小説『宿命』のあらすじをネタバレ込みで紹介します。長文感想も書いていますのでどうぞ。この作品は、単なるミステリという枠に収まらない、人間の逃れられない運命を描いた重厚なドラマと言えるでしょう。刑事と医師、幼馴染でありながら宿敵ともいえる二人の男。彼らの人生が、ある殺人事件をきっかけに再び交差し、過去の因縁と驚愕の真実が白日の下に晒されるのです。

物語の結末に触れる箇所もありますから、まだこの作品の深淵を覗いていない方はご注意願いたい。しかし、結末を知った上で読み返すことで、散りばめられた伏線の巧みさ、そして登場人物たちの行動原理がより深く理解できるのも、また事実。この記事では、物語の筋道を丁寧に追いながら、その核心に迫る私の考えを詳しく述べていきます。

東野圭吾氏が初期のトリック偏重から、人間ドラマへと舵を切った転換点とも評される本作。その評価が妥当なものか、あるいは過大評価なのか。私の分析を通して、あなた自身の判断材料としていただければ幸いです。さあ、覚悟はよろしいかな? 『宿命』という名の迷宮へ、ご案内しましょう。

小説「宿命」のあらすじ

物語は、大手電機メーカーUR電産の社長・須貝正清が、自社の前社長・瓜生直明の遺品であるボウガンで殺害されるという衝撃的な事件から幕を開けます。毒矢が使われたこの犯行は、内部の人間の仕業である可能性が高いと見られ、所轄署の刑事・和倉勇作が捜査を担当することになります。彼にとって、この事件は単なる職務ではありませんでした。

捜査線上に浮かび上がったのは、瓜生直明の息子であり、統和医科大学病院の脳神経外科医・瓜生晃彦。勇作にとって晃彦は、小学校から高校まで常に比較され、劣等感を抱かされ続けた宿命のライバルでした。さらに、晃彦の妻・美佐子は、かつて勇作が心を寄せ、短いながらも交際していた初恋の女性だったのです。予期せぬ形での再会は、勇作の心に複雑な波紋を広げます。

捜査を進める中で、勇作は自身の過去にも繋がる奇妙な符合に気づき始めます。幼い頃、近所のレンガ造りの病院で出会った、知能に障害を持つ女性「サナエ」の転落死。そして、美佐子が語る、自分の人生が何者かに操られているかのような「見えない糸」の感覚。これらの断片的な記憶や証言が、須貝社長殺害事件と、そして勇作と晃彦の過去と、どのように結びついていくのか。

瓜生家の複雑な人間関係、UR電産内部の権力闘争、そして過去に隠された禁断の研究。勇作は、事件の真相を追ううちに、自らの出生にも関わる、想像を絶する「宿命」の渦へと巻き込まれていくのでした。果たして、真犯人は誰なのか。そして、勇作と晃彦を縛る運命の正体とは。物語は、幾重にも絡み合った謎を解き明かしながら、衝撃の結末へと突き進んでいきます。

小説「宿命」の長文感想(ネタバレあり)

さて、ここからは物語の核心、そのからくりと人間模様の深層に踏み込んでいきましょう。まだ結末を知りたくないという方は、ここで引き返すのが賢明というものだ。

まず、ミステリとしての側面から見てみましょうか。須貝正清殺害事件。ボウガンと毒矢という、やや古風ながらもインパクトのある凶器。当初は晃彦への疑念がミスリードとして機能し、その後、義理の弟である弘昌が容疑者として浮上する。しかし、真犯人は別にいる。UR電産の常務・松村顕治と、瓜生家の古参家政婦・内田澄江。この二転三転する展開は、読者を飽きさせません。特に、松村の犯行を見破るのが主人公の勇作ではなく、相棒の織田刑事である点は、勇作を完全無欠のヒーローとして描かない、ある種のリアリティを感じさせます。

しかし、話はそれで終わりません。松村が使った矢には毒が塗られていなかった。毒矢にすり替えたのは、やはり晃彦だった。美佐子が見た裏門から立ち去る人影、接着剤の痕跡といった伏線が、ここで見事に回収されるわけです。このあたりの構成力は、さすが東野圭吾と言うべきでしょう。ミステリとしての骨格はしっかりしており、謎解きのカタルシスも十分に用意されています。とはいえ、動機やトリックそのものに、驚天動地といったほどの斬新さがあるかと問われれば、首を傾げざるを得ませんがね。重要なのは、その殺人事件が、より大きな「宿命」の物語を動かすための歯車に過ぎないという点なのです。

本作の真骨頂は、やはり勇作と晃彦、この二人の男を巡る数奇な運命の物語にあると言っていいでしょう。幼少期からのライバル関係。常に先を行く晃彦と、その後を追いかける勇作。この構図は、読者にも覚えのある普遍的な感情を呼び起こします。しかし、物語の終盤で明かされる真実は、その関係性を根底から覆す。二人は、実の兄弟。それも、双子の兄弟だったのです。

この出生の秘密こそが、『宿命』というタイトルの核心です。二人の母親は、レンガ病院に入院していたサナエ。彼女は、病院で行われていた非人道的な脳への電気信号による感情操作実験の犠牲者でした。実験の後遺症で知能が低下する前に妊娠しており、生まれた双子は、それぞれ別の家庭――刑事の和倉家と、UR電産の創業者一族である瓜生家――に引き取られた。これが、二人の人生を分かち、そして再び引き合わせる「宿命」の始まりだったわけです。

