小説「バベル九朔」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。
万城目学さんの手掛ける物語は、いつも私たちの日常に潜む「もしも」を、壮大なスケールで描き出してくれますよね。本作「バベル九朔」も、その魅力が存分に発揮された一作です。しがない雑居ビルの管理人である主人公が、ある日突然、とんでもない世界の謎に巻き込まれていく。この導入だけでも、ワクワクが止まりません。
物語の舞台は、古びた雑居ビル「バベル九朔」。しかし、その扉の向こうには、現実とは全く異なる法則で動くもう一つの世界が広がっていました。この記事では、まず物語の入り口であるあらすじを、核心のネタバレを避けつつご紹介します。一体、主人公の身に何が起こるのか、その目で確かめてみてください。
そして後半では、物語の核心に触れるネタバレをふんだんに含んだ、濃厚な感想を綴っていきます。作中に散りばめられた謎、世界の正体、そして読者の心を揺さぶるあの結末について、私なりの解釈を交えながら熱く語らせていただきました。読了済みの方は、きっと「そうそう!」と頷いてくださるはずです。
「バベル九朔」のあらすじ
主人公は27歳の「俺」、九朔満大(きゅうさくみつひろ)。小説家になる夢を追いかけていますが、現実は鳴かず飛ばず。今は、祖父から受け継いだ築38年の雑居ビル「バベル九朔」の管理人として、どうにか食いつないでいる毎日です。蛍光灯の交換やテナントからの家賃集金など、夢とはかけ離れた雑務に追われる日々は、彼の焦りばかりを募らせていました。
そんな彼の前に、ある日、全身黒ずくめの謎の女が現れます。サングラスの奥にカラスのような瞳を宿した彼女は、「扉は、どこ? バベルは壊れかけている」という不可解な言葉を残していきます。時を同じくして、ビルでは巨大なネズミの出没や、連続空き巣事件といった不穏な出来事が頻発し、住人たちの間に不信感が広がっていきました。
あるテナントの退去をきっかけに、満大は祖父が遺した一枚の奇妙な絵を目にします。そして、再び現れたカラス女から逃れるように、空になったばかりの部屋へ駆け込んだ満大は、信じられないものを目にします。先ほど見た絵の中に、それまではなかったはずの「扉」が出現していたのです。
抗いがたい力に引かれるように、満大がその絵の中の扉に手を触れた瞬間、彼の意識は現実世界から引き剥がされてしまいます。これが、後戻りのできない、壮大な冒険の始まりでした。満大が迷い込んだ世界「バベル」とは一体何なのか。そして、カラス女の言う「崩壊」の危機を、彼は止めることができるのでしょうか。物語のあらすじは、ここから一気に加速していきます。
「バベル九朔」の長文感想(ネタバレあり)
ここからは、物語の核心に迫るネタバレ全開の感想になります。未読の方はご注意くださいね。いやはや、この「バベル九朔」という物語、読み終えた後に、なんとも言えない不思議な余韻と、「してやられた!」という感覚が残りませんでしたか?
まず語りたいのは、主人公・満大の置かれた状況の絶妙さです。小説家になる夢を抱えながら、うだつの上がらない管理人生活を送る。この閉塞感、何かに挑戦しようとしている人なら、誰もが少しは身に覚えがあるのではないでしょうか。作者自身の経験も反映されているそうで、だからこそ、彼の焦燥感がひしひしと伝わってくるんですよね。
彼が管理する雑居ビル「バベル九朔」も、単なる舞台ではありません。探偵事務所に画廊、スナックと、癖のあるテナントが集うこのビル自体が、野心や諦めが渦巻く小さな社会のようです。この寂れたビルと、満大の停滞した夢が重なり合うところから、すでに物語の重要なテーマは始まっていたのだと感じます。
そして、物語を大きく動かす「カラス女」の登場。彼女の「バベルは壊れかけている」という言葉と、現実世界で起こる空き巣事件。当初は別々の出来事に見えますが、これが実は密接にリンクしていることがわかった時、鳥肌が立ちました。テナントたちの「失望」や「絶望」が、異世界「バベル」の崩壊を加速させていたなんて。現実の綻びが、もう一つの世界を蝕んでいく。この構造には本当に唸らされました。
さて、いよいよ満大が迷い込む異世界「バベル」の正体です。ここは、彼の祖父・大九朔が創り出した「影の世界」。そして、その動力源が「無駄」である、という設定が最高に万城目さんらしいですよね。「徒労に終わった情熱」や「報われなかった努力」といった、現実では価値がないと切り捨てられがちなものが、世界を創るエネルギーになる。この発想の転換に、胸が熱くなりました。
しかも、「バベル」では「言葉にしたことが真実になる」というルールまである。これは、言葉を紡ぐことを生業にしたい満大にとって、これ以上ないほどの誘惑であり、同時に恐ろしい罠でもあります。努力せずに何でも叶う世界は、心地よいけれど、人をダメにする甘い毒。この世界に囚われてしまった人々の気持ちも、少しわかってしまうのが怖いところです。
旧約聖書の「バベルの塔」が神への傲慢さの象徴だったのに対し、本作の「バベル」は、失敗を恐れず挑む人間の精神そのものを肯定しているように感じました。「無駄」は決して無価値なんかじゃない。それこそが何かを創造するほどの力を持っているんだ、というメッセージは、多くの人の心に響くのではないでしょうか。このネタバレを知ってから読むと、また違った味わいがあるかもしれません。
満大が「バベル」の塔を探索する場面は、読んでいて本当に方向感覚を失うようでした。無限にループするような階層、上へ下へと彷徨う感覚。これは、彼が抱える創作のスランプ、つまり「出口の見えないトンネル」を物理的に表現しているのだと思います。どれだけ書いても前に進まない、同じところをぐるぐる回ってしまう…そんな苦しい感覚が、見事に描き出されていました。
塔の中で出会う、知人たちの奇妙な幻影も印象的です。現実での不安が反映された彼らの姿は、「バベル」が単なる空間ではなく、人々の記憶や歴史が混ざり合った歪んだ場所であることを示しています。ここで満大は、究極の選択を迫られます。全てが叶う偽りの夢の世界で生きるか、それとも困難な現実で戦い続けるか。
ここで面白いのが、「カラス女」の役割の変化です。最初は敵のように見えた彼女ですが、執拗に満大を追い詰めることで、結果的に彼が自分の弱さと向き合う手助けをしています。彼女は、満大が夢から逃げることを許さない、厳しいけれど必要な導き手だったのかもしれません。このあたりの人物造形の深さも、本作の魅力ですね。
そして物語は、世界の創造主である祖父・大九朔の亡霊との対決という、壮大なクライマックスへと向かっていきます。祖父は、自らが創った美しくも残酷な世界を守ろうとする。それは、他者の希望を犠牲にして成り立つ、偽りの楽園でした。このあたりから、物語のネタバレは最高潮に達します。
崩壊寸前の「バベル」を前に、満大が下した決断には、本当に驚かされました。彼は世界を破壊するのでも、脱出するのでもない。なんと、3年間苦心して書き上げた、自分の分身とも言える長編小説を、「バベル」を救うためのエネルギーとして捧げるのです。この自己犠牲的な行為は、涙なくしては読めませんでした。
この行為によって、「無駄」という言葉の意味が、物語の中でがらりと変わります。それまでは「失敗の燃えカス」だった「無駄」が、満大の行動によって「未来のための尊い犠牲」へと昇華される。彼はもはや世界の迷い人ではなく、自らの意志で世界を形作る創造主の一人となったのです。この展開は、本作のテーマを象徴する、非常に重要な場面だと感じます。
さて、いよいよ衝撃の結末です。本作、特に小説版は、非常に解釈の分かれる終わり方をしますよね。いわゆる「ハッピーエンド」を期待していた方は、きっと「え、ここで終わるの?」と戸惑ったのではないでしょうか。いわゆる「ループもの」のようでもあり、モヤモヤした感覚が残る。このネタバレこそが、本作を語る上で欠かせません。
満大は、「バベル」を破壊することも、現実に戻ることもせず、その世界の新たな「管理人」となることを選びます。これは、彼がカラス女の役割を引き継ぎ、終わりのないサイクルに囚われたかのように見えます。しかし、私はこの結末こそが、「バベル九朔」という物語の完璧な着地点だったと思うのです。
この結末は、満大が「作家として生きていく」という覚悟を決めた、究極の表明なのではないでしょうか。彼は、「作家になる」ことを目指すのをやめ、「作家である」ことを選んだのです。作家の人生とは、成功というゴールに辿り着くことではなく、自らの内なる世界を絶えず構築し、その「無駄」と格闘し続ける孤独な営みそのものである。彼が「バベル」の管理人になるという選択は、その覚悟の現れに他なりません。
もし、満大が現実世界に戻って小説家として大成功する、というような分かりやすい結末だったら、本作のテーマである「結果ではなく、無駄な努力そのものに価値がある」というメッセージが、少しぼやけてしまったかもしれません。ループとも思える終わり方だからこそ、そのテーマが際立つのです。
この結末は、物語の欠陥などではなく、創造という行為の本質、つまり、挑戦、疑念、闘争、そして再起という、終わりなきサイクルそのものを描いた、最も誠実な「答え」だったのではないでしょうか。「バベル九朔」という名前は、もはや単なるビルの名前ではなく、彼の生涯をかけた仕事であり、生き様そのものになった。そう考えると、あのラストシーンが、とても尊いものに思えてくるのです。
まとめ
万城目学さんの「バベル九朔」は、単なる奇想天外な冒険物語ではありませんでした。それは、夢を追うことの苦しさと尊さ、そして一般的に「無駄」と呼ばれるものの価値を、私たちに問いかけてくる奥深い物語です。売れない小説家志望の主人公が、不思議な世界に迷い込むというあらすじだけでも魅力的ですが、その奥には深いテーマが隠されています。
この記事では、ネタバレを避けつつ物語の導入となるあらすじを紹介し、後半では物語の核心に触れるネタバレ満載の感想を綴ってきました。特に、多くの読者が「モヤモヤした」と感じるであろう、あの衝撃的な結末。しかし、その結末こそが「作家として生きる」という主人公の覚悟を示す、最高のフィナーレだったと私は考えています。
現実と非日常が交錯するユニークな世界観の中で、主人公・満大が下した最後の選択は、きっと読む人それぞれの心に異なる何かを残すはずです。読み終えた後、誰かとこの物語について語り合いたくなる、そんな一冊でした。
まだ読んでいない方はもちろん、すでに読了した方も、この記事をきっかけに改めて「バベル九朔」の世界に浸ってみてはいかがでしょうか。きっと、初回とは違う新たな発見があるはずです。この物語の感想は、一言では言い尽くせませんね。