろすことは、相手を見捨てることではありません。二人が突きつけ合う言葉の荒さの中に、やっと本音で関係し直そうとする意志が見えます。
読後、題名に戻ると、雲は“変わり続ける私たち”の象徴だけでなく、“確かな形を持たない真実”の姿でもあると分かります。証明し尽くせないが、確かにそこにあったもの――その感触を最後に手渡してくれるのが、本作のラストです。
物語の規模は大きくないのに、体感は豊かです。なぜなら、姉妹の語りの“隙間”に、読者自身の家族史が忍び込むから。誰もが抱える小さなひっかかりが、理有や杏の言葉に反応し、記憶の底から別の記憶を呼び起こす。そういう反射板としての力が、「クラウドガール」には備わっています。
最終的に私は、「クラウドガール」を“関係のリハビリ小説”として受け取りました。壊すために向き合うのではなく、続けるために向き合う。姉妹がそれぞれの場所で立ち上がる終盤は、痛みの奥に微かな希望が差す瞬間です。言葉の温度差に揺らされながら、人生の手触りを何度も確かめたくなる一冊でした。
まとめ:「クラウドガール」のあらすじ・ネタバレ・長文感想
「クラウドガール」は、姉妹の二人称的な距離感で、家族の記憶と現在を交差させる物語でした。語りが交互に入れ替わる設計が、ネタバレへ向けての心理の揺れを自然に作り出します。
あらすじ段階では、日常の細部が積み重ねられ、過去の影がじわじわ迫ってきます。長文感想では、依存と自立、加害と被害が一人の中で混在する難しさを中心に読み解きました。「クラウドガール」は、その両義性を安易に片づけず、関係の継続可能性を静かに問います。
朝日新聞連載から文庫化に至った経緯や、綿矢りさによる解説といった周辺情報も含め、姉妹の物語としての完成度は高く、読み返すほど新しい影が見えてくるはずです。