この「電脳式心動操作方法」なる研究の存在が、物語全体に暗い影を落としています。戦後の混乱期という時代背景があったとはいえ、人間の尊厳を踏みにじる人体実験が行われていたという設定は、科学技術の倫理的な問題を鋭く問いかけてきます。サナエの悲劇は、その最も痛ましい結果と言えるでしょう。そして、この研究に関わっていたのが、瓜生晃彦の祖父であり、レンガ病院の院長であった上原雅成。彼らの抱えた罪悪感が、後の世代の運命をも歪めていくのです。

美佐子の存在も、この物語において重要な役割を担っています。彼女が感じていた「見えない糸」。それは、単なる思い込みではありませんでした。彼女の父・江島壮介もまた、レンガ病院の実験の被験者であり、脱走した過去を持っていた。その事実が偶然発覚したことから、瓜生家と上原家は壮介とその家族を秘密裏に支援することになる。美佐子がUR電産に入社し、晃彦と結婚したのも、全てはこの「糸」によって導かれた結果だったのです。彼女の人生は、まるで精巧に仕組まれた劇の登場人物のよう。 その運命は、あたかも見えざる手によって操られる操り人形のよう であり、個人の自由意志とは何かを考えさせられます。しかし、彼女が最終的に勇作ではなく晃彦を選んだ(あるいは選ばされた)理由については、作中で明確な心理描写がやや不足している感は否めませんな。晃彦への愛情というよりは、抗えない流れへの諦観のようなものが感じられます。

そして、須貝社長殺害の真の動機も、この過去の研究に繋がっています。松村顕治が殺害に至ったのは、須貝がこの研究に関する秘密のファイル――おそらくは被験者リストか研究データでしょう――を直明の遺品から持ち出し、それを利用しようとしたから。松村自身も、過去にこの研究に関わり、何らかの後ろ暗い部分があったのかもしれません。内田澄江の協力も、瓜生家への長年の忠誠心、あるいは秘密を守るための行動だったのでしょう。晃彦が毒矢にすり替えたのは、須貝を確実に殺害し、研究の秘密を守るためであり、同時に松村に罪を着せる(あるいは少なくとも捜査を撹乱する)意図もあったと考えられます。全ては、過去の罪を隠蔽するための、醜い連鎖なのです。

物語のラスト、勇作と晃彦が対峙し、全ての真実が語られる場面は、本作のクライマックスと言えるでしょう。長年のライバル関係、嫉妬、劣等感。それらの感情が、兄弟であるという事実によって昇華され、新たな関係性が生まれる。最後に勇作が「先に生まれたのはどっちだ」と問い、晃彦が「君の方だ」と答える。この短いやり取りの中に、二人の間にあったわだかまりが氷解し、兄としての勇作、弟としての晃彦という新たな関係性が暗示される。やや感傷的ではありますが、読後感としては悪くありません。

しかし、冷静に見れば、いくつかの疑問点も残ります。例えば、勇作が晃彦の鰻嫌いをいつ知ったのか。学校給食で鰻が出ることは稀でしょうし、そこまで親密な描写もなかったはず。美佐子が晃彦に惹かれた具体的な描写の欠如も、先ほど述べた通り。また、双子を別々の家庭に引き取らせるという設定も、ややご都合主義的な印象は拭えません。とはいえ、これらの細かな点を差し引いても、運命に翻弄される人間たちのドラマを描き切った力は評価すべきでしょう。

東野圭吾氏が、密室トリックやアリバイ崩しといった従来のミステリの枠組みから、より深く人間の内面や社会性に切り込もうとした意欲作。それが『宿命』であることは間違いありません。トリックの巧妙さよりも、人間関係の複雑さ、過去の因縁が現在に及ぼす影響、そして逃れられない運命というテーマ性が、読者の心を掴むのです。初期の作品に見られる硬質な文体と、後の作品に繋がる人間ドラマへの志向が同居した、過渡期ならではの魅力を持った作品と言えるのではないでしょうか。陳腐と言えばそれまでかもしれませんが、この「宿命」という名の劇薬、一度は味わってみる価値があるのかもしれません。

まとめ

東野圭吾の小説『宿命』。それは、殺人事件を発端としながらも、その根底には刑事・和倉勇作と医師・瓜生晃彦という二人の男の、数奇にして逃れられない運命を描いた物語です。幼馴染であり、宿命のライバルであった二人が、事件の捜査を通して再会し、自らの出生に関わる驚愕の真実へと辿り着く。その過程は、読む者の心を強く揺さぶります。

物語の核心には、過去に行われた非人道的な人体実験の存在があります。この「電脳式心動操作方法」という禁断の研究が、登場人物たちの人生を狂わせ、悲劇を生み出していく。サナエの死、美佐子の人生を操る「見えない糸」、そして須貝社長殺害事件の真相。全ての出来事が、この過去の罪によって繋がっているのです。ミステリとしての謎解きの面白さもさることながら、科学倫理、家族の絆、そして運命とは何かという普遍的なテーマを問いかけてくる深遠さがあります。

結末で明かされる勇作と晃彦の血縁関係は、衝撃的であると同時に、二人の間にあった長年の確執を氷解させるカタルシスをもたらします。東野圭吾氏が、初期のスタイルから人間ドラマへと重心を移していく過渡期に書かれた本作は、その後の彼の作風を予感させる重要な一作と言えるでしょう。未読の方はもちろん、再読によって新たな発見があるかもしれません。この『宿命』という名の物語、あなたはどう受け止めますかな?