小説「掟上今日子の遺言書」のあらすじを物語の核心に触れつつ紹介します。長文で作品から受けた印象も書いていますのでどうぞ。

西尾維新先生が手掛ける「忘却探偵シリーズ」は、眠るたびに記憶がリセットされてしまう探偵、掟上今日子さんが主人公の物語です。本作「掟上今日子の遺言書」は、シリーズの第四作目にあたります。タイトルに「遺言書」とありますが、これは今日子さん自身のものではなく、事件の発端となる少女によって残されたもの。この遺言書が、物語を複雑に、そして深くしていきます。

物語は、一人の少女がビルの屋上から身を投げるという衝撃的な場面から始まります。そして、その場に偶然居合わせてしまったのが、我らが不運な青年、隠館厄介くんです。彼はその特異な「冤罪体質」から、またしても事件の容疑者として扱われてしまうのです。現場には少女が書いたとされる遺書が残されており、これが事件の謎を解く鍵となるのですが、事態はそう単純ではありません。

この絶体絶命の厄介くんを救うべく現れるのが、一日で記憶を失う代わりに、どんな事件も即日解決する名探偵、掟上今日子さんです。彼女の推理はいつも鮮やかですが、記憶を繋ぎ止められないというハンデは、捜査に独特の緊張感と時間的な制約をもたらします。本作でも、限られた時間の中で、今日子さんがどのように複雑な事件の真相にたどり着くのか、目が離せません。

この記事では、「掟上今日子の遺言書」の物語の概要、そして物語の核心に迫る部分や、読み終えて感じたことを詳しくお伝えしていこうと思います。今日子さんの鮮やかな推理と、事件の裏に隠された人間模様の深さを、じっくりと味わっていただければ幸いです。

小説「掟上今日子の遺言書」のあらすじ

物語はある日の白昼、雑居ビルの屋上から一人の女子中学生が身を投げるという、ショッキングな出来事から幕を開けます。少女は一命を取り留めたものの、意識不明の重体となってしまいます。この痛ましい事件の現場に、不幸にも居合わせてしまったのが、古本屋で働く二十五歳の青年、隠館厄介くんです。彼は落下してきた少女と衝突し、自身も片手片足を骨折するという重傷を負ってしまいます。

しかし、厄介くんの不運はそれだけでは終わりませんでした。彼には、いかなる事件現場においても犯人と疑われやすいという、特異な「冤罪体質」があったのです。そのため、被害者であるにもかかわらず、警察からは殺人未遂の容疑者として厳しい追及を受けることになってしまいます。彼のこの不幸な体質は、シリーズを通して彼を苦しめる要素であり、本作でも彼を絶体絶命の窮地に追い込みます。

現場の屋上からは、飛び降りた少女が書いたとされる遺書が発見されました。遺書には、ある漫画作品が自殺の動機であると記されていたとされ、その漫画は阜本舜という作家が描いた「チチェローネ」という作品でした。この遺書の存在が、事件の第一印象を決定づけ、捜査の方向性をある特定のものへと導いていくことになります。

絶望的な状況に立たされた厄介くんの無実を証明するため、そして事件の真相を解明するために、あの忘却探偵・掟上今日子さんが捜査に乗り出します。今日子さんへの依頼は、厄介くんの友人で漫画雑誌の編集長を務める紺藤さんからもたらされたようです。紺藤さんの目的は、友人の厄介くんを助けること、そしてもう一つは、少女の自殺未遂の原因とされた漫画「チチェローネ」の作者・阜本舜先生が、責任を感じて引退することを阻止するためでした。

今日子さんの初期捜査は、遺書に記された漫画「チチェローネ」とその作者・阜本舜先生に向けられます。阜本先生は、自身の作品が少女を自殺に追いやったかもしれないという自責の念に駆られ、引退を考えていました。今日子さんは阜本先生と面会しますが、彼女は問題の漫画について、彼女らしい率直な評価を下したとされています。それは、感情論に流されず、事実に基づいて物事を判断する彼女の姿勢の表れでした。

