小説「インストール」のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。
綿矢りささんのデビュー作にして芥川賞受賞作「蹴りたい背中」と同時受賞した文藝賞受賞作でもある本作「インストール」。17歳でこの作品を書き上げたという事実に、まず驚かされますよね。
高校生の野田朝子を主人公に、不登校、インターネット黎明期のチャット、そして少し変わった人間関係が描かれます。どこか閉塞感を抱える少女が、仮想空間と現実を行き来する中で変化していく様子は、読む人の心に深く響くものがあるのではないでしょうか。
この記事では、そんな「インストール」の物語の筋道を詳しく追いながら、結末まで触れていきます。さらに、作品を読んで私が感じたこと、考えたことを、ネタバレを気にせずたっぷりと語っていきたいと思います。物語の核心に触れる部分も多いので、まだ読んでいない方はご注意くださいね。
小説「インストール」のあらすじ
高校生の野田朝子は、ある日突然、学校へ行くのをやめてしまいます。受験勉強への疑問や、なんとなく感じていた日常への違和感から、衝動的に自分の部屋にある家具や持ち物をすべて捨ててしまうのです。がらんどうになった部屋で、彼女は虚無感を抱えながら日々を過ごし始めます。
そんな中、祖父からもらった古いコンピューターを捨てようとした際、同じマンションに住む小学生、青木かずよしと出会います。かずよしは驚くべきことに、朝子が捨てたコンピューターを拾い、自力で修理してしまいます。彼はどこか大人びていて、掴みどころのない少年でした。
数日後、朝子はかずよしの母親であるかよりと知り合います。下着メーカーに勤めるかよりは、親しくなろうと朝子に派手なデザインの下着を「お裾分け」してくれます。そのお返しとして、朝子はかずよしの家を訪ねることになるのでした。
かずよしの部屋で、朝子は修理されたコンピューターを目にします。そして、かずよしからある秘密のアルバイトを持ちかけられます。それは、かずよしが「雅(みやび)」という名前の女性になりすまして行っている、チャットレディの代行でした。雅は子育てと夜の仕事で忙しく、かずよしが時給制で手伝っているというのです。
時間を持て余していた朝子は、その怪しげなアルバイトを引き受けることにします。かずよしが学校に行っている間、彼の部屋に忍び込み、コンピューターの前に座る日々が始まります。「みやび」というハンドルネームを使い、画面の向こうの見知らぬ男性たちと、26歳の人妻になりきって会話を交わす朝子。最初は戸惑いながらも、次第にその役割に慣れていきます。
しかし、秘密の時間は長くは続きません。ある日、朝子がかずよしの部屋の鍵を開けているところを、母親のかよりに見られてしまいます。問い詰められる中で、朝子はかよりとかずよしの間に、血の繋がりがないという衝撃の事実を知らされるのです。かずよしの実母は亡くなっており、かよりは後妻として迎えられたばかりだったのでした。かよりは、自分に懐かないかずよしが、朝子といる時に楽しそうにしているのを見て、複雑な思いを抱えつつも、この奇妙な関係を黙認するのでした。そして朝子は、このアルバイトで得た収入の一部を受け取り、再び自分の未来と向き合い始めることを決意します。
小説「インストール」の長文感想(ネタバレあり)
綿矢りささんの「インストール」を読み終えた時、なんとも言えない不思議な感覚に包まれたことを覚えています。17歳の少女が描いたとは思えないほど、現代社会の歪みや人間の孤独、そして再生への微かな光が、独特の文体で描き出されていました。ネタバレを気にせずに、この作品から受け取ったものをじっくりと語らせてください。
まず、主人公の野田朝子の行動原理が非常に印象的でした。突然学校に行かなくなり、自分の持ち物を全て捨ててしまう。この「捨てる」という行為は、単なる反抗や現実逃避ではなく、これまで自分を形成してきた価値観や社会との繋がりを一度リセットしようとする、痛みを伴う儀式のように感じられました。空っぽになった部屋は、彼女自身の内面の空虚さを象徴しているかのようです。
そこに現れるのが、小学生の青木かずよし。彼もまた、非常にユニークな存在感を放っています。子供らしい無邪気さとはかけ離れた、妙に達観したような言動。コンピューターを修理し、大人の女性になりすましてチャットで稼ぐ。彼もまた、年齢という枠組みからはみ出した存在であり、どこか社会から疎外されているような影を感じさせます。
この二人が出会い、秘密の「チャットレディ代行」を始める展開は、物語の核心部分ですね。朝子は「みやび」という26歳の人妻というペルソナを被ることで、現実の自分とは違う誰かになる体験をします。学校にも行かず、目的もなく日々を過ごしていた彼女にとって、この仮想空間での役割は、ある種の刺激と居場所を与えたのかもしれません。
