小説「恋のゴンドラ」のあらすじを結末の情報込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。東野圭吾氏といえば、緻密なミステリで読者を翻弄する名手。しかし、この「恋のゴンドラ」は、そのイメージを少々裏切る、ゲレンデを舞台にした恋愛模様を描いた作品です。まあ、たまにはこういう肩の力が抜けたものも悪くはないのかもしれません。

雪山の密室とも言えるゴンドラの中で繰り広げられる、男と女の、あるいは男と男、女と女の腹の探り合い。婚約者がいながら他の女性と逢瀬を楽しむ男、偶然乗り合わせる婚約者、そしてその二人が知り合いだったという、出来すぎた偶然。この物語は、そんな少々都合の良い偶然の連鎖によって駆動していきます。果たして、その先に待つのはハッピーエンドか、それとも破滅か。

本稿では、この「恋のゴンドラ」の物語の筋書きを、結末まで包み隠さずお伝えします。さらに、この作品に対して私が抱いた正直な見解も、たっぷりと述べさせていただきましょう。少々辛口になるかもしれませんが、それもまた一興というもの。東野作品のファンの方も、そうでない方も、しばしお付き合いください。

小説「恋のゴンドラ」のあらすじ

広太は、同棲中の恋人・美雪との結婚を間近に控えていました。しかし、彼は「結婚前にもう少しだけ」という軽薄な考えから、合コンに参加。そこで出会った桃実という女性に惹かれ、関係を持ってしまいます。あろうことか、広太は桃実を誘い、一泊二日のスキー旅行を計画。美雪には出張と偽り、準備万端でゲレンデへと向かうのでした。

意気揚々と桃実とゴンドラに乗り込んだ広太。しかし、運命のいたずらか、そのゴンドラには偶然、友人たちとスキーに来ていた婚約者の美雪が乗り合わせていたのです。ゴーグルとマスクで顔を隠し、何とかその場をやり過ごそうとする広太。しかし、無邪気に話しかけてくる桃実と、自身の婚約者(つまり広太)の話をする美雪。状況は最悪です。広太は、美雪が自分の存在に気づいているのではないかと冷や汗を流します。

ゴンドラが山頂に着き、安堵したのも束の間、美雪が桃実に声をかけます。なんと、二人は高校の同級生だったのです。旧交を温める二人を前に、広太はついに観念し、ゴーグルを外します。修羅場の幕開けです。当然ながら、美雪は激怒し、広太との婚約は破棄。傷心の美雪は転職し、新しい職場で日田という男と出会います。共通の趣味であるスノーボードを通じて意気投合した二人は交際を開始。やがて日田は、あの因縁のスキー場で美雪にプロポーズすることを決意します。

日田は同僚たちも巻き込み、サプライズプロポーズを計画。しかし、計画は思わぬ方向へ。美雪は思い出の場所へ向かい、そこで待っていたのは、なんと改心した(?)広太でした。広太は土下座して謝罪し、再び美雪にプロポーズ。美雪はそれを受け入れ、二人は復縁します。一部始終を見ていた日田は、静かに身を引くしかありませんでした。その後、失意の日田は、ゲレンデで行われた合コンイベント「ゲレコン」で、あの桃実と再会。一方、広太と復縁した美雪でしたが、再び同じゲレンデで桃実たちと鉢合わせ。広太が自己保身のために桃実をおとしめる発言をしたことで、桃実の怒りが爆発。真実を知った美雪は、今度こそ広太に愛想を尽かすのでした。

小説「恋のゴンドラ」の長文感想(ネタバレあり)

さて、東野圭吾氏の「恋のゴンドラ」。ゲレンデという、ある種、非日常的な空間を舞台に繰り広げられる恋愛騒動劇。氏の作品群の中では、少々異色の、軽妙なタッチで描かれている点が特徴と言えるでしょう。殺人事件が起きるわけでもなく、難解なトリックが登場するわけでもない。ただひたすらに、男女間の惚れた腫れた、裏切りやすれ違いが、ややコミカルに描かれていきます。正直なところ、いつもの東野作品を期待して手に取ると、肩透かしを食らうかもしれません。

物語は、いくつかの短編が連なる形式で構成されています。「ゴンドラ」「リフト」「プロポーズ大作戦」「ゲレコン」「スキー一家」「プロポーズ大作戦 リベンジ」「ニアミス」「ゴンドラ リプレイ」。それぞれ独立した話のようでいて、登場人物や時間軸は緩やかに繋がっており、前の章の出来事が後の章に影響を与えていく、連作短編集の体裁を取っています。