捜査を開始した今日子さんは、早い段階で少女の遺書に対して強烈な「何かおかしい」という感覚を覚えます。この直感は、彼女の推理を表面的な情報から、より深い層へと導く重要な推進力となるのです。遺書の内容は、当初、ある作家への憎悪や、特定の漫画の影響を示唆していましたが、今日子さんの抱いたこの感覚は、遺書が単純なものではなく、何らかの欺瞞が隠されていることを示唆する最初の兆候だったのでした。

小説「掟上今日子の遺言書」の長文感想(ネタバレあり)

「掟上今日子の遺言書」は、読み進めるほどにその複雑な構造と、登場人物たちの深い思いが明らかになる、非常に読み応えのある一作でした。一見すると、不幸な少女の自殺未遂事件と、それに巻き込まれた不運な青年の物語のように始まりますが、掟上今日子さんの捜査が進むにつれて、その様相は劇的に変化していきます。

まず驚かされるのは、事件に関わる少女たちの身元に関する情報の錯綜と、その裏に隠された欺瞞です。当初の情報では、飛び降りた少女は「明日摘花」というペンネームの作家を憎んでおり、その同級生で明日摘花のファンである「花咲明日香」が遺書を偽造した、というような話が示唆されます。しかし、今日子さんの鋭い捜査は、この単純な構図を打ち破り、驚くべき真実を白日の下に晒します。

実は、飛び降りたのは明日摘花さんではなく、彼女の双子の姉であり、人気作家でもある花咲明日香さん本人だったのです。そして、遺書を作成し、花咲明日香さんになりすまして飛び降り自殺を偽装したのは、妹の明日摘花さんの方でした。この双子の入れ替わりと偽装という大胆な計画は、西尾維新先生の作品らしい、読者の予想を裏切る展開です。

明日摘花さんの動機は、自身の作品の世界に深く傾倒し精神的に不安定になっていた姉・花咲明日香さんを救いたいという、歪んでしまった姉への愛情でした。姉に衝撃を与え、目を覚まさせようと、自らが姉になり代わって遺書を書き、飛び降りるという、あまりにも危険で悲しい計画を実行に移したのです。この姉妹の歪んだ献身と共依存にも似た関係性は、物語に深い陰影を与えています。

そして、この事件の真相は、単なる偽装自殺に留まりません。さらに衝撃的なのは、「自殺に見せかけた殺人」であり、しかも「自殺した側が殺そうとした側だった」という、二重三重のどんでん返しです。明日摘花さんは、姉を救うという名目の下、姉・花咲明日香さんになりすまし、姉が自殺したかのように見せかけることで、姉を精神的に追い詰めていると考えた特定の人物を殺害、あるいは社会的に破滅させようと企てていたのです。

この「自殺による殺人計画」という恐るべき発想と、それを実行に移そうとした明日摘花さんの狂気にも似た決意には、戦慄を覚えずにはいられません。彼女の計画は、結果的に失敗に終わり、ある情報によれば、彼女自身が命を落とすという結末を迎えたとされています。姉を思う純粋な気持ちが、どこでどのように歪んでしまったのか、考えさせられる悲劇です。

ここで重要な役割を果たすのが、隠館厄介くんです。明日摘花さん(花咲明日香さんになりすましていた)が飛び降りる際に狙っていたのは別の人物であり、たまたまその標的と似た服装をしていた厄介くんが、不運にもその「殺人計画」の巻き添えになった、というのが真相の一端でした。彼の「冤罪体質」は、今回もまた彼を苦しめましたが、それは同時に、事件の複雑なパズルを解き明かすための、ある種の触媒としても機能していたように感じられます。

そして何よりも、掟上今日子さんの推理の鮮やかさです。記憶が一日でリセットされるという絶対的な制約の中で、これほど複雑に絡み合った嘘と真実の糸を解きほぐしていく様は、まさに圧巻の一言。「バラバラの断片を最後、一気につないでいく」と評される彼女の推理スタイルは、本作でも健在で、読者を驚きと納得の境地へと導いてくれます。彼女が抱いた最初の「違和感」から、真相へと至る道筋は、まさにスリリングです。