チャットの場面で描かれる、画面越しの男性たちとのやり取りは、当時のインターネット黎明期の雰囲気をよく伝えています。顔の見えない相手だからこそ生まれる、無責任で刹那的なコミュニケーション。朝子はそこで、世の中の様々な男性たちの欲望や孤独に触れていきます。最初は戸惑い、時には相手を怒らせながらも、次第に「みやび」を演じることに慣れていく過程は、彼女が社会や他者との関わり方を、歪んだ形ではあるけれど学んでいくプロセスとも読めます。
一方で、かずよしがなぜこのようなアルバイトをしているのか、その背景も気になるところです。参考資料にあるように、彼がメールをしていた「雅」という女性は、子育てをしながら夜の仕事もしている。かずよしは、そんな大人の世界の片棒を担ぐことで、早く大人になろうとしているのか、あるいは現実の家庭(血の繋がらない母との関係)から逃避しているのか。彼の抱える孤独や寂しさが、その行動の根底にあるように思えてなりませんでした。
そして、この秘密の関係が、かずよしの母親(義母)であるかよりに露見する場面。ここでのかよりの反応が、また興味深いのです。普通なら息子や朝子を厳しく叱責しそうなものですが、彼女はそうしません。むしろ、自分に心を開かないかずよしが、朝子との秘密の共有によって生き生きとしている様子を見て、複雑な感情を抱きながらも、それを許容するかのような態度を見せます。
かより自身もまた、後妻という立場で、かずよしとの間に壁を感じている。彼女もまた、ある種の孤独を抱えている人物として描かれています。血縁という繋がりがないからこそ生まれる距離感と、それでも築かれようとしている、いびつだけれども確かな関係性。このあたりの描写は、家族というものの多様性や難しさを考えさせられました。
物語の終盤、朝子はチャットのアルバイトで得たお金の半分を受け取ります。そして、そのお金でオンラインショップで「机」を探す。このラストシーンが、私はとても好きです。あれほどまでに現実の象徴であった学業や日常から逃避し、すべてを捨て去ろうとした朝子が、再び「勉強するための机」を求める。これは、彼女が完全に元通りになったという意味ではないでしょう。
チャットという仮想空間での経験を通して、彼女は何かを得て、少しだけ変化した。空っぽになった部屋に、新しい「何か」をインストールしようとしている。それは、以前とは違う、自分自身の意志で選んだ未来への第一歩なのかもしれません。パソコンのデータを消去して新しいソフトをインストールするように、人間も簡単にはリセットできないけれど、それでも新しい自分を始めていくことはできる。そんなメッセージを感じ取りました。
「インストール」というタイトルは、まさにこの作品のテーマを言い当てています。社会の価値観や期待を自分に「インストール」することへの抵抗。あるいは、仮想空間のペルソナを自分に「インストール」すること。そして最終的には、自分自身の意志で新しい何かを「インストール」し直そうとすること。コンピューターという無機質な存在と、揺れ動く人間の心とが対比的に描かれている点も、本作の魅力だと思います。
綿矢りささんの文体は、デビュー作とは思えないほど完成されていて、淡々としているようでいて、少女特有の感性や鋭い観察眼が光ります。特に、朝子の内面描写や、日常の中に潜むちょっとした違和感を捉える表現は、読んでいてハッとさせられることが多かったです。
この作品は、単なる不登校の少女の物語でも、インターネットの功罪を描いた物語でもありません。現代に生きる私たちが、多かれ少なかれ抱えているであろう、社会との距離感、アイデンティティの揺らぎ、コミュニケーションの難しさ、そしてそれでも生きていくことの希望のようなものを、鮮やかに切り取っていると感じます。
読み返すたびに、新たな発見がある。そんな深みを持った作品ではないでしょうか。朝子とかずよし、そしてかより。彼らが織りなす少し奇妙で、でもどこか切実な物語は、これからも多くの読者の心に響き続けるのだろうと思います。ネタバレを含む形であらすじや私の思いを語ってきましたが、未読の方にはぜひ、実際に手に取ってこの独特の世界観を体験してほしいですね。
まとめ
綿矢りささんの小説「インストール」は、不登校になった女子高生・野田朝子が、ひょんなことから小学生・青木かずよしと出会い、チャットレディの代行という秘密のアルバイトを始める物語です。あらすじを追うだけでも、その特異な設定に引き込まれます。
この記事では、物語の始まりから結末までの流れを、ネタバレを交えながら詳しく紹介しました。朝子が自分の持ち物を全て捨てるところから、かずよしとの出会い、チャットでの奇妙な体験、そして義母かよりとの関係まで、物語の重要なポイントに触れています。
さらに、作品を読んだ上での個人的な評価や考えも詳しく述べさせていただきました。朝子の心理描写、かずよしのキャラクター、仮想空間と現実の関係、そしてラストシーンが示す再生への希望など、作品が持つ多層的な魅力を、ネタバレありで深掘りしています。
「インストール」は、現代社会における孤独やコミュニケーション、アイデンティティといった普遍的なテーマを、17歳の少女の視点から瑞々しく、そして鋭く描いた作品です。この記事が、作品への理解を深めたり、再読のきっかけになったりすれば幸いです。