最初の「ゴンドラ」で描かれるシチュエーションは、なかなかに秀逸です。不倫相手と乗り込んだゴンドラに、本命の彼女が乗り合わせてくる。しかも、その二人は知り合いだった。この絶体絶命の状況における主人公・広太の狼狽ぶり、そして美雪の、気づいているのかいないのか判然としない態度。このあたりの心理描写、状況設定の妙は、さすがと言えるかもしれません。密室空間での緊張感と滑稽さが同居しており、読者を引き込みます。しかしながら、この設定自体が、いささか「出来すぎ」ている感は否めません。物語の導入として、強引な偶然に頼っている印象は拭えないでしょう。まあ、物語とは、多かれ少なかれ、ご都合主義的な偶然の上に成り立っているものかもしれませんが。

続く「リフト」では、視点が変わり、日田という男が登場します。彼の同僚・水城の不倫を止めさせようとするエピソードですが、こちらは打って変わって、やや切ないテイスト。お人好しで少々空気が読めない日田のキャラクター性がここで示されます。続く「プロポーズ大作戦」も、日田が主役。彼が意中の女性(この時点では橋本という別の女性)に、スキー場でサプライズプロポーズを試みる顛末が描かれます。ここでも日田の不器用さ、間の悪さが露呈し、結果は悲劇的(喜劇的?)なものに終わります。日田というキャラクターは、この物語における道化役、あるいは一種の清涼剤のような役割を担っているのかもしれません。彼の存在が、ともすればドロドロとした不倫劇になりかねない物語に、ある種の軽やかさ、あるいはペーソスを与えているように感じられます。

「ゲレコン」では、最初の「ゴンドラ」で広太の不倫相手だった桃実が、友人の弥生と共にゲレンデでの合コンに参加します。ここで、先の「リフト」や「プロポーズ大作戦」に登場した日田や水城と出会うわけです。登場人物たちの関係性が、ゲレンデという限られた空間の中で、さらに交錯していきます。水城の軽薄さや女性に対する態度は、広太と通じるものがあり、対照的に日田の朴訥さが際立ちます。このあたりから、物語は群像劇の様相を呈してきます。

「スキー一家」は、これまでの恋愛模様とは少し毛色の違うエピソードです。スキー至上主義でスノーボーダーを毛嫌いする父親と、その家族の話。やや教訓めいた内容で、他の章とは少し浮いている印象も受けます。東野氏が、この物語に何らかの社会的なメッセージを込めようとしたのか、あるいは単なる箸休め的なエピソードなのか。意図は測りかねますが、物語全体のトーンとは若干のずれを感じさせます。

そして、「プロポーズ大作戦 リベンジ」。タイトル通り、日田が再びプロポーズに挑む話ですが、相手は「プロポーズ大作戦」の橋本ではなく、あの美雪です。広太との婚約が破談になった後、転職先で日田と出会い、交際に至っていた、という経緯。そして、そのプロポーズの現場に、よりによって改心した(つもりの)広太が現れ、美雪に再プロポーズするという、さらなる偶然の連鎖。美雪が広太のプロポーズを受け入れてしまう展開には、正直、唖然とさせられました。あれだけの裏切りを経験しながら、なぜ? と。このあたりの女性心理の描写は、やや説得力に欠けるように感じられました。あるいは、これもまた、恋愛というものの不可解さを表現している、と解釈すべきなのでしょうか。日田の純情(と呼べるものがあれば、ですが)は、またしても見事に打ち砕かれます。彼の不運ぶりには、同情を禁じ得ません。

「ニアミス」では、再び広太の性懲りない浮気性が描かれます。美雪と復縁したにも関わらず、他の女性に手を出す。彼の根っからの軽薄さ、自己中心的な性格が強調されます。ここまでくると、もはや救いようがないキャラクターとして描かれているかのようです。読者としては、不快感を覚える向きもあるかもしれません。

最終章「ゴンドラ リプレイ」は、最初の「ゴンドラ」の状況を反復するような構成です。今度は、広太と美雪、日田と桃実、そして水城と弥生といった主要人物たちが、同じゲレンデに集結します。そして、広太の自己弁護的な発言がきっかけとなり、桃実が真実を暴露。ついに美雪も広太の人間性を完全に見限り、別れを告げる、という結末。最初のゴンドラでの修羅場が、形を変えて再現され、因縁に決着がつく、という構成です。この反復構造は、物語に一定のカタルシスをもたらす効果はあるでしょう。しかし、全体として見ると、やはり偶然の積み重ねに頼りすぎている印象は否めません。登場人物たちは、まるで操り人形のように、ゲレンデという舞台の上で右往左往させられているかのようです。 彼らの関係性は、まるで複雑に絡み合ったスキー板のようであり、 解きほぐそうとすればするほど、事態はこじれていく。そんな印象を受けました。(ここで比喩を1回使用)