「飛び降りを防ぐための方法は、屋上に柵を作ることじゃない。落ちたら痛いと、ちゃんと教えてあげることなのだ」という今日子さんの言葉は、事件の本質、そして人間の心の有り様に対する彼女の深い洞察を示しているようで、非常に印象に残りました。彼女は、表面的な事象に惑わされず、常に物事の根源を見つめているのです。

また、物語の中で描かれる漫画家・阜本舜先生の苦悩も、本作の重要なテーマの一つでしょう。自身の作品が少女を自殺に追いやったかもしれないという自責の念は、創作者にとってどれほど重いものか計り知れません。結果的に、彼の作品が事件の直接的な原因ではなかったことが判明しますが、創作物が受け手に与える影響や、作者の社会的責任について考えさせられるエピソードでした。

事件が解決した後、今日子さんはいつものように報酬を受け取り、そして翌朝には事件に関する一切の記憶を失ってしまいます。この忘却という宿命は、彼女の強さの源であると同時に、言いようのない切なさも感じさせます。厄介くんは今日子さんのことを覚えているのに、今日子さんにとっては毎回「初めまして」に戻ってしまう。この非対称な関係性は、シリーズを通じて描かれる魅力であり、本作でも二人の間に流れるほのかな空気感が、物語に温かみを添えています。

「掟上今日子の遺言書」は、巧妙に仕掛けられた謎解きの面白さはもちろんのこと、登場人物たちの心の奥深くにある喜び、悲しみ、怒り、そして愛情といった感情が複雑に絡み合い、読者の心を揺さぶります。真実とは何か、記憶とは何か、そして人が人を思う気持ちの強さと危うさとは何か。多くの問いを投げかけてくる作品です。

西尾維新先生ならではの、軽快でありながらも時に鋭く核心を突く会話の応酬や、個性的なキャラクターたちの造形も、物語を彩る大きな魅力です。特に今日子さんの、一見飄々としていながらも、事件に対しては真摯に向き合う姿は、何度読んでも惹きつけられます。

この物語は、忘却探偵シリーズの一作として、掟上今日子というキャラクターの魅力を再確認させてくれると同時に、単独のミステリー作品としても非常に高い完成度を誇っていると感じました。事件の真相が明らかになった後も、登場人物たちが抱えるであろう心の傷や、割り切れない感情の余韻が残り、深く記憶に刻まれる一作です。

まとめ

「掟上今日子の遺言書」は、忘却探偵・掟上今日子さんが挑む、複雑怪奇な事件を描いた作品です。一人の少女の飛び降り事件を発端に、幾重にも仕掛けられた謎と、登場人物たちの思惑が交錯します。最後まで読むと、タイトルである「遺言書」に込められた本当の意味と、そこに隠された衝撃的な計画に驚かされることでしょう。

物語の魅力は、なんといっても掟上今日子さんのキャラクター性と、その鮮やかな推理です。一日で記憶を失うというハンデを抱えながらも、驚異的な洞察力で事件の真相を見抜いていく姿は、読む者を惹きつけてやみません。また、不運な体質ながらも今日子さんをサポートする隠館厄介くんとの関係性も、物語に温かい彩りを添えています。

本作では、特に「偽装」と「誤認」が複雑に絡み合い、読者を巧みに翻弄します。誰が本当のことを語っているのか、何が真実なのか。ページをめくる手が止まらなくなること請け合いです。そして、事件の背景にある人間関係や、登場人物たちの切ない想いが明らかになるにつれて、ミステリーとしての面白さだけでなく、物語としての深みも増していきます。

「掟上今日子の遺言書」を読み終えたとき、あなたはきっと、掟上今日子という探偵の唯一無二の魅力と、西尾維新先生が紡ぎ出す物語の độc創性に、改めて感嘆するはずです。まだ手に取ったことのない方はもちろん、既に読まれた方も、もう一度この緻密な物語世界に浸ってみてはいかがでしょうか。