小説「讃歌」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。本作は、中上健次の作品群の中でも特に異彩を放ち、読者に強烈な体験を強いる一冊です。その核心に触れるためには、この物語が独立した作品ではなく、前作『日輪の翼』の直後から始まる、地続きの物語であることを理解しなくてはなりません
前作の結末で、主人公が故郷そのものとして慕っていた「オバたち」が東京で忽然と姿を消すという根源的な喪失を経験します
物語の前半を支配する過激で執拗な性描写は、多くの読者を戸惑わせるかもしれません
この記事では、まず物語の導入部分のあらすじを結論には触れずに紹介し、その後で物語の核心に迫るネタバレを含む詳細な考察と感想を述べていきます。この作品が投げかける問いの深さを、共に探っていきましょう。
「讃歌」のあらすじ
物語の舞台は東京。紀州の「路地」からやってきた青年は、かつての「ツヨシ」という名を捨て、「イーブ」という新しい名前で生きています
その超人的な能力から、彼は「性のサイボーグ」あるいは「黄金の一角獣」と呼ばれ、感情を排した完璧な快楽の提供者として神話的な存在になっています
彼の傍らには、マネージャーでありパートナーでもある「チョン子」という女性がいます
物語の序盤は、この感情のない肉体の交換が延々と繰り返される日常を描き出します。そこには人間的な温かみはなく、取引だけが存在する世界が広がっており、読む者に強烈な「不毛感」を突きつけます
「讃歌」の長文感想(ネタバレあり)
ここからは、物語の核心に触れるネタバレを含んだ、より深い読み解きと感想になります。
この『讃歌』という物語を理解する上で最も重要なのは、これが「喪失」から始まる物語だということです。単なる失恋や挫折ではありません。自己の存在基盤そのものが根こそぎ奪われた、根源的な喪失の物語なのです。
前作『日輪の翼』の終盤、主人公ツヨシが故郷「路地」から連れ出し、共に旅をしてきた「オバたち」が、旅の終着点である東京で忽然と姿を消します
ある分析によれば、路地の男たちの「男性性」は、オバたちの母性的な眼差しによって無限に許され、肯定されることで保証されていた、とされています
『讃歌』で描かれる彼の変貌は、この巨大なトラウマに対する直接的な反応として読み解くことができます。未来への希望から始まるのではなく、過去の喪失がもたらした耐え難い痛みから、物語は駆動していくのです。
ツヨシが「イーブ」という新しい名前を受け入れる場面は、その象徴です。マネージャーのチョン子が与えたその名前は、男性とも女性ともつかない響きを持ちます
そして彼は、自らの肉体を徹底的に鍛え上げ、快楽のための完璧な道具へと改造していきます
この人工的な自己の構築が極端であればあるほど、その内実がいかに空虚であるかが逆説的に示されます。物語前半で執拗に繰り返される性描写は、この構築されたアイデンティティがいかに機械的で、魂のないものであるかを読者に体感させるための、必然的な文学的装置なのです
彼は顧客を「白豚」(年配の女性客)と「黒豚」(男性客)という非人間的な言葉で分類します
この物語の象徴的な構造を、以下の表にまとめてみましょう。
登場人物・象徴 | 物語上の役割 | 象徴的な意味 |
イーブ (Iib) | 主人公、高級ジゴロ | 解体された自己。喪失後に構築された、演じられる人工的な男性性。 |
チョン子 (Chonko) | イーブのマネージャー兼パートナー | 規範から外れた愛と共生。暴力的で所有的な庇護者。アウトサイダーの絆。 |
オバたち (The Old Women) | 失われた故郷「路地」の記憶 | 根源的な母性。アイデンティティと「自然な」男性性の保証者。不在そのものが物語の核。 |
トレーラー (The Trailer) | 物語を貫く乗り物 | 『日輪の翼』の「移動する母胎」から、本作の「人工的な男性性の象徴」への意味変容。 |
イーブのパートナーであるチョン子の存在は、この物語において極めて重要です。彼女は男の足をピストルで撃ち抜いたり、ビール瓶で殴りかかったりと、その行動は常軌を逸しています
彼女は、イーブが失った「母性的な存在」であるオバたちとは対極に位置します。オバたちの愛が受動的で肯定的なものであったのに対し、チョン子の愛は能動的で暴力的、そして管理的です。彼女は、根源を失ったイーブが、このコンクリート・ジャングルで生き延びるために必要とした、新しいタイプのパートナーシップを体現しているのです。
二人の関係は、社会から疎外された者同士が結ぶ、共生的な絆です。チョン子はイーブという「性のサイボーグ」を管理し、トレーラーの購入という具体的な未来の目標を設定することで、過去の亡霊に取り憑かれた彼を現在に繋ぎ止めているのです。
この機械的で静的な日常は、ある感覚的な刺激によって突如として破られます。イーブが、失われた「路地」と分かちがたく結びついた花、夏芙蓉(なつふよう)の香りを嗅ぐ瞬間です
抑圧されていたものの回帰です。彼はオバたちを見つけ出さねばならないという強迫観念に駆られ、狂乱的な捜索を開始します。そして、東京の路上で浮浪者のようになっているオバたちを発見するのですが、再会は感動的なものではありません。オバたちは彼を警戒し、怯えて逃げてしまいます
彼は再び彼女たちを探し出し、自らの近代的なマンションに連れ帰ります。しかし、オバたちはその無菌的な環境に適応できず、やがてまた姿を消してしまいます
物語の終盤、イーブとチョン子は、目標であった新しい大型トレーラーをついに手に入れます
そして、物語は衝撃的なラストシーンを迎えます。イーブとチョン子は、その新しいトレーラーに乗り込み、まるで悪ふざけでもするように屈託のない雰囲気で、目的地も示さぬまま東京を走り去っていきます
それは、彼らがついに喪失を受容したからではないでしょうか。イーブは過去を取り戻すことに失敗しました。オバたちは永遠に失われました。しかし、その失敗によって、彼は過去の呪縛から解放されたのです。彼らは、故郷を持たないアウトサイダーという共通の条件を受け入れ、共に未知の未来へと旅立ちます。この結末が示唆するのは、失われたアイデンティティの亡霊を捨て去り、停滞ではなく運動を選択する、人間の回復力への賛辞なのです。
この小説のタイトル『讃歌』とは、成功した英雄への賛歌ではありません。それは、失敗した探求そのものと、それによって打ち砕かれた登場人物たち――収奪され、疎外されたすべての者たちへ捧げられた歌なのです
まとめ
この物語は、故郷と自己の根源を失った青年が、東京という巨大な都市で「イーブ」として生きる姿を描いています。彼は感情を捨て「性のサイボーグ」となりますが、過去の記憶に導かれ、失われた人々を探す悲劇的な旅に出ます。
その探求は失敗に終わります。しかし、その失敗を通じて、彼は過去の呪縛から解き放たれ、同じく根無し草のパートナーであるチョン子と共に、新たな旅へと出発します。そこには明確な答えや救いはありません。
しかし、この結末には、喪失を乗り越え、未知の未来へと踏み出す人間の強靭さが示されています。過激な描写の奥底に流れるのは、傷つき、すべてを失った者たちへ向けられた、力強くも切ない「讃歌」なのです。
この作品は、読む者に深い問いを投げかけ、忘れがたい印象を残します。それは、人間の魂の最も深い部分に触れる、中上健次文学の到達点の一つと言えるでしょう。