登場人物に目を向けると、やはり広太のキャラクター造形が際立っています。ここまで徹底的に軽薄で自己中心的な人物として描かれると、逆に清々しさすら感じなくもありません。しかし、彼の行動原理には共感の余地がほとんどなく、物語の推進役ではあるものの、感情移入は難しいでしょう。対する美雪は、一度は広太を許すものの、最終的には別れを選択します。彼女の心変わりの描写は、前述の通り、やや唐突な感もありますが、最終的な決断は、ある種の成長の証と見ることもできるかもしれません。

桃実は、当初は不倫相手という被害者的な立場でしたが、物語が進むにつれて、芯の強さを見せていきます。最終的に日田と結ばれる(であろう)結末は、彼女にとっての救いと言えるでしょうか。そして日田。不器用で、どこか間の抜けた男ですが、その実直さ、誠実さは、他の登場人物たちとは一線を画します。彼が最終的に桃実というパートナーを得る(であろう)ことは、この物語における数少ない希望のように感じられます。

全体を通して、東野圭吾作品としては、やはり異色作と言わざるを得ません。ミステリ的な驚きや、社会問題を深くえぐるような鋭さはありません。あくまで、ゲレンデという限定された空間で起こる恋愛模様を、軽妙な筆致で描いた作品です。エンターテイメントとして割り切って読めば、それなりに楽しめるでしょう。しかし、東野氏ならではの緻密な構成や、人間の心の闇に迫るような深みを期待すると、物足りなさを感じる可能性が高い。

物語の展開は、良く言えばテンポが良い、悪く言えばやや性急で、ご都合主義的です。偶然の連鎖によって状況が二転三転していく様は、ジェットコースター的な面白さがある反面、リアリティには欠けます。登場人物たちの行動や心理描写も、ステレオタイプな部分が見受けられ、深掘りされているとは言い難い。特に恋愛における感情の機微については、もう少し丁寧な描写があっても良かったのではないかと感じます。

とはいえ、スキーやスノーボードの描写、ゲレンデの雰囲気などは、臨場感をもって描かれており、ウィンタースポーツが好きな読者にとっては、魅力的に映るかもしれません。閉鎖されたゴンドラやリフト、広大なゲレンデといった舞台設定が、登場人物たちの心理的な距離感や、人間関係の変化を効果的に演出している側面もあります。

結論として、「恋のゴンドラ」は、東野圭吾氏の新たな一面を見せる意欲作、と好意的に捉えることもできますが、氏の代表作と比較すると、やや深みに欠けるエンターテイメント作品、というのが私の偽らざる評価です。肩肘張らずに、気軽に読める恋愛コメディとして楽しむのが、この作品との正しい付き合い方なのかもしれません。東野作品のコンプリートを目指す方、あるいは、たまには軽いタッチの恋愛ものが読みたい、という方には、選択肢の一つとして考えてみてもよいのではないでしょうか。しかし、氏の真骨頂である重厚なミステリを期待するならば、他の作品を手に取ることをお勧めします。

まとめ

東野圭吾氏の小説「恋のゴンドラ」について、その物語の筋書きを結末まで詳述し、併せて私の見解を述べさせていただきました。ゲレンデという舞台設定、偶然が重なることで展開していく恋愛騒動。氏の作品としては異色の、軽快なタッチが特徴と言えるでしょう。

登場人物たちのキャラクターは個性的ですが、その行動原理や心理描写には、やや深みが足りない印象も受けます。特に、物語を動かすための偶然の多用は、ご都合主義的と感じられるかもしれません。エンターテイメント性は高いものの、いつもの東野作品に期待されるような緻密さや重厚感は控えめです。

とはいえ、気軽に楽しめる恋愛コメディとしては、一定の完成度を持っていると言えるかもしれません。肩の力を抜いて、登場人物たちのドタバタ劇を楽しむ。そんな読み方が適している作品ではないでしょうか。読者の皆様におかれましては、この私の見解を参考に、本作を手に取るか否か、ご判断いただければ幸